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西郷や木戸が力を持ってたのはなぜ?

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  • 質問者:noname#16307
  • 投稿日時:2004/10/06 22:03
  • 困り度:暇なときに回答をください

薩摩の西郷隆盛や大久保利通、長州の木戸孝允は一介の武士だったのに家老よりも実権を握り、その藩を代表するような行動ができたのはなぜですか?

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  • 回答者:No51
  • 回答日時:2004/10/07 23:18

日本が高度経済成長の中にあった頃、
なんとなく年功序列や縁故や学歴で出世した人達が
いましたが、このご時世で、皆
「早期退職」や「リストラ退職」
してしまいました。

「仕事はやるが、若いのにプライドが高く生意気」
くらいの連中が、現在は幅をきかせているような
気がします。

要するに「時代が変われば求められる人材」も
変わる、と言う事でしょう。

平安な時代では「邪魔がられる人材」も、
乱世や戦国時代になると、頭角を現すものだと
思います。

ちなみに銀行ではバブル時代、
「ドケチ、真面目すぎ、頑固」が干され、
今はその逆なんだそうです。

上に立つ人達もバカばかりではないですからね。

ジョン万次郎とか、ただの漂流者と言ったら言い過ぎ
ですが、大抜擢されましたし。

幕末の日本は戦国時代より切迫していましたから、
役職や身分に関係なく人事や政治を行う必要性
に気が付いたのだと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。
今で言えば「有能な平社員」に会社の命運をかけたプロジェクトを任せるようなものですね。

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No.3ベストアンサー20pt

  • 回答者:cse_ri2
  • 回答日時:2004/10/07 03:43

幕末ともなると、代々世襲の家老は、ボンクラばかりになって
しまいました。
よって、激動する幕末の時世を正確に見抜き、藩主の
期待に応えることが不可能だったんですね。

薩摩の西郷や長州の桂小五郎は、激動する時世を見抜き、
困難な藩政の運営にこたえるだけの見識と実力をもって
いました。
両者とも登用されたり失脚したりと、浮き沈みが激しかった
ですが、明治維新が近づくにつれ、彼らなしには藩政
が進まなくなるところまでに藩が頼るようになりました。

また桂小五郎は、上士であったため、直接藩政に携わる資格も
もっていました。
西郷については、小松帯刀という家老が西郷のより理解者で
あったため、彼を通して藩政を動かすことも多かったようです。

大久保利通は少し違います。
彼は、西郷が島流しになったあとに、当時藩の実権を
握っていた、島津久光の直接接近し、その側近にとり
たてられます。
大久保はその才能ゆえに島津久光に重用されたため、直接久光を
動かして、政策を実行に移すことができました。

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この回答へのお礼

なんとなく分かってきました。
ありがとうございました。

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No.2ベストアンサー10pt

  • 回答者:notnot
  • 回答日時:2004/10/07 03:33

社会・経済等の変化により門閥より個人の実力という風潮が一般的になってきたんではないでしょうか?薩摩・長州だけじゃないですよね。幕府サイドでも勝海舟とか。
藩主の信任というのもあるでしょう。将軍家だと側用人が老中より権力があった時期もありますし。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

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 やはり改革派(勤皇派)のリーダーになったのではないでしょうか?そして幕府が落ち目になり、改革派が両藩で力を持ったと。それに両者も下からは慕われたと。若い者から支持されたことです。門閥家老は、あぐらかいてたと。守旧派ということですね。
 力を持った、藩で、世の変わり目で、革新のリーダーであったということですか。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

  
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