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50代男性です。一応、大学は経済学部で
マルクスも学びました。

マルクス主義は、経済は国家が管理し
みんな平等に所得の配分を行うべきだ
と書いています。つまり経済には
自由はないのです。

しかし政治や言論の自由には触れていません。

なぜ共産主義国家は、経済だけでなく
言論や宗教の自由まで、封じる、もしくは
封じたのでしょうか。

ソ連、東欧、など、言論の自由はありませんでした。
いまだに中国はそうです。

スターリンが元凶と言われますが、本当に
そうなのでしょうか。

北欧の社会民主主義国家は、言論の自由までも
封じてはいません。

詳しい方、お願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

あくまで市場は必要悪であるだけ。

その調節機能のため。

各人がその身体と財産を共同の力で全力で守り保護する結合している形態たる単一の国家意思をさし格差の是正されている形態

権利と義務、中間団体の役割、協同組合、労働組合、商工会などの役割が重要。
後、書籍で宇宙の統一理論を求めて岩波現代文庫が哲学と科学の関係性がわかりやすい。





消費税は最悪の勤労大衆課税制度。本来独占資本大企業や超高額所得者が負担すべき戻すべきもの公共に税金として納付すべきもの分をかくす役割をしている。
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弁証法論理学の解説がある。


全能なので正しいと把握すること。
社会すなわち世界の問題としては、
弁証法論理学の解説がある。
全能なので正しいと把握すること。
社会すなわち世界の問題としては、
機会の平等は相続税や法人格の濫用防止すなわち企業団体政治献金の抑制禁止、高等
教育の無償化などの政策を実現してしていく過程が必要。
自由と平等はセットになっている。
ロックとルソーの社会契約には根本的なちがいすなわちhttp://takamuratetugaku.org/003/003_4_text.html

あり、ルソーは一定の範囲すなわち人間生活に必要となされる程度を基準として私有を認めて後は平等に分配か公有にして格差を是正する。平等でないと自由は実現しない。人民主権と普通選挙とリコール制度により治者と被治者の同一性確保。あるべき理想の形態つまり
ルソーとヘーゲルの一般意志アソシエーシヨン
支払労働、不払労働すなわち必要労働、剰余労働の表現。資本論解説。しくじり先生の中であるアイドルが格差のない国はどこか。回答無人島であれはボケではない。適切な回答。ロビンソンクルソーは
資本論にでてくる。生産物は無人島で一人で生活して自分の物になるので搾取はない。格差がない。江戸時代だと米等の年貢が搾取で見えていた。
これに対して、
労働賃金は搾取を隠蔽する。剰余価値を隠して見えなくする。労働賃金が労働力の価格としてではなく労働の価格という仮象としてあらわれる、労働賃金を価値以下へ引き下げる可能性を生みだす。したがって、労働者に不利に作用する。その時代にみあう水準の人間らしい生活憲法25条生存権を保障するに足る労働賃金を保証されなければなりません。
番組で生活保護で労働してそのうえで受給することを詐欺といっていますが一概にいえません。旧いブルジョワ法学から言えばそうなり、プログラム規定論、統治行為論、事情判決論になる。つまり現状を肯定する。そのような旧法学は役立たず。搾取は詐欺でないのか。消費税の逆進性は問題でないのか。企業団体政治献金は個人の権利を侵害する法人格濫用にならないのか。
すなわち普遍的意志の実現をめざす


新法哲学からは、どうなるか学ぼう。
http://takamuratetugaku.org/004/004_text.html
フランス革命時の1793年憲法の要旨に準拠して国は失業なくして労働の場を提供しなければならないのです。大きな政府とか小さな政府とかの論議は論外です。搾取は税制等で当面補正運用内部留保に課税すること。二重課税には当たらない、なぜなら、搾取しているものを本来あるべき姿にする措置だから。また、株主配当課税や塁進課税等の適切に措置を講
ずること、法人税も含めて。の強化、国際的な
多国籍企業に対しても同様に。さらに 一定規模以上の法人の生産手段の公有化、社会化。
将来的には国連に改変して

世界連邦設立、廃国置州、コミユーン自治体設立、格差是正。
http://www.at-douga.com/?tag=%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
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ヘーゲル、弁証法が理解できないとルソーの真意はよみとれません。

自然の弁証法的性格、を把握。
http://takamuratetugaku.org/014/014-2_text.html



http://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_01/5/n …
ルソーとヘーゲルはセットになる、組み合わせて一人前ということです。それを読み実践の中で実現していくしかないです
http://takamuratetugaku.org/004/004_text.html
http://takamuratetugaku.org/003/003_text.html

http://takamuratetugaku.org/003/003_4_text.html

そもそも資本主義は搾取制度、賃金はそれをかくす。それをとり戻す措置として当面、税制で特に独占資本の内部留保に対して相応の程度納付させること。はっきりいえば消費税の大半程度。

消費税は最悪の勤労大衆課税制度。本来独占資本大企業や超高額所得者が負担すべき戻すべきもの公共に税金として納付すべきもの分をかくす役割をしている。消費税は廃止し贅沢品にかかわる
、物品等間接税にして逆進性を回避すべきです。
立法者の件はhttp://takamuratetugaku.org/003/003_9_text.html
プロレタリアート執権すなわち労働者勤労者階級の権力
と人民主権、人民の権力が本来は同一なのです。
普通選挙とリコール制度、また、司法裁判官検察官等含めて法曹資格を設けるとしても。法学のありかたをもう一度再構築して思考としてこの要旨を理解すること。http://takamuratetugaku.org/014/014-1_text.html
パリ コミユーン。1793年フランス憲法を理解すること。
公共の福祉の意味はルソーとヘーゲルを理解しないと日本国憲法の謎はわかりません。
誰もその謎を解明してこなかった。普遍的意志すなわち一般意志の意味。
学問の体系を理解してください。
人類の思考思惟の体系と言う意味http://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_20/2/n …
はっきり言えば、ヘーゲルの無限である体系の絶対的思考思惟の研究実践の中で穴埋めを後世の人たちはしているということです。絶対的真理と相対的真理。http://www.univcoop.or.jp/70years/interview/inte …

学問に王道なし。
知は力なり。
根源と認識論と方法論の内容が下記にある。
哲学史唯物論と観念論の件がある。
http://y-ok.com/philosophy/
http://takamuratetugaku.org/012/012_text.html
社会保障と財政再建の件は最終的には真の意味の公共である下記の内容を実践、実現されていく過程で解決されていく。

薩摩藩ずしょ広郷の話をするだけ。くだらん内容の番組の話をしている。核兵器も同じ。原発のごみも同じ。
物自体の件と不可知論の件もデイドロが人間の意識が物質からどう発生するのか議論しておりあらゆる物質には感性があり、生物すなわち人には生きた感性と無生物の石ころには死んだ感性があり、ある性質が特有の形態をとって現れたと言いたかった、すなわち反映する性質の件を説明し論理のているのを見ると貧弱に見える。宇宙の始まりの件だが、物質の性質の中に宇宙、ビツグバン以前初期条件も含めてそういう性質が内在していると把握すればいいよいこと。発展の見地、弁証法
論理学は無限なる体系としてくみつくすことのない、自然の対称性、階層構造などを過程として発展、変化、運動するものとして認識する。カント以前の形而上学、形式論理学は一定の範囲でしか通用しない、その範囲ではただしい。範囲をこえると弁証法論理学でないと対応できない、マツハとボルツマンの件はレーニンが物質の定義を

人間の意識の外に存在する、人間の感覚によって、模写され、反映されるという規定で客観的実在の件で解決。


なお、
カントの実践哲学は形式的で意志の決定、動機のだけ、行為の内容、結果を課題重視にしていない。定言命令、道徳律は役に立たない。奴隷制の時代は奴隷主は奴隷を殺しても犯罪とされなかった。なぜなら、奴隷は物扱い人ではなかつたから。あらゆる時代に当てはまる普遍道徳、倫理はない。カントの二重性は罪です。反動的役割を果たしている。実存主義などと同じことです。知恵とか物自体不可知論と実践哲学道徳論が戦前と戦後において天皇制の下での限られた自由と平等と言う日本大ブルジョワに都合がよく、カントが

最大の哲学者ともてはやされている。信仰に道を開くものだから。二元論は。ただし、デカルトとは違います。カントを批判するということは、二ーチエやマツハやフツサール、コント、デューイ、ウエーバ、西田哲学や北朝鮮主体思想などの主観的観念論諸派を論破することにつながる。


だから、被支配階級は革命を善と考えるが支配階級は悪と考える。カントには思いもおよばぬことでした。アンチノミー論と反弁証法的思考の限界。この場合悪が歴史を推進、天動説と地動説。常識とはその時代の諸偏見。革命哲学は常識ではない。偏見ではない。その限界を克服したのがヘーゲル弁証法論理学です。この論理学本体を克服した者は未だいません。おそらくでてこない。http://takamuratetugaku.org/012/012_15_text.html
なぜかといえば中身は絶対精神なんてあるはずないので弁証法的唯物論なのです。科学と哲学の思考の歴史をへーゲルは過程として把握して総括していること。論理学の意義は
ここにある。

歴史の分野には意図的逆立ちしてますが。
ついでに体系に補足したもの資本論は。

資本論は資本の論理学したがって弁証法論理学の特殊な場合を示す。
http://takamuratetugaku.org/005/005_text.html
http://takamuratetugaku.org/006/006_text.html
http://takamuratetugaku.org/list.html
http://takamuratetugaku.org/009/009_text.html


ヘーゲルが使用した意味で説明します。形而上学とは形式論理学帰納法、演繹三段論法を採用する考え方。AはAである。同一律。物事を孤立と静止してとらえる考え方です。これに対して、弁証法論理学は、AはAであって同時にAでないという対立物の統一で運動しているとして把握する考え方です。一時的な静止を否定はしませんが絶対的な静止はない。
アリストテレスが形式論理学のほぼ完成者なので下記を参照して
http://takamuratetugaku.org/012/012_04_text.html

ソ連や東欧の件は、下記を参照して
http://takamuratetugaku.org/011/011_text.html
http://takamuratetugaku.org/list.html
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体制的な問題は種々あるのでしょうが、根本的には、人間そのものの性質に原因があると思います。



以前、テレビで池上彰氏が、社会主義には「やる気スイッチがない」と言ってました。
わかりやすい表現だと思います。

「やる気スイッチ」とは、資本主義における「金儲け」という欲望を満たす原動力のことですね。
社会主義にはこれがないから、労働のモチベーションがわかないというわけです。

労働のモチベーションが低い国は、国際競争力がありません。
石油資源のような打出の小づちでもなければ、必ず資本主義の国より貧乏になります。

それに不満を持つ人は、資本主義国に流出したり、社会主義を否定して国内の変革を求めます。
民主主義の自由選挙を行えば、社会主義体制はいずれ維持できなくなります。
欲望はすべての人間にそなわった本能だからです。

資本主義は、人間の本能に従った社会システムであり、相互の人権を尊重しながら自然と秩序が成熟していきます。
しかし社会主義は人間の本能に逆らうので、政府が監視役となり、人権よりも体制の維持を尊重して、秩序をコントロールします。

結果、社会主義を維持するためには、独裁による恐怖政治で自由を排除する方向に向かいやすくなります。
このとき、別の本能が作用します。
権力を手に入れた者が、それを守り、さらに拡大しようという本能です。

その典型がスターリンの恐怖政治というわけです。
そして、彼は自国だけでなく、資本主義に対抗するために、仲間となる社会主義国の恐怖政治にも手を貸しました。
その点は、恐怖政治の「元凶」と言えますが、社会主義で彼のような政治家が登場するのは、自然な流れだったと思います。
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大学を出、50代で、しかも経済を専攻され、マルクス主義についても勉強された方としては、あまりに素朴な質問で、回答にも困ります。


このサイトで質問されても、皆さんそれぞれの思い込みの意見が出て来るだけで、実りはないと思いますが。丁寧に解説する場所でもなく、公平に判断できる方もまずおられないでしょう。
文献は、山のようにあります。ご存じのはずです。まずそれを(改めて)勉強なさるか、公式見解を聞きたいのでしたら、日本共産党の宣伝部あたりにお問い合わせになるとよろしい。あるいは、自民党に問い合わせても、反対の意見を聞くことが出来ていいかもしれません。その上で、ご自分で判断なさったらいかがでしょうか。
愚問ですが、中国は共産主義国家ですか?
もう一つ、戦前の日本でも言論の自由が極度に制限されるようになってしまっていた、というのは知っていますね?
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共産という名の独裁政治だからでしょうね、大体その親玉は欲深く我儘で疑い深いと相場は決まっています。



だいたい粛清という名の大虐殺を行い、恐怖政治です言う事を聞かないやつは頭が半分吹っ飛びます。
若しくは長い間軟禁状態か強制労働させられます、共産とか共和とかは碌なもんじゃないって思って間違いない。
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マルクスレーニン主義自体の理論が間違っています。

人間はやはり動物なのです。動物本来の欲求を問題にしていないので、この理論自体間違いなのです。それを性善説をオブラートでくるんだ、理論となり、人間の本能と相いれない理論構成なので、実際に政治体制とすると壊れやすいのです。壊れないようにするには、一党独裁として人権を抑圧しなければ成り立ちません。

日本人に結構受け入れられるのは、仏教思想と儒教思想が混交し、性善説が広く行き渡っているからです。しかしいくら性善説でも、家族の中でも反発や反抗が存在するのに、これを権力が阻止する考え自体が、そもそも間違いです。
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当時の社会状況は王族や貴族など政治的支配階層や産業革命以降の資本家が固定的(世襲)に優位な社会でした。


そこでの革命ですからよく言われるプロレタリアート(労働者階級)が独裁して資本家や王族貴族が牛耳る社会から変えて平等な社会にすることが過程として必要とされたました。

しかし理想はそうでも人間は権力を得るとそれに固執し他者を支配したくなります。
それは労働者でも同じです。日本でも選挙前の政治家の姿勢と選挙後の姿勢では同じに人間かと思うほど変わりますし、自分の政治の秘密を保持する法律を作ったり、国民が反乱を起こさない様に共謀罪などもつくり支配したがります。
なのでソ連は、権力が交代するたびに前の権力者の排除を徹底的しますし、ルーマニアのチャウセスクは秘密警察で国民を監視して、北朝鮮は世襲で安定した権力を保持しました。

国民がある程度教育を受け特定の政治家に任せきらない意識が無いと独裁が続き自由がなくなります。
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封建社会だからです。

一部の者だけの富を築く社会を選んでいるのです。元々富を求めるとそうなるのです。しかし、富とは、結束力なのです。誰でも作れる、通貨の世界で、それに気付かないとキルケの魔法に騙され死んでいくのです。結束が有って初めて生存を守れるのです。
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なぜ共産主義国家は、経済だけでなく


言論や宗教の自由まで、封じる、もしくは
封じたのでしょうか。
  ↑
まず、共産主義国家、というのは概念上も実際も
存在しません。
社会主義国家です。 
マルクスをやっているなら、社会主義と共産主義の
違いは理解しておくべきです。


社会主義国家で、言論、宗教の自由が制限されるのは
理念的な理由と、実際的な理由があります。

1,理念的理由
 言論の自由が何故認められるのか。
 それは、ナニが正しいか、判らないからです。
 これを価値相対主義といいます。

 社会主義国家では、正しいことが決まっています。
 だから、言論の自由を認める必要はありません。
 いや認めてはいけません。
 正しいことが決まっているから、それ以外は悪い
 ことになるからです。
 宗教も同じ事です。

 従って多数決も不要です。
 全員一致でも、それが正しくないのなら、やっては
 いけないことになります。
 それは悪いことだからです。


2,制度的理由
 社会主義では、国家の力で、自由を制限し
 平等にします。
 だから、必然的に、国家の力が強大にならざるを
 えません。

 従って、権力者の力も必然的に強大になります。
 権力が強くなれば、濫用しがちになります。

 濫用を防止するためには、権力分立が
 必要ですが、社会主義国家では権力分立は 
 指導者に対する不信を前提とするから、という
 理由で採用されませんでした。

 
3,実際的理由
 社会主義を導入した国は、途上国ばかりです。
 つまり、政情不安定な国ばかりです。
 不安定な国を安定させるためには、独裁が手っ取り早い
 訳です。
 
 この点を指摘して、日米欧のような資本主義が成熟
 した国家なら成功する、という意見もあります。
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