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『僕は確か二年生の時独逸語の出来のよかりし為、独乙大使グラアフ・レツクスよりアルントの詩集を四冊貰へり。然れどもこは真に出来のよかりしにあらず、一つには喜多床に髪かみを刈かりに行きし時、独乙語の先生に順を譲り、先に刈らせたる為なるべし。こは謙遜にあらず、今なほかく信じて疑はざる所なり。
僕はこのアルントを郁文堂に売り金六円にかへたるを記憶す、時来星霜を閲けみすること十余、僕のアルントを知らざることは少しも当時に異ることなし。知らず、天涯のグラアフ・レツクスは今果赭顔旧の如くなりや否や。』(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3793 …

「にあらず」という文法は「ではない」という意味ですか。とすると「然れどもこは真に出来のよかりしにあらず」=「しかし、これは本当に出来のよかったではない」という意味ですか。

「ほかく」は「保革」でしょうか。「独乙語の先生」は「グラアフ・レツクス」と違う人で、「独乙語の先生」は「レツクス」から「アルントの詩集」をもらって、それで「喜多床」で「語り手」が「先生」に先に行かせたから、「先生」が「語り手」にお礼としてその「レツクスからアルントの詩集」をあげるという状態ですか。「保革」は、「語り手」が「先生」に順を譲ることを指していますか。

第2段落についてです。この部分は私にとって一番難しいです。何があっているか全然わかリません。語り手は先生からもらったアルントの本(元に、レツクスから)は他のアルントの本と比べるという状態ですか。「郁文堂」、「時来星霜」、「今果赭顔旧」は本屋ですか。

A 回答 (6件)

既にいくつか解説と現代語訳が出ていますが、当時の東京帝国大学周辺の事情を知らないと理解できない箇所も多いので、解説を補足します。



現代語訳すると、
「僕は確か二年生の時、ドイツ語の成績が良かったため、ドイツ大使グラアフ・レックスからアルントの詩集を四冊もらった。しかし、これは、本当に成績が良かったのではなく、一つには喜多床(という理髪店)に髪を切りに行った時、ドイツ語の先生に順番を譲って、先に(髪を)切らせたためであろう。これは謙遜ではなく、今もなお信じて疑わないのである。
僕はこのアルント(の詩集)を郁文堂(という書店)に売り、六円という金銭に変えたのを記憶している。それ以来、年月を経ること十数年、僕がアルントを知らないのは、少しも当時と違わない。(私は)知らない、遠く離れた所にいあるグラアフ・レツクスは、今、果たして、(その)赤ら顔が昔のようであるか否かを。」
となるでしょうか。

「グラアフ・レックス」は、当時の駐日ドイツ大使、レックス伯爵(グラアフ=Graf=伯爵)Arthur von Rex (1856-1926)。
ドイツ語の教師は、その前の文章に出てくる「ケエベル先生」でしたので、「独逸語の先生」は恐らくは「ケエベル先生」のことで、「グラアフ・レックス」とは別人でしょう。ドイツ語の授業に関する何かの縁で、ドイツ大使が、優秀な学生に、記念としてドイツ語の本をくれることになったのではないでしょうか。

「喜多床」は、明治4年(1871年)創業で、現在も続く老舗の理髪店です。現在は「ヘアーサロン喜多床」という店名です。
http://www.barber-kitadoko.com/

「郁文堂」は、明治32年(1899年)創業で、ドイツ語専門で有名な書店です。ドイツ語の古書の買い入れもやっていたので、芥川は、もらった「アルントの詩集」を、郁文堂に売って、6円を手に入れたのです。
http://www.kosho.ne.jp/~bunkyo/salon14.php
http://www.ikubundo.com/

「僕のアルントを知らざること」というのは、おそらく、芥川がエルンスト・アルントの詩を知らない、ということではないかと思います。もらったアルントの詩集を売ってしまった後、十数年間、アルントの作品に触れていなかったのでしょう。
「アルントの詩についての知識や理解は、今もその当時と変わらない」という意味ではないでしょうか。。

「天涯の」の意味は、1.空の果て、2.遠く離れた土地、です。この文章が書かれたのは昭和2年(1927年)で、「グラアフ・レックス」は亡くなっているので、「天国の」と解釈できなくもないですが、芥川がかつての駐日ドイツ大使の訃報を知っていたかどうかはわかりません。亡くなったことを知らずに「遠く離れた土地で」という意味で使っている可能性もあります。

なお、芥川がこの時もらった「アルントの詩集」そのものと推定される本が、発見されているそうです。(下記リンク先参照)
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/cr …
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>出来のよかりしにあらず


あらず→非ず、単純否定なら、不、該当する内容を想定の上で該当せず?。
よかり→過去形?
し→強調
できが、よい、と言うことではない
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No.3です。


現代語が一部抜けていました。他の方の回答もありますから、追加しません。
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僕は確か二年生の時、ドイツ語の出来がよかったために、ドイツ大使グラアフ・レックスより「アルント」の詩集を四冊もらった。

しかし、本当に出来がよかったからではなく、一つには喜多床(喜多理髪店)に髪を刈りに行った時、ドイツ語の先生に順番を譲り、先に散髪をさせた為に違いない。これは私が謙遜して言うのではなく、今でもやはりこのように信じて疑わないのである。
 僕はこの「アルント」を郁文堂(古本屋)に売り、金6円のお金に換えたことを記憶している。私は知らない、天にいる「グラアフ・レツクス」は今も果たして赭ら顔であること、昔のままであるのか、どうなのか。

 「保革」ではなく、「なほ・かく」(今でもやはり・あのまま)の意味です。後は上記の現代語訳 (芥川の文章は現代語ですが、ちょっと「文語調」が混じっているので、古文同様に扱って見ました。こういう古めかしい文章を選んで勉強しているのですか。)
 詩集を古本屋に売ってしまって、6円の金を手にいれたということです。
「大使」というドイツ語は「先生」と同じなのかどうかは分かりません。しかし、「大使」がドイツ語を教えたとも思えません。
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>「にあらず」という句の意味は「ではない」という意味ですか。


そうです。

>「然れどもこは真に出来のよかりしにあらず」=「しかし、これは本当に出来のよかったではない」という意味ですか。
少し違います。
しかし、これは本当に出来がよかったのではない。(もう少し補足を加えると)しかし、出来が良いことになっているが、これは実際に独逸語の出来がよかったからではない。

今、なほ、かく、信じて疑はざる所なり=>今でもやはり、このように信じて疑わないところだ。なほ=副詞、かく=副詞(指示語)

>「先生」が「語り手」にお礼としてその「レツクスからアルントの詩集」をあげるという状態ですか。
根本的に間違っています。アルントの詩集は独乙大使グラアフ・レツクスから直接もらったものです。また後半の「床屋」での出来事は、ドイツ語の出来が良かった理由を述べているだけです。つまり、謙遜な態度を先生に認められ、そのためドイツ語の成績が良かったと話者は信じているわけです。

「郁文堂」=本屋
「時来星霜」=その時以来の年月(が経った<今も>)
「今果赭顔旧」=今、果たして、赭顔(あからがお=赤い顔色)は旧(いにしえ)の如くなりや否や。今も果たして、あの赤ら顔は昔のままであろうか。それとも変わっているだろうか。
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「こは真に出来のよかりしにあらず」=「このできごとは、ドイツ語の出来が良かったことが本当の理由ではない。



「いまなほかく」=「今なお かく」=「今(も)なお かくのごとく」

「ぼくはこのアルントの本を郁文堂に売り6円に替えたことを記憶している。それ以来十四年の年月が過ぎたが、(グラアフ・レックスは)僕にくれたアルントの本の行方を当時と変わることなく知らない。遠い地にあるグラアフ・レックスは老いて老人の顔に成り果てたのかどうか。」

意訳しています。
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