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瀬戸内寂聴は、作家になるには才能が必要だと言ってますが、みなさんはどう思われますか?

夢枕漠さんは、努力でなんとかなると言ってました。

A 回答 (9件)

毎月数万文字の文字校正をしている者です。



よい文章を書くには文才が要ります。
文才は、よい文章を読むことで身につきます。
いくら書きまくっても、インプットが駄目な人はアウトプットもダメです。
文才=天与の才ではないという意味では、努力によって補えると言えなくもないです。
ただ、私は個人的に、文才を培うためのインプットにはタイムリミットがあると思っています。
本は10代の時に読むべきです。
30過ぎて猛読書をしても、文才は身につかないだろうと思います。
そういう例を、山ほど見てきました。

作家になるには、ニーズを読む力、運、作品以外の付加価値など色々が必要で、文才がなくても作家になる人はなります。
それをひっくるめて才能と言ってもいいかもしれません。
はあちゅう女子が作家を名乗っているのが、好例です。
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娯楽小説だと、型にはめて書けば形になりやすい。

池波正太郎の鬼平犯科帳なんかは、何冊も立て続けに読むと、またこのパターンを使い回してるとわかる。同工異曲というやつ。
傑出した作品を書くには、主要登場人物の造型、プロット、文章に凝る必要があるものの、他者の作品、映画、ドラマ、芝居なんかからの影響が実は多い。ここでオリジナリティーある趣向、その作家ならではの趣向を打ち出せるのは才能。
ただし、作家は作品を書くだけが仕事ではない。昔と比べて、情報収集・整理・保管、取材、資料整理、アウトライン作成、原稿執筆、スケジュール管理にコンピュータ機器とソフトウェアを利用できるようになったぶん、このへんの副次的タスクは努力でカバーしやすくはなっていると思う。
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才能は必要です。


ネタを拾う才能、それを料理する才能、文章にする才能、惹きつける文を作る才能、・・・

努力で何とかなるのは文に責任を持つ必要のないアマチュアまでで、
プロともなると、他人に自分の文にカネを出させなければいけません。
それができようと出来まいと自分の責任です。
出した文がどういうリアクションを招こうと、その責任を取るのも自分です。

そういうことまで考えなければいけないからプロは締め切り間際まで苦しむわけで、
それさえなければたちどころに話の十も二十もできてしまうとは、あるプロの言葉です。
そういう見極めができるのもやはり才能です。

編集の言いなりになっているようではしょせん一発屋、良くて二流作家です。
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文筆家(ライター)は努力次第でなれるけど、作家(ノベリスト)には才能が必要。


作家って、芸術や音楽やマンガなどと違って、他人に作品を読ませる発表機会がすごく少なく、誰も読まない小説作品を趣味で書き上げること自体が非常に難しい。
それを商業的に出版までこぎつけ、継続的に作品発表し、職業的に成立させるのは、作家の中でもごく一握り。
それを文豪と呼び、作家のほとんどが兼業で書き上げた一発屋だったり、創作が継続できずに未完ばかりで失踪してしまう作家も多く、文豪にはなれない。

瀬戸内寂聴だって、坊主が本業なのだし、タレントや講演会や政治活動やエッセイストや寄稿のほうがメインで、文豪とは呼べないし、
夢枕漠は文豪でありつづけるために、ものすごい幅の広いジャンルに手を出し、すごい生産量の執筆活動をして努力してる。師匠の筒井康隆が作家で食えないと役者までやる人だからね。
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瀬戸内寂聴!?


あの仏門を汚した金欲ババァですか。
寂聴と言う法名を返還しろと言いたいですね。
何方の言葉だったか覚えていませんが、「努力に勝る才能無し」と言う言葉があります。
ですので努力の内容次第だと思いますよ。
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作家で飯を食ってるのは一握りなので、才能の比重が高いかと思います。

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努力も一つの才能ですしね。


ただ、才能というのは後から芽吹くものもあります。
その蕾をどうするかも努力や運次第です。
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書くのは努力、なれるのは才能ではないでしょうか?



文章上手くても惹きつける魅力がないと難しいですよね?
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人によりけり、どっちもどっちもどっちかと思います!

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