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仏教では嘘をつくことわいけないとありますが嘘とは嘘自体がダメなのか人を守る為に嘘をついたり誰かと話していて嘘に荷担してしまうこともダメなのか?嘘も方便と言うのも有る通りどうなのでしょうか?

A 回答 (6件)

他の方も書かれていますが、お経には『方便』として形でのウソを認めています。



更には、多くの人間は倫理的なことを話しても快楽・享楽の世界へ流れてしまう(釈迦が悟った内容による中道的な生き方から外れる)ので、お経の半数以上の部分がウソ[浄土や数多の如来は存在しない]だという考えの方もおります。
 ⇒これを言い始めると、たぶんほとんどの宗教はウソとなってしまう。

> また、仏教関連の話では、ブッダの生まれた国が攻め滅ぼされたとき
> (攻める側にも理由があった)ブッダは3回目までの攻撃は前面に出て
> 攻撃を防いだけど、4度目はもう防ごうとしなかったのですね。
> (このできごとから、仏の顔も3度まで、なんて言われる)
この逸話は仏教関係の書籍に登場しています。
また、「仏の顔も三度まで」という諺も、この逸話から生じたとされています[だけど、諺の意味は逸話とはかけ離れていますね]


> このとき、攻撃する側は仏教者かどうか?を確認し、
> そうだといえば相手を殺したそうです。
この部分については、記憶違いなのかもしれませんが、違う内容の話しを私は読みました。
まず異なっているのは「仏教徒かどうか」の部分であり、「お前は釈迦族の人間なのか」となります【釈迦族は全員が仏陀の教えに帰依していたとされていますがね】。
この時、『生き残るためにウソをつくことはできない』と考えた人たちがとった行動は、次の3つに分かれます。
①釈迦族だと答えた
 ⇒殺された。
②聞かれる前に、身一つで逃げた
 ⇒のちに「裸足の釈迦族」と呼ばれる
③葦(?)かなにか茎を咥え、『無言の行』を行っていることを示し、返答をしなかった
 ⇒のちに「無言の釈迦族」と呼ばれる


> 例えば自信がなくても胸を張る。
> 嘘でもいいから胸を張るなどはどうなると思いますか?
私の考えでは、
自己満足(虚栄心・自利)からのものであればそれは良くないことと考えます。
一方、他の方を利する為とか、相手を余計な心配を掛けない為からであるならば、それは方便に入ると考えます。
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この回答へのお礼

芸人などの笑いを取るためなどは

お礼日時:2018/08/29 02:18

>>例えば自信がなくても胸を張る。

嘘でもいいから胸を張るなどはどうなると思いますか?

それは嘘をついたことにならないのではないですか?
まず、言葉出してないし。
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お釈迦さまも、善意のウソは、許しています。



「三車火宅の譬え」で検索して。
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幸福の科学で出ている書籍は、大川総裁が「再誕の仏陀」とされているため、仏教関連の本も多いです。


これらを読んでいると、仏教としては「人を救うため、命を救うためについた嘘は許される」というポジションのようです。
たとえば、上司の子供の女の子に対して「うえ!、すごいブス」と本音を言うような行為は「バカ正直」といわれるのと同じでしょうね。

また、仏教関連の話では、ブッダの生まれた国が攻め滅ぼされたとき(攻める側にも理由があった)ブッダは3回目までの攻撃は前面に出て攻撃を防いだけど、4度目はもう防ごうとしなかったのですね。(このできごとから、仏の顔も3度まで、なんて言われる)
このとき、攻撃する側は仏教者かどうか?を確認し、そうだといえば相手を殺したそうです。
だから、自分は「仏教徒じゃあない!」と嘘を言う、あるいは、限りなく嘘に近いような返答をすれば、生き残れたわけです。実際に、それで生き残ったものもいるらしいです。
こういうとき、正直に答えることも「バカ正直」に分類されるように思えます。

ちなみに、大川総裁は、過去の説法で、この自分が生まれた国が侵略されたときのことを思い出されたのか、泣きながら「仏教の法を変えます。正当防衛での殺人は認めます。」と言われていたのが思い出されます。
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この回答へのお礼

例えば自信がなくても胸を張る。嘘でもいいから胸を張るなどはどうなると思いますか?

お礼日時:2018/08/22 07:10

>仏教では嘘をつくことはいけないとありますが



方便と言い嘘もつくことがあります。
「仏の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う、百姓は可愛きことなり」
https://sengoku-g.net/wremarks/view/24
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私が理解している範囲の答えになりますが



うそをつく、というのは
認識していること(心)と
行動が違ってる、ってことですよね

例えば
上司が、趣味の悪いネクタイしていたとして
それを
「素敵なネクタイですね」
と言ったとする

これはまあ「嘘も方便」的なもので
そのほうがうまくいく…と
私なんかは思ってしまいますが
心では「ダサい」
言葉では「素敵」

心と言葉(行動)が違ってますよね

これは、多少なりとも
心身に悪い影響があります
心と違うことを、言葉として言ってるわけですから
それを言うことが、ストレスなわけです

そういうことをしてると
心身によくないし
悟りへの妨げになるし
万一「いや、あのネクタイ、ないわー、ダサすぎるわー」
と言ってることが上司にバレると
実生活でもなにかとまずいよね
だから嘘つくのはよくないよ

というのが仏教的な
「嘘はだめ!」
です

人を守るためための嘘でも
同じです
だれかの嘘に便乗するのも同じです

でも
「だめ!」っていうのは
「ダメ!絶対!」というより

「それは修行の妨げになりますよ」

というニュアンスかなと思います
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