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わたしは今年所謂「不惑」の年になりましたが
過去にどのような仕事に就いても1年ともったことがありません。
といっても正規の社員としての雇用は1度しか経験がなく、他は全てアルバイト、パートといったものです。
「もうちょっとなんとかならないかね」「明日から来なくてもいいよ」「使えないなあ・・・」という言葉を何度となく聞いてきました。
勿論そのことに不平を言うつもりはありません。
「使えない者」を「使わない」のは当然のことですから。

そのようなわたしが疑問に思うのは、
特に今の世の中のように実力本位の社会で
ちゃんと仕事を持っているということは、有能であることの証拠であるように思うのです。

無論人間ですから小さな失敗、大きなミス、そういうこともあるでしょうが、少なくともわたしの眼から見ると「定職を持っている」ということは生半可な人間では不可能なことのように思えます。

しかし買い物に行っても、役所に行っても、
企業に電話をしても少なからずその対応に「?」と感じる場面が少なくないのは何故でしょう?

わたしより優れているから「仕事」を持っていると思うのに、わたしが客として、利用者として、或いは新聞などの報道に接して「?」とか「ム!」と感じるのは・・・?

それこそが正にわたしが劣っている証拠なのかとも思うのですが、

職種の如何を問わず、職業に就くということは優秀な人間であることの証拠と思うのですが?

A 回答 (8件)

ちょっと考え過ぎかと思います。


現時点では、終身雇用が完全に崩壊して実力社会に全面移行しているわけではないので、定職者=優秀な人間とは、限りません。かつて新卒者の雇用が満たされていた時代に就職して、退職せずに今に至っている人達の全員が優秀なわけではありません。特に企業や役所の規模が大きくなるのに比例して、働く人数と仕事量の間に隙間が生じます。要は、たいした成果を出さなくても雇用が維持されている部分が一定の割合で存在します。5人分働いて超多忙な人もいれば、半人分も働かないでよしとされている人もいます。リストラ等で雇用情勢の厳しさが叫ばれている反面で、まだまだこういう部分も残っているのが実情です。ですから、その人間が優秀な故に定職に就いているとは、言い切れないのです。
仕事をする前提は、その企業なり役所の業務の全体像に対する自分の仕事の位置付けを把握できて、自分の能力・専門性をそれにつなげることだと思います。「?」とか「ム!」とか感じるのは、当事者意識を持たないで仕事をしているつもりになっている人に遭遇した場合です。主体性がなく、ただやれと言われたことをやっているだけで、責任感も希薄です。
定職者と無職者の対比を能力の優劣で捉えるステレオタイプな見方は、如何かと思います。また、仕事だけが全人格を代表するものでもありません。
貴方様の疑念の本質は、もっと違った視点にあるのではないかと思いますが・・・・・

この回答への補足

『定職者と無職者の対比を能力の優劣で捉えるステレオタイプな見方は、如何かと思います。』

仰る通りです。ちょっと言葉が足りませんでした。
今回の質問(?)での「無職」の人間というのは
あくまでわたし一人のことであって、
能力がありながら景気やら、運やらそのほかの、
「当人の能力以外の条件で」仕事をなされていない人たちを貶めるつもりは毛頭ありません。

『仕事だけが全人格を代表するものでもありません。』
とのご意見に関しては、そうでないこともあるでしょうが
ほとんどの場合はわたしは仕事はその人物の9割以上を決定すると思うのです。

補足日時:2004/10/14 16:11
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この回答へのお礼

お忙しい中このような愚問に質の高い回答を頂き感謝します。

質問として何を問いたいのかがよく練られていないような
曖昧な質問になってしまいました。

最後の

『貴方様の疑念の本質は、もっと違った視点にあるのではないかと思いますが・・・・・ 』

わたしはもっと他の問いを発したかったのだと今更になって思います。

重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2004/10/14 16:50

こんにちは(^。

^)
「而立」の年を数年過ぎた若輩者の意見ですが・・・

「もうちょっとなんとかならないかね」「明日から来なくてもいいよ」「使えないなあ・・・」
という言葉を耳にしてしまうと「自分は無能」と思ってしまってしょうがないですよね。
わたしも面と向かっていわれたらショックです。

社員とアルバイトとを比べると経営が悪くなったり、人員削減となると最初に首を切られるのはアルバイトですよね?
それに不幸なことにたまたま所属先の上司や同僚との相性が悪くて辞める(=自分の才能を活かすことができない、評価されない)場合もあります。

どういう基準をもって「有能」「無能」というかはわかりません。
たとえばこの分野では「有能」と認められている人でも、まったく畑違いの世界に飛び込んだときには「無能」といわれてしまうかもしれない。人には得意不得意ってありますし・・・

最近の社会は実力主義というか終身雇用が崩れつつある今、有能なものは必ずしもこれまでのような「定職に就く」就労パターンを選択するとはかぎりません。派遣・契約社員という形をあえてとる人だっているのです。

今の貴殿は「定職に就いている=有能」「定職に就いていない自分=無能」とお考えですよね?
人は自分にないものを持っている人をうらやんだりするものです。「隣の芝生は青く」見えるものです。
時々「この人がよく働けてるもんだ」とか「なんでこんな人を雇っているんだ?」っていう人はいるのは事実ですけど、「なんで自分はダメ?」とか「比較して自分は無能」って思う必要もないんじゃないですか?
というか他人と比較していてもどうにもならないのではないかと・・・
ご自分がご自分のことをもっと把握される必要があるのではないでしょうか?

これまでおそらく約20年近くの職歴はお持ちですが、なぜ続かなかったのでしょうか?なぜ1度しか正社員として採用されなかったのでしょうか?
「無能だから」って開き直っていたからですか?そうじゃないですよね?何か理由があるはずです。
そしてどうしたいのでしょうか?今のままでよいのでしょうか?
それとも定職に就きたいのでしょうか?

「無能だ」と嘆いているだけでははじまりません。
生きていくためにはやっぱり働いて収入を得ていかないといけないですよね。わたしもあくせく働く一人です。
現在は契約社員の形態で働いていますので、不安な面はあるのですが、それを払うというか、逆にそうなったときに次につなげられるように、という気持ちで働いていますし、働くことを自らのライフスタイルの一部として入れてきました。
「よりよく働ける」ためにできることはあるように思いますよ。
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この回答へのお礼

『時々「この人がよく働けてるもんだ」とか「なんでこんな人を雇っているんだ?」っていう人はいるのは事実ですけど、「なんで自分はダメ?」とか「比較して自分は無能」って思う必要もないんじゃないですか?』

とのお答えですが、わたしはそのように感じたことはありません。そのように思うのはわたしの勝手な主観であって、
その人はちゃんとした理由と価値があるからこそそこにいるのですから。

どのような人もおそらくあるべくしてそこにある(居る)のでしょう。

わたしは無能ゆえ、
彼らは出来る人(努力の人)であるから。

人様と比較など大それたことは致しません。

言いたいことを申しまして済みません。

バカ者の放言とお聞き流し下されれば幸いです。

お礼日時:2004/10/14 16:59

どの会社にも、その会社なりの「やり方」があります。


入社したばかりの人はその「やり方」を知りません。
ずっとその会社にいて何年も同じ「やり方」をしてきた人の中には知らないことが理解できない人もいます。
特に社歴が長い人は、外から見ると「?」と思うようなことを「常識」だと思っていることが多くあります。
その様な人の中には、自分が期待している事ができない新人に対して「使えない」という言葉を発してしまう人もいるかもしれません。

しかしたいていの人は「今は使えない人間だけれども、これからこの会社のやり方を覚えて使える人間になろう(もしくはこの会社に馴染もう)」と努力します。
そうやって何年も同じ会社で働き続ける社員が出来上がります。

要は、その会社に馴染めるか馴染めないかの問題なので、その会社が電話応対を重視していなければ外部の人からは「?」と思われるでしょうが、社内ではまったく問題ないのです。
その会社にとっては、電話応対よりももっと重視すべき課題があるのでしょう。

職業に就きつづけることが優秀な証拠であるならば、優秀とは柔軟と同意語のように思います。

september9さんも今まで色々な仕事に就かれてきたようですから、新卒で同じ会社に20年勤めている人にない強みを持っていらっしゃると思います。
それを活かせるお仕事がみつかることをお祈りしております。
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この回答へのお礼

励ましのお言葉、ありがとうございます。
ご親切身に沁みます・・・

「柔軟性」は無論「優秀さ」の大きな要素ではありますが、
バブル以前の右肩上がりの時代と異なり、

協調性、柔軟性だけでは不充分な時代になっているのではと思います。

複数の方のお答えにあるようなたゆまぬ自己研鑚が不可欠なのでしょう。

それが出来ない者は(わたしのように)なるのです。

お礼日時:2004/10/14 17:07

>わたしより優れているから「仕事」を持っていると思うのに、わたしが客として、利用者として、或いは新聞などの報道に接して「?」とか「ム!」と感じるのは・・・?



 おっしゃっりたいことは理解できるように思えます。
 残念なことに、この社会は、もともとが個人の人間性を第一の尺度としてできあがったものではありませんし、こんにちのように経済優先、効率優先が目立つ社会になれば、人間の品位、モラルは下がるばかりでしょうね。
 その点からは

 「 職種の如何を問わず、職業に就くということは優秀な人間であることの証拠と思う 」

というあなたの観かたは正しくないのではないでしょうか。
 仕事はできるかもしれない、また、その企業、組織にとってつごうの良い人材かもしれない。まぁ、その程度のことではないでしょうか。

 あなたがお気付きのように、モラルに欠ける人が目立つこんにちの世相ですが、そういう人ばかりかと言えば、その辺はどうでしょうか。
 あなたがお気付きでなくとも、真摯な態度、考えかたで生活している人たちもまた居ると思えるのですが。(^^)/
 
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

モラルがあり、人徳があり、品性卑しからず・・・

そのような人間も少なくないとは仰る通りに思います。

しかしそのような人間を現在「優秀な人」と言えるとは思えないのです。

それはお答えの中で言われているように

『この社会は、もともとが個人の人間性を第一の尺度としてできあがったものではありません』

という理由からです。

お礼日時:2004/10/14 16:27

年齢がおいくつかわかりませんが・・・



あなたの文章を見ていると、言いたいことがはっきりと伝わりますし、文章自体の構成もしっかりしていると思います。文章はその人をうつすものだと思いますので、あなたは有能な方だとお察しします。

でも、もしかしたら頭の回転は速いのに行動がおっとりしているのかしら?

今までの仕事は、あなたの有能さを示すことが出来るものではなくて、あなたが不得手な分野が要求されるお仕事ではなかったでしょうか?

あなたより有能な人間は星の数ほどいるでしょうが、あなたより無能な人間も星の数ほどいます。

あなたより無能な人間が、立派な社会人として職に就いているのは、あなたよりほんの少し運がよかったからだけです。

無能であるなら親の遺伝子を責めることも出来ますが、運がないのはご先祖のせい?いえいえ、細木数子ならきっとこう言うでしょう。「あなたは来年から巨大な運をつかむよ。そして、いままで見たこともないような莫大な財産を築くよ。」

バカバカしいとお思いでしょう。そんなもんです。

自分向いていない仕事もあれば、自分にしか出来ない仕事もあります。
スーパーの店員の対応に怒る日もあれば、マックのスマイルに癒される日もあります。
ダメな一年もあれば、幸せすぎる一年もあるでしょう。

ゆっくりいきましょうよ、お互い・・・。

あなたのことを何も知りもしない、微塵の責任もない、ただただ適当な独り言でした。
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この回答へのお礼

『スーパーの店員の対応に怒る日もあれば、マックのスマイルに癒される日もあります。
ダメな一年もあれば、幸せすぎる一年もあるでしょう。

ゆっくりいきましょうよ、お互い・・・。

あなたのことを何も知りもしない、微塵の責任もない、ただただ適当な独り言でした。』

こちらこそ、労わりのお心遣いを持たれたご回答に感謝致します。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/14 16:09

私は小さいながらも会社を経営しています。


社員も数名います。

どこの会社も同じと言うわけではないのでしょうが、その会社で働くにあたって、やる気が見えるか見えないか・・・そんな単純なことだと思います。

やる気がある、必死になってやる。そんな人材がどこの会社でも求められるのではないでしょうか?
まぁ、評価する人にもよりますけどね。
会社は、どれだけ自社で頑張ってくれるか。自社のためになるか。単純だけど奥が深いです。
給料を出して人を雇っているのですから使えない者を切るのはしょうがないことです。

あなたには何かやりたいこと、夢はありますか?
例えば何気にコンビニで働く・・・そこで客商売や販売、商品管理をそこの店一番になってみる。
その次は自分がその得たことを生かして経営者になってみる。お金の苦労はあると思いますが、何かを始めないことにはわかりません。

もしかしたら、あなたの才能が生きていないのかもしれない。あなたの能力が今までの仕事に合ってないのかも知れない。使えない者=自分 だと思わずにやりたいことが見つかるまで色々と経験するといいと思います。

定職につかない人は定職につく道のりだと私は思っています。
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どういう人間を優秀・有能といい、また同様に無能とするのか難しい問題だと思います。


環境が変われば力を発揮する人物も多々いることでしょう。

そういったことよりも、お考えになっていただきたいことがあります。
なぜご自身が「もうちょっと・・・」とか「使えない」などと言われたのでしょうか?
真剣にお考えになったことはありますか?
どうすれば周囲に喜ばれる仕事ができるか考えたことはありますか?
安易に「自分が無能だから」という理由に逃げていませんか?

私も定職についている人間の一人ですが、日々勉強しなければならないことが多く、仕事を続けていくのは大変なことだと実感しています。
自分の能力に余裕なんてありません。
むしろ足らなくて一杯一杯の状態でしがみついてます。

当然、周囲から「?」と思われたこともあることでしょう。
でも私は「どうせ力不足なんだから」という理由には逃げません。
どうすれば力不足をカバーできるのか、別な方法で相手に喜ばれることはできないかと考えます。

もし、何らかの機会に「?」や「ム!」と感じることがあったら、相手もギリギリなんだろうな・・と考えてみてください。
決して能力云々の問題ばかりではないと思います。

ご自身も、これから何らかの仕事に就いた際には、どうすれば長く使ってもらえるような仕事ができるのかを考えてみてください。

定職に就いている人数は決して少なくありません。
特別なことではないのです。
でも、持っている能力だけで何もしなくても続けていける人はそれほどいないと思いますよ。
それなりに、または懸命に努力している人も少なくないはずです。

生意気な回答、ご容赦下さい。
ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

ただわたしは真剣に考えようと安直に考えようと、
やはり「出来ない者は出来ない」と思うのです。

お答えの文章全体を通じて、
(回答者の本意ではないと思いますが)
「何を以って優秀とするか」の回答はちゃんと出されていると感じました。

お礼日時:2004/10/14 16:05

あなたの質問は単なるねたみです。


「優秀な人間」とはなにが優秀な人のことを指すのかわかりませんが、それが「職業に就く」ということの証拠ではありません。

もし実力本位の社会の中で「?」とか「ム!」と感じる数で「優秀」「無能」を分けるのであれば、「職業についている人」はあなたよりも「?」とか「ム!」と感じる数が少ないってことでしょう。

どうも自分のことを棚にあげて、斜に構えて社会を見ているようにしか思えません。
少なくとも職業につく人は、「もうちょっとなんとかならないかね」「明日から来なくてもいいよ」「使えないなあ・・・」という言葉を言われないように努力しています。
あなたも
> 「使えない者」を「使わない」のは当然のことですから。
と考える前に、「使える者」になるための努力が先決です。
40歳でそのような考えではまともに就職できなくて当然です。
今からでもその考えを改めるべきです。

この回答への補足

『どうも自分のことを棚にあげて、斜に構えて社会を見ているようにしか思えません。』

自分の事を棚上げしてというのは、まるで自分が無職なのを社会の無理解に転嫁しているように受け取れるのですが、
質問文中にも書きましたようにわたしは「能力がナイ」から「使えない」ことはわかっているつもりです。

また冒頭の
『あなたの質問は単なるねたみです。』

とは一体誰に対しての妬みを指すのでしょうか?

人を妬んでわたしの無能が解決されるわけではないと思うのですが。

補足日時:2004/10/14 15:50
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この回答へのお礼

『40歳でそのような考えではまともに就職できなくて当然です』

皮肉ではなくまったく仰る通りです。
ですから「無能者」であると申し上げたのです。

お礼日時:2004/10/14 16:42

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