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学校の研究?で日本のパンクについて調べています。
アメリカや、ロンドンのパンクの歴史とかはいろいろ検索すると出てきますが、
日本のパンクの歴史についてはあまり出てきません…
なので日本のパンク史について分かる方、
いつ頃からパンクが流行りだしたとか…そうゆう感じで。。
いろいろ教えて下さい。

A 回答 (10件)

>今みたいに鋲ジャン着たりスパイク立てたり


>するようになったのはいつ頃からなんでしょう?
鋲ジャン着たりスパイク立てたりしている人は当時からいました。
ハード・パンク/ハード・コア・パンク系の人は
そういう格好をしていました。
かくいう私も、皮ジャンに鋲を控えめに打ってました。
スパイクは電車の中などで他人に迷惑だと思い
やりませんせんでした。
ただ、そういう格好は、決してオシャレだとは見られなかった。
やっていた本人も、ファッションとしてやっていたのではなく
もっと純粋な反抗心の表明であったと思います。
ですから、一般からは嫌われましたね。

あの手の格好がオシャレと言われるようになったのは
ストリート・ファッションが力を持ち出した
90年代に入ってからだと思います。
背景としてはサブカルチャーにおける「ゼネレーションX」の台頭や
#7の方が挙げた『CUTiE』が市民権を獲得したことが
挙げられるでしょう。

学校の研究、ということで?
是非とも以下のような背景を押さえて欲しいと思うのです。
>今みたいに鋲ジャン着たりスパイク立てたり
それだけがパンクじゃない、ということです。
そのスタイルはロンドン・パンクの、どちらかといえば
形骸化したスタイルだと思うのです。
パンクは、ニューヨークで生まれ、ロンドンに渡り
一大ムーブメントとなりましたが
日本においては決して大きなムーブメントにはなりませんでした。
(九州では、ちょっとムーブメントになったみたいだけどね。)
それは、日本における洋楽というのが
70年台後半においてはアメリカの情報が中心であったとか
高度経済成長からバブル経済に向っていた日本において
パンクというのはあまりリアリティを持ちえなかった
などという理由が考えられると思います。
大体、当時はまだパンク以前に、日本のロックが確立していなかったしね。
ロックと言っても、まだニューミュージックの延長でしたらから
洋楽ロック・ファンは日本のロックを正直、馬鹿にしていたと思う。

日本において、パンクはむしろインディーズという流通面において
最初の大きな役割を果したのではないかと考えます。
つまり、英国のラフ・トレード・レーベルの方法論を模した
テレグラフやPassのような独立資本のマイナー・レーベルが
僅かながらも流通経路を確保し
メジャー・レーベルが相手にしてこなかったアヴァンギャルドな音楽が
レコードとして購入出来るようになったこと。
やがて、インディーズでも意外と「売れる」商品が出てくるようになり
Passレーベルなどはメジャーのトリオ・レコードが
ディストリビュートをし始めたりと
徐々に様相が変わってきました。

#9の方が「The Star Club」を挙げていますので
私は日本のパンクの代表として「Friction」を挙げておきます。
The Star Clubの方が、ロンドン・パンクの形式を踏襲しています。
Frictionは、ニューヨーク・パンクっぽいかな?
パンクというよりはニュー・ウェイブかな?
いや、むしろパンクの形式というよりは
パンク本来の精神性を色濃く受け継いでいたバンドが
Frictionであったと、私は思います。
Frictionは後にCDで再発されたので、現在でも手に入る筈です。
最後に、次の2枚をおススメしておきます。
当時、はっぴいえんど系を除く日本のロックを馬鹿にしていた私が
初めて「洋楽以上にカッコいい!」と思ったアルバムです。
長々と失礼しました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005F …
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005J …
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この回答へのお礼

あの格好がお洒落の対象になったのは最近なんですねー。
まだまだ初心者なので教えて下さったバンド、聴いてみますね。

お礼日時:2004/11/05 16:09

日本のPUNKといえば


「The Star Club」
ですよ。このバンドのリーダーが書く歌詞は心をえぐってきますよ。良い意味で。
また、ファッションでいっても、リーダーHIKAGEがプロデュースするブランドが現在販売されています。今は明治通り沿いだったと思います。かなりカッコイイですよ。下にリンク載せておきますね。

ビートはかなり違いますが、本物のバンドだなと思うパンクロックバンドを紹介しておきます。

THE MODS
THE STREET BEATS
横道坊主
THE RIDERS

あと、個人的にこのバンドにかなうバンドは無いだろうと思うのは
NEW ROTE'KA
です。トリビュートアルバムも販売されていますよ。日本の現在の若いバンドはかなり影響をうけているのではないでしょうか。。
太陽族 はNEW ROTE'KAの曲の名前からとったバンドです。

パンクの元祖はスタークラブやスライダーズ、ARB?やロッカーズなどがでてくると思います。俳優の陣内さんはバリバリのパンク姿で歌っていた人です。

参考URL:http://www.ideology.jp/
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
ロッカーズって映画になったやつですよね。

お礼日時:2004/11/05 15:59

>ファッションについてもなにか知ってる事が


>ありましたら教えていただけると嬉しいです。
80年前後のファッションは?といえばDCブランド全盛で
マルイのバーゲンなんかに大行列していた時代です。

ただ、まだこの頃のファッションとパンクは
そんなにリンクしていなかった・・・というか、今と違って当時は、まだ
世間一般とインディーズ/サブカルチャー系の間に大きな垣根があった。
つまりパンク/インディーズを聴いている人たちの多くは
基本的に単なる音楽オタクで、ファッションには
あまり興味がなかったと思うんです。
(ファッション系の人は新宿のツバキハウスというディスコの
ロンドン・ナイトなんかに集まっていたんだな。)

ですから、当時のライブハウスなんかに集まっていた
人たちの姿を思い出してみると、半数以上の人たちの格好は
後の「グランジ・ファッション」とほとんど変わらかったですよ。
要するに、無頓着で汚い。

だって、パンク系のライブって
オシャレして行くようなトコロじゃなかった・・・
ハードコア系のライブは乱闘が絶えなかったし
スターリンとか非常階段とかオーディエンスに汚物を撒き散らしてくるし
結構、怖かったんだよね>それが面白かったんだけど。

一部のバンドの追っかけのよう人たちは
バンドの人たちと同じ格好をしていた。
スターリンなどのハードなパンクの人たちは
髪の毛を逆立てて革ジャン&鋲打ちに安全靴に
ガーゼシャツとかボンテージパンツといった
しっかりロンドン・パンクしていたし
ハードコア・パンクに人たちはモヒカンにしていた。
ビジュアル系の人たちは昔も今も変わらない・・・
でも、ヴィヴィアンなんて高価な服を着ている人は
少なかったんじゃないか?

後に、BOOWYとかが出てきて、いわゆるモードが強く入って来たと思う。
BOOWYはゴルチェとかを着ていて
で、ゴルチェはマルイで買えたから・・・
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この回答へのお礼

昔のパンクスさんはお洒落な人達じゃなかったんですね。
今みたいに鋲ジャン着たりスパイク立てたりするようになったのはいつ頃からなんでしょう?

お礼日時:2004/11/03 16:10

#2、#3です。

懐かしい名前がたくさん出てきて
うれしいです。質問立ててくれてありがとう。
オイパンクについてはもうあまり覚えてないんですが
ファッションについてちょっと書きます。

雑誌『CUTiE』の創刊で、日本にパンクファッションが広まったの
ではないかと思います。

『CUTiE』は今では万人受けのガールズファッション誌ですが
創刊時(80年代後半のはず)にはこてこてのロック&
パンクファッションばっかりの雑誌でした。

当時北九州に住んでいた私がパンクファッションを目にしたのは
『宝島』と『CUTiE』からでした。
(ちなみに『CUTiE』は宝島から派生した、ファッションを軸にした雑誌)

創刊号の特集がヴィヴィアン・ウエストウッドだったと思います。
というか毎号載ってたな。
同時期に映画「シド&ナンシー」が日本で公開になって結構話題になりました。
そう考えると、世間的に流行ったかどうかは別として、
日本パンクの大きな波が80年代後半にあったのですね。

ヒスグラもCUTiEで知りました。
ガーゼシャツとかボンテージパンツとか
Dr.マーチンとかラバーソウルを知ったのもCUTiEからでした。

80年代の地方におけるパンクファッションはこんな感じでした。
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この回答へのお礼

CUTiEって前はパンクファッション誌だったんですか~

お礼日時:2004/11/03 16:04

日本のパンクの黎明期にリアルタイムでハマっていたもので


思い出が尽きず、とても説明しきれません。
ということで、まず
■東京ロッカーズ
■東京ニューウェーブ
■関西ノーウェーブ
をググって一旦、ご自身なりに掌握されてみて下さい。
次に
■テレグラフ・レーベル
■下北沢五番街
といったレーベルやレコード屋さん
そして
■フリクション
■リザード
■ミラーズ
■Mr. カイト
■S-KEN
■8 1/2
■突然ダンボール
■グンジョーガクレヨン
■じゃがたら
■タコ
■アーント・サリー
■INU
■非常階段
■ザ・スタークラブ
■スターリン
といったバンドを調べてみて下さい。
補足要求はお気軽に。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お言葉に甘えてしまいますが、
ファッションについてもなにか知ってる事がありましたら教えていただけると嬉しいです。

お礼日時:2004/10/29 18:36

日本のパンクのはしりといえば遠藤ミチロウのザ・スターリンなのでは。

彼らが活躍した1980年頃には色々なパンクバンドが登場しました。あぶらだことかも有名です。

確かに175やモンパチ、ロードオブメジャーあたりはパンクとはあまり言えないと思います。是非スターリンは一度聴いてみてください。「虫」というアルバムが有名だしお勧めです。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006R …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
スターリンとあぶらだこ、名前は聞いたことあるような気がします。
調べてみますねー。
スターリン、機会があったら聴いてみます!

お礼日時:2004/10/29 18:33

こんばんは。

tomoboooさんの補足として、ケラさんがやっていたバンドは「有頂天」だったと思います。
なんだか懐かしい名前がいっぱいですね。
私はどちらかといえばメタル系なのであまり詳しくないのですが「幻覚アレルギー」ってパンクでしたっけ?「ガスタンク」はスラッシュメタルなんでしょうか?すみません、遠い記憶なので定かではないです/
(^^;)
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
メタルは全然分からないんですよー(+o+)

お礼日時:2004/10/29 18:31

#2です。

ひとつ訂正。
町田町蔵(まちだまちぞう)は
バンドで活動してた時の名前でした。
作家としては”町田康”という名前ですね。

ちなみに80年代後半は、パンク=大半の人が耳をふさぎたくなるような
爆音と暴言の音楽でしたよ(っても好きだったんだけど)。
それからすると175とかモンパチは、
パンクに入らないなぁ。普通のロック。

時代やねぇ・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!

お礼日時:2004/10/29 18:26

私(30代後半)の記憶をたどってみますと、


ブルーハーツと同時期、つまり80年代後半に
ラフィン・ノーズ、WILLARDというバンドがあり
oiパンク(=オイパンク)って呼んでました。
観客がヘイ!とかゴーゴー!とかじゃなくて
オイ!オイ!オイ!って言ってたから。
ただ「パンク」じゃなくて「オイパンク」って呼ばれてたってことは
これで(ブルハ、ラフィンで)パンクの新しい時代だったって
ことなのかも。

当時ブルハやラフィンのライブ行ってましたけど
自分が反抗期だったからだと思います。
決して流行っては居なかったと思う。
殆どがインディーズだったもん。
ブルーハーツがメジャーになったの、すごい驚いたし。
あ、パンクとインディーズはすごい繋がりが深いと
思いますよ。

同時代に
・今では映画監督や舞台作家として有名なケラさんが
やってたバンドはなんていったっけ?(誰かお願いします)
・女のバンドで赤痢ってのもあったなぁ。

それより前は、
・ばちかぶり(作家の町田町蔵さんがやってたバンド)
・今ではすっかり俳優になってしまった田口トモロウさんも
パンク歌手だったんじゃないかな(ちょっと自信なし)。

もっと遡ると、フラワームーブメントとか
フォーク(叙情的じゃないやつ)に
辿り着くのではないでしょうか(これも自信なし)


雑誌の『宝島』は今じゃすっかり男性誌ですが
80年代初めから90年代半ば位までは
日本のサブカルキッズ(笑)の必須テキストでした。
古本でも見つけられば、パンクとその周辺のことも
いろいろと解ると思います。(↓URLは宝島の歴史)
ロックマガジンの老舗『ロッキングオン』なんかも
当時からありましたから参考になると思います。

参考URL:http://tkj.jp/takarajima_x/history/
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この回答へのお礼

オイパンク聴きます!SAが好きなので…
オイパンクについて細かく知っている事があったらまた教えて下さい!

お礼日時:2004/10/29 18:29

日本のパンクは80年代の前半にはもうあったらしいですが、本格的に広まったのはブルーハーツが出てきてからだと思います。

だから1987年ごろ。

その後、少し人気が停滞気味でしたが、Hi-Standardが日本のパンクロックの人気を確立させました。ただハイスタは歌詞が全て英語なので、今のような日本語パンクとはジャンルが違うと思います。

今の基本となっている日本語のパンクが一般的になったのは、今から3年くらい前のGOING STEADYやモンゴル800が売れ出した頃だと思います。その後、ロードオブメジャーや175Rなどの後世のバンドが出てきて、今の日本のパンクが成り立っているという感じでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ブルーハーツが出てきたのって1987年なんですか!
私の生まれた歳なのでなんか嬉しいです。

あっ 特に日本語パンクだけって事ではなくて良いんです。
日本人であれば…
青春パンクでないパンクの事も知っていたら教えて下さい。ハードコアとかでも!

ロードオブメジャーってパンクだったんですか…
J-POPだと思ってました。。。

お礼日時:2004/10/28 21:10

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