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日本の歴史について

平安時代の初期と末期、
江戸時代の初期と末期、
明治初期と現在(平成末期)

上記3つで、生活面、政治面等の時代の変化が大きい順に並べたらどうなるでしょうか?

A 回答 (1件)

回答にチャレンジしてみます。


ウィキで調べてみると平安時代と江戸時代は約300年、明治以降は約150年です。
歴史を深く知らなくても、変化のスピードが時代とともに加速している事実を知っていれば、時代の変化が大きいのは現代に近い時代で、少ないのは最も古い時代になります。

一方、現代日本や日本人に大きな影響を与えた歴史的事実がある時代、という視点で考えて見ると非常に難しくなりますので、まずは独自の視点で過去に調べた歴史的事実を整理してみます。

【平安時代】
・朝鮮半島との公式な交流が途絶え、その後遣唐使の廃止とともに中国との定期的な交流も途絶えたことにより、ガラパゴス化して日本独自の発展がスタートする時代です。

・政治的な手本は中国で、先進的な文書は依然として漢文ですが、この時代にひらがな文字が生まれ、漢字かな混じり文として日本語の文書の記録が残るようになります。

・日本国の統治に天皇が絶対的な存在になったのもこの頃だと思います。実体的な支配者がコロコロと変わったとしても、です。これが中国や朝鮮との大きな違いだと思います。

・平安時代初期と末期で、庶民の暮らしに大きな変化はないように思います。

【江戸時代】
・戦乱の無い平和な時代です。根源的な理由は不明ですが、欧米と比較して火縄銃が全く進化していません。日本独自の進化もなく、戦争では使い物にならない刀が定着しています。

・鎖国時代となり、中国や朝鮮との交流は徳川家との交流のみとなり、西洋からの先進的な技術は長崎の出島から細々ともたらされる状況になります。

・この時代は、ほぼ完全な自給自足ですが、何故それが可能だったのかと言うと、この時代は人口が全く増加していないからです。そして人口抑制は人為的に行われていますが、政治とは無縁だったというのも興味深い点です。

・朱子学が発展し庶民へも浸透しています。中国を源とする儒教で、東アジア特有の思想ですが、その後の明治維新の大変化からみると中国や朝鮮のような弊害はなかったようです。儒教の弊害とは、絶対的な年功序列のため革新的な時代の変化に素早く適応できないことです。

・この時代に日本独自の食文化が確立したのではないかと思います。

・庶民の暮らしに大きな変化はなかったように思いますが、太陰太陽暦を源とする季節ごとのイベントも各地方独自に定着しています。

・下級武士や商人が中核となって、庶民の中で書物を読める人が非常に多くなったのではないかと思います。これにより、若い人たちに西洋文明の影響による革新的な考え方が浸透していったように思います。

【明治以降】
・古代から続いた中国崇拝から西洋崇拝へ一気に切り替わります。人々の暮らしに最も大きな影響を与えたのは、太陰太陽暦から太陽暦へスパッと切り替えたことではないかと思います。

・外国との本格的な戦争がスタートしますが、結局は第二次大戦の敗戦により平和な日本になります。それでもまだ戦後100年にもなっていません。

・なお、関東軍の暴走については、この時代に始まったことではなく、「日出ずる国」の聖徳大使のころからスタートしていますが、過去は世界を知らない日本のお偉いさんの暴走を直に現地を見た人が現実を知って、うまく止めるようなことだったのに、関東軍の時は逆転しています。
・政治体制や庶民の暮らしは大きく変化しています。

以上から、各時代の初期と末期での変化の大きさを考えると、人それぞれになってしまうと思いますが、私は平安時代だと思っています。ひらがな文字と遣唐使の廃止が、その後の日本の独自の発展を決定づけているからです。最も変化が少なかったのは、江戸時代だと思います。
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