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ASD(自閉スペクトラム症)受動型のうち、非言語コミュニケーションの障害が鈍感ではなく敏感過ぎるというタイプとHSPは、精神医学/心理学という点以外にどのような違いがあり、どのように判別されるのでしょうか。
また、併存があり得るとされているようですが、どのような方法でそれが判断できるかという点も教えていただけませんか。


現在31歳の女性ですが、
20代で新卒で入社した会社を退職し、成人の発達障害を診断できる医師に受動型ASD(当時は広汎性発達障害・受動型)と診断を受け、手帳も取得したが未使用のまま

30歳で再検査したところ、
・担当医師と検査を行った医師の意見
初診時からDSM-5の「A:社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害」を満たしていない。
非言語コミュニケーションは鈍感ではなく過敏であるが、それを原因として生活等に支障を来せば項目を満たすとみなす。
女性のASDは非常に症状が薄く見えづらいため、全ての項目を満たさないように見える場合も、総合的に判断して「受動型ASDの特性あり」とする
(現在はDSM-5の「D:症状は社会や職業その他の重要な機能に重大な障害を引き起こしている」を満たさないため、どちらにしても診断は下りない)

・検査を行った臨床心理士の意見
非言語コミュニケーションの障害を伴っていないため、ASDではなくHSPと考えられる。
障害ではなく敏感な気質である

このように医師と心理士で意見が割れました。
どちらにしても、現在は仕事等に問題がないため診断はなしという結果なのですが、
結局どちらなのか、併存なのか気になっています。



●特性
・感覚過敏(聴覚、触覚、味覚など)
・変化に対する適応の困難さ、苦痛、遅さ、同一性を好む
・0-100思考
・過集中
・非常に受動的で主体性に欠ける(現在は改善)
・方向音痴
・他人の仕草、表情、間、話し方から感情を読み取り過ぎる
・社交の場で疲弊してしまう
・臆病、人見知り、神経質
・強く共感する
〇発達の遅れなし、非言語コミュニケーションの障害なし、幼少期から迷惑行為・問題行動はなく常に存在感のない地味な生徒であった
●その他
・無性愛者(Aセクシュアル)・・・人に興味はあるが恋愛感情はない
・5歳~母子家庭であり、生育環境が良いとは言えない
・幼少期に1年、15歳で1年場面緘黙
・16~18歳まで神経性無食欲症
・20~21歳、24~26歳まで自律神経失調症
・現在は二次障害なし、クローズで問題なく働いている



ウェブサイト・書籍に少し目を通したところ、
多くの情報の全てを受け取り、それを処理しきれず疲弊してしまう・・・ASD
多くの情報の中から適切に選択できるが過剰に受け取り疲弊してしまう・・・・HSP
という説を見つけたのですが、
どのようにしてそれを判別すればよいのでしょうか。


(いたずら目的のご回答はご遠慮いただきますようよろしくお願いいたします。)

質問者からの補足コメント

  • >会ってみないとわからないけれど、

    会ってみればわかるということだと思いますが、
    どのような点を見て、どのようにして区別されているか、もしよろしければ教えていただけませんか。よろしくお願いいたします。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/07/22 12:55
  • 検査は大学病院で3日間に分けて行われ、研修医2名から軽い聞き取り、
    臨床心理士が知能検査(WAIS)、人格検査、心理検査、不注意の検査、
    検査を担当する医師が脳波検査(NIRS)と同時に別の知能検査、
    母親からの聞き取り、母子手帳、連絡帳、通知表、文集、成績表等提出、
    PARS、その他、母と本人がそれぞれ記入する大量のチェックシート
    主治医との面談3回で、20代の頃、診断を受けました。

    当時は広汎性発達障害も受動型という言葉も知らず、診断名は自分で言い出したのではなく
    医師から言われて初めて知りました。

    今でも「社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害」を十分満たさないが特性あり、仕事や生活に支障が出れば診断が下りると主治医には言われています。
    (心理士は障害ではなくHSPとおっしゃいます)

    意図的に診断を受け、手帳取得することなど可能なのでしょうか。

      補足日時:2018/07/22 17:51
  • 私自身は個人的に「ASDの傾向あり」や「HSP」という分類を否定的に捉えてはいないので、そういった分類や診断名を理由に絶望したり、それに甘えるということはありません。
    現在、診断から外れた(仕事や生活に支障が出ていない)のは診断名・特性理解と工夫・環境調整があってこそ可能になりました。


    気にするな、努力すれば云々というようなエールはありがたいのですが、診断名を否定的に捉えていることを前提にしているように思われるので、少し違和感があります。
    (もちろん貴重なお時間を割いてご助言いただいたことに対して感謝はいたします。誠にありがとうございます。)

    気の持ちようの話ではなく、非常に特性がマイルドで分かりづらいタイプのASDとHSPの関係についてどのような研究が成されているのかを知りたいと思っています。

      補足日時:2018/07/22 21:25
  • 仕事の都合で本日は時間が取れないため、明日~明後日にお礼を書かせていただきます。
    長文でご丁寧にご回答いただいているため、ありがとうございますの一言で済ますというわけにもいかず、申し訳ありませんが、少しお時間をいただきますようよろしくお願いいたします。

      補足日時:2018/07/23 07:31
  • >疾患と障害とを明確に使い分ける必要などない
    発達障害関連の学会等(主に困り感や問題行動の軽減を目的とした統計調査等)では、ASD・ADHD・LD・精神遅滞と二次障害として起こる精神疾患は分けて考えられており、二次障害防止と特性理解の目的で当事者の間でも別と捉えることが多いので、そのように認識しておりました。


    >開示義務はない
    職場への開示義務はもちろん法的にないことは承知しておりますし、
    そのような義務があれば大きな問題になると思いますが、
    現実問題として多くの雇用者は開示を求めており、隠して入社することは不誠実とみなされることが多いと思われます。
    単純に周りに話してはいないという意味でクローズでと表現しました。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/07/25 08:30
  • ASDとHSPの関係について、
    ASDがスペクトラムである理由(軽度者が存在する理由)も様々な研究がなされているので、
    分かりづらい、見えづらい程度のASD と HSP全般(感覚過敏や同一性への固執など自閉症と似た特性が挙げられている)について調べることはあり得るような気がします。
    HSPの定義とされている条件が、発達障害や境界域と似通っているため、無関係とは思えず、実際に医師と心理士、もしくは人により考えが違うようなので、
    その辺りはどのように分けられているのかという点が知りたかったのです。


    >こうした質問サイトを利用するのではなくて~

    おっしゃるとおりだと思います。
    そこまでするほどの執着はなかったため、あまり期待せずこのようなサイトで質問させていただきました。
    想像以上に真剣なご回答をいただき、心より感謝申し上げます。

      補足日時:2018/07/25 08:31
  • >いつもいつも本当に起きているのですか。

    おっしゃるとおり常に絶え間なく起きているのではもちろんないと思います。
    時々経験する過労的疲弊を過大に評価しているということはもちろんあり得るとは思いますが、大多数と比べて乳児期から明らかな(気の迷いというレベルではない)過敏さが見られるという事実は変わりません。
    これも自己診断ではなく、様々な記録・検査から第三者が指摘したことです。

      補足日時:2018/07/25 09:21
  • 特性を調べ回ることは、おっしゃるように診断直後はマイナスでした。
    とにかく調べ回って、こんなことを追究するよりもQOLを上げることが先決と気付き、特性があってもできる仕事に就く方法を探る方向に変更しました。
    興味はあるけれども、今のその時期ではない、仕事が落ち着いてできるようになれば、また調べようと考え、現在やっと落ち着いたため、何が解明されてきたのか等、時々興味を持った記事を読んでいますが、その程度です。
    自分探しに必死になるような時期は過ぎているように思います。


    特性は変化するものと思っておりますが、
    目的が生活の質を上げることであれば、特性が変わるのを待つよりも捉え方、考え方、環境を変えるほうが何倍も早いと思っております。
    例えば乳児期から続く感覚過敏は根性で治そうとするよりも、自責をやめ、それが影響しない環境に身を置いたほうがプラスです。

      補足日時:2018/07/29 08:59
  • ご説明いただいたことには全体的に同意しますが、
    何らかの症状を改善するためにとにかく調べ回るという行為は的外れでも、
    ある程度の努力で改善する程度のこととそうではないことは把握しておいたほうがよいと思います。(努力自体を放棄しないためにも)
    私の場合はこの時期(問題改善のための特性調査)を過ぎており、血眼に自分探しをしているわけではないため、疑問はno.7のご説明で解消されました。
    お忙しい中、素人にも分かるようご丁寧にご解説いただき本当にありがとうございました。

      補足日時:2018/07/29 09:00
  • 感覚過敏(騒音や雑音から頭痛・吐き気、服のタグやタイトな服、化粧品等で冷や汗・痛み、特定の食べ物から嘔吐・血圧低下・腹痛、自分の運転でも車酔い)や表情・仕草・口調・振る舞いに対する過敏さ(実際に発語していないが頭の中で言っている言葉が分かる)ことは、自分でもうまく説明できません。

    いつもと違う環境にも行っているからこその体調不良や病院行きなのです。
    これ以上大きなリスクを冒して挑戦を増やそうとすれば、仕事ができなくなり、福祉の力を借りなければ生活ができなくなります。生活のためには一番に仕事と健康を優先せざるを得ないのです。
    工夫や努力は言われるまでもありません。
    できないことにばかりに注目して自己肯定感を下げていては別の精神疾患を引き起こす等、状況が改善していかないので、環境のほうを自分に合わせること"も"必要、それも工夫の一つと考えています。

    様々なご助言ありがとうございました。

      補足日時:2018/07/31 11:11

A 回答 (10件)

ごめんなさい。

少し、面倒くさくなってきてしまいました。 たぶん、コメントを続ける気が近々なくなります。
で、私が言いたいことだけ先に書きます。 tenbin1015さんの言葉に対する記述の形ではあっても、それは、tenbin1015さんの質問に答えるとか、有効にコメントするとかの視点はないがしろにして書きますので、そのように心得て、読んでください。

> 仕事場や学校等、集団に合わせなければならない環境では慎重なコントロールを行うことは難しい。
> 少しずつやってみるという調整ができる環境をつくることが理想ではあるけれども、それが許されない場合、
現実的に刺激が強過ぎる、公害レベルの騒音や悪臭の中で仕事場なり学校なりにいること自体が困難、苦痛、潰れてしまう、二次障害を起こしてしまうのであれば、取りあえず影響しない環境に身を置く。
> まともに息が吸えないような環境では調整どころではないので、取りあえず正常な日常生活を送れる環境に身を置かなければ、いつまでも本来の力を発揮できません。

私が書いた{チョコチョコといろんなことを試すしやってみる、いつもと違う環境に行ってみる、多様な日常生活をする方が良い}というのは、家の周囲の散歩、田舎道での早歩き、スーパーでの買い物、図書館の閲覧室、地域でのボランティア活動、人気のない寺社の参拝見学、その他田舎でも試せるいろんな行動、いろんな場所、いろんなことのことです。仕事場や学校等、集団に合わせなければならない環境、刺激が強過ぎる騒音や悪臭がある仕事場や学校などをターゲットにして一本道で突っ込んではいけないと私は書いていたつもりです。 そして、取りあえず影響しない環境に身を置くばかりでは、弱化を進めるばかりだと私は書きました。 

> 多数の人にとっては「多様な生活環境」ではないように見えても、当事者にとってはそれが現在の精いっぱいの、潰れない範囲での「多様な生活環境」を送っているということもあるのです。
> 「ほんの一口しか口にしないからこの人はアレルギー耐性を強化しようと努力していないのだ」と外からは見えても、実際はそれが限度ということもあります。

私は{耐性を強化しようとすれば、悲劇的になってしまうことは多い}{完全に避けてしまうと過剰な免疫反応はいつまでも残る}{生活の中で多種の経験が積み重なると耐性が獲得されアレルギーを起こさなくなる}{多様な生活経験を増やすことで、結果として、生体の生理機能強化が相乗して、また(原因刺激が何であるか不明でも、多少推定範囲が絞れそうでも、その)刺激があったり、刺激がない時期があったりという適度な繰り返しが自然に起きることを期待するのが良い}と書いているのです。{多様なことをチョコチョコ}{多様な日常生活をする}と書いています。

> 自分自身もそのようにならないよう日々気を付けてはいます(多様な生活経験を増やすこと)

これはただのリップサービスですか。

> 精いっぱいの、潰れない範囲での「多様な生活環境」を送っている
> 今でも講習等に出掛けると1週間は疲労が続き、酷いと救急行きです。
> 過敏については環境調整を重視しています。
> 幼少期から家では過集中、外では過敏で、その差が激しいのです。

外ってものすごく多様です。外では過敏と単純に言える実態があるのですか。
吃音で重症でも、独り言、歌、短音ならさほどではないということはあります。気にするな、緊張するな、トレーニングしろで改善出来る人もいるんでしょうが、一般的にはそういうことでは治りません。ですが、いろいろの社会経験とバラエティに富んだ生活を続けていると症状が軽くなることは多いものです。 いろいろの外で、いろいろのことをすることを心がけて欲しいと思います。

> 原因が判明していない、 & 「経験・努力が足りないからである」と言い切ってしまう

私は、疾病でも障害でも、健康でも、才能にあふれているでも、個々の人についてであれば、その原因やメカニズムは判然としてないのだと思っています。 そんな事実の確認が出来ない原因やメカニズムをうだうだ気にするのは、不効率、無益、無駄だと思ってます。 そのとき、本人が「私は、まだ経験・努力が足りてないから」と思って、「もっと経験を重ね、いろいろ工夫し、迷い、失敗も重ねていこう」と心を固めるのは大事なことだと思っています。一本道ではないし、目標もその時々、状況次第で変わって、様々な経験、様々な努力をすることが、体も心も丈夫にし、新しい才能が芽吹き、小さな才能が大きく開くのだと、私は思います。 一つの目標に固定したり、一つの方法しかしなかったり、ただひたすら一つの方向、一つの道をいこうするするのは、(原因-結果)が明確ではない多くのことでは、不適切な行為だと、私は思います。

全く、別のことにテーマを変えます。

> People say I read their mind. I feel like I do too much because it causes extreme fatigue.

「Aさんは私らの気持ちが(わかってる/読めてる)と、数人がAさんに言う」のは、かなり特殊な状況です。 Aさんはその数人になにをしたときなのでしょう。 あるいは、Aさんがなにをしたのを見てその数人は言ったのでしょう。
その数人の話は横に置いたとして、I read their mind って、どういうことが起きたときの表現なのでしょう。 I've read their(your,his,her) mind って、どういうことが起きたときの表現なのでしょう。 たぶん、mindというのは客観的には明瞭な形で認識できるものではないから、いわば形而上的な意味合いで、気分、心の内、気持ち、意思、知情意の中の一か二つか三つとも、それさえも明らかではない、話者、聞き手次第の曖昧なものなのでしょう。 意味不明というか内容不明確のものを言ったり、聞いたり、自分で感じ取ろうとすれば、そのことは it causes extreme fatigueという事態を引き起こすでしょう。 日常会話では細かいことは気にせずに使われる表現でも、バカみたいに、それってなんのことを指しているのかと言い出すと、おかしくなります。 "人の感情を読み過ぎる"でも、それってなんのことと言い出すと、おかしくなります。 しかし、普段は気にしないで使っている表現でも、その表現を深刻に考え検討したいテーマに絡んで使う場合は、考え検討するプロセスに論理的な抜けや混乱錯誤が生じないようにするため、別の表現に置き換えるようなことをした方が良いと、私は思います。 {他人の仕草、表情、間、話し方から感情を読み取り過ぎる}なら、{感情を読み取り過ぎる}を別な言葉に置き換えることで、なにが実際に起きているのかをより明らかにする。 見えづらい程度のASD、受動型ASD、感覚過敏、発達障害、二次障害というような言葉ではなく、別の言葉で、実態により近い表現に置き換える努力をして、自分が使っている用語に自分が影響されてしまわないようにすることも大事だと思います。
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この回答へのお礼

私も疑問は解決していただいたので、そろそろベストアンサーに選ばせていただきたいと思っています。
まだご解説いただけることがあるのであれば、一方的に閉めるのも失礼かと考え、続きをお待ちしておりました。

>これはただのリップサービスですか。
なぜそのように思われるのでしょうか。なぜそれをしていないと決め付けられるのでしょうか。
>症状が軽くなることは多い
実際に成長で軽減したこともありますし、多いのでしょうが、全てがそれで軽くなるとは思えません。
軽くならないからと言って色々なことをするよう心掛けていないからだと結論付けることは、無駄な努力と自責の念ばかり強くして、今本当にするべき努力が見えなくなってしまうことが多いのです。
原因が分かれば良い治療法、訓練法や軽減できる薬が出るかもしれないと考えるからといって、経験する努力を放棄していることにはなりません。調べ回る意味はおっしゃるとおりあまりないのでしょうし、私も仕事でそれどころではなくなってきたのですが、誰かが知ることを禁止することはできません。

>「まだ経験・努力が足りてないから」と思って、「もっと経験を重ね、いろいろ工夫し、迷い、失敗も重ねていこう」と心を固める
>いろいろのことをすることを心がけ
これらは当たり前にしていること、しなければならないこと、ハンディがあるのであれば、ない人以上に覚悟を決めて何倍も努力しなければならないことは当然です。
それが大前提にあった上で、寝込んでしまっては本来できることもするべきこともできなくなるから、様子を見ながら少しずつ色々挑戦(それが馬鹿みたいに小さなことであっても)しているということです。


「まだまだ努力が足りない、覚悟が足りない、もっと工夫しよう」と当事者が思うべきことであり、他人が「経験が足りないのだ。もっと努力しなさい」と言っても、あまり意味がないと言うと言い過ぎですが、症状をきちんと診た上での具体的な治療法でない限り、単に責められているとしか受け取られない場合が多いと思います。
もちろん気持ちはありがたいです、私は。


>別の言葉で、実態により近い表現に置き換える
ごもっともですね。
長くなるのでそれでまとめてしまうのですが、良くないですね。気を付けます。

本当にありがとうございます。

お礼日時:2018/07/31 06:57

後先になってしまいましたが、2018/07/29 08:58と 15:11のコメント、2018/07/29 08:59と 09:00の補足を、今、読みました。



ちょっと気になることをランダムにコメントします。 (重要性?や構成?には、配慮してないで、ばらばらです)

>乳児期から続く感覚過敏は根性で治そうとするよりも

「根性」を入れてしまうとヤバいことは多いです。小児でも大人でもアレルギー耐性を強化しようとすれば、悲劇的になってしまうことは多いです。専門的には慎重なコントロールが必要です。逆に完全に避けてしまうと過剰な免疫反応はいつまでも残ります。 小児の場合に顕著ですが、生活の中で多種の経験が積み重なると耐性が獲得されアレルギーを起こさなくなります。40過ぎになって発症したアレルギーでも、数年で耐性が復活しアレルギー症状を起こさなくなることも多いです。 根性で治そうとか、とにかく血眼になってバンバン試すとかは、こうしたことでは良くないようです。 そもそも慎重なコントロールの仕方が判然としないのだから、多様な生活経験を増やすことで、結果として、生体の生理機能強化が相乗して、また(原因刺激が何であるか不明でも、多少推定範囲が絞れそうでも、その)刺激があったり、刺激がない時期があったりという適度な繰り返しが自然に起きることを期待するのが良いだろうと、私は思います。 大事なことは、そうしても改善しない人もいる、減感作療法を専門家の指導の下でやったのにアナフィラキシーを起こしたり、逆に実感できるほどの改善にはならない例もあるってことだと思います。 そうであれば、いろいろ懸命に調べていることその行動で大きな効果が得られるものではないのは、明らかではないかと思います。

> それが影響しない環境に身を置いたほうがプラスです。

それを狙って「影響しない環境に身を置く」ようにすると、影響しない環境がどんどん狭くなったり、気にするあまり過敏な状態になったり、生理機能の強化ではなく弱化を招く危険も高まる危険は多いです。 チョコチョコといろんなことを試すしやってみるし、いつもと違う環境に行ってみるという、多様な日常生活をする方が良いだろうと私は思います。

ちょっと、時間がないので、続きは、後日 (はなはだ中途半端で、書き始めたばかりですが)
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この回答へのお礼

>弱化を招く危険も高まる危険は多い
こちらに関しては全く同意見です。聴覚過敏で悩む子どもたちに”一律に”デジタル耳栓を付けさせることや、とにかく徹底的に刺激を避けさせる姿勢等については危惧を抱いていますし、自分自身もそのようにならないよう日々気を付けてはいます(多様な生活経験を増やすこと)。
成人の当事者間でもこのことは以前から議論されています。


ただ、仕事場や学校等、集団に合わせなければならない環境では慎重なコントロールを行うことは難しいという現実もあります。
(耳栓や補助機器の使用を認める所、無理に食べさせない所も増えてきてはいるようですが)

少しずつやってみるという調整ができる環境をつくることが理想ではあるけれども、それが許されない場合、
現実的に刺激が強過ぎる、公害レベルの騒音や悪臭の中で仕事場なり学校なりにいること自体が困難、苦痛、潰れてしまう、二次障害を起こしてしまうのであれば、取りあえず影響しない環境に身を置くことが重要と考えます。
まともに息が吸えないような環境では調整どころではないので、取りあえず正常な日常生活を送れる環境に身を置かなければ、いつまでも本来の力を発揮できません。

また、その加減は非常に難しく
多様な生活経験を増やそうとする中で、調整が少しでも狂うとアレルギーで言うところのアナフィラキシーショックを起こしてしまうため、
多数の人にとっては「多様な生活環境」ではないように見えても、
当事者にとってはそれが現在の精いっぱいの、潰れない範囲での「多様な生活環境」を送っているということもあるのです。
挑戦していないように見えても、小さなくだらないことのように見えても、実は結構必死にやっていることもあるということです。
「ほんの一口しか口にしないからこの人はアレルギー耐性を強化しようと努力していないのだ」と外からは見えても、実際はそれが限度ということもあります。
毎日毎日倒れていたら仕事どころではなく、障害者として支援が必要な者に容易に戻ってしまいます。


原因が判明していない以上、「経験・努力が足りないからである」と言い切ってしまうことは
「遺伝子レベルの障害であり、生涯変えられないものである」と言い切ってしまうことと同じくらい危険であると思います。


いろいろとご意見をお聞かせいただき本当にありがとうございます。勉強になります。

お礼日時:2018/07/30 18:27

~~ HSP について ~~ 



敏感過ぎる性質を持つ人(HSP) :【人の感情にすぐ左右される、気にしすぎとかネガティブとよく言われる、人混みが超苦手、たわいない会話や大人数の宴会は苦手、上司や先輩なの攻撃対象にされやすい、自分はダメだと責めてしまう、音や匂いが気になって仕方がない、食事に敏感、寝つきが悪い、生きづらい、疲れる、敏感すぎる、電磁波の影響も気になる】 :5人に1人いるとされているHSP

これらは、嘘です。 嘘というのは不適切ですが、占い・性格診断などで使われている手法と同類です。人はいろんなことを感じ、思い、しますから、そういう誰もがしやすいことを、複数書くと、ある程度は自分にも当てはまる特徴のように感じてしまいます。それだけでなく、「これは私のことだ!」と思いこんでしまうケースが多発します。
https://mayonez.jp/topic/4576
さらに、【五感や豊かな感受性を持っているために起きる・美しいものや人生の真理に深く反応し共感する能力があるから起きる】となんだか肯定感いっぱいの言葉まであって、しかも、少数の異端者ではない、少ないけれど、人種、性別に関係なく、5人に一人はいるという心強い後押しをするのですから、(そんな言説に根拠などなくても) 自分に都合のいいからこそ、『私ってそうなんだ!』と自分から積極的に確証を得た気分になってしまうのを、HSP の主張者は上手に利用しているだけのことです。 自分を卑下しどんどん辛くなるよりも、自分に自信をもち、ポジティブになるためにはそれも良いのです。 こうした事実ではないけれど、自分に好都合と感じてしまう情報ばかりを引き寄せて、私は○○なんだ、△△って◇◇の傾向があるんだというような《思いを強める方向の心理メカニズム》を、確証バイアスと言います。
確証バイアスがいつも悪いわけではなく、前向きに頑張る/ポジティブに生きる・辛さを軽減するためには結構良い働きをするのですが、バイアスという名前がつくように一種の偏見ですから、まずいことも起きます。

テレビや音楽を見聞きしていても、自分の名前を呼ばれたりすれば通常はそれに気づきます。焦げた臭いが漂ってくれば通常は気づきます。しかし、エアコンや扇風機の音、冷蔵庫の音、煮炊きの匂いには気づかないことが多いです。脳内で、音や光、匂い、振動、風などの外来信号をフィルタリングして、大きな信号でも認知をストップし、目標とする信号の方を選択的にキャッチアップするからです。 自分の心臓の鼓動や呼吸音、手の動き、虫刺されの痒さ、疲労感を強く感知していてはマズイ状況ならば、そうした感覚に関する情報はシャットアウトして、今やることや今関心を持っていることに、出来るだけ専念できるように、脳内をコントロールしているのです。
乳児や猫などは、そうした脳のコントロールがまだうまくないです。 目の前をちらちらするものに気だ行ってしまいます。 しかし、乳児も猫も、見知った人や物の動きには惑わされないようになって行きます。 人ならば、歌を歌ったり、テレビを見たりということに気を集中する脳内コントロールの力をつけてきます。それをやっている最中は、他の外来信号も、自分の体で起きていることからの信号も、先ほどまでやっていたことの思考や感情もストップさせて、今のことに集中するようなことを出来るコントロール力をつけてくるのです。
《コントロール力をつけてくる》のは当たり前ですが、経験と努力の積み重ねで《コントロール力が高まる》のです。 筋トレや体の柔軟性でも、言葉の理解力でも、外国語習得力でも、翻訳能力でも、輻輳する情報の処理能力でも、 経験と努力の積み重ねで高まるのです。 
脳のコントロール力を鍛え上げないと、スポーツでも、勉強でも、料理や片付けも、仕事もうまく出来ません。 
“刺激駆動型の注意”と”目的志向型の注意”という言い方をするとします。”目的志向型の注意”は、目的達成に向けて必要な情報だけを選択的に取り上げて注意を向けることです。 “刺激駆動型の注意”は、”目的志向型の注意”ではない状態であってその時々の刺激にだけドライブされて注意を向けることです。 “刺激駆動型の注意”は動物なら必ず出来ることです。 それだけでは、草食動物も肉食動物も餌を効率的にとれないし、逃げる・追う・戦うこともうまく出来ません。 “刺激駆動型の注意”をしているとき、”目的志向型の注意”をしているときと状況に応じて使い分けるコントロール力を、成長発達の過程で積み重ね、力量を上げていくのです。 人間ならば、親だけとの世界でなく社会に出て多くの人物が様々な動きをしている中で、自分の役割や達成したいことに焦点をあて”目的志向型の注意”を効かせて、無用なたくさんの情報はシャットアウトし、目的志向で必要な情報なら小さい刺激も敏感に感知して統合的に情報処理して認知にまとめる行為が出来るように、人生経験を重ねて、脳のコントロール力を高めます。
「私は敏感な五感・豊かな感受性がある」などと確証バイアスに逃げ込んむのは、脳のコントロール力を高める上で障害になります。 多くの場面で、”目的志向型の注意”に切り替えることが大事です。

たぶん、次のようなことがあるのではないかと思います。

★ 外食する際はほとんど食べられない(腹痛などを起こす)
⇒腹痛や消化器のことに気を回し、そこからの情報に気を向けて、信号拒否をする訓練をして来なかった経歴が、外食や職場での食事を困難にしている⇒腹が痛いのを忘れ無視するように努め、飲食行為そのものに気を向ける習慣を繰り返すことで、“刺激駆動型の注意”と”目的志向型の注意”の切り替え能力を鍛える
★ 職業訓練校で情報や機械・電気の勉強を始め、訓練給付金の給付もうけて仕事探し出来るようになった。個人的に英語の勉強を始め、在宅勤務で、反訳・翻訳の仕事を開始できた。 自分用のPCを初めて購入し、情報、CAD、プログラミングの資格を取得できた
⇒勉強や習熟の努力中、あるいプログラミング、翻訳や反訳の仕事の最中には、”目的志向型の注意”を効かせて、周囲のたくさんの情報をうまくシャットアウトできるようになった(“刺激駆動型の注意”から自力で切り替える力がついてきた)
★ 客観性を意識しつつ、主観的な意見も自分の気持ちとしてきちんと言えるようになった
⇒ 自分の感情だけが飛び出すのではなく、自分の意見をまとめ筋だって組み立てるし、客観性への配慮もできるようになったことは、“刺激駆動型の注意”だけの状態を脱せたことを示している。「自分の気持ちをきちんと言える」というのは、相手の気持ちや受け止め方も想定できるような《”目的志向型の注意”を効かせて、目的志向で必要な情報なら小さい刺激も敏感に感知し、相手の反応さえ予測して統合的に情報処理してまとめる力》が付いてきたことの現れ⇒いわゆる普通の社会人が持っている脳内のコントロール力を自分でも持ててきている=(極端なASDではなくて)普通の人になってきている⇒ 周囲の刺激も状況に応じて自動シャットアウトできる可能性は高く、町中、電車の中、集会や会合の中でも、以前のような状態にはならない可能性が高い

そう推定すると、ASDやHSPのことは調べ回るのは、tenbin1015さんにとってはもう意味がない、価値がないということになるでしょう。
人には得手不得手、好き嫌いもあるし、周囲にとっての価値が高い/低いことなどの周囲の需要とtenbin1015さんの提供可能な能力や適性との組み合わせのこともあるから、そうした面から、tenbin1015さんが時間をかけて今やるべきことは、自然と絞られてくると思います。

実際のtenbin1015さんの状況が、精神科や心療内科の診療継続や、セラピストのサポートが必要な状態なのか、私にはわかりません。 必要な状態ならば続けるのが良いと思います。 単に、自分をもっと知りたいとか、なんとなく心配なのでというのなら、もう止めるのも視野に入れた方が良いと思います。

●26~31歳
・積極性がなく人のいいなりになってしまう性格
・過集中と人の感情を読み過ぎる気質、過敏な体質

tenbin1015さんの確証バイアスが強すぎると私は思います。
現実にいろいろ自発的にチャレンジしています。アサーティブトレーニングを受けなくても、もう、結構、決められるし、状況を踏まえた上で自分の気持ちも言えるのでしょう。 自分の性格をコウダと決めつけない方がいいです。 もっと自信をもって、やりたいこと、興味があることの"実現”に時間を割きましょう。 調べ回るのは無駄であるだけでなく、有害かもしれません。
言葉使いや揚げ足取りのような気もしますが[過集中と過敏な体質]の併存は難しいです。双極性障害のように交代するのならわかりますが、集中と周囲刺激感受をうまく出来るならその方が良いです。
[人の感情を読み過ぎる]って何のことか、英語で言い換えてください。反訳すると誤読ではないですか。 《かげ形がないのに姿を見ようとする気質》《事実は不明でありそれを探る価値さえないこと(他人の感情やその場の雰囲気)を誤読になるとわかっていても思い描くことに力を注ぐ気質》なんて、止めるのが良いです。
”目的志向型の注意”に切り替える力は、普通の人並みについてきている様子が書かれています。 四、五人の輪で話をしていても、その状況に応じた”目的志向型の注意”に切り替える力が、tenbin1015さんに着実に付きつつあることを、もっと大事になさったらいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

引き続きご助言いただきありがとうございます。

HSPが捉え方の一つに過ぎないのであれば、ご説明のとおりデメリットは大きいのでしょうが、
コントロール力が弱い=訓練してこなかったからだというのは、少し決め付けが早いのではないかなという気もします。
もちろん訓練・慣れという要素は非常に大きいと思いますが、
個人差はあります。

幼少時から「HSCだから仕方ない」と訓練されてこなかったのならともかく
努力と根性を重視する時代の子どもだったので、腹痛なんか忘れろ式の訓練であれば親・教師散々させられてきました。怒鳴られながら無理やり騒音の中で毎日部活もしていましたし、不登校や引きこもりもありません(緘黙になろうが拒食になろうが蕁麻疹が出て呼吸困難になろうが学校や仕事には行っていました)。
感覚過敏を単なる経験・努力不足で片付けて、腹痛は無視しろ等と言っても治ることはないと思います。
訓練校で急に努力に目覚めて改善したわけではなく、給付が出たためバイト時間を勉強時間と仕事探しの時間に変えられたというだけです。
セラピスト等のサポートは特に受けていません。

過集中は余程落ち着ける環境にない限り自宅以外では出ません。成長と共にコントロールできるようになってはいますが、
幼少期から家では過集中、外では過敏で、その差が激しいのです。
今でも講習等に出掛けると1週間は疲労が続き、酷いと救急行きです。

受動的な性格に関しては決め付けていませんし、実際に徐々に改善しています。
過集中はあまり治す気もなく、過敏については環境調整を重視しています。

I don't understand why you care so much the word "人の感情を読み過ぎる".
People say I read their mind.
I feel like I do too much because it causes extreme fatigue.
Apparently I'm really bad at controlling those things.
Maybe you're right, though. I should stop googling about this and do other things.
I greatly appreciate your help.

お礼日時:2018/07/29 15:11

続きです  ~~ 自分探し について ~~



青年期などに「私とはなにか」が気になる、何かの躓きや失敗を契機にして、不安感(他の人に比較しての劣等感や同等には扱ってもらえなくなり排除される存在になってしまうのではという不安感)を抱くことがあります。自分のルーツを探したり、組織の一員としてのしっかりしたポジションを実感できること、誰かから認められる存在になることに真剣になったりもあるようです。(自分はどのタイプなんだ)を探し、「そのタイプですよ」と他人からも承認されると不安感を軽減し、少し安心するという人も多いみたいです。

人の行動や発言、思考などの解釈は、ただ一つの要素で行うとわかりやすいです。しかし、実際にはいろいろの要素が絡み合いたまたまその行動や発言、思考などに現れていることが普通です。
《科学的知見を知りたい、あるいは世間の一般に流布している解釈や言説をしりたい、とりあえず簡単な知識を得たい、相手に対する配慮もあって質問をしておかないとという気分になった、思い迷っているのでとりあえず言葉にしただけで知りたい気持ちは低い、記述や発言の言葉遣いをちょっと間違えただけ、自分のついての理解を進める手がかりが欲しかった、手持ちぶさたで時間つぶしをしただけ、前に読み聞きしたことに影響された、たまたま混乱した、その他諸々の事情》がごちゃごちゃになって、質問文にしていると考えた方が、本当は妥当なのだと思います。 ただそんなにごちゃごちゃのことに、文として筋が通ったわかりやすい応答はできっこないので、とりあえず、1つ二つにテーマを絞って、わかりやすく応答するのが、社会的には妥当な行動になります。

横道ですが(光トポのみで抑鬱症状あり)のスクリーニングは無理です。 2009年4月に「光トポグラフィー検査を用いたうつ症状の鑑別診断補助」が保険で承認されていますが、近赤外光を用いた脳機能測定法(NIRS)は《鑑別診断補助》であって、計測のみを絶対視して診断や評価するのは避けるべきであり、必要以上に過剰な解釈をしてはならないと脳機能測定法開発者も言ってます。この検査で保険適用をするには、《「抑うつ状態を呈してうつ病と臨床診断されている」ことが必須の要件》となっていることも知っていてください。2016年7月には、「現時点で光トポグラフィーを保険診療として行うのは明らかに時期尚早だ。本当に有用なのかどうかを今後も検証し、結果次第では、保険診療から外す判断も必要になる」という人もいます。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160713-OY …

> バイト先の人に「発達障害?」と言われたことで、発達障害に興味を持ちました。
> インターネットで発達障害者支援センターの存在を知り、連絡→相談→検査→診断(広汎性発達障害・受動型)とつながりました。

発達障害に興味を持ちネットでも調べたら、わかったことは「発達障害者支援センターの存在」だけだったでしょうか。多分の大人の発達障害とか、就労支援とかの説明も読んだのではないでしょうか。 で、なにを理由に、あるいはなにを狙って、発達障害者支援センターに連絡したり、発達障害を診断できる医師の診断を受けたのでしょう。

> 「客観的な事実が知りたい、状況を改善したい」という気持ちでした。

「自律神経失調症とされ、投薬治療を開始したものの改善せず、別の精神科に行っても同様で、休業補償等もなく辞めるか死ぬかの選択」と感じているなら、行動としては理解できます。 同時に、自分でなんとかするというよりも、とにかく、正規の社会的手続きで、発達障害と確定してもらい、就労支援を受けたい、障害者雇用の中に入り込みたいというような、(診断を利用する気持ち)もあるのでしょう。 診断名の正規な取得そのものがかなりのウエートを占めていた行為だろうと、私は思います。そうした意図的行為を非難しても批判してもいません。 発達障害者支援センターはそうした自主的自発的な行動を起こす人たちを支援する組織です。(周囲に勧められて来訪する人も支援します)

「怠慢あるいは根性不足などが大本にある」という自責感や無力感が強いと、周りが支援しても状況改善は進みにくいです。 「親が悪かったんだ」と他責したり、過去を強い悔恨で思い続けていても、状況改善は進みにくいです。
ある人物の状況改善ということだけを中心課題にして対策を考えれば、自分探しはそこそこで止めてもらい、自責や他責、後悔悔恨もそこそこで打ち切りにさせて、《その人物には前向きの課題に集中してもらう》ことが大事になります。 そのためには、「発達障害の特性があっても、その特性を生かせる職場環境・職種・コミュニケーションの方法などを効果的に組み合わせ、適切な支援を受けて頑張りましょう」と視線も方向を誘導する、「心の病ではなく、生まれつきの脳のタイプによる特性です。その特性を正しく理解してないと辛さが増えてしまいますが、特性を活かした生き方をすれば改善できます」ということなどが大事になります。 その当人の特性にあった生き方や環境、職場、仕事内容を見つけ、適応する訓練は大事ですが、その前に本人や家族の理解と積極性を引き出すことが大事です。
本人や家族にしても、「育て方にも問題があった、努力や辛抱が不足していた、基礎知識や技量獲得の未熟がなければこのようにはならなかったでしょう、あるいは、思考の習慣や感情を理性で抑えるセルフコントロールに問題がありますとか言われるような恐れ」を感じていたら、障害を検査してもらう気にさえならないでしょう。 
本人や家族は、自己責任ではないのだというお墨付きももらえるという期待をもって、ネットでセルフチェックしたり、本を読んだり、積極的に診断を受けようとしている面もあると考えるのが、妥当だと思います。

【遺伝や障害発生の時期や機序を調べるのを打ち切らせる & 私が悪かったんだという自責を免除する】 こうしたメリットが、発達障害という診断の医療行為にあるのだと、思います。

本人や家族は、そのメリットを最大限利用するのが良いと思います。
遺伝や遺伝子、大脳生理、生後の生育過程での環境や習慣などの要因がどのような状態なのかを、学術的に調べ検証しようとし始めて、それに時間と思考を振り向けたら、せっかく発達障害という診断で【遺伝とか、障害発生の時期や機序を調べるのを打ち切らせる & 私が悪かったんだという自責を免除する & 過去にさかのぼって原因結果や障害重症化のメカニズム調べにこだわるのを断ち切る】効果が失われます。

ASDや受動型ASDの特性を調べ回るのは、本人にとってプラスでしょうか。 マイナスでしょうか。 
ASDや受動型ASDの特性を調べ知ることで自分の特性理解に役立つし、それを改善のための情報源の一つとそて利用できるので、プラスだと本人が考えている面もあるのかと思います。 そうした行為は、辛さを抜け出そうとしている患者に対する便法の説明を、自分のことそのもののように誤解し、幽霊や影でしかないものに自分を当て填めて過剰な解釈・誤解を増やし、現実対応力の強化を阻害すると、私は思っています。 ネットや本や医師への質問で発達障害の特性理解を深めようとする行為も同様です。
ガン、高血圧、心疾患、腰痛、易労、睡眠障害、易怒、眼疾、うつでも、そうした病名、障害名、症状名に含まれている内容は、かなり広範で、同じ疾患名・障害名を付されていても、状況は異なるということはごく普通のことです。疾患名・障害名からいろいろ調べたところで、疑心暗鬼になるだけではなく、説明を見たことによる引き寄せ効果(=「この障害に特徴的な傾向」を読んだり、知って考えてしまったために、そういう特徴がなかったのに顕著に現れるようになる)が起きる逆効果の方が、自分の理解を深める効果よりは大きいと、私は思います。

人は変化するものです。前には(嫌いだった・不得手だった・知識技能も全く不足だった・落ち着いて対処出来なかった)ことでも、マアマアになったり、結構よく思えるほどになったりするものです。 特性を固定的で変わらないと思うのは、間違っている可能性が高いし、努力を堅実に積み重ねることを阻害する危険は大きいです。 ミスや失念、あるいは総合的検討の不足は、なれ・習熟の不足の結果、知的思考や熟慮経験の不足がもたらしたものであるケースが多いです。 英語の聞き取りが出来ないのは、耳や脳の機能そのものの問題ではなく、聞き取り経験量が少ないことが最大の問題です。 職場や仕事で、 ミスや失念、指示の聞き間違い、報連相の不適切、手順の誤りも、初心者、未熟者とベテラン、熟練者の違いであることも多いです。 本人の特性そのものがもたらすものと考えるのは、得策ではないです。

~~ 自分探し について ~~ 終わりです。
自分探し、原因探し、特性調査は、止めた方が良いと、私は思います。
なにを今するのだ良いかを、もっと考え、その良いことをやる時間を増やすのが良いと、私は思います。
「『ASDと診断されたことによって良い結果が出たから、今回も何でもよいから何かしらの診断名が欲しい]と思っているわけではありません]のコメント  {tenbin1015さんの「気・意図・思い・願い」が見え隠れしているように感じている}の正面切ってのコメントになってません。 しかし、tenbin1015さんの状態について私が感じたことはそここに書けた気はしています。

時間がとれたら、HSPについて、次回コメントします。
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この回答へのお礼

素人に分かるよう工夫してご説明いただいたようで、お手数をおかけして申し訳ありません。誠にありがとうございます。


おっしゃるとおり、様々な理由から質問をしていることは自覚しています。
今回の質問で知りたかった点については、No.7のご説明で腑に落ちました。
HSPってぼんやりとしているけど、何なの? ASDとHSPの関係はどうなっているの?
という部分の疑問が解消されました。

光トポは治験だったため、ある程度は了承済みで受けました。
当時は抑鬱だけでなく、身体症状も大きかったため、どちらにしても働けるような状態にはありませんでした。(起き上がることすらできなかったため)

発達障害という診断についてのメリット・デメリットは理解しております。
何を狙って という部分に関してもまた、様々な理由からであると思います。
当時はまともに働けず死ぬしかないと本気で考えていたため、障害者雇用が目的でもあったでしょうし、発達障害かどうか知りたい、改善方法が知りたい、同じ症状を持つ人とつながりたい等々、一つの理由ではなかったと思います。


発達障害といえばミスや失念と考える方が多いようですが、感覚過敏の問題が非常に大きい人も存在します。
私の場合は、コミュニケーションやミスの問題ではなく、雑音・騒音から頭痛・吐き気を起こすこと、触覚・味覚過敏とアレルギーから特定の物が触れない、特定の物しか食べられないこと、極度の方向音痴と自分の運転する車にも酔うことから車を使用する業務ができないこと(田舎なので)、集団で食事ができないこと(幼児期から)、毎日大勢の人と接すると立ち上がれないほどの疲労感が出ること、緊張や不安(?)から時々声が出なくなること等が就労を難しくさせていました。
現在はそれが必要ない仕事をしているため、問題が出ていません。

受動型とわざわざ書いているのは
発達障害関係者以外ではASDは積極奇異または孤立の症状有りき、その特徴がない者は自動的にASDではないと考えている方が多いためです。
この型と言われているものを変化する・させることは難しくも珍しくもないと思っています。

字数制限のため補足へ続きます。

お礼日時:2018/07/29 08:58

参考になるのかどうかはわかりませんが、補足コメントをします。

 テーマがいくつかあるし、うまくコメント出来るかも疑問をもっているので、少し長いコメントになるかもしれません。 1回のコメントでなく、数回に分けるかもしれません。
~~~~   ~~~~~   ~~~~   ~~~~~   ~~~~   ~~~~~   
** 心理学と精神医療について **
多くの場合、心理学は観察者が経験した事例から見いだした傾向についての説明や理屈です。物理化学のようなのとはやや違います。生理学だと物理化学と似ていますが、精神医療だと患者などに対する効果影響を重視したスタンスで説明を決める傾向もあります。
アドラー心理学とか、アーロンや長沼睦雄が述べているHSPなどは、書籍を読んだ人・説明を受けた人がどう感じどうスタンスをとりどう考えどう行動するだろうかを重視したものです。 事実関係を出来るだけ追求して諸関係を客観的に明らかにしようとするものとは別です。
責めるような気分を引き起こすことを避ける、つらさを柔らげることを狙いにしていたりすると、[あなたのせいじゃない・育て方の問題ではない・豊かな感性がある・豊かな人間性から起きることだ・そういう人は他にもたくさんいる]というような語り口を重視してしまいます。その説明が事実に近いかについてはさほど留意してないし、検証してみる気もないのが普通です。
そうした一種の《寄り添い》で気が楽になり、前向きになるひとも多いから、有効な方法とされ、そうした語りを自分の手法に取り入れる実践家は多いです。 もちろん、心理学と精神医療にも、そうした《とりあえず効果的》ということよりも、《本当にそうなのか疑問を持ち調べ続ける》ことを重視する方向のものもあり、そうしてことから実験や生理学、生化学、その他諸々の科学的統計的検討をして証拠も重視する立場もあります。 HSPの主張をする人も、電磁気的な調査や比較調査をしたりするのですが、通常科学的に妥当なエビデンスといえるようなことはしないし、する気もないことが多いようです(ちゃんと確認はしてません)。 生まれつきの素質、遺伝的なものとかに関しては、「あなたのせいじゃない・育て方の問題ではない」というための前置きとして述べているだけで、主張の根拠はないようです。
ただ、「あなたのせいじゃない・育て方の問題ではない・生得の性質」という説明は、前向きへの転換をいつももたらすとは限りません。環境要因改善の視点法規、自己努力の放棄、開き直りをもたらす面があることも忘れてはならないと思います。

** 意図的な診断と手帳取得について **
NO.2の回答中の「なんとなくですが、若干意図的な診断と手帳取得のような気がします。」について補足します。
この一文は、「20代で新卒で入社した会社を退職し、成人の発達障害を診断できる医師に受動型ASD(当時は広汎性発達障害・受動型)と診断を受け、手帳も取得した」という記述部に対する解釈として書いたものです。新卒採用で入社した会社を20代で自主退職したという記述を一文章の前段に置き、続いて、成人の発達障害を診断できる医師を訪れて診断を受け、手帳も取得したと直接に後段につなげているということが、記述者の意識を表現している可能性を示していると考えました。
退社に至る事情が書かれているのではなく、退社後に自主的に「成人の発達障害を診断できる医師」と探し診断を受けたということ、引き続き手帳の申請をしたというのは、退職に関わる自由を後付けで公的?に根拠あるものであって、自分の怠慢あるいは根性不足などのものではないとしようとした意図があったのではないか、そのように考えたので、「なんとなくですが、若干意図的な診断と手帳取得のような気がします。」と書きました。

補足日時:2018/07/22 17:51の中で、「意図的に診断を受け、手帳取得することなど可能なのでしょうか。」との質問のようなことが書かれていたので、この質問は、NO.2の回答内容とは無関係の質問だと思ってしまいました。精神科の診断は生化学検査、生理検査、画像診断などとは関係なく、本人からの陳述を基になされますから、ある診断結果になるように目標を定めて受診することも可能です。精神障害手帳の取得を目標にして画策することも可能です。このようなことは精神障害だけでなく、障害一般でもおきますし、逆に自分の能力や実績を飾り、失敗や凡庸なことは伏せてさもすごそうにして表彰されるように頑張る人もいます。意図的な好調や不調を訴えて期待の結果を得たい人は少なくないです。その成功率はそれほどではないないと思いますが、結構な人数が成功します。

NO.5の回答に対するお礼日時(2018/07/25 08:29)の中の「本当は私にASDの傾向はない(理解する必要がないほど薄い)が、ASD診断を得たいがために医師・心理士にそれらしい情報のみを渡し、ASDと診断するよう誘導したことを指しているのでしょうか。(可能性ゼロではありませんが)  厳しい検査を受けている、診断名は診断されるまで知らなかった、実際に検査結果・診断名から改善に関する情報へつながった、現在も特性ありと言われている等の事実がある上で、それでも意図的な診断・手帳取得であったと思われるのかどうかが気になったため補足させていただきました。」に対しては以下の通り捕捉します。

tenbin1015さんは、「意図的な診断と手帳取得」を詐欺とか不正取得とかのための誘導という側面で考えていらっしゃるようですが、そのようなことを私は思っていたのではないのです。
tenbin1015さんが自分の退職に関連して成人の発達障害を診断できる医師を探した行為、並びに手帳取得の行為が、意図的な感じがすると私はいっているのです。 腹痛で内科受診する、パニックを起こしたので精神科を受診する、めまいがしたので眼科と耳鼻科と脳外を受診するというなら、意図的な感じがすると言いません。ミスが度を越えて頻繁に起こってしまい、じっと長時間仕事をするのがつらくて、緊張がひどくてなどの現実のトラブルがあって精神科や診療内科を受診したという説明ではなく、過去の退職の事実を前段で書いて、後段が成人の発達障害を診断できる医師と手帳の話になっていて、その手帳も所持しているだけのようです。なんでそうした受診をし、手帳を申請したのか、そこにtenbin1015さんの「気・意図・思い・願い」が見え隠れしているように感じているのです。

NO.5の回答に対するお礼日時(2018/07/25 08:29)の中の「『ASDと診断されたことによって良い結果が出たから、今回も何でもよいから何かしらの診断名が欲しい]と思っているわけではありません。]に対しては、改めて、別のコメントをします。(今日は時間がないのでしません) {tenbin1015さんの「気・意図・思い・願い」が見え隠れしているように感じている}についても、補足コメントするつもりです。
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この回答へのお礼

・心理学と精神医療について
非常に分かりやすく、一番もやもやとしていた疑問を解決していただきありがとうございます。
HSPとは捉え方の一つなのですね。
私が最初に余計な情報を混ぜてしまったため、質問の焦点がぼやけていますが、
一番の疑問はこちらのご説明で理解できました。

>忘れてはならないと
私も常々そのように思っております。

・「意図的な診断と手帳取得」について
私の書き方からすると、
退職の理由を正当化するためだけに診断・手帳取得を望んだように読み取れるということでしょうか。

実際は身体と精神に異常を来したため、総合病院の内科→心療内科と受診し、(光トポで抑鬱症状あり)自律神経失調症とされ、投薬治療を開始したものの改善せず、別の精神科に行っても同様で、休業補償等もなく辞めるか死ぬかの選択でした。

その後、休養しながら派遣、バイト、職業訓練校等の生活を5年していた中で、
アスペルガーという言葉を耳にしても、自分がそうだとは思ってもみなかったのですが、
バイト先の人に「発達障害?」と言われたことで、発達障害に興味を持ちました。
アスペルガーやADHDの簡易チェックを試してもあまり当てはまらないと感じながら、
映像で当事者を見ると同じだと強く感じました。

インターネットで発達障害者支援センターの存在を知り、連絡→相談→検査→診断とつながりました。
検査を希望したのは「発達障害と診断してほしい」ではなく「客観的な事実が知りたい、状況を改善したい」という気持ちでした。


手帳を取得しても使用していないのは、
使ってみたら私個人にとっては使えないサービスだったためです。
障害者雇用にトライはしましたが、当時は今以上に発達障害への理解はなく、デメリットしかなかったため半年で辞めました。
映画館等の割引は、車酔いが酷く、人混みも苦手で、お金もないため役立てられず、
障害者控除は当時、母の扶養に入っていたため使えませんでした。

おっしゃったような
後付けで、退職が自分の怠慢あるいは根性不足などのものではないとしようとした意図も、確かにこの文を書いたとき、つまり現在はあると思います。
ただ、それがメインではないかなと。
そもそも私の質問の仕方が悪いのですが。

一つ一つの質問に非常に丁寧にお答えいただき、驚き、感動しました。
本当にありがとうございます。

お礼日時:2018/07/28 10:03

個人のパーソナリティの形成、変化は、社会的な環境要因を考慮したうえでされなければ適切ではないので、節や型では個人の全体像が把握しない方が自分により接近出来るでしょう。





HSPは気質で、障害ではないです。
どっちであっても「感じる」という手段ですが、自分の領域内では違う。

判別する意味が自分にあるのならば、文字に頼らず、生身を使う方が自分の方向性とか、予測していなかった領域が多様化するんですよ。


言葉の意味づけは体験や環境に寄って獲得されたなら、変化の可能性が高い。
環境が変化すれば、自分の世界も意識も変化していく。

ASDは脳の機能の障害ですので、人生経験や年齢で変化しづらい。
生活習慣で変化するかしないかは個別に体験してみる方法があるでしょう。

面白がっている程度だとしたら、過剰すぎていると思います、私はね。
センス?としたら、どうなのかなあと思いますよ。
まあ、通常は、ここまで言わないです、あえてです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

発達障害なりHSPなりの特性がその人を形成する要因の全てであるとは当然思っていません。

言葉での説明には確かに限界がありますね。
ASDの特徴についても、様々な所で様々な人の言葉で説明されていますが、やはり言葉では説明しきれないと思います。
私は質問欄に自分の特性を安易に言葉で書いていますが、それで分かるわけがないでしょうから、何の意味もない、むしろ邪魔でしたね。


そもそもHSPについての調査が少なく、発達障害についてもあまり解明されていないので何とも言えないのでしょうが、
ASDとHSPの違いであるとされている点(挙げられた点はウェブサイト等に出ています)が全く証明されていないことなので、何だか適当だなと感じてしまうのです。

データで証明できること(遺伝子等)はあるので、その辺りではどうなのかなと。
脳波や栄養についても、原因なのか結果として表れているのかは分かりませんが、ASDに関連したデータはあるようなので、異常な感覚過敏や同一性への固執が共通して見られる理由が何か分かれば面白いと思います。
ASD診断グループとHSP診断グループと定型グループを比較して何か研究がされていないのかなと興味があります。



私の読解力の問題か、「センスとしたらどうなのか」の意味が取れないのですが、
本当に感覚過敏があるのかと言われれば、乳児期から異常に過敏であることは事実です。
芸術的な才能があるようには思えないと言われれば、私も全くないと思います。
本当に感情を読み過ぎるのかと言われれば、対面であれば大抵の人の感情を読みます(たまに全く読めない人がいる)。
表情だけでなく、顔を見なくても分かることがあり、
教師にも「マジか」と驚かれていました(他の科の教員にまで変に注目され、何か特殊能力があるように扱われた)。
この特性は文字のやりとりでは全く出ません。

この件に対してそれほど執着していないというのは、私の基準ではという意味で、他の方の基準では執着していることになるのかもしれません。
私が執着するときは本当に寝食を忘れるというか、一度時計を見た後、数秒後に見上げたつもりで12時間たっているような人間なので、執着の基準がおかしいのだと思います。

いろいろとご丁寧にご指摘いただきありがとうございました。

お礼日時:2018/07/27 08:58

> 意図的に診断を受け、手帳取得することなど可能なのでしょうか。



可能です。ですが、100%成功するということではなくて、成功することもあるという意味で、可能です。

> 現在、(仕事や生活に支障が出ていない)のは、診断名・特性理解と工夫・環境調整があってこそ可能になりました。

【自分の特性理解と工夫・環境調整】は、多くの場合良好に状況を維持するのに役立ちます。
診断名を手がかりにすることも可能です。それは特定理解を進めるために役立てることができる(可能性がある)ということだと思います。

> 診断名を否定的に捉えていることを前提にしているように思われるので、少し違和感があります。

診断名を否定的に質問者さんがとらえているという推定はしていません。 診断名を手がかりにした場合、それは本人の特定理解を進めることに役立つ可能性もありますが、見当違いの誤認あるいは錯誤評価をしてしまう危険もあります。 診断名や症例を調べて特性を理解しようとした場合には、そうした(実態から離れて虚像を描いてしまう危険)は不可避です。 そういう危険があれば、特性理解と工夫・環境調整も誤った方向に進んでしまう危険があります。

もしも、事実として、センサーの機能、思考の深さが人並み以上のものを発揮できるようであれば、ネットや書籍、ましてこうした質問サイトを利用するのではなくて、ネガティブにもポジティブにも偏らないストレートな自分の理解と考察から、自分の特性理解と工夫・環境調整を進めるのが良いと私は思います。

> 非常に特性がマイルドで分かりづらいタイプのASDとHSPの関係

そのような(ほとんど把握できない・明確にできない・わかりづらい状態のASD特性)と(ほとんど把握できない・明確にできない・わかりづらい状態のHPS特性)の関係を調べ、その関係を特定あるいは記述するというのは、まず無理だろうとは想像しませんか。

> 統一見解、最高の正解はないことは理解しております。

「ちょっと肥満気味と少しゆとりのある生活の関係」を学術的に調べようとする人はあまりいないだろうと思います。

> 大多数の人が読み取らないことまで読み取ってしまう、不要な情報まで受け取ってしまうため疲弊するという意味です。(もちろん時と場合によりますが、その頻度が多いということです。通知表・評価等にもそのような記載があります)

認知情報が過多でご自身の処理能力を超え、結果として、処理能力まで落ちてしまうということですね。 搭載メモリーと搭載CPU、冷却能力を超えて、多数の処理をさせようとして、オーバートして動かなくなるパソコンのようだということでしょうか。 私は、目の前に多量の情報があって網膜上に結像していても必要な部分プラスマイナス程度の認知しかしません。大量の音が鼓膜を揺らしても必要な部分プラスマイナス程度の認知しかしません。 他人が読み取る感じ取る情報との比較は関係がないです。 靴やサンダルがちょっと擦れる痛いという場合でも、それをいつも感じ続けることはないです。買い物をしている、居眠りしてしまうとき、人と会話しているときはだいたい痛みを感知することはないです。 不要な情報まで受け取って強く感知し続けるというようなことが、いつもいつも本当に起きているのですか。 たまに、あるいは時々経験する過労的疲弊を過大に評価しているということはないですか。 けっこうの時間は問題なく働いていた事実をしっかりと感知し深く考えるのをサボってはいないですか。

>> 恋愛感情が大きくならないうちに抑えたり相手が別の人に惹かれていたり
> いいえ。同性に対しては異性愛者の同性に対する好意と同様に、異性に対しては同性愛者の異性に対する好意と同様に恋愛感情をどちらの性に対しても持ちません。それを治療・改善しようとは思いませんし、そうすべきものとも思いません。

私の書き方が悪かったようです。「a:恋愛感情が大きくならないうちに抑えたり、b:相手が別の人に惹かれていたり」は、(他人の仕草、表情、間、話し方を気にして疲れることを少なくできる)という無意識の選択⇒深い人間関係・濃密な人間関係の形成につながることを避ける⇒「a:恋愛感情が大きくならないうちに抑えたり」した結果⇒【恋愛感情はない】、質問者さんの付近の異性が「b:別の人に惹かれていたり」した結果、質問者さんにアプローチすることもなく⇒【恋愛感情はない】ということを書こうとしたのです。 恋愛感情を経験できるように治療や改善をした方が良いと勧めているつもりはないです。

> 手続き上は精神障害者に入れられますが。ASDは精神疾患ではありません。

DSMは、日本語では、精神障害の診断と統計マニュアルと言っています。ASDが精神疾患ではないというのは、「疾患(disease)=特定の原因、病態、症状、経過予後などが明確に結びついている場合」、「障害(disorder) =ある特定の生体機能の乱れや個人的苦痛があるが、その病態がはっきりと特定されていない場合」ということでしょうか。なおDSMの日本語版ではmental disorderを精神疾患と訳しているので、疾患と障害とを明確に使い分ける必要などないと思います。病態がそれなりに記述できるからDSMのようなマニュアルも作られ、統計区分に使われているのです。

> ASDの困り感は治るが特性は治るものではないとされているため、一度でも診断を受けた人は職場で開示を求められることがあります。

「一度でも診断を受けた人は職場で開示を求められることがあります」 あるか、ないかに関しては、そういうこともあるかもしれないとは思いますが、開示義務はないです。 生命保険加入だと事情は少し違いますが、それについては、下記をご覧ください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …

> (個人的特徴の)背後にHSPまたはASDの特性があれば、それは自覚しておきたいのです。

希望が強い、欲求が止まらないというのなら仕方がないですが、一般的にHSPまたはASDでみられることのある特徴情報を利用して、自分の背景理解に使おうとするのは害の方が大きいだろうと私は思います。 ネガティブにもポジティブにも偏らないストレートな自分の理解と考察から、自分の特性理解と工夫・環境調整を進めるのが良いと私は思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご丁寧にご回答いただきありがとうございます。


私は心理学に関して全くの素人であり、心理学分野の素地があることを前提にお話しされると理解しづらく大変申し訳ないのですが、
「意図的な診断・手帳取得」とは、
本当は私にASDの傾向はない(理解する必要がないほど薄い)が、ASD診断を得たいがために医師・心理士にそれらしい情報のみを渡し、ASDと診断するよう誘導したことを指しているのでしょうか。
(可能性ゼロではありませんが)

厳しい検査を受けている、診断名は診断されるまで知らなかった、実際に検査結果・診断名から改善に関する情報へつながった、現在も特性ありと言われている等の事実がある上で、
それでも意図的な診断・手帳取得であったと思われるのかどうかが気になったため補足させていただきました。             
「ASDと診断されたことによって良い結果が出たから、今回も何でもよいから何かしらの診断名が欲しい」と思っているわけではありません。

感覚過敏や変化への適応の遅さがあるからといって思考が深いとは限らず、
私自身、自分の思考は非常に浅いと思っております。
おっしゃるように認知情報が過多で処理能力を超えるのではないかと思います(確認はできていませんが)


>自分の背景理解に使おう
という目的というよりは、「ASD特性がある」「いや、それは間違いでHSP気質である」という言葉を受けて、「それってどう違うの?」と思っただけなのです。


字数制限があるため、補足から続きを書かせていただきます、

お礼日時:2018/07/25 08:29

以前も同じ質問をしていましたが、回答は違いますが、質問者さんの方の捉え方というのでしょうか、今回も前回と同じ返事だった点が特に気になり、その点だけ回答させて頂きます。




質問者さんが知りたいことは、おそらく、専門機関の現場で、対面しながら話し合いの場やり取りで進めていくべき内容です。

何故なら、質問者さんが抱えている疑問や色々な思いや感覚を言言葉化するのは、通常でもなかなか適切に伝え難いので、人はいつも適切な言葉を容易に出来る訳でも、受け取れる訳でも無いことは、通常考えの範疇にあるので、場を読む事を自然と分けて生活しています。


他者の言葉から、自分との擦り合わせをする際に、言葉の意味の範疇がとても狭い印象です。

前回も同じでしたが、他者の表現に対して、自分の意味づけ以外、許容出来ない狭さが、質問者さんの特徴を指しているのだと思います。

細部を提示していますが、情報提供すれば分かりやすいと思うのかもしれないですが、逆に見失っている部分を示しております。
でも本人には分からない。

現実を生きている人間ですから、人対人のときに、障害の具体が表面化して出てくるものです。

固執していないと思っているようですが、追求しすぎ。
客観的に自分を感じる、考える視点が失われている。
自由度が少ないという印象です。

また、自分を追い込んでしまっているが気づかない。
これでは、自分が思うような情報、人、場が見つからないという思いになるのではないかと想像しているのですが、考え過ぎて、己の実態の現実とは離れていることまで、知りたがっているようです。


自分が一心に向かっている、それを知ったところで、何になるのかという引いた視点や、多様性が少ないのが気になります。

言葉は、言葉にすることで、不完全になることも多いですね。

現実とは、伝わらない、そんなもの、そのぐらいの処であり、それ以上を求めてさまよっても、人間対人間です。

医師や心理士の言葉の受け止めたかについても疑問に思ってしまいました。
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この回答へのお礼

「以前の質問」、「前回」がいつのどの質問を指しており、どのようなご回答のことを言われているのか分かりませんが、
質問していることとご回答にずれがある場合(質問の仕方が悪いのでしょう)はその旨を伝えます。
また、認識されているASDの範囲が非常に狭く、自分が知っている自閉症者以外はASDと認めないというような意見に対しては、「ASDはスペクトラムであり、極軽度な者やグレーゾーンは存在し、それを原因とする困り感を持つ者も存在する」という事実をお伝えした上で、個人的な意見を付け加えることもあります。
それに対して、このような理由でそれは間違っているとご指摘いただくことは、むしろ歓迎いたします。


医師や心理士の診断に不満があるわけではなく、
ASDとHSPが判断しづらいように言われるのはなぜなのか、
統合失調症と一部の特徴を持つASDが判断しづらい、誤診されやすいことに理由があるように
ASDとHSPが見分けづらいと言われる理由は何で、何が違うのかという部分に興味を持っています。

それを知ることで何かをどうかしたいというよりは、単なる好奇心かなと思います。
どうしても知りたければセカンドオピニオンを受けるなり、自分で徹底的に調べるなりしていたと思いますが、そこまでの熱意も暇もなく、このような質問サイトで質問する程度です。
数日前から急に忙しくなったため興味が薄れつつありますが、実際に診断を受けて少しも気にしない人間のほうが少ないのではないかと思います

>細部を提示していますが、情報提供すれば分かりやすいと思うのかもしれないですが、逆に見失っている部分を示しております。
おっしゃるとおりだと思います。
不要な情報を書き過ぎて何が聞きたいのがを適切に伝えられていない気はします。
ご指摘いただきどうもありがとうございました。

お礼日時:2018/07/25 06:46

DSMに、Ⅲ、Ⅳ、5があり、認定の方法論も基準も区分も違うのはご存じですね。

ICDとも違うのもご存じでしょう。 医師や臨床心理士も個々人でみれば、結構違う判断を、同じ人物について行いがちなのは、質問文の中でも記されていますよね。
そうであれば、統一見解とか、これが最高の正解というのはないのは、おわかりではないでしょうか。
医師や臨床心理士にも様々な人がいますから、なにをどう判断するのかを決めつけ、その判断範囲の境界に関しても、決めつけることはできないと思うのですが、「仕事等に問題がない」「症状は社会や職業その他の重要な機能に重大な障害を引き起こしているのではない」なら、疾患名のような名付けはしないのが妥当でしょう。
人でも、背の高さ、体型などサマザマです。それを発達障害とは言いません。 また知的処理能力や記憶能力、運動機能、視力聴力嗅覚味覚温冷感にしても、サマザマです。 料理人に向かないからといっても、ドライバーやプログラマー、デザイナーに向かない、接客業に向かない、討論は苦手ということでも、発話がきれいで聞き取りやすいのでもなくても、通常なら社会生活で大きな支障がなければ、発達障害でもないです。
発達障害にはいれないのであれば、ASDではないです。 ASDの対人交流のスタイル分けで、孤立型/受動型/積極奇異型などと分けているのであって、ASDでなければ、受動型ASDではあり得ないです。
「自分からは対人関係を開始しないが、人が自分に関わってきたときには応じる」という傾向を持っているから受動型ASDというのは、無口だから自閉症だというようなもので、言葉や診断名の使い方を誤っています。

非言語的コミュニケーションを、顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方などによって行っているコミュニケーションとか、身振り、姿勢、表情、視線に加え、服装や髪型、呼吸、声のトーンや声質、発声のタイミングなども相手側のコミュニケーション表現として感じすることとかに、解釈するならば、そうした非言語的コミュニケーションをどの程度活用するかとか、どの程度感じ取れるかとかも、個人によっても、そのときの相手によっても、その場面でも大きく違います。 同じようなものだと思いこんでいるならお濃い違いです。 スペクトラムというか、連続していてはっきり区分することができないものであるのは、経験上からも明らかでしょう。 非言語的コミュニケーションを感じ取る能力そのものも違いがあるし、そうして感じたものに自分が心理的感情的にどう影響されるのかされないのかも、単純にグループA、グループB、グループCのような弁別はできない、連続的なものです。また、非言語的コミュニケーションから感じたものに強く影響される場合でも、それをネガティブとポジティブの両方向に強く影響される人、もっぱらネガティブに強くドライブされる人、もっぱらポジティブに強くドライブされる人、心理的感情的に強くは影響を受けるがその影響は興奮期の時間だけでしかもポジティブとかネガティブという自分の爾後の方向性とは関係のない人もいます。 当人の行動抑制システムを爾後の方向性で回避の方向にしてしまうのはしばしば社会生活上奇異と見える生活を選考させることになるので「やばいな」と思われます。 逆に当人の行動抑制システムが自尊にドライブされて、よく言えば「独立独歩・我が道を進む」方向にしてしまうこともあるのでしょう。 そのような自尊にドライブされる傾向が社会生活上でプラス効果があるかマイナス効果を生じるかは単純にはいえません。 高感度という言葉で示しただけではなにも導き出せません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・0-100思考 ・過集中 ・方向音痴  ・強く共感する
・臆病、人見知り、神経質  ・他人の仕草、表情、間、話し方から感情を読み取り過ぎる
・社交の場で疲弊してしまう  ・非常に受動的で主体性に欠ける
・幼少期から迷惑行為問題行動はなく常に存在感のない地味な生徒であった
・5歳~母子家庭   ・幼少期に1年、15歳で1年場面緘黙
・16~18歳まで神経性無食欲症 ・20~21歳、24~26歳まで自律神経失調症
・人に興味はあるが恋愛感情はない
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こうした特徴や経歴を、{1つ2つ、あるいは3つ4つの(個人的特徴)が原因で起きたもの}と理解するのは、知的には無茶な決めつけだと、私は思います。

《0-100思考》の傾向を強く持っていると、強引に部類判定し、関係を完全に結びつけたくなるのかもしれませんが、、、、
ご自身では、「他人の仕草、表情、間、話し方から感情を読み取り過ぎる」の「過ぎる」を記述するとき、「過誤・誤認」を意識していたのでしょうか。 『自分が「他人の仕草、表情、間、話し方から感情を読もうとし過ぎる」、陰影などから幽霊を認定しようとし過ぎる、ないものを(あるのではないかと)恐れ過ぎて自分の不安を高め、一層不安になり、そうした読み取りをしなくて済むように(自分が周囲から見えない存在になれば、他人は自分に対しては言語コミュニケーションも、非言語コミュニケーションもとっては来なくなるだろうし、自分も、他人の仕草、表情、間、話し方を気にして疲れることを少なくできる)という無意識の選択をしていたのかもしれない。自分の存在感を消すのが楽。目立つことはしない。他人と親しくならない。社交の場は避ける。緘黙と言われても構わない。他人に自分からが行動したり発言したりはしないようにしていたのは、不安が増えないための自己防衛のための、無意識の選択では?』とは、「他人の仕草、表情、間、話し方から感情を読み取り過ぎる」の「過ぎる」を記述するとき、思いませんでしたか。
《0-100思考》の傾向を強く持っていると、強引に部類判定し、関係を完全に結びつけたくなるような気がします。

でも、そんなに単純なことはないと私は思います。 その時々、その場で起きたり、想定していたことの関係で、たまたま緘黙状態がおきたり、恋愛感情が大きくならないうちに抑えたり相手が別の人に惹かれていたり、身体あるいは学業面、経済面、人間関係の他人からすれば小さな問題などの諸事情がたまたま絡んで神経症的症状を呈したりしただけだと思います。
なお、「自律神経失調症」というのはなにかを調べたことはありますか。 自律神経失調症という状態のとき自律神経が実際にどういう状態になっているという確認をみたことがありますか。

>  現在は二次障害なし、クローズで問題なく働いている

[そもそも 何かの何かの精神疾患ではない]のではないですか。

> 20代で新卒で入社した会社を退職し、成人の発達障害を診断できる医師に受動型ASD(当時は広汎性発達障害・受動型)と診断を受け、手帳も取得した

現在ASDでもないのに、オープン就労とは関係がないように思います。
手帳を取得したのであればそういう精神障害が起きていたということはいえるかもしれませんが、なんとなくですが、若干意図的な診断と手帳取得のような気がします。現在31歳で手帳の更新もされていないのは、現状、手帳を受けるほどの状態ではないからでしょう。 おそらく、いろいろの医師を訪問しても、ASDの認定にはならないのだろうと思います。 

ウェブサイト・書籍で、【多くの情報の全てを受け取り、それを処理しきれず疲弊してしまうASD】【多くの情報の中から適切に選択できるが過剰に受け取り疲弊してしまうHSP】という説を見つけたにしても、それを根拠に、自分はASDだ、HSPだ、ASDでかつHPSだと思うのは、単純にいって誤認です。

自分の現状や過去について、ウェブサイト・書籍を探し回り、自分を位置づける理由、自分の経験や苦しみつらさの原因を求めるのを止めることが大事だと思います。
どうしてもそういった類いの本を探して読みたいのならば、アドラー心理学というような副題がある本を読むのも方法です。

辛い、苦しい、情けない、無気力になりがちなどの状態をなんとかしたいのならば、高度な共感性、深い感受性、強い集中力、不惑なほどの同一性追求を活かして、専門性が必要な技能の向上や狭い範囲でなく関連する分野も含めた知識の習得に邁進したらいいと思います。幸い、周囲の人間に配慮して社交的活動に時間を割かざるをえないということはなくて済んでいるようですので、自分なりの目標を立てて頑張ったらいいのではないかと思います。
31歳女であっても、目標を持ち、知的に力があり、集中力があって、文書や技術、テクニック、体系の学習の中で、表面にあることだけでなく、そのバックまで感受し深く思考できるなら、きっと道は開けます。
どうでもまったくいいような、精神疾患などの判定基準などは気にしないのがいいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

統一見解、最高の正解はないことは理解しております。
異常にこの件に固執してどちらかはっきりさせたいとこだわっているのではなく、
ASDとHSPの関係について普通に興味を持ち、それについての情報が知りたいなと思っているだけです。
また、仕事等に問題なければ診断名から外れることはもちろん理解しておりますし、診断名を欲しがっているわけではありません。


>ご自身では、「他人の仕草、表情、間、話し方から感情を読み取り過ぎる」の「過ぎる」を記述するとき、「過誤・誤認」を意識していたのでしょうか。
いいえ。大多数の人が読み取らないことまで読み取ってしまう、不要な情報まで受け取ってしまうため疲弊するという意味です。
(もちろん時と場合によりますが、その頻度が多いということです。通知表・評価等にもそのような記載があります)

>恋愛感情が大きくならないうちに抑えたり相手が別の人に惹かれていたり
いいえ。同性に対しては異性愛者の同性に対する好意と同様に、異性に対しては同性愛者の異性に対する好意と同様に恋愛感情をどちらの性に対しても持ちません。
それを治療・改善しようとは思いませんし、そうすべきものとも思いません。

自律神経失調症が正式な診断名ではないことは理解しております。

>そもそも 何かの何かの精神疾患ではないのではないですか。
現在、二次障害はありません。つまり、精神疾患は持っておりません。
ASDの困り感は治るが特性は治るものではないとされているため、一度でも診断を受けた人は職場で開示を求められることがあります。そのためクローズでと記載いたしました。

>手帳を取得したのであればそういう精神障害が起きていた

手続き上は精神障害者に入れられますが。ASDは精神疾患ではありません。二次障害なしでも診断は下ります。(仕事に困っていなければ下りませんが)


>こうした特徴や経歴を、{1つ2つ、あるいは3つ4つの(個人的特徴)が原因で起きたもの}と理解するのは、知的には無茶な決めつけだと、私は思います。
私もそのように思っております。が、その背後にHSPまたはASDの特性があれば、それは自覚しておきたいのです。


辛い、苦しい、情けない、無気力になりがちなどの状態は特にありません。

非常に詳しくご説明いただき誠にありがとうございました。

お礼日時:2018/07/22 16:53

会ってみないとわからないけれど、ざっくり言うと判別方法が気になって何も手につかないようならASD、併存かなと思って納得できるならHSP。


診断おりないレベルなんですよね?
専門家でも判断が分かれるところだということしか、はっきりとは言えないのだと思います。
自分の中でまずはHSPだということにして、状況ごとに対処していけば少し生き辛さが改善されるのでは。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。


心理士はASDとHSPは全くの別もの(私はASDではない)と考えているようでしたが、医師はHSPもASDに含まれると考えているようで、
また、HSP関連の書籍では併存もあり得ると書いてあるので、どちらかなのか両方なのかと気になっていますが、
何も手に付かないということはありません(笑)。
根拠に基づいた違いや判別方法があるのなら知りたいなと思っています。

私自身としては幼少期から自分は知的障害なしの自閉症ではないかと考えていたため(当時は知的障害なしの発達障害はほとんど知られていなかった)、
ASD(の中にHSPも含む)もしくは併存かなと考えているのですが、
例えば同じ状況にある(HSPかASDか曖昧)人はどのように考えているのだろうかと聞いてみたいのですが、なかなか見つかりません。

世間ではASD=空気読めない、表情読めない、マルチタスク駄目、人に興味ない、共感しない
のように言われていますが、知的障害を伴わない軽度ASDで、女性、しかも受動型に限れば、これに当てはまらない人は少なくないように思います。

生きづらさの問題は今はそれほどなく、割と楽しんで生きているのですが、
結局HSPとASDの関係はどうなっているのか、興味を持って研究している人がいらっしゃれば、関連記事やペーパー等を読んでみたいなと思っています。



貴重なご意見を聞かせていただき誠にありがとうございました。

お礼日時:2018/07/22 12:20

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