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乗数の過程で貯蓄は漏れとされているようですが、貯蓄は貸出され、需要となるので漏れにはならないと思うのですが、そこのところどうなのでしょうか。

A 回答 (3件)

私が大学の講義で受けた事を再度ご説明したいと思います。

乗数の過程で貯蓄は漏れとされているようですが、貯蓄は貸出され、需要となるので漏れにはならないと思うのですが、というご質問は、再度申し上げますが、正しい考え方です。所謂、古典派経済学者といわれる方々は、おっしゃる通り考えております。貯蓄増によって、金利が引き下がりますから、投資需要が増えて、漏れにはならないのではないかと考えております。しかし、ケインジアン達は、その様に考えておりません。まず、直接的な国内有効需要の追加的増加がなければ、追加的な投資は行われないであろうと言っているのです。仮に、投資が行われ、乗数過程において、すべてが貯蓄に回った場合を考えてみて下さい。追加的な投資が、利子率の低下によって引き起こされるであろうと言うのが、古典派の考え方であり、taka07さんの疑問だと思います。しかし、ケインジアンは、乗数過程において、貯蓄や輸入品の購入に、有効需要の源泉である追加的所得が回ってしまったなら、直接的な追加有効需要は、創造できないのであるから、漏れと判断すべきではないか?と主張しているのです。つまり、追加的需要が存在しない過程において、利子率の低下だけでは投資は促されないだろうと述べているのです。従って、第一次的に、有効需要の創造があり、二次的に、乗数過程において、追加的な有効需要の創造があり、また追加的需要創造から得た所得が、さらなる直接的な追加需要を生み、三次的に利子率と投資収益率の関係から、投資決定の意思決定がなされると述べているのです。言い換えますと、古典派学者達は、二次的過程の議論が抜け落ちた形になっていると言えますし、また十分な需要がない場合に、追加的投資が行われるのだろうか?と言う疑問を投げかけているのです。
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大学で経済学を勉強した者です。

Taka07さんの経済学的な分析から来る疑問ですが、これは、確かに正しい考え方です。しかし、この考え方は、所謂古典派と呼ばれる経済学者の考え方です。ケインジアンと古典派でこの問題について相当議論がなされていました。ケインジアンは有効需要という概念が投資を決定する重要な要因であると考えております。一方、古典派学者達は、利子率が最も重要であると考えます。つまり、投資を決定するだけの十分な有効需要が存在しなくても、利子率が低ければ、追加的な投資が決定されるであろうと言うのが、古典派の考え方です。しかし、ケインジアンは、古典派の言う事に批判的です。十分な有効需要を作り出す事が、追加的な投資を引き出すと述べています。つまり、消費や政府支出、住宅投資などを直接的に創造する事が必要だと説きます。従って、貯蓄や輸入品購入の増加は、国内有効需要を減少させてしまいますので、リーキッジ(漏れ)と判断されるのです。
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一言で言えば、



貸し出され、投資需要となっていく速度が、
消費がだれかの所得になってそれが再び消費される速度より

速ければ、乗数効果なんて意味がありません。どんどん貯蓄してくれたほうが、借りたい企業にとっては金利が低くなって有利で、預けたほうには利子所得が入るし、いいことずくめです。
で、乗数効果が問題とされる状況というのは、
このような状況にないときです。
もっとも極端な例に「流動性のわな」の状況があります。名目金利がゼロでも、貸出先がないとき。
こうした場合は、貯蓄はたまるばかりで、貯蓄部分の乗数効果はまったくありません。
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