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日本という国についてです。
昔、日本列島には100余の国が存在したとありますがこの100余の国の一つが今の日本なんでしょうか?
その100余の国の一つの国が日本列島にあった残りの国を滅亡させて日本を統一したのでしょうか?
なので奴国や邪馬台国が日本列島を統一したのではなく倭国が日本列島を統一し日本という名前に改名したということですよね?
また、日本列島に存在した国で代表的なのは倭国(日本)、邪馬台国、奴国の他に何がありますか?

A 回答 (10件)

#6です。

おれいありがとうございます。

古代の「国」についてちょっと補足します。

古代のクニは徒歩またはせいぜい馬ぐらいしか移動手段が無く、道路を作るのだって大変な労力が必要な時代(3世紀ぐらいだと鉄器はまだ貴重)ですから、今の村の大きさぐらいが「クニ」だったといえます。

こういう国が戦争をする場合、基本的には皆殺しが基本でした。なぜなら戦争になる理由が「クニの基盤である○○が侵された」というものだったからです。

たとえばコメを作っているクニの場合、上流に同じようにコメを作るとか、製鉄を主体にしたクニができると自分たちが生活できなくなります。最初は話し合いをしたかもしれませんが、どちらも「自分たちのクニの生活」が掛かっていて、決裂すれば飢え死にですから、戦争したって同じだったのです。

ですから、上流のクニが勝てば下流のクニの人々を皆殺しにして、後腐れなく生活できるようにしたし、下流のクニが勝てば上流の人々を皆殺しにして問題解決したのです。

このようなやり方を古代では「勝者の権利」と言って、日本だけでなく世界中で行われていました。


今「日本」となっているのは、100余国のどこかの国が日本列島を征服したからに他ならないのですが、しかし「全部のクニに勝って皆殺しにした」わけではないでしょう。それは不可能ですし、そんなことをした征服民族は世界中探してもありません。

逆をいえば「なぜ日本列島が統一で来たのか?」と考えた時に、それは「大和朝廷になるクニの指導者が慈悲深く、服従するクニや部族を支配するのではなく、仲間として扱ったから」だと考えるのが適当だと私は考えます。

事実、古代のローマ帝国は「負けた側の部族をローマの仲間にする」方法で800年近い大帝国を紡いだのに対して、元のように異民族が強制的に支配するやり方では力の指導者が他界すると、後を継ぐ能力をもったリーダーはそう簡単にでてこなかったからです。

日本列島統一には歴史資料がほとんどない3世紀から5世紀までの300年かかっているわけですから、傑出したリーダーが常に居たわけではなく、連合国家的な「みんな仲間だよ」というやり方でクニグニが緩く統一していった、と考えるほうが妥当だと思います。

ですから「100余国の中の1国がのちの日本」ではなく、「100余国のうちの1国がリーダーになりながら、多くのクニがそれに従って連合しながら日本を統一していった」という事だと思います。

ちなみに、その緩い連合を支えている連邦政府が大和朝廷で、当時は共和政という考えはないので、リーダー国の支配者が天皇だったのでしょう。

ところが、5世紀の初めごろに中国大陸の戦乱が終わり「隋」という巨大な国家が登場します。そして隋は漢民族だけでなくベトナムや朝鮮半島まで侵略を始めました。当時中国に留学していた学生たちがその情報を持ち帰り、、朝廷内は「隋が攻めてくるんじゃないか!」と大騒ぎになったのでしょう。

その結果「今のような緩い連合国家ではダメだ、中央政府を作り政治や経済を統一して強い軍事国家を作らないと隋が攻めてきてからでは遅い」となり、その結果大化の改新が起きたのです。

その結果、日本はブラフも含めて当時の隋の皇帝煬帝に「うちの国は帝(天皇)を立てて中央集権国家になり、国号も『日本』に変えたからよろしく→てめえらを見習って統一軍事国家にしたから、侵攻してきたらただじゃすまないぞ」とメッセージを送ることになるわけです。

この統一国家が日本であり、今の私たちの社会にそのままつながっているといえます。

日本は西洋列強への危機感から明治維新を行い富国強兵を行いましたが、世界のいろいろな革命に比べてものすごくスムーズだったと言われるのは、大化の改新という先例が日本人のDNAに刻まれていたからかもしれません。
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当時の國というのは、今でいう”村”とか精々”市”くらいのものです。

例えば三国志の倭人伝には、対馬島や壱岐島を1つの國としています。また江戸時代までは、各藩がそれぞれ国であり、出身地を聞くのに『あんた、お国はどこだい?』みたいな言い回しがあります(現在でも通じるものです)。
現在の日本にあたる地域に、100余りの国々があったというのが記述されている内容です。

弥生時代の戦争がどのようなものであったのか想像の域を出ませんが、一族郎党皆殺しみたいなものではなかったと思います。(戦争といっても基本的には戦う者同士が戦う場所を選んで戦っていたものです。一般市民まで無差別に殺しだしたのはナチス・ドイツで、それを真似たのが日本であり連合国諸国です。閑話休題)
邪馬台国が邪馬台国連合みたいなものを30国程度で作っていたように、後の畿内ヤマト国が西日本+αを、畿内ヤマト国連合みたいなものを作って大倭国(大和国)となりましたが、これも他国を滅ぼしたというより連合国として手を取り合ったという感じのようです。
(出雲などは、社をつくってやるよと言って作って、あれは国譲りした証拠だ、などと勝手に神話に書いてたりしてますwたぶんw)
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> 統一というのは日本列島に一つの国しかないということです!


> 鎌倉、室町、江戸などの幕府は国ではありませんしね。


そしたら倭国も、日本を統一したわけじゃないよ。
本当の意味で統一国家となったのは、明治政府以降だろうね。
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倭→日本という風に改名。

倭とか日本は日本全体の国号。倭という名前が雅(みやび)でないということで日乃本を意味する日本という国号に6~7世紀頃に改名したとされる。
ヤマトと読む。日本書紀をニホンショキと呼ぶのはただの音読み。
正式には「ヤマトブミ」と読む。倭もヤマトと読むべき。ワコクという読み方はただの音読み。だから倭國とあればヤマトノクニと日本人なら読むべき。
時代の流れでこんな大事なことが忘れられてただただ嘆かわしい。
邪馬臺国(邪馬台国は略字)は大和朝廷で日本では「ヤマトの國」と読んでいたのを中国がこのような字を勝手に当てただけ。ヤマタイコクという名前はただの当てた字の音読み。こんな名前の国などない。色んな研究家が様々な桃源郷みたいにして日本各地に邪馬台国を空想妄想で誘致しているが、大和朝廷説以外はすべてご当地ソングでいうなれば、自分の気にいる所に導こうとしてあれこれ勝手な妄想で誘導しているだけ。当時の古代国家の政治統治能力を全く無視したただの妄想。当時の統治能力を考えれば、大和朝廷以外にそのような国家が存在することはあり得ない。奴國というのはどこに在ったかはわからぬが、魏志倭人伝などから推測して九州の先端の國を当てているみたいですね。多分、当時の朝鮮などの海外の國の使節などを招いた玄関的な部分に位置する国と推測。
100余國というのは沢山の國という意味でしょう。おおざっぱに100あまりの國があったということではないですか。

魏志倭人傳を書いた人は日本に行ったことがなく、当時の日本を訪問した使者の一人が数十年立って昔話に語った話をもとにまとめた書と聞いています。こんなものを鵜呑みにして記紀を無視して日本の古代史を組み立てようとする今の古代史研究家の浅はかさにただただあきれています。あれでは何年立とうと結論などまとまる道理がなく、いつまでも迷路をさまようだけでしょうね。日本古代史研究に未来などないとただただ失望。
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まず「100余の国」の「クニ」と言う言葉を考えます。


現代のように、国境や国際組織がある時代ではありませんので「クニ」というのは現代の国家とはちょっと違います。

「クニ」というのは、基本的に「同一の生活スタイルや文化、それに伴う神(宗教)を持ち、一つの社会単位として存在する集団」といえます。

たとえば瀬戸内海の海に面した島々に住む人々なら、生活の基本は漁業、船は足ですし、神様は当然海神になるわけです。
鹿児島の平野部に住む人々は農業を主体として生活を営んだでしょうが、桜島の噴火は恐れたでしょう。神の怒りに触れないように火山を神として崇めたはずです。
こういう生活基盤の違う人々を現代では「民族」といい、民族が多数いる一つの国家などもあって、民族と国家は同じとはいえませんが「クニ」は民族と国家がほぼ同一の単位であったといえます。

このような地域的な特性は古代には世界中どこでもあり得ましたが、日本の場合それに加えて常に大陸などから民族が常に流入することで、言語自体も異なっていた可能性があります。

日本の歴史上のある時代、たぶん空白の3世紀とよばれる時期にのちに「天皇」と呼ばれるようになるリーダーとその民族がだんだんに規模を拡大していった時期が間違いなくあります。

最初は隣接する周辺の民族たちを征服したり、服従させたりして、大きくなっていったことでしょう。たぶん最初は米造りなど「同じような生活スタイルを持つ違うクニ」を服従させて領土が広くなっていったといえます。

ある時期を超えると、今度は「領土を拡大すること」がそのクニの自己目的になります。ローマもそうでしたし、チンギスハーンのモンゴル帝国もそうでした。モンゴルはチンギスの後分割統治されましたが、ローマは世代を超えてローマ本国が広大な領地を統一維持することに成功しています。


そういう前提を踏まえて個別に答えます。
>この100余の国の一つが今の日本なんでしょうか?

100余国の中のひとつが、元になっていることは確かでしょう。

>日本列島にあった残りの国を滅亡させて日本を統一したのでしょうか?
滅亡させたクニもあるでしょうが、服従させたクニや自分から協力して家来になったクニなどもたくさんあったはずです。戦国時代でも織田信長などは他の大名全部を滅ぼしたわけではありません。

>倭国が日本列島を統一し日本という名前に改名したということですよね

倭国の「倭」は中国のほうで日本の使者から聞いて勝手に書いた文字なので、当時の日本が「ワ国」であったのは確かでも「倭国」であったとはいえません。

そして「ワ国」の「ワ」はもしかしたら「和」であり「輪」であって「連邦国家」と言う意味が近く「天皇を最上級リーダーとする、多くのクニの連合国家」だったかもしれません。このあたりは資料がほとんどなく、研究が進まない分野でもあります。

ただ一つ言えるのは、「ワ国」と「出雲国」という大きな勢力同士のぶつかり合いがあり、国譲りに記されているように「出雲」は負けて、その指導者階級は冥界入りし、出雲の人々は「ワ国」に吸収された、ということです。

>倭国(日本)、邪馬台国、奴国の他に何がありますか?
出雲は有名ですね。

以下は私見
ローマは当時としてはかなり大きな領土を有していますが、各地に居る人々を征服して虐殺したわけではありませんでした。もちろん戦争はしましたが、勝ち負けが決まるとその部族と接触して「ローマへの参加」を呼びかけました。
 参加した時のご褒美は「指導者階級の元老院入閣」と「部族民のローマ市民化」またそれによる安全保障と文化の享受だったようです。

ただ、征服される側としては「戦争に負けた」という恨みと、ローマに対する「屈辱感」を感じたでしょうし、ローマ側と「対等で平等な市民」になれるかどうかは非常に不安だったはずです。

そのため、ローマは征服した部族(クニ)の神様の神殿を首都ローマの神々の丘に作り「神々が同じ丘にそろっている」ということは平等であるとしたのです。

先に書いたように、山の神を崇める人々が海の神を崇める人々を「同じ人間」とみることはほとんどなかった時代ですから、「山の神も海の神も同じ聖なる山に祀られている」ということは「山の神も海の神も同じ神=山の民も海の民も同じ人間」という価値観を与えることになったわけです。

これがローマが大きな領土を長い間保持し続けた理由であり、キリスト教化されてからはわずか100年程度で分裂崩壊しています。

資料はありませんが、日本も同じようなことをやったのではないか、と私は推測しています。「ワ」というのは「私の神もあなたの神も同じぐらい尊い=あなたのクニも私のクニも同じぐらい尊い」ということであり、それを担保するために後に天皇と言われる征服者は「では、あなたのクニの神様もわたしのクニの神殿に一緒にお祭りして一緒にお祈りしましょう」と説いたのだと思います。

この「みんなでみんなの神々たちを一緒にお祈りする」ことが「ワ」であり、これに参加した人々が統一国家を作り、それが「日本」と言う名称になったのです。

元々いろんな地域から来て、いろんな生活スタイルや神をもっていた「様々な民族」だった人々が、一人の指導者の元で「神々が仲良くできるのだから、人々もお互いを認め合って、仲良くできるはず」と約束したのが「ワ」であり、だから「大和国」なのだと考えます。

この「大和」はもともといろんな民族だったものをまとめて「違いはあるけどこれに参加したなら日本人」という単一民族化に成功したので、今は日本民族が日本列島にいる、ということなのだと私は考えています。
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この回答へのお礼

わかりやすいです。ありがとうございます

お礼日時:2018/11/10 22:25

手塚治虫の火の鳥・ヤマト編には、クマソの国が登場。


ちなみに、自分の地元・山口県東部は、熊毛王朝。これが今でも、熊毛郡という地名に残ってます。あっちこっちに今の市町村規模の国が点在してたでしょう。
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マジレスは無駄かもしれません。



ヒント:https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10705363.html



A:>昔、日本列島には100余の国が存在したとありますがこの100余の国の一つが今の日本なんでしょうか?

B:>その100余の国の一つの国が日本列島にあった残りの国を滅亡させて日本を統一したのでしょうか?

C:>なので奴国や邪馬台国が日本列島を統一したのではなく倭国が日本列島を統一し日本という名前に改名したということですよね?


B→C の論点の飛躍が理解できません。
B:日本が統一された経緯について
C:日本を統一した「国」はどれか

↑の「昔」とはいつなのか? や、あなたの「国」の定義が不明。
それがわからないと、当時「100余の国が存在した」というのが事実なのかわかりません。
それらと今の日本の関係のついての考察もできません。

ところで、なたの中では 倭国≠奴国や邪馬台国 は確定事項なのでしょうか。


Cですが、AとBの真偽が不明なのに、C=事実 と断定しているのは何故ですか。
これがわかっているなら、質問する必要はないと思います。

脳内の想像(妄想や願望?)を事実を思い込むのは、キチ○イと思考力の残念な方がよく嵌る落とし穴です。
「日本という国についてです。 昔、日本列島」の回答画像4
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>昔、日本列島には100余の国が存在したとありますがこの100余の国の一つが今の日本なんでしょうか?



いいえ、今の都道府県に近いものです

>なので奴国や邪馬台国が日本列島を統一したのではなく倭国が日本列島を統一し日本という名前に改名したということですよね?

それよりも、ずっと後の事ですよ
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あなたが考える国って何ですか?


『統一』と書いていますが、統一というのは、どういう事ですか?

現在の米国において50州あり、カリフォルニア州とニューヨーク州では州法が異なる状態ですが、では米国は貴方の考える国家ですか? あなたが考える、国家が満たすべき条件は何ですか?

そもそも江戸時代に幕末300藩と言われ、当時の出身地の紹介は、○○州、○○の国、○○藩という言い方が一般的でした。
戦国時代は、どうですか?
室町時代は?
鎌倉時代は?
平安時代は?
奈良時代は?

ちなみに日本という国号を使い始めたのは奈良時代です。その頃、大和朝廷は、あなたが考えるような『統一』をしていたのでしょうか?
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この回答へのお礼

統一というのは日本列島に一つの国しかないということです!
鎌倉、室町、江戸などの幕府は国ではありませんしね。

お礼日時:2018/11/10 22:17

どこの地域でもそうですが、農耕を始めると人間はまずムラを作り、複数のムラが集まってクニになりますが、そのクニは今の国とは違う、協同組合みたいなもので、集まることにより農業を効率化し、防衛や治水を行うことができました。



そしてクニがお互い争ったり同盟したりして大きくなったのが国であり、それが日本には百近くあったということです。

天皇もそのうちの1つの国の王で、その国が日本を平定する様子は古事記や日本書紀に詳しく書かれているので一読をお勧めします。
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