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自分に対して自虐的になる人は少ないと思います。多くの人は、なるべく自分のことを正当化しようとしますし、自分を否定するようなことを言われたら怒りだす人も多いでしょう。

一方で、自分の属している国、民族、組織といったものに対しては自虐的な意見を言う人はそれなりにいて、そう言う人からはしばしば同調を求められ、逆に正当化しようとしたら怪訝な目で見られることも多いです。

自分にとって自分の国、自分の民族は自分のアイデンティティを形成する重要な部分であり、否定されるようなことを言われるのは気分がいいものではないですが(厳しくても前向きな意見なら構いません)、どうしてそのように考えがちな人が多いのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 自殺する人も居ますけど、それでもほとんどの人は自分のことを正当化しようとしてますよ。
    そして、他の国も自殺する人は居ます。

    更に言うと、私は日本に限って言っていません。この文章のどこが日本に限定していると読めますか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/06 23:01
  • 御託はいいので、質問に答えてください。
    心理学のカテゴリで質問しているので、心理学の知見はそれなりにあるのでしょうね?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/06 23:28
  • >「いま自分がアディクトしていることに対する他人からの否定」なのでしょう。 それはただのエゴです。
    → 自分の会社、家族、郷土が否定されて不快になるのはエゴではないでしょう。そうされるとほとんどの人は不快になりますし、他人と話すときは相手が属するバックグラウンドを最大限尊重するよう気を使うのは当たり前です。それは日本のみならず、世界中どこも同じです。
    社会生活を営む上で常識というか、マナーの基礎ですね。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/10 12:09

A 回答 (5件)

自分に対して自虐的になる人は少ないと思います。


 ↑
米国などに比べると、日本人は自分に対して
自虐的な人間が多い、と言われています。

日本人は努力が足り無かったからだ、と己を責める
傾向が強いのです。
米国人は違います。
キリスト教最大のカルバン派によれば、人間の運命は
決まっているそうですから、自分を責めたりすることは
あまりありません。
俺が悪いのじゃない。
神様が悪い、神様の都合だ、と考えることが出来るからです。

勿論、米国人にも自虐的な人はいます。
これは、全体としてみた場合、そうした傾向がある
ということです。
ソースは放送大学、心理学。



多くの人は、なるべく自分のことを正当化しようとしますし、
自分を否定するようなことを言われたら怒りだす人も多いでしょう。
  ↑
およそ人間は、自分を過大評価しがちです。
正確に評価するひとはうつ病患者に多いと
いうことが解っています。




一方で、自分の属している国、民族、組織といったものに対しては
自虐的な意見を言う人はそれなりにいて、
そう言う人からはしばしば同調を求められ、逆に正当化しようとしたら
怪訝な目で見られることも多いです。
  ↑
日本の場合は、戦後の、あの戦争は総て日本が
悪い、という洗脳工作
(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(英語:War Guilt Information Program、略称:WGIP)
と、当時盛んだった社会主義が化学反応を起こしたものです。

だから、日本が突出して自虐的になるわけです。
つまり、人為的、政治的な原因だと思われます。




自分にとって自分の国、自分の民族は自分のアイデンティティを形成する重要な部分
であり、否定されるようなことを言われるのは気分がいいものではないですが
(厳しくても前向きな意見なら構いません)、
どうしてそのように考えがちな人が多いのでしょうか?
  ↑
日本以外の国で、日本ほど自国に対して自虐的な
国は無いと思いますが。

ドイツなどは、あの戦争で悪いのはナチスであって
ドイツ国家国民は関係無い、と巧みに逃げています。
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>>自国・自民族に対しては自虐的になる


> これは日本人だけの特徴だと言っていいといえます。

☆ そのようなことをいえる根拠はないです。 
自虐は、通常防衛機制の現れです。 自己美化も自己卑下も同じものです。投影して攻撃するのも防衛機制の現れです。
https://ameblo.jp/therapyroommoa/entry-112208852 …
http://self-esteem.amiyazaki.com/GetPride/defenc …

> ①自分に対して自虐的になる人は少ないと思います。②多くの人は、なるべく自分のことを正当化しようとしますし、③自分を否定するようなことを言われたら怒りだす人も多いでしょう。

☆ そんな感じもしないことはないですが、事実はそう単純ではないです。 時期的というか時間や環境が大きく影響し、③のような反応をしていたのが、突然②を止めて自己批判とか冷静さを取り戻すのではなくて、一挙に①懺悔し後悔しあるいは卑下しうつ状態に陥るということはまれではないです。 
☆ 懺悔するというのは宗教行為なのか、宗教行為とは独立して行われるものなのか、ちょっと検討が必要だとは思いますが、反省することを重視し、行動の初動として位置づける文化は、けっこう世界中にあります。 初っぱなから自己正当化と他者攻撃をするのをよしとする文化はあまりないのではないかと思います。 誠実さを求める場合の基本は、公正さなのでしょうが、そのベースにあるのは、(自己正当化、自己利益を第一にするな)という戒めなのだと思います。 出生後、幼児期から(自己正当化、自己利益を第一にするな)(神の前に誓う公正さ・誠実さ)を繰り返し教えられる文化で育ってくれば、自分が罪深い根(原罪)を持っているという恐怖や不安はそこそこもってくると思います。 言語で文化や行動の指針も得て育ち、社会生活を重視する中で育ってくれば、防衛規制は十分に発達します。 犬猫豚牛コヨーテというような動物と同じような育ちはしません。 それなりに文化社会で競争も協力もしてくれば、相対価値付け・ポジショニングはとても重要なこととなっていて、自己尊大かも自己卑下も同時に合わせ持っているのが普通です。 弱みを見せてつけ込まれるのを避け強面など外見で優位なポジションを保持しようとするか、柔軟性や丁寧さ相手を立てたかのような姿勢で戦いを有利に持ち込もうとするか、まあそのほかにも手はあるでしょうが、もみ手し下手し卑下し自虐的言辞を述べているというのは(ただの習慣的作戦行動で、その方が自分にとって有利だったという経験則に基づいている)ことでしかないかもしれません。 その人の日常生活では、そこそこの態度でさほどつらく感じてはいないようなら(うつうつしていないようなら)、自虐的言辞や行動はただのスタイルでしかなく、心象や心理?とは関係がないでしょう。

> 自分の属している国、民族、組織といったものに対しては自虐的な意見を言う人はそれなりにいて、そう言う人からはしばしば同調を求められ、逆に正当化しようとしたら怪訝な目で見られることも多いです。

☆ "自分の属している国、民族、組織といったものに対しては自虐的な意見”とか”自分の属している国、民族、組織といったものに対して正当化しようという意見”とかの実体が不明です。 そもそも自虐とか正当化というのは、なんなのでしょう。 
『正当化=自分の言動などを、道理にかなっているように見せること』 見せつけようにも、そのロジックが道理にかなってなければ正当化はできてません。 他の人のロジックを自虐的とか自虐的でないとかの視点で評することが、この場合に適当なスケールになるのかを考えることも大事だと思います。
また”自分の属している”ってどういう意識で述べているのでしょう。 もしかして、忠誠心?のようなことを想定していますか。上下関係というか、あるいは、ただの帰属関係ではなくて、人格的支配関係があるものとして想定してますか。
論理は論理として整合させることを重視するのも大切なことと思います。
☆ ”怪訝な目で見られることも多いです”  『怪訝=あやしみいぶかること。不思議に思うこと』その付近の文化では見られない行動やスタイル、言辞をすれば、怪訝な目で見られるのは当たり前です。 怪訝な目で見られたくないのであれば、それが優先事項であれば、そうした付近の文化では見られない行動やスタイル、言辞を控えるべきです。 怪訝な目で見られても構わないと思っているなら、その通りに気にしなければいいです。 
[その付近の文化では見られない行動やスタイル、言辞をすれば、怪訝な目で見られるのは当たり前]ということは理解してください。

> 自分にとって自分の国、自分の民族は自分のアイデンティティを形成する重要な部分であり、否定されるようなことを言われるのは気分がいいものではないですが

☆ アイデンティティというのは、育つ過程で、他との同一と他との識別の積み重ねで形成されるものです。従って、「同じをよしとする」のと「違うのをよしとする」はセットです。自分の育ったところで得た母語をよしとするばかりがアイデンティティの唯一の形ではなく、自分の育った地域をよしとするばかり、自分の育った民俗習慣をよしとするばかり、自分の食べ慣れた飲食物料理・寝具・住居スタイルをよしとするばかり、自分の育った家庭家族関係のあり方をよしとするばかりが良いものではないです。
「否定されるようなことを言われるのは気分がいいものではない」のは、「自分の国、自分の民族は自分のアイデンティティを形成してきた重要な部分に対する他人からの否定」ではなくて、「いま自分がアディクトしていることに対する他人からの否定」なのでしょう。 それはただのエゴです。 他人と自分は違うアイデンティティを持っているのですから、自分の希望やアディクションをそのまま同意、許容、寛容にしてくれるものではなく、あなたの気分が悪くても、他人は他人の思考や志向、嗜好もあるのです。アイデンティティを問題にするのならば、そうお考えください。

> 自分にとって自分の国、自分の民族は自分のアイデンティティを形成する重要な部分であり、否定されるようなことを言われるのは気分がいいものではないですが(厳しくても前向きな意見なら構いません)、どうしてそのように考えがちな人が多いのでしょうか?

☆ 「そのように考えがち」の指している内容が判然としません。 質問文全体から推定すると、「自分の属している国、民族、組織といったものに対しては自虐的な意見を言う人はそれなりにいて、そう言う人からはしばしば同調を求められ」ということを指しているのでしょうか。
「それなりにいる・人が多い・多数いる」というなら、事情はたくさんあり、一つではないと推定するのが妥当です。一人の人でもいくつかの事情を抱えているかもしれません。 20人、50人もいれば、おそらく5,6では収まらないいくつかの事情や考えがあると推定すべきです。 また、質問者さんが「自虐的な意見を言う人」と感じているケースでも、自虐的な意見として言ったり書いたりしているのではない可能性は、とても高いです。 まず、自虐的とか、自虐的でないとかそうした視点評点を外さないと、何もわからない混乱から抜け出せないと思います。 

~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~
防衛機制の話に戻ってしまいますが、自分がアディクトしていると感じるなら、それを冷静に第三者的に眺めると良いと思います。
依存やプライドがないのがいいという意味ではないです。 過剰な依存、冷静さと公正さを失うほどのプライド・壊れやすい自分をなんとかしたいのであれば、現状で身の回りのことを堅実に対処することにもっと気を振り向け、感情の激化しやすいことにめを向けるのは控えるようにするのが良いと思います。 特に、他人の行動や振る舞いに気を向けるのは避けるのが良いと思います。 そうしたことを続けていると精神障害の一種に近づいてしまう可能性が高いです。
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>自国・自民族に対しては自虐的になる



これは日本人だけの特徴だと言っていいといえます。もちろん、自国を悲観して自殺に至るような人が外国に居ない、とはいいませんが、日本の自虐史観の多さ、左翼の日の丸や君が代などに対する攻撃などは「日本だけ」と言っていいと思います。

なぜ外国に「自虐史観」がないかというと、日本以外の国は「国境を接する隣の国との争いで、自虐している余裕がないから」です。自国を自虐して「うちの国は本当にダメだ。隣の○○はすばらしいのに・・」という人が多くなれば、それは隣の○○に「どうぞ攻めてください。私たちは○○国に占領されることを望んでいます」というメッセージなってしまうからです。

しかし、○○国に占領されることになれば、財産は奪われるし、命だって危ないわけですから「○○国の政治は素晴らしい」ということと「自国がダメだから代わりに統治してほしい」ということは別のことになるわけです。

日本の場合は「日本はダメな国だから×国になってしまえばいい」というような人が多くいて、その本質的な問題点を知らないから自虐的になれるのです。

なぜ日本が自虐的になれるかというと「1500年ぐらい日本はどこにも占領や支配されたことがないから」です。

だから他の国のように「国境を接している隣国や隣の異民族に支配されて辛酸をなめる」という経験をしていないので「自分が属する民族が自前の国をもっているありがたさ」を知らない、ということです。
外国で生活した日本人が「日本はすごい国だ、いい国だ」というようになるのも、外国の現実を知るようになるからです。
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自虐的の意味合いが違う気が。

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おいおい、残念ながら日本は自殺する人が多い国じゃないんですか~?

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