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自分の生まれた国を好きである重要性は何でしょうか?紛争が行われている国で日本にきた外国人「レバノン」が自国が嫌いと言ってるのを見て自国を愛さないでいいと思えてきたのですが嫌いなら無理に誇りを持たないでいいですか?

質問者からの補足コメント

  • 興味深い回答有難うございます。人工的国家とはどういういみでしょうか

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/03 20:12
  • 回答有難うございます。いっつも思うのですがこういう文を書く人は何者なのでしょうか。人一倍勉強をし学歴を持っていていつも考える人でしょうか。何事にも精通しているというか。あなたみたいな文を書けるまでになるにはさまざまな経験と勉強をしなくてはいけませんか。質問とずれましたが回答お願いします。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/01/04 00:46

A 回答 (7件)

レバノンですか。

レバノンは、中東にあって水が豊富でレバノン杉も多く、他民族他宗教の国家でした。文化水準も生活水準も高く中東のパリと評された見事な街並みもありました。

レバノンに対する帰属意識が希薄な国民の一部(とはいえ数十%)は、シリアやパレスチナに横恋慕した挙句、PLFやヒズボラ等の海外勢力を招き入れて内戦を誘発しました。またそれこそが国としての一体感を壊していき、負のスパイラルを形成しています。典型的な失敗国家のひとつです。こういった状態で愛国心も自国への郷愁も感じることはできないでしょうし、それがまた国家の再建を阻害するのです。

自国、自国民に誇りを持つこと、これを愛国心と呼んでも構わないと思います。が、日本では、特に左側の人がその単語に変な意味を載せて誤解を煽っています。実際は、「日本人としての誇りがあるなら恥ずかしくない行いをしよう」とか「故郷の風景を守って行きたい」ぐらいの漠然とした帰属意識が愛国心そのものなのですが、それを貶めたい人達は「愛国心は自己中心で偏狭」とか「愛国心は排外思想に繋がる」という宣撫工作を仕掛けます。そういう方々は決まって「愛国心とかではなく国際的に」と仰います。この「国際的」というものの実態は第三インターナショナルというやつでして、「国家の枠を超えた共産主義指導」を指します。ハンガリーで発生したソ連の権威と支配に対する民衆蜂起や、チェコが目指した人間の顔をした社会主義という愛国心は、国際主義に踏み潰され、ハンガリー動乱やプラハの春として記憶されています。六四天安門事件というものもありました。

日本では根本的な宗教対立が無く(テロはあった)、左右のイデオロギー対決ごっこ程度で済んでいるので、アイデンティティや愛国心を問われることはそうそうありませんが、この辺りの表現が苦手な程度ならともかく、根本的に希薄な国は様々な勢力に付けこまれます。左側だけでなく、右側にとっても愛国心は邪魔であったり、利用すべき考え方なのです。しかしながら、自国、自国民に誇りを持つことができなかった国々がどうなったか、あなたの近くにいるレバノンの人は、過去も今も少なくとも我々にとっての反面教師であることには変わりないでしょう。私自身は、彼等が未来に渡って反面教師でいて欲しいとまでは思いませんが、それを覆すかどうかは彼等自身にかかっているのですし、彼等自身が決めることだと思っています。
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地球人と思えば大きな視野で考えることができる。

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それは考え方次第です。

意義が見いだせないなら誇りに思うことも無いし、思う必要も無いでしょう。
メリットを思って自国を愛したり、誇りに思うこともありません。

他に考え方として、誇りに思えない我が国なら、自分がいつか誇りに思えるような国に変えてやるという気概をもつのも、向上心という点で安直に「誇りに思う」より、メリットがあるかもしれません。

はたまた、憧れる他国があるのなら、その国の国籍が取れるように努力するというのも、自身を成功させる原動力としてメリットがあるのでは無いでしょうか?

人生経験が無いと思うのなら、まずは、本を沢山読みましょう。嫌というほど読んでみましょう。
つまるところ、自分の納得できる生き方が出来れば宜しいのです。
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> 人工的国家とはどういういみでしょうか



このような表現をする場合には、自然発生的要素が少ない、政治経済的な思惑の要素が多い、国家あるいは国としての歴史が短い という側面を強調していることが多いです。
「国家」とは、「国境で区切られた地域に居住する人々に対して統治機構を備え、かつ、その地域と人びとに対して、排他的な統治権を有するとし、その地域と人びとを排他的に統治している組織社会」って感じですが、こうした「組織社会」なら「国家」というとは限らないです。幕藩体制の藩、王国、公国、中国の王権なども、国家ではないし、鎌倉、平安時代の日本も、ピラミッドを建設した当時のエジプトなども国家ではないかもしれないです。 逆に、今のイスラエルなどは、人工国家かもしれません。

> 嫌いなら無理に誇りを持たないでいいですか?

「会社員が雇用されている会社にムリして誇りを持つ必要はない」というようなのと同じです。「国に誇りを持つ」という表現で、何を意味しているのかが、かなり問題です。 政治状況、あるいは経済体制を変えよう、改善しようと強く思っている場合、「国家に誇りをもつ」という表現はなにを意味しているのかが不明な言辞になります。 
「国家に誇りをもつ」という表現でさす「国家」「誇り」はなにを意味しているのかが問題です。 
「持つ」の主語・主格はなにをさしているのか、「持つ」の主語・主格が「発言している自分自身」であれば、「国家に誇りをもつ」という表現でさす意味ははっきりしているはずですが、たぶん、そうした発言をしているあるいはそういう思いを懐いている当人は、何を自分が感じているのかさえはっきりしてはいないのだと思います。
現状で、例えば、経済格差、地域格差、高齢化、原子力政策、財政政策、産業政策、福祉施策、防災施策、税制、産業政策、地方自治、軍事その他、比較的大きな社会施策等にかかわることで、不満を感じているのであれば、そのような大きな問題で不満を感じているのであれば、自然環境に慣れ親しんでいる、日本語に慣れ親しんでいる、日本文化や日本の飲食物に慣れ親しんでいるというだけで「日本に誇りをもつ」というのは、言語表現として不適当です。

自分が生まれ育ってきた国(の文化)に慣れ親しんでいて、それとは不協和の国(の文化)は違和感や居心地の悪さを感じるので好きではないということは、多いと思います。 それと、自国が国家として好きだ/国家として好きではないというのは、別の問題です。

> 自分の生まれた国を好きである重要性は何でしょうか?

人にはアイデンティティという、自分の存在価値をしっかりさせる何かが大切なことが多いです。
自分は(誰と誰の子です)(自分は男/女です)(自分は一人前の成人として自立している)(○○の仕事をきちんとやれている)(母語である日本語はきちんと使える)(○さん▽さん◇さんらとはしっかりつきあっている)(◎とは夫婦で家庭を築いている)等々、そうした安定した自己像を維持していくときに、《自分の生まれ育った社会を良きものとして大切に思い続けられるようにしたい》と考えることがあると思います。そのように《大切にしたい》ということを《好きである・愛している》と表現することがあります。親が子を愛している・好きであると言ったり、恋人のことを愛している・好きであると言ったりするのは、現状が善悪の善である、現状が良否の良であるというのとは違います。 誇るというのは、その現状が素敵で、顕彰するほどの高い価値を出したということであって、《大切にしたい》ということを《好きである・愛している》と表現するのとは全く違います。
自分の生まれた国が好きである、自分の親が好きである、自分のパートナーが好きである、自分の子が好きである、自分の教え子が好きである、自分の仕事が好きである、自分の勤め先が好きであるなどの、好きであるという《意思・思い・意》は、その対象を良くし、善にし、快にするベースになるから、重要なのだと思います。
自分の子が、能力が低い、かっこよくない、出来がわるいとしても、その我が子を好きだから、子を育て、良くする・善くすることができるのでしょう。 自分の子の能力が低い、かっこよくない、出来がわるいから、その我が子は嫌いだとなったら、その先は暗いです。
好き嫌いとか、大切に思うとかと、誇ってしまうのとは違うと思います。

国家というのは、政治組織、経済組織の統治にかかわる《ある体制のこと》であって、《おらがクニ》のようなものとは違います。
この回答への補足あり
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人間は独りでは非力ですが、集団化すると


神様も驚くほどの力を発揮します。
人間はこの力により、食物連鎖の頂点に
立つことができました。

国家も人間の集団です。

国家の力を強くするためには、国民の結束力が
重要になります。

国民の結束力を高めるには、その国に誇りを
持ったり、好きになったりするのが効果的です。

だから、自信が無い国ほど愛国心や誇りを
強調するのです。

米国も愛国心を強調しますが、あそこは
寄せ集めの人工的国家だからです。
この回答への補足あり
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「嫌い」というのは、自分の「国」というものを意識している証拠です。



日本人はそもそも、そういうのに無関心な人が多いですね。
日本が平和だからこそです。
「国」や「土地」というものを取り立てて意識しなくても、自分の土地や暮らしを失うことを恐れず、平和に生きていけるからです。
特に意識しなくても、誰もが当然のように義務教育を受けられるのと同じです。そうでない国もあります。

一方アメリカ国民は、先住民から奪った土地を守り、イギリスの支配から逃れるために戦ってきた歴史から、「自国を守る為に戦う」ことを当然のものと考えています。だからこそ、子供のうちから愛国心を持つように教育されています。


世界の歴史、地理を少し勉強すれば、「国」というものの重要性がわかってくると思いますよ。

無理に好きにならなくてもいいですが、自分の土地や国を守る為に、愛国心や誇りは大切だと思いますよ。

「国」も「国境」もなく、民族の違いも意識せずに暮らせる世界があれば理想的だと思いますが、それが出来ないのが人間です。
周囲を見てください。身近なところにも、ちょっとした差別や下らない争い、諍いはいくらでもあります。
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いいですが、嫌いなところにわざわざ住んでる人って何だろと思います。

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