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人類はアフリカで生まれ、メソポタミアやエジプトで文明を築いた。
最初に大帝国を築いたのはペルシア帝国で、次はギリシャ、ローマ。
そしてキリスト教、イスラム教といった一神教の発展。
それからルネサンス、大航海、宗教改革。
産業革命は西欧で始まり、帝国主義の時代は西欧が世界中を植民地にした。

このように書いていくと、歴史の中心は常に地中海沿岸にあったような感じです。
そして東アジア地域は常に傍流で、歴史学においてはあまり重要視されてこなかったように思いますが、それでは過去数千年の歴史の中で、東アジアが世界の中心だったことはあったのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ヨーロッパとアジアの分類も恣意的で、ヨーロッパ中心主義の見方です。
    そもそも、ヨーロッパはユーラシア大陸の西の果ての辺境の地域です。
    また、ユーラシア大陸の中間に位置し、ヨーロッパと中国の間に位置する交流の拠点は、インドです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/12/28 13:03
  • 漢や唐はどうでしょうか。
    漢はローマ帝国を凌ぐ大国だったようですし、唐も当時最大の帝国だったのは間違いないかと。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/12/28 22:43

A 回答 (5件)

まず秦という国家。

この国の素晴らしい所は、紙に書かれた文書によって命令を伝達し、支配する組織を確立した事です。これにより中間管理職の恣意的な命令改竄ができなくなりました。ヨーロッパでは一部にパピルスが使用されていたものの、国家統治レベルで大規模かつ広範囲に紙が使用されるようになるまで、随分と時間がかかります。

元という国家では、東アジアから中東および東欧までを、モンゴル系の民族が支配し、人や物の交易を盛んにしました。中東から西欧にかけてはローマ帝国の時代に交易ルートが確立していましたので、元の成立をもって、ユーラシア大陸を股にかけた大規模な交易が確立したと言って良いでしょう。(小規模な交易は、その前からありましたよ、念の為)


いずれにせよ、中華文明は、世界全体の GDP の3割程度を常に占める大帝国でした。東アジアが世界の中心だったと言って良い。没落したのは19世紀、欧米の植民地主義に敗けた一時期だけの事です。今、中華人民共和国は再び、世界の中心を占める国家へと復権しつつあります。
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古代から近現代に至るまで、東アジアというより中華文明はあまり他の文明圏に積極的な関与を果たしていません。


(他の文明圏への進出でいえば鄭和の航海が最大規模。モンゴル帝国は中央アジアの遊牧民が中心となるので、例えば元(フビライの治世などの時期)が世界の中心かと問われるとかなり違和感があると思います)

世界の中心と言うからには、他の文明圏や文化圏に大なり小なり政治的な影響を与えないとそうとは言えないと考えます。
その意味では、歴代の中華帝国はその能力を持ったことも、その意思を持ったこともなかったのではないでしょうか。
この回答への補足あり
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主観の問題だからな。



中国民族からすれば、有史以来世界の中心はいつでも中国。
それが揺らいだのはアヘン戦争から第2次大戦終了までのほんの一時期にすぎない。
有名な中華思想である。

なにしろ交易を求めてきたヨーロッパに対して
「ヨーロッパには中国製と対等に渡り合える製品はない」
と言い放ったのだから重症である。
求めに応じて輸出した茶も、茶の中では低級なプーアル茶やウーロン茶だった。
ヨーロッパ人に味は分からないのだからこの程度でよい、ということである。


主観はあくまで主観である。
こんなものを客観的論点で語ろうとすることがいちばん愚かなのである。
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補足について、



ユーラシア大陸で差し支えないです。
ヨーロッパ、アジアという呼称に拘る必要はないです。

中心点はインドですが、インドは多くの王朝が生々流転し統一王国はムガール帝国くらいです。
地理的に中心であっても、文化文明交流、発信という意味では中心足り得てないです。
周囲の部族との交戦も多く、安定した技術発展も思うようにならなかったのでしょう。

ヨーロッパが先に大航海時代を迎え、海路世界へ発信していったので、インドが中心になるチャンスはありませんでした。
インドの背後はヒマラヤなので、海を渡る技術をヨーロッパより先に開発できれば世界の中心となるチャンスはあったかもしれません。
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世界史が好きで、受験科目も世界史を選択しましたが、記憶している限りでは「東アジアが世界の中心」だった時期は思い当たりません。



というよりも、「世界の中心」とはどういう意味なのか?
古い時代にはそれぞれの地域に人が住み、生活圏を作っていますが、「世界的な交流」はほとんどありません。

そういう中で広大な面積を占めた国は、ペルシア、モンゴル、唐、ローマ、オスマン等があります。
それらはヨーロッパ・アジア・アフリカ大陸に位置します。
これらの大陸は陸続きなので交流がおきやすかったし、地球上の陸地の大半を占めています。
特に地中海沿岸は温帯で気候も温暖、生活しやすい地域です。
だから、この地域が世界の中心になったのは、地理的に当然と言えば当然です。

アレクサンダー大王は、「もし世界が1つの国になるのなら、その国の首都はイスタンブールだ」と言ったそうです。(当時の呼び名はコンスタンティノープルだったと思います)
地中海を巡り、ヨーロッパとアジアの中間点で、アフリカ大陸ともつながっています。
モンゴルや中国との交流ポイントでもあります。

この地域が「世界の中心」となって人類の歴史が発展してきたのは、地理学的に
当然の帰結でしょう。
この回答への補足あり
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