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岩倉具視のちょんまげ

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  • 質問者:moyashiinoue
  • 投稿日時:2004/09/24 13:38
  • 困り度:暇なときに回答をください

 岩倉遣外使節団が1872年にサンフランシスコで撮影した有名な写真がありますよね。(木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通が写っているもの。)そこでは岩倉だけが着物にちょんまげで、他の4人は洋服姿で断髪(現在の七三分けに近い)です。

 なぜ岩倉だけがちょんまげと着物を着用していたのかの理由があるなら教えてください。明治の時代に入り、徳川時代の悪習のようなちょんまげ・着物を捨て去るのが自然なような気がしますが、なぜにこの格好で洋行したのかが不思議です。公家出身というプライド(武士のちょんまげではなく、頭上一髻に近いタイプのまげをつけて朝廷を守ってきた公家であるというプライド)からなのでしょうか。どうぞ教えてください。

 岩倉は元・公武合体推進派だったので、このメンバーの中では微妙な立場のようですね。見る人によって悪役やベビーフェースに見えたり…。

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No.2ベストアンサー20pt

  • 回答者:jacksparow
  • 回答日時:2004/10/15 01:45

この前の「その時歴史は動いた」でやってました!

それによると、木戸らは、西欧に蔑まれたちょんまげを残したままでは、欧米列強のような近代国家を建設することが出来ないと考えて、ちょんまげを切り落とす「断髪」を進めました。

一方、当時の日本では、断髪のせいで、一揆や離婚がたびたび起こっていたようです。岩倉も、ちょんまげは日本人にとっては魂も同然というような考えから、木戸らの急進的な改革に反対していました。
岩倉は、西洋の科学や文明は早くから優れたものだと評価したようですが、文化面に関しては日本の伝統文化の優秀さを強調していたようです。そのようなことからも、日本の魂・ちょんまげにはかなり固執していたみたいです。ですので、使節団として派遣された時も一人和装で行ったようです。

その時日本の使節団は一見歓迎されたように思われました。でもそれは、岩倉の事を珍しがってのこと。ほぼ見世物状態だったようです。そんなような事を息子らに告げられ、ついに断髪の決意をしたようです。

岩倉は、「自分が日本の全権大使だったことから、日本全体が古い考えに固執した、後進国であると思われる=国として対等に見てもらえない。」そう考えて、ちょんまげを落としたんじゃないかな~と勝手に解釈しました(^^)

一応↓に、番組のURL載せておきます。

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この回答へのお礼

 jacksparowさん、kamieroさん、98Kinさん、ご回答ありがとうございます。いつものように「質問する」を1回クリックしただけなのに、同じ質問が2つも行ってびっくりしてしまいましたが、ご回答が寄せられ感謝しております。

 私も、NHK「その時歴史は動いた」を見ました。いつもはトリビアを見ているのですが、この日は裏のNHKを見ました。岩倉の公家としてのプライドだったのですね! 一言ではうまく言えないですけど。

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No.1ベストアンサー10pt

  • 回答者:kamiero
  • 回答日時:2004/09/24 16:10

島津久光や岩倉具視は、こだわりでちょんまげを結いつづけたのではないでしょうか。

ちなみに岩倉はアメリカに留学していた息子に言われてシカゴでちょんまげを落として服装も洋装にしたようですが。

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