プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

はじめまして。28歳の社会人です。
最近、小さい頃に比べて「感性が鈍ってきているなぁ」と感じています。
普段生きていても、「感動」とか「幸せ」とか、
そういったことがあまり感じられないんです…。

どうすれば「幸せ」って感じられるのでしょうか?
その「方法」というか「コツ」みたいなものってあるんでしょうか?

また、「宗教」って、そういうことを考える、もしくは教えてもらえる集団なのでしょうか…?

A 回答 (9件)

同い年の会社員です。


私の個人的な話ですけど聞いてください。

私も同じようなことを考えていました。
やりがいのない仕事、つまらない毎日、ただ過ぎていく時間の中で、「幸せ」ではありませんでした。

それどころか、身内の不幸が続き、病室で苦しみながら死んでいく家族を看取り、老人介護の苦しさなども味わい、めっちゃ「不幸」になってしまいました。
あるとき、このサイトにわざわざ別IDで、「人生を、世の中を呪うような心のすさんだ書き込み」をしました。
こんなこと考えてる私を、みんなは責めるだろう、さぞ非難囂々だろうと思いながら、ヤケッパチで迷いを書きました。
ところが、いただいた回答はほとんどが、心のこもった、暖かい励ましでした。
「不幸に負けないで」「頑張って」「気持ちわかります」等々。
読んでいて涙が止まらなくなりました。。。。
見ず知らずの方が自分に与えてくれる優しさに心から感動しちゃいました。。。
自分も、誰に対してでも「優しく」ありたい、と思うようになりました。

いま、状況はそれほど変わっていませんが、日常のささやかなことに幸せを感じるようになりました。
家族と食事をすること、愛犬に噛まれること(イタイけど幸せ)、天気のいい休日の散歩等。
こんなつまんないことで幸せ実感しちゃうなんて、私って幸せだなって思います。

幸せの青い鳥って、探しに旅にでても見つからなかったのに、おうちに居たんですよね。
きっとそういものなんでしょうね。

たとえば、質問者さまの質問に、たくさんの人が答えをくれて、心のどこかで質問者さまが「幸せ」をみつければいいな、って思ってくれてることも、とても幸せなことですよね。
自分は不幸だ~!人生も仕事も最悪だ!!って落ち込んだり泣いたりせずに生きていられるなら、それも幸せなことかもしれません。


http://homepage1.nifty.com/hiroshi127/100people- …
↑もし世界が100人の村だったら
もし読んでなければぜひ最後まで読んでみてください


http://www.din.or.jp/~honda/
↑ズバリ 幸せのホームページ

参考URL:http://homepage1.nifty.com/hiroshi127/100people- …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

心のこもったお返事、本当にありがとうございます。

私はあまり人と関わることが得意ではないのですが、
こうやって回答者の皆様の温かい励ましやアドバイスを頂いていると、
人との関わりの大切さ、有難さが、
これほどまでに大きなものだったのか…と、
今さらながら、思い知らされました。

自分以外の人々との「心のふれあい」がなかったこと…
それこそが、私が幸せを感じられない、
一番の原因だったのかも知れません。。

様々な回答を頂く中で、
今まで見えていなかったものが、たくさん見えてきました。
回答者の皆様、本当にありがとうございます。

お礼日時:2004/11/03 01:39

満足が出来るかどうかではないでしょうか。


自分の中で「良し」をたくさん見つけること。

えてして人はやなことはいつまでも覚えていて数えてしまいます。やなことに注目せず今の良いことを数えます。
朝目覚めて「良く寝た」「天気が良くて気持ちがいい」「時間に余裕がある」「朝ごはんきちんと食べられた」もうこれで「良い」ポイント4点です。なんでもない気にならないことが実は素晴らしいことなんですが誰も気にとめることなく当然のように過ごしてしまいますがそのなんでもない小さいことをいちいち注目して数えると「今日は何も困らなかった」ということになります。

何も困らないということは幸福と認識していいですよね。
「今日はどこも痛いところがない」っていうだけで胃痛や頭痛に苦しい時と違って実は自分には「良い」なんだけど
痛くない日は普通だと感じてる。

逆の発想で物事を捉えると不幸ではないはず。そんな小さいことに満足なんて出来るかと思うなら幸福感は持てないかもしれません。自分に見合った分の幸福しか持てないと思うから今の自分の身の丈なりの幸福しか抱えられないものなんじゃないかと思います。成長した分の幸福というか。

今日OKと思えることを書き連ねてみると以外に「悪いこと少ない」って思えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

今まで僕は、
「今以上の幸せをもたらしてくれる何か」
が見つかることを、望んでいたのかも知れません。

でも、幸せって、
「望んで得るもの」ではないのかも知れないですね。

いま、自分の周りにあるものの中にも、
いろんな幸せの種があって、
「その小さな幸せの種に気付くこと」こそが、
一番確実な「幸せの見つけ方」なのでしょうね。

お礼日時:2004/11/03 02:08

実は「感動」することなんて、日常にたくさん転がっていると思います。


それに気付くと、とても優しく幸せな気持ちでいられます。

それは色々なことに「感謝」することだと思います。

例えば、今日もこうしてご飯を食べられること、今日も仕事に行けること、友達と会えること、無事に一日を終えることが出来たこと・・・・・

とにかく何でも感謝しまくるのです。相手が居る場合は口に出して、日常のことは心の中で「ありがとう」とたくさん言うようにしてみてください。

そうすると、いろんな事に感動できる心になると思います。
私はこれを実践するようになってから、とても心が穏やかになりイライラすることがほとんど無くなりました。
さらに、「感動」することが多くなりました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御意見を伺って、
身の周りに、「こんなもの、あって当たり前」と思っていることが、
すごくたくさんある事に気付かされました。

生きていることも、ご飯が食べられることも、
住む場所、寝る場所があることも…。

これが「幸せボケ」というものなのでしょうか。

先日、
「幸せは、慣れていってしまうもの」とのお言葉を頂きましたが、
私は今、自分の幸せに慣れ切ってしまっているのでしょうね…。

身のまわりのものの「存在」を、もう一度見つめなおし、
「身のまわりのものが、今そこにあること」に対して、
もう一度、心の底から、感謝するようにしたいです。
(仕事上、「ありがとうございます」という言葉が、
 完全に『定型句』になってしまっていました(汗))

貴重なお言葉を頂き、本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/11/03 01:09

coffeefreakさん はじめまして。



私も仕事が忙しすぎて、
「感性が鈍ってきているなぁ」
と感じていた時期がありました。
自覚したとき、結構ショックでした…

そんなとき私は思い切って「旅」に出ました。
そのときの旅先は、周辺には何もなく自然しかない宿。
朝になれば近くの山の野鳥の泣き声で目が覚め、夜は周辺に電灯がないので真っ暗。
そんな中にいると、不思議と普段考えないこと、また見えなかったことがぼんやりと見えてくるのです。

自然の中で、何にも束縛されず、自分だけの時間。

それが、鈍った感性を回復させてくれたよう思います。
そしてそのぼんやりと見えた中に自分の「幸せ」とか「感動」のヒントとなる何かがあるように思います。

この方法はオススメです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

旅って、ほとんど経験がないのですが、
お話を伺って「行ってみたい」と思いました。

僕は、知らず知らずのうちに、
自分を「束縛」していたのかも知れませんね。
自分自身の心や、感性までも…。

それらを解き放つ機会になりそうな気がします。
貴重な御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/02 00:54

五体満足で働けて食べていけるだけで幸せです。


私も今の自分が幸せだと思っています
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね、
「感動」とか「幸せ」とかって、
「贅沢な悩み」なのかも知れません。

結局は、自分がどう感じるか…ですよね。

お礼日時:2004/11/02 00:27

つらいことばかりでも、たまには「生きてて良かった」と思うときもあるでしょう?


私に言わせればそんなに難しいものでも無いと思いますよ。
だから方法やコツなんてものは無いんじゃないのかな?

宗教って信仰だから、法でも認められているように何を信じようがその人の自由ですね。
だからその人だけの問題だと思います。
どんな宗教でも熱心な信者の方に聞けば、「幸せ」になるための論理を教えてもらえますよ。
彼らにとっては布教や宣教が一つの仕事ですから。

宗教の概念はそれぞれ違いますけど、自分がそれを受け入れることで、
結果的に「感動」や「幸せ」を手に入れることが出来るわけですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

宗教も、幸せを得るためのツールにはなり得る、
ということですね。
まずは、身の回りのいろんなものを「受け入れてみる」ことから始めて見ようと思います。
(今まではどちらかというと閉鎖的な生き方をしてきたので…)

お礼日時:2004/11/01 01:17

幸せというのは、慣れてしまうものだと思っています。


本当なら、乾いた暖かい服を着られるだけで、
好きなときに好きなものが食べられるだけで、
夜、十分に寝られるだけで、
暖かい日の光を浴びるだけで、十分幸せなはずなのに。

その状況に慣れてしまうと、幸せを、そうと感じなくなってしまうのだと思います。

ちょっと自分に艱難を与えてみるのも良いかもしれません。
たまに登山をしますが、山の上から景色を眺めていると、
この自然は私がそこにいるいないに関わらず、
誰に見てもらうためでもなく、
その景色を惜しげも無く披露していることに、なんとも言えない不思議な感覚になります。
昔の人は、そこに神を感じたのかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに、おっしゃられるとおり、
私は幸せに「慣れて」しまっているのかも知れません…。

矛盾するようですが、
「幸せを感じたかったら、まず辛さを味わえ」
ということなのかな…?

今後は、「楽なこと」ばかりするのではなく、
自分を鍛えるつもりで、辛いことにもぶつかっていきたいです。

お礼日時:2004/10/31 23:04

あらあら、そんな事で宗教に頼らないでね。


いいカモになっちゃいますよ。
ーーーー

さて、私も歳をとるにあたったて
20代の頃ってそんな風に感じてました。
10代の頃って毎日が新鮮で刺激的ですものね。
それに比べれば、日常を過ごす毎に感情の起伏が無くなっていくように感じたものです。

少しではありますが、人生の先輩として、あなたに教えられる事があるとするのならば・・・。

『望まなければ得られません。』

例えば、意識して空を見上げて夕焼けの美しさを感じる。
例えば、道端の子猫を撫でながら、小さな幸せを感じる。
自ら、道端の小さな花に心を向けなければ、そこに「美」は見つかりません。

人間って、五感からの情報のどれだけを認識してると思います?
ほとんどを「見てるのに、注意は向けてない。」のですよ。
つまり、あなたの周りには「感動」も「幸せ」もあるのだけど、
あなたは「見たつもり」になってるだけじゃないでしょうか?

感性は放っておけば鈍っていきます、これは当然。
感性を磨くには、アンテナを張って能動的にならなければいけません。

明日から、一日一回 意識的に空を眺めなさい。
今まで通り過ぎてきた、道端のなんでもない花を観察してみなさい。
そして、そこに自ら感動を見つけなさい。
ーーーー

宗教は確かに「一つの価値観」を与える事で、あなたに心の平安を与えるかも知れません。
しかし、所詮それは「与えられたもの」でしかないのです。
本当の意味の「信仰」は、やっぱり自ら心の内に見つけるものなのですよ。

だから、あなたのような他力本願な考えで「宗教」に入ったところで・・、
真の「幸せ」は何も得られないでしょう きっとね。
(怪しい新興宗教ならば、マインドコントロールですべてを忘れさせてくれる可能性はありますが。)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

以前、会社の上司に、
お前は物事のうわべしか見ていない、
というような事を言われたことがあります。

「ただ見るだけ」ではなく、
そこで「何かを見つけよう」という姿勢が、必要なのですね。

感動や幸せは、決して「簡単に手に入るもの」ではなく、
自ら「見つける」ものなんですね。

貴重な御意見、ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/31 22:51

はじめましてこんばんは。



私はおいしいものを食べた時にしあわせになります。
あとは、
給料日だからちょっと今日のご飯は豪勢なものにしようとか、
感動ものの実話を読んだりだとか、
試験やプレゼンが終わった後のすがすがしさとか。

しあわせとは違うかもしれませんが
毎日必死で生きているといいかも知れません。
私は以前なんとなく生きていて
本当になんとなく、流れにまかせて生きていました。
しあわせってなんだろう、
私にはしあわせなんて来ないだろうか、
平凡であることがいいと言うけど
しあわせってそんなものなのかと思ってました。

宗教はある種そういうものを教えてもらえます。
生き甲斐あれば人は幸せになれるものですし
宗教は生き甲斐を与えてくれる場合もあります。
だけどそれは私個人の見解ですが
本当のしあわせではないと思います。
しあわせとは自分で見つけるものです。
与えられたらそれは「楽」ですが
自分で幸せを見つけ噛みしめた方が
何倍も気持ちのいいものだと思います。

なんでもいいです。
必死になれるようなものを見つけてみては如何でしょう。
恋愛でも趣味でもいいです。
図書館に籠もって無駄に知識を増やすとか
映画を何本も借りてみるとか
何かをつくりあげるとか、
お祭りに参加したりとか、
身近な方法はいくらでもあると思います。

人から見たら馬鹿みたいなことでも
こつこつ続けていたらすごいものになります。

宗教に入りたいのならそれでもいいと思います。
ただあまりお薦めは出来ません。
あまりに楽な道だからです。麻酔のようなものだと思います。

以上が私の考えです。
乱文ですいません。

あと私が感動したFLASHのサイトをご参考までに。
息抜きに見るといいと思います。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/4905/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>毎日必死で生きているといいかも知れません。

お返事を拝見して、はっ、としました。
最近、自分が「必死で生きていない」ことに気付きました。

「何かに一生懸命になる」こと、以前は確かにあった気がします。でも今はそれがない…。それに気付いていませんでした。

貴重な御意見、ありがとうございました。
これから頑張って見ます。

お礼日時:2004/10/31 22:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!