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宮沢賢治の「春と修羅 第二集」にある
青い槍の葉という詩についての解釈を勉強している者です。
「黒くをどりはひるまの燈籠」というのは
どういった状況描写なのかわからなくて困っています。
をどりは、原文ではおどりとも書かれていて
なにかの踊りのことを指すのでしょうか?
燈籠とどうつながるのか教えて下さい。よろしくお願いします。

個人的には黒い馬が跳ね上がる様は、
きらきらとして、燈籠のように昼間の光の中でもいっそう輝いて見える事かと
考えているのですけど。。

A 回答 (4件)

はじめまして。



手元に詩集がなかったので、ネットのページで読みました。まずは、すばらしい詩を教えてくださってありがとうございました。(賢治は昔から好きなのですが、その割に多くを読んでいないのです)

雑誌発表時に「挿秧歌」と副題が附されているので、田植えの風景を歌った詩なんですね?
それで、ご指摘の箇所は、ここですね。


雲がきれたかまた日がそそぐ

土のスープと草の列

黒くおどりはひるまの燈籠(とうろ)

泥のコロイドその底に


…それで、何度か全篇を読み返しているうちに、急に思いついたことなのですが、「黒くおどり」と表現されているのは「おたまじゃくし」のことなのではないでしょうか?
そして「燈籠」は、「廻り燈籠」(まわりどうろう。「走馬灯」ともいいます)か、それに近いイメージではないかと思いました。

と言うのも、私は田植えの経験はありませんが、子供のころ住んでた近くに田んぼがあって、よくそこらで遊んでたんです。
春になると辺りいったいレンゲが咲いて、それから四月から、五月ころにかけてだと思いますが(ですから田植えの季節にも大体あっています)、田んぼの中はおたまじゃくしでいっぱいになるんですよ。
田んぼのきれいにすんだ水の中をちょろちょろ泳ぎまわって水面に来て空気を吸ったり、水底に潜っていっては泥をぱくついたりする影法師が、水の底の泥の上にきらきらきらきら映っていました。

ですから「黒くおどりはひるまの燈籠」というのは、たくさんのおたまじゃくしが田んぼのすんだ水の中をちょろちょろちょろちょろ泳ぎ回っている姿がまるで踊りを踊っているようで(もしかしたら、もう手足が生え始めたやつもいたかもしれません。それならほんとに踊りですね)、そのいくつもの影法師が「泥のコロイドその底に」ゆらゆらと写っている様子が回り燈籠を見ているようだよ、と言っているんじゃないでしょうか…。

一つの意見として参考にしてみてください。
きっと、田植えをしたことのある人には、この詩の色々な細部がすみずみまでツーカーでわかるのかもしれませんね。賢治も割りと当たり前のつもりで書いていたりして…

書いたことでご不明な点がありましたら、どうぞまたお尋ねください。

(ご存知のところもあるかと思いましたが、この詩を読みながらいくつか見つけたページを挙げておきます。こちらもよろしければ参考になさってください)

それでは。

http://www.ihatov.cc/haru_1/026_1.htm
http://www.moko-moko.com/otamajyakusi
http://www.acl.ec.musashi-tech.ac.jp/~imai/news( …
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この回答へのお礼

fieldsさん、ありがとうございました。
お礼を言って頂いて、かえって恐縮しております。
水面を通してゆらゆら揺れ動くおたまじゃくしが、
生き生きとして、しかも燈籠を見るかのような自然そのものがもつ美しさ
視覚にうつる様子、とても素敵ですね。
ごもっとも!と膝をうってしまいたい気分でおります。

まるでその風景が浮かんでくるような、
ほのぼのとした情景描写もありがとうございました。

お礼日時:2004/10/04 16:24

だから、おたまじゃくしだって(笑)。



mocharieさんの数々の「まわり燈籠」の引用には本当に感心したし、「ああ、賢治が好きなんだなあ」って思いました。「まわり燈籠」という言葉だけで、こんなにいくつもでてくるなんて、すごく読んでらっしゃるんでしょうね。

それから、お日様が翳ったり照ったりするのが、燈籠のイメージと重なっているのなんて僕はそこまでとてもとても気がつかなかったから、「なるほどなあ」とすっかり感心してしまいました。

でも、質問の箇所については、まだ少し読み違えてらっしゃるんじゃないかな?(もちろんそれは僕も同じかもしれませんけどね)

まあ、一つの意見として聞いてください。

引用された雑誌の発表形のほうをもう一度見てみましょう。

雲が切れたかまた日がそゝぐ、
泥のコロイド その底に
黒くおどりは ひるまの燈籠、
土のスープを 呑むからす。


>そして、そのような広大な営みをする空の下に、泥のコロイド(=田んぼ)があるということかな。

まず、読点を見てください。「雲が切れたかまた日がそゝぐ、」で一回切れて、「泥のコロイド その底に
黒くおどりは ひるまの燈籠、」までが一続きです。
そして、「土のスープを 呑むからす。」となっています。ですから、「雲が切れたかまた日がそゝぐ
泥のコロイド その底に」とつながっているのではないんですね。

それから、「泥のコロイド=田んぼ」ではありませんよ。
水の張った田んぼを近くで見たことないんでしょう?
稲(ここでは苗ですが)の根元までを浸す水はけっこう深くて、また、とても澄んでいます。で、その澄んだ水を通して、底の方のやわらかい泥(コロイド)がくっきり見えるんです。もちろん、タガメやおたまじゃくしなど、水中の生き物が、そのコロイドの上に影を落としながら泳いでいるのもくっきりと見えるんですよ。コロイドというのは、ホットケーキを焼くのに解いた小麦粉のようなトロトロっとした感じのことです。

ですから、「雲が切れたかまた日がそゝぐ、」そうしてさしてきた日の光は、水面を照らし、苗を照らし、そうして、水の底の方にあるとろとろとした泥の上にまで届いて、水の揺らめきや、泳ぐ生き物たちの影を「燈籠」のように映し出している。そこのところまで作者は見ているんだと思いますよ。「やまなし」を思い出していただければ、その「みなそこの情景」を思い浮かべられるでしょう?
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NO.1です。

田植えの歌なのですね!
「土のスープと草の列」は田んぼから顔を出す稲なのですね。

サイトによっては、6月は旧暦の8月であるというものもありましたが
「ひかりの底でいちにち日がな 泥にならべるくさの列」
などは正に田植えの様子ですよね。

最初に雑誌に発表されたものは、該当の箇所が下記のようであったのですね。

雲が切れたかまた日がそゝぐ、
泥のコロイド その底に
黒くおどりは ひるまの燈籠、
土のスープを 呑むからす。

なので、以前の回答はちょっと違いますね。

賢治のほかの作品では、まわり燈籠が出てくることが多いので、fieldsさんがおっしゃるように、この詩の燈籠もまわり燈籠であるのではと思われますね。

・狼はみんな歌を歌って、夏のまわり燈籠のように、火のまわりを走っていました。(狼森と笊森、盗森)

・ヨークシャイヤの一生の間のいろいろな恐ろしいろしい記憶が、まるきり廻り燈籠のように、明るくなったり暗くなったり、頭の中を過ぎて行く。(フランドン農学校の豚)

・お日さまは何べんも雲にかくされて銀の鏡のように白く光ったり又かがやいて大きな宝石のように蒼ぞらの淵にかかったりしました。・・・・ おきなぐさはその変幻の光の奇術の中で夢よりもしずかに話しました。
「ねえ、雲が又お日さんにかかるよ。そら向うの畑がもう陰になった。」
「走って来る、早いねえ、もうから松も暗くなった。もう越えた。」
「来た、来た。おおくらい。急にあたりが青くしんとなった。」
「うん、だけどもう雲が半分お日さんの下をくぐってしまったよ。すぐ明るくなるんだよ。」
「もう出る。そら、ああ明るくなった。」
「だめだい。又来るよ、そら、ね、もう向うのポプラの木が黒くなったろう。」
「うん。まるでまわり燈籠のようだねえ。」(おきなぐさ)

廻っているという状態よりも、明るくなったり暗くなったりすることを比喩に使うことが多く思えます。この詩は雲が来る、日がさす、雲が来る、また日がさす、という風に続くので、この燈籠は「おきなぐさ」のように、流れの速い雲によって日がせわしなく隠れたり照ったりする様を言っているのかな、と思いました。そして、そのような広大な営みをする空の下に、泥のコロイド(=田んぼ)があるということかな。でも、黒くおどりが、わかりませんね・・・。
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この回答へのお礼

mocharieさん、ありがとうございました。
「黒くて青い目を持った三光鳥」のエピソードも、
よくご存知でいらっしゃってすばらしいですね。
北上山地の辺りには、そういった鳥がいたのですね。
廻り燈籠の数々の引用も、賢治が「走り廻る・光の加減」など、
様々な角度からとらえていた事も思わず唸ってしまいました。
比喩の奥深さに、改めて感動致しました。
ぜひ参考にさせていただきたいと思います。
コロイドやスープ、草の列についても
お答え頂きました事も併せて、ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/04 16:45

これは6月の梅雨時を描いた詩なのでしょうか…。



黒くをどりは、三光鳥のことではないかと思います。
「月・日・星、ほいほいほい」と啼くのでこの名がついたそうです。
泥のコロイドその底に、というのは、燈籠の下に泥水がたまっている様子かな?
ひるまの燈籠…火の入っていない燈籠の中で
黒くて青い目を持った三光鳥が雨宿りしているのでしょうか。
そして光を求めて啼いているのでしょうか…。

自信ありません。
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