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① 「私には夢がある」と「私は、夢がある」
どう違いますか?イメージとか、使用する場合

② 「○○がある所」と「○○のある所」
これも、どう違いますか?
「のある」をよく読むが、なぜか「がある」じゃないかわかりません。

日本語を勉強しています。詳しく説明して下さい。
ありがとうございます

A 回答 (7件)


a.「私には夢がある」
「は」は主題提示という用法の係助詞。
「に」は場所を表す格助詞。
直訳するなら、「私という場所に関して話せば、(私という場所には)夢がある」という構図です。
「私」を個人ではなく「夢の存在する(単なる)場所」に変質させている。
結果的に焦点が「私」から「夢」に移動するため、「夢がある」は「夢というものがある」のように強調された(または大げさな)ニュアンスになります。

b.「私は、夢がある」
「私に関して話せば、(私は)夢がある」という構図。
『私は夢を持っている』という事実を淡々と述べる場合に適した表現。


a.「思い出がある所」
この「が」は、「主格の特定」という用法の格助詞。
「何があるかを特定するなら、それは思い出だ」⇒「何があるかというと、それは思い出だ」というニュアンスで、「思い出」を強調する表現です。
どちらかというと、「所」よりも「思い出」に重点を置きたい場合に使う。
「ここは、彼女との楽しい思い出がある所です」

b.「思い出のある所」
この「の」はも主格を表す格助詞ですが、「主格の特定」という用法はありません。
特定するわけではないので、「ある」の主格として「思い出」を淡々と示したい場合に使います。
どちらかというと、「思い出」よりも「所」に重点を置きたい場合に使う。
「ここは、幼いころ過ごした思い出のある所です」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2018/08/21 21:37

「の」と「が」の使い分け、意味の違い。


日本語の感性を持たない人が理屈だけで理解することは至難の業です、もちろん説明するほうも。
個人的には「の」は所有格、私の・・・私が所有するもので・・・・。
「が」は主格、文章の中で主格(あたかも主役)として待遇、君の瞳は100万V、君が瞳は100万V、短い文章では大差ありませんが個人的には後者の表現も結構好きです、より思い入れが強いように感じます。
「は」係助詞、主題の提示と言われます、わかりやすく言ってしまえばプラカード、これについて知りたい人集まれ、そしてその後は主題(プラカードに掲示)にかかる内容に限定されます、この「限定」が強調にもつながります。
「に」は目的格と言われ、動詞の対象、場所、時間等を表します、この場合は「ある」の対象が私です、そのうえで「は」で限定が強調につながります。
「私は夢があります」、聞いた者の反応、ほう、さよか(でおしまい)。
「私には夢があります」、聞いた者の反応。ほう、どんな夢か聞きたい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2018/08/21 21:39

「君には君の夢があり、ぼくにはぼくの夢がある」ちょっと古い歌の歌詞ですが、これで普通の使い方です。

「君は夢があるか」と聞くのはちょっと通じにくい場合があります。言葉は理屈ではなく、普通に使えるかどうかで決まります。(結局は「は」の使い方の問題です。)
 主格(主語)を表すのに「が」と「の」は、どう違うか。「君の住む家」と「君が住む家」は同様に使うことができます。しかし、「この家に君が住む」とはいえるのに、「この家に君の住む」とは言えません。辞書を見れば、「の」の方の使い方が限定されています。「の」は言い切りにならない文の主格になることができると書いてあります。(詳しい辞書を見ると)後ろに「家」のような名詞があり、それを修飾する場合には「君の住む家」「君の行く道」となって使えます。「この家に君の住む」と言い切りになる場合は使えません。「が」は「君が住む家」にも、「この家に君が住む」のどちらにも使えるのですね。
 しかし、「山のあなたに」という詩には「山のあなたの空遠く 幸ひ住むと人<の>言ふ」と書いてあります。古い時代にはこういう使い方もあり得たわけですが、今はあまり気にしなくていいです。
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この回答へのお礼

面白い!回答ありがとうございます

お礼日時:2018/08/21 21:38

①「私は夢がある」は文法的に間違い。


 主語が「私は」述語が「ある」だから。
 「私は夢を持っている」(主語「私は」述語「持っている」)
 なら分かるが。
 「私には夢がある」(主語「私には」述語「ある」)
 は問題なし。

②明確な意味の違いはなく、どちらも同じ意味で通る。
 ただニュアンスとして
 「○○が」はふつうの言い回し
 「○○の」はもったいぶった、含みのある言い回しとなる。
 (この「含みのある」も「含みがある」と言い換えることができる)
 この辺りは曖昧語と言われる日本語の面目躍如であり、文法的に深く追究してもあまり意味はない。
 それより「文章の読みやすさ」「行外の意味の持たせ方」という観点で見た方が早い。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2018/08/21 21:36

①の格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表し、「私」を「に」で空間的・時間的に対象化した上で「は」とその特殊性を表しており、私の位置付けの認識が強調されています。



「私は」は単に自分という話者との関係認識の表現で、世界での位置付けは表現されていません。

②格助詞「が」は個別性の認識を表し、動作の主格として密接な結び付きの意識を表します。「○○がある所」は「ある」という存在の個別の主体としての○○との密接な結び付きを表現し、「○○がある」に重点が置かれた表現です。

これに対し、格助詞「の」は単なる関係認識の表現で、所属、所有、関係を表すだけで、○○と「ある所」の単純な関係を表すだけで、重点は「ある所」に置かれています。■
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2018/08/21 21:35

① 格助詞「に」は場所地点のほか所属先を示します。

夢の所属先が「私」という意味になります。また「ある」は前者では存在を、後者では所有を表します。

② 主格の格助詞「が」「の」の違いですが、一般には入れ替え可能でほとんど違いはないとされています。「の」の方が音的に柔らかいと言う程度ですが、意味・用法には多少の違いもあります。詳細をお知りになりたければ下記を参照ください。
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_201805072 …
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この回答へのお礼

リンクと回答ありがとうございます

お礼日時:2018/08/21 21:35

”には”の方は”私”を強調してる感じと少しかたい表現って気がするけどこの例の場合ほとんど誤差かなあ。


”が””の”の場合はもっと差がないかな
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

お礼日時:2018/08/21 21:34

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