満州鉄道での出会いっていう背景
「主人とは満州で出会いました。長い線路を希望もなく何キロも歩いた仲間の1人でした。」と、いうバックグラウンドを持っている女性ってどんな時代のどこの、どんな階級の人だったんですかね??
昔好きだった人のお母さんが手記を発表されていましたが、なんだか大昔の人のようでどうなってそうなったのか想像できません。多分、この時代、こんな感じで、とかザックリ教えてください。そんなに年寄りでもないんだけど、70歳くらいかなぁ。日本人です。結婚後はずっと田舎暮らし。普通の建売住宅住まい。手記はそこしか覚えてなくて、どえらい激動の時代な感じ、大ロマンス、みたいでした。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>「主人とは満州で出会いました。
長い線路を希望もなく何キロも歩いた仲間の1人でした。」と、いうバックグラウンドを持っている女性ってどんな時代のどこの、どんな階級の人だったんですかね??>70歳くらいかなぁ。
↑の手記を書いた方の情報が不明なので、回答のしようがありません。
「いつ」70歳だったのでしょうか。(今年は戦後72年ですし、戦後は満州という地名はありません)
その方ですが、ソ連軍から逃げていたのかも知れません。
確かに、どえらい激動の時代でした。
本当に大ロマンスだったかもしれませんね。
よく中国残留孤児が話題になる場合は美談として語られていますが、
中国に「残留孤児」が多いのは、何も持たずに逃げなければならなかった親から子供を奪ったり、僅かな食料や移動手段と引き換えに子供を要求したからです。
(極一部の善良な中国人に実子のように扱われた例もあるかもしれませんが)
その子は、女の子は中国人の嫁にされ、男は労働力として使われました。
当時の大陸の有様は↓のようなものでした。
【日本の反論】(米田健三著 並木書房)
《八路軍(共産党)の白山芸術学校の講師をしていた芦田伸介(俳優)は、国府側から八路軍の協力者として狙われていた。芦田一家は脱出行に運命を賭けた。便乗した列車では公然と略奪が行われた。鉄橋が破壊されていたため、列車を降りて徒歩での逃避行となった。暴民の略奪を受けながら、くる日もくる日も野山を踏破した。生まれて半年の娘のオシメまで奪われた。
「いつのまにか満人の農民に囲まれていた。度重なる略奪に身ぐるみはがれた私たちに、子供を売れと要求するのである。男の子が三〇〇円、女の子が五〇〇円だという。・・・・・私は地べたにひざまずいて「助けてくれ、この子は私の命」と(中国語で)叫んだ」
俳優の宝田明は、ハルピンの国民小学校六年生だった。
「ロシア軍が侵入し、めちゃくちゃな暴行、略奪を繰り返した。(中略)子供を捨ててきた人もいる。カボチャ一個と交換した母親もいる。信じられない事だが、事実だった」》
【引揚げ者一〇〇人の告白】(「潮」昭和四六年八月号)
《置き去りにされた子供、金や食糧と交換された子供が、大量に発生した。酷薄な親と非難できようか。ソ連軍にせよ、中国や朝鮮の新たな統治者にせよ、必要な食糧を給付するという人道上の、あるいは国際法上の義務を果たさなかった。親が生き残って祖国に帰るために、そして中国人に引き渡された子供達が、せめて飢えから解放されることを願って、そうせざるを得なかったのだ。
満州からの逃避行を経験したある代議士が、かって私(米田氏)に語った。
「母と二人で満州の原野を歩いていた。脇からあらわれる満人たちが、僕の体に手をかけて引っ張るんだ。食べ物をちらつかせて、子供をよこせ、子供を寄こせという。母は僕を取られまいと、必死になって僕の手を握っていた」
なぜ、彼らは子供を欲しがるのか。敗残の親子を憐れむならば、充分な食糧を与えればよい。一時預かるならば、お互いの連絡先を交換する方法もある。子供のいない中国人が正式な話し合いの結果、養子にするというのなら、まだ判る。ところが、敗残の弱味につけこんで、路傍でわずかな物やカネと引き換えに、「くれ」というのであるから尋常では無い。
むろん、好意と親切で子供を引き取ったケースがあることは否定しないが、「すべての中国人が寛容な精神をもって、かわいそうな日本人の子供を引き取った」という、戦後長い間流布されてきた「美談」に筆者は組みしない。反日自虐の戦後思想潮流の中で、中国残留孤児問題についても歴史の真実が偽造されてきたのでは無いか。
今日なお、人身売買いが大きな社会問題となっている中国の民度において、半世紀以上遡る時代に、近代社会共有する人道の概念が本当に存在していたのであろうか。残留孤児支援運動に関わった人物が、こう語った。
「当時の遅れた農村社会の中国・満州にあって、子供は将来の労働力。ましてや、東洋鬼の日本人の子は、奴隷要員ですよ。カネで買う時男の子より、女の子のほうが高かったのはなぜかわかりますか? 少なくとも、当時の中国では、女の子が大きくなったら「商品」になったからです」》
【朝日新聞勇敢】《山崎朋子(作家)、2002年12月20日》
《「わたしが、中国残留孤児の人たちを中国に訪ねたのは八四年四月。・・・・大方は、生活的にも精神的にも悲惨だった。ハルピンから、でこぼこ道を二時間以上も四輪駆動車に揺られて訪ね当てた一人の女性孤児は、水道もない小さな家で暮らしていた。家族や村役場の人たちの前では本音が言えず、私の泊まっていたホテルに来てはじめて、全身に残る労働と虐待の傷跡を見せてくれたのである」》
中国に孤児がいる一方で、韓国に孤児がいないのは親も子も殺されたからです。
(何故か慰安婦の子供もいません)
面白く読ませていただきました。回答ありがとうございます。戦前に親が満州に渡り、満州で出会いがあって自分が生まれ、ソ連軍が来てバタバタになって命からがら逃げたのかな、と推測しました。ご本人は今、70歳くらいで教師をされていました。時代背景から、絶対親の話ですね!ありがとうございました。孤児の話も大変興味深かったです。
No.3
- 回答日時:
満州はWikiなどで見てもわかるように1932年3月に誕生しました。
よく誤解されますが、米が育たないのでひどい環境だと
思われがちですが、実際に主要な耕作は雑穀で、
朝鮮が産米増殖計画で稲作に力を入れていたため、
高価なコメを日本に移出して満州から粟を輸入していました。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentVi …
(神戸大学新聞記事文庫 京城日報 1933.3.28 )
「満洲粟関税の引上げ問題」
鮮農は米を作って粟を食し、米をトコロ天式に内地に押し出して、
内地米価を圧迫するのであるが、既往の統計に照せば内地に対する
鮮米移出量の増減は満洲からの粟輸入量増減と常に正比例している。
また、中国国内は軍閥や共産党などの各種勢力が台頭していて
比較的治安が安定していた満州には人々が流入し、
建国時には3000万人の人口が1940年代には4200万人にもなり、
中国全体の工業生産で比較すると機械類で95%、鉄鋼91%、
硫安69%、電力67%と、圧倒的なシェアでした。
満州に移民したから貧しいとは限らないと考えます。
さて、「長い線路を希望もなく何キロも歩いた仲間の1人でした」
というお話から考えてみます。
当時の満州に入植した方々は貧しいかもしれませんが、
王道楽土を目指す希望に満ち溢れた方々だったと考えます。
それが「希望もなく」ということは、1945年8月9日に
ソ連による侵攻で逃げ惑った経験を表すものではないでしょうか。
この時は大混乱で階級などは関係なく逃げていましたので
手記を見ないとわからないと思います。
回答ありがとうございます。手記を読んだのもかなり前でしたが、お話から当時彼女は満州で生まれた子供だった気がしてきました。なんだか凄い体験ですね。もっと知りたくなりました。
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