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信長公記第一巻冒頭部分は下記の如くです。このうち上から8行目の「寄綺於左右」
意味が分かりません。教えてください。
  
  永禄十一戊辰已来、織田弾正忠
  信長公御在世、且記之。
  先公方光源院義照御生害、
  同御舎弟鹿苑院殿、其外、諸侯之
  衆歴々討死之事。其濫觴、三好
  天下の依為執権、内々三好ニ御遺恨ヲ
  可被思食与、兼而存知、被企御謀叛
  之由、申掠、寄綺於左右
  永禄八年五月十五日、号シ清水参詣与、
  早朝より人数をよせ、則諸勢殿中へ
  乱れ入。数度切崩し、公方様雖御
  働候多勢に不叶、御殿に火を懸、
  終に被成御自害訖。

A 回答 (2件)

正確な書き下しにするのは少し力不足ですが。


御(於)左右に騎(綺と同意)を寄す。
有力な軍勢を集めたのですね、末尾で公方様を自害に追い込んでしまった。
ご存知の様に体言止めの場合は。(読点)があるが書かない。、(句点)は書いても良い。
ここでもこの行と、上の御謀叛の行は体言止めになっている。
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其の濫觴者、三好修理大夫天下の執権たるに依つて、内々、三好に遺恨おぼ


しめされるべきと、兼ねて存知、御謀叛を企てらるるの由、申し掠め、事を左右
に寄せ、永禄八年五月十九日に、清水詣と号し、早朝より人数をよせ、則ち緒勢
殿申へ乱れ入る

「事を左右に寄せ」はよく使われる言い回しのようですが、
<色々ゴチャゴチャと適当な事を言ってごまかす>と言うような意味でとらえると
文意が読み取れるのではないかと思います。
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