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以前の質問で「法華経を唱えている方々は不幸な人が多いように思う」と書きましたが、大きく間違っている事に気付きました。
法華経を用いている団体(宗教団体)のトップ関連が、その集団だけの利益を考えるようなエゴイズムが強い場合は不幸のようなことが起こると思います。
また、本尊によっても変化はあるのではないでしょうか。法華経だけが一番だと他宗派を攻めるのは、違うと思いますが、純粋に法華経だけを信じ、妙法を唱えることは功徳があると実感します。ですから、完全に日蓮と法華経を否定するのではなく、鎌倉時代と現代では法華経に変化があって当たり前のように思います。
何度も言いますが、法華経には功徳があると断言します。

A 回答 (2件)

法華経は色々な宗派が法要の際にお経をあげます。


日蓮宗系だけではありません。

法事の時にお願いすると最も高い(格も金額も)お経のようにも聞いています。
経典や宗派、仏教史、信仰の対象(本尊と称します)。
仏教の歴史と法華経及び他の経典との比較をされてみて、コメントされてはいかがでしょうか?

また般若経等沢山のお経がありますが、法華経には何が説かれているのでしょうか?

>何度も言いますが、法華経には功徳があると断言します。

○貴方は法華経を信仰の基盤としている教団で、信仰をしているのですか?
○または、法華経そのものを自分で信仰しておられるのですか?

○それから法華経には功徳があると断言できる経験(体験)をされたのですか?

興味のあるところです。

おしまいに、この質問のコーナーでは、貴方は自ら答えを断言しておりますが、少しおかしい感じがしますね。
目的がよくわかりません。
単純に「法華経」について会話がしたいというのがお望みであれば、そういう風にコメントされてはいかがでしょうか。

これは冷やかしではなく、興味があり、コメントさせて頂きました。悪しからず。
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もう一度言いますが、


いくら目的が素晴らしくても手段を間違えていては素晴らしいゴールには到達しません。

「目的」と「手段」は別のものであるということです。

「何のために法華経に帰依するのか」
「何のためにお経を唱えるのか」
そこをきちんと分かっておかないといけません。

それを取り違えた、あるいは混同したのが「拝み信仰」というもので、
「信じれば救われる」
「唱えれば救いが来る」
というたぐいのものです。

しかし、違うはずです。
「何も変わらないものは何も変えられない」
のが仏教です。
信じたところで言葉も行動も物の見方も変わらないなら、やはり自分を取り巻く状況は何も変わりません。
先ほどの拝み信仰に抜けているのは
「信じて”行ずれば”救いがすぐそばにあったことに気づくことができる」
「唱えて”行ずれば”それはいずれ心となり身となり、言葉や言動、物の見方を変えていくことができる」
ということです。
ちょっと実践してみると、それがいかに難しいものであるかはたちどころに分かります。
なにしろ「入れ歯になった」ことや「ガンを得た」ことにすら意義を見出さなければならないのだから。
今日、韓国の言い分を考えてみる気はありますか?

法華経と言えど
「信じれば救われる」では救われません。
「信じて行じる」ことによって初めて実は幸せであったことに気づき、実は救いはすぐそばにあったことに気づき、自分の眼が曇っていたから気づかなかっただけだということに気づくのです。

それは神から授けられるのでなく、自分で開発していくものです。
だから仏教は「自燈明法燈明」なのです。

仏教は「個人の実践の道」です。
個人の実践に重きが置かれているのであり、本尊とか仏像はあくまで道しるべにすぎません。
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