A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
nzdoraさん、漱石の人となりを想像できる背景をありがとうございます。
私も再考してみました。「・・・受験には不利だという理由から、漱石は府立一中の退学を決意したそうです。しかし、両親が許さず、毎日弁当を持って家を出ても学校へ行かず遊んでいたそうです!!とても意外ですよね!?」⇒向こう気一本、一途な若き日の漱石。。何事にも若い頃に一途になった人ならばこその人間肯定思想なのか・・・と。この頃は親にとってやり難い子の方が大人になってから人間理解、肯定の視点が養われるのでしょうか。
「今度は英語学習に気乗りがせず、漢学の二松学舎に入り、漢文の面白さにのめりこんでいきます…。
⇒しかも!身を立てることで初めは文学でなく建築家を目指したそうです。でも、米山保三郎にたしなめられて、文学へ復帰できたようですね。東大予科に入学し子規とクラスメートになります。やや権威主義、既存形式的でものごとを見下すような子規が漱石のことを「漢学の素養の深さで漱石には一目おき、意見も受けます。「君は又人の善悪を簡単に論じるがこの世には完全な人間はいない。・・・人間は善悪二つを持ってこの世にあるのだから、善をほめ不善を哀れむべきで、君の見方は狭すぎる、・・」(出久根達郎著「漱石先生の手紙」)
漱石と言う号も子規が15、6歳ごろ自分で使ったものですが、「石を枕とし流れに漱ぐ」を「石に漱ぎ、流れを枕とす」と読み違えたものがなお頑固に自説を主張する故事から取ったもので、この名は自分が高慢だったことに恥じ、漱石に譲ったとしています。(同著)
やはり漢文では将来は望めないという現実を見、1年ほどで二松学舎を辞め、神田駿河台の成立学舎に入学します。⇒東大受験のためで、この時はまだ建築家を志望していた時期に思われます。
「18歳で待望の大学予備門予科に入学しました(^^)vしかし明治19年(19歳)、成績が下がっていたところで腹膜炎にかかり、進級試験が受けらませんでした。」⇒
どうも親友、子規との出会い、落語で意気投合、寄席に通った時期。。落第を機に生活を改めることを決意しその後、首席を通し、相変わらずの恵まれた?!友、子規の及第画策に先生のところを回ります。
「漱石って、波乱万丈な学生時代を過ごしていますよね。このことを知るまでエリートというイメージがありましたが、ちょっと身近に感じてしまいました」⇒
倒幕から明治維新にかけての時代、儒学と洋学とがいざない、大変多くのものごとを考える力量ある人物がたくさん出た時代でもあります。そのきっかけ、互いに切磋琢磨する気風が溢れていたのでしょうか。そのキーマンの気質が漱石に見られるのを想います。。
本当に!魅力尽きない漱石ですが、現代風の鬱気質があってのこと・・人生を子規のように甘く軽く見ず、真剣に見つめていたからこそ、現代の若者にも響き、又、学者らしい江藤淳さんのような堅物?!にも筆をとらせる人物だったのを想います。。
参考URL:http://www.ebis21.com/desk/back/ashio_v12.html
No.4
- 回答日時:
文学者について「業績」や「功績」という言いかたが正しいのかどうかわかりませんが、簡潔に言えば漱石の業績は大きく二つに分けられると思います。
第一に、日本文学の歴史にとびきり面白い新作の小説をいくつも提供してくれたこと。これは細かく言うと五つほどの重要な意味を持っていたと思います。
まず、(1)それまで文語文で書かれることが多かった小説に口語文を本格的に用い始め、それを完成させたこと。漱石は決して口語文を最初に使った作家ではありませんでしたが、彼が近代日本語の成立にあたって決定的な影響を与えたことはほとんど疑う余地はありません。
次に(2)日本に本格的な西欧風の長篇小説を根付かせたこと。西欧風の長篇小説はなにかということになるとむつかしくなりますが、漱石先生自身が大好きだった18世紀ごろのイギリス小説のような、波乱万丈のおもしろさと登場人物のしっかりした造形、なにより作品の堅牢な構造といった面で漱石のもたらしたものは大きい。彼の志向した小説のかたちはかならずしも大正以降の日本の文壇に根付いたとはいえませんが、しかし日本文学に大きな富を与えたことは事実です。
また(3)後期の『心』や『道草』のような作品で日本的な私小説の成立に影響を与えたことも見逃せません。漱石自身は私小説作家ではありませんが、こうした作品の細密な心理描写と極度の倫理観が後進の若い作家に有形無形の影響を与えたことは否定できないと思います。以前の私小説作家は鴎外は好かないかわりに漱石を持ちあげる人がひじょうに多かった。
しかしそれだけでなく(4)小説がむやみにおもしろくて、みんなから愛された、ということも重要です。彼の小説を連載した朝日新聞はそれだけで部数が伸びたといいますから今では考えられないようなことですが、漱石は文学的な質と小説のおもしろさ、たのしさを両立させた優れた作家でした。彼の作品は描写のひとつひとつにいたるまで面白い。丁寧に描かれていてわかりやすいし、作中の登場人物たちがみんななぞめいていて興味をそそる。読書の楽しみを堪能させてくれます。そのことが今も昔も、漱石を国民的な作家にしているゆえんでしょう。
そして(5)日本語が読めるんなら漱石くらいは読んでいるよね、という、文明の共有財産として彼の作品がはたした役割はひじょうに大きい。たとえば「あいつは坊ちゃんみたいなやつだ」というふうに、ひとつの人間の型を社会のなかに提供するというのは、ドンキホーテやハムレットでもおなじですが、それが文学という狭い枠を超えて人々に愛されている証拠です。われわれは彼の作品をとおして日本語を使うものとしての一体感を感じている部分があります。
そして第二に、彼の人生は日本人に新しい知識人の生き方を教えてくれました。漢文もできて、英語も読める、時代のエリート中のエリート(司馬遼太郎は、明治の社会で出世するためのすべてのカードを持っていた、といっています)が、自分をとりまく知的問題に深刻になやんで、だれもがうらやむ立場(東大講師)を捨てて作家になった。まず、ものごとを知的に考え、しかもそれをなおざりにせず、みずからの倫理観と結びつけてつきつめるという態度、さらには権威や権力に盲従するのではなく、官の立場でなくともやれることはたくさんある、と見極めたこと、世間の価値観に遠慮することなく自分の正しいと思ったこと、やりたいと思ったことに人生を捧げる本当の意味での個人主義、そうした漱石の生き方は、決して安楽なものではなかった当時の知識人、あるいはふつうの人々の人生を勇気づけ、新たな生き方を示してくれる指標だったのではないでしょうか。たとえばイチローがそうであったように、漱石はたしかにある人々にとってそういう意味での希望を与えてくれる存在であったのではないかと思います。だからこそあれほど弟子たちに慕われたのではないでしょうか。
No.3
- 回答日時:
こんにちは。
ちょっと質問とは外れてしまうかもしれませんが、面白い話を知っているので回答しました。夏目漱石は、明治12年に東京府第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)の正則科第七級乙科に入学しました。そのころ府立一中には正則科と変則科があり、変則科では全ての授業を英語で行っていたそうです(--;凄い)一方の正則科には英語の授業がありませんでした。当時の唯一の大学であった帝国大学(現在の東京大学)への進学を前提とした教育期間である「予備門(現在の国立大付属高校みたいなもので、予科三年・本科二年)」の受験には不利だという理由から、漱石は府立一中の退学を決意したそうです。しかし、両親が許さず、毎日弁当を持って家を出ても学校へ行かず遊んでいたそうです!!とても意外ですよね!?
さすがに両親も諦め、退学を了承したら、今度は英語学習に気乗りがせず、漢学の二松学舎に入り、漢文の面白さにのめりこんでいきます…。
16歳になり、やはり漢文では将来は望めないという現実を見、1年ほどで二松学舎を辞め、神田駿河台の成立学舎に入学します。英語を勉強し、予備門進学に備えたそうです。
そして、18歳で待望の大学予備門予科に入学しました(^^)vしかし明治19年(19歳)、成績が下がっていたところで腹膜炎にかかり、進級試験が受けらませんでした。しかし、これを機に生活を改めることを決意し、あえて追試を受けずに落第の道を選びます。以後は卒業まで首席を通します!!
(まだまだありますが、)漱石って、波乱万丈な学生時代を過ごしていますよね。このことを知るまでエリートというイメージがありましたが、ちょっと身近に感じてしまいました(失礼…!?)
長々と書いた上に質問者さんの疑問を解消できていないと思うのですが…ごめんなさい(汗)ちょっとでもお役に立てれば嬉しいです。
No.2
- 回答日時:
ほんとつまらないことかもしれませんが・・・
夏目漱石の東大での授業は非常に難しくわかりにくい、教え方の下手な人だったらしく学生からの評判は最悪だったそうです。
神経衰弱にもかかり、急に怒鳴ったりするなど意外な一面もあったようです。
No.1
- 回答日時:
抽象的になりますが
「小説家の社会的地位を向上させた」
という業績は如何でしょう。
漱石以前の物書きといえば、些か胡散臭い職業でしたが漱石のようなインテリが小説を書いたことにより、作家のイメージが上がりました。
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