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「ある詩人の書いた一行の詩はいつも彼の詩の全部である。」

この文章を何となく理解しようとしています。「一行の詩」は俳句みたいな詩ですか。「一行の詩」は、一行しかない詩ということですか。それとも、もっと長い詩からの一節という意味ですか。

「。。。いつも彼の詩の全部である」という部分は前の部分にどんな関係がありますか。一行の詩を書く人は一行の詩意外の物が書けないという状態ですか。

ありがとうございます。

A 回答 (8件)

し【詩】



① 文学の形式の一。一定の韻律などを有し、美的感動を凝縮して表現したもの。内容的にはギリシャ以来抒情詩・叙事詩・劇詩に大別され、近代にはいって定型を廃した自由詩・散文詩が盛んとなった。
【大辞林】

で、「一行の詩」は、一行しかない詩ではなく、一行あるいは多行の詩の中の一行が孤立したものではなく、全体と部分の関係で、彼の全詩行と内面で結び付いていると言う意味です。■
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アフォリズム【aphorism】


簡潔な表現で人生・社会などの機微をうまく言い表した言葉や文。金言。警句。箴言しんげん。「芸術は長く、人生は短し」の類。
 芥川の晩年(晩年とは言えないほど若かったのですが)はこういうものを、書き続けました。果たして人生の真理や機微を捉えた名言ができたのでしょうか。私は疑問に思います。若い人が読むのには向いていません。
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#3です。


#4OKATさんのご回答で教えていただきましたが、芥川の作品だったんですね。

 三 鴉からすと孔雀くじゃくと

 わたしたちに最も恐ろしい事実はわたしたちのついにわたしたちを超こえられないということである。あらゆる楽天主義的な目隠しをとってしまえば、鴉からすはいつになっても孔雀くじゃくになることはできない。ある詩人の書いた一行の詩はいつも彼の詩の全部である。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/13_1 …

『一行という短い詩の場合、そうした本質を凝縮した内容が作品となっているはず』と申し上げた点に関しては合っていたようです。
ただ、私は良い意味でこのように言ったのですが、芥川は良くない意味で言っているようですね。

たとえ一行だけの詩であっても、そこには彼の詩の全部と同様に、その詩人の本質が現れてしまう。

ということのようです。
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一篇の詩のそれぞれの一行は


誰のことばか不明のままでは、(一篇の)詩の(それぞれの)一行は、()の部分を省いた表現がふつうです。
>一篇の詩に匹敵する大切な一行なのであると
だから一行のみの詩といえども・・上記のとおり。
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「ある詩人の書いた一行の詩はいつも彼の詩の全部である。


これは誰の言葉ですか。何時もの芥川の言葉ですか。芥川のことばであれば、一行(だけ)の詩の意味ではなく、一篇の詩のそれぞれの一行は、一行だけの詩のように、力を込めて(魂を込めて)書くものである、と言いたかったのだと思います。一行は単なる一行ではなく、十行・二十行、すなわち、一篇の詩に匹敵する大切な一行なのであると。
 アフォリズムを得意とする芥川くらいしか、書かない言葉です。
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「ある詩人の書いた一行の詩はいつも彼の詩の全部である。



一行詩という言葉をはじめて知ったので少し検索してみました。
下記は、山陽小野田市の「第19回女と男の一行詩」最優秀作品。

妹が割った玉子を僕が混ぜ ママが味付け パパが焼く これが我が家の玉子焼き (大阪府高槻市 横尾 伸子)
https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/soshiki/12/po …
この例からすると、俳句や短歌なども含めた『一行しかない詩ということ』になりそうです。

冒頭文に対応させれば、
「横尾 伸子氏の書いたこの一行の詩は、いつも横尾 伸子氏の詩の全部である。」
という意味になる。
上記作品の本質は何だろうか、と考えてみます。
この詩は、おそらく息子さんの立場に立って書かれた母親の作品だろうと思います。
ここから見えてくるのは、家族全員に対する限りない慈愛の眼差しでしょう。
溢れんばかりの家族愛。
たとえ、他に(一行詩以外も含めて)どんな詩を書いたとしても、彼女の作品の根底にはこの家族愛が常に存在しているのではないか。
たとえば悲惨な事件などを扱った作品であっても、家族愛を大事にしていればこその視点で、その詩は書かれるであろう。
一行という短い詩の場合、そうした本質を凝縮した内容が作品となっているはずであり、「横尾 伸子氏の書いた一行の詩は、いつも横尾 伸子氏の詩の全部である。」と言って差し支えないだろう。

およそ、こうした意味の文ではないかと思われます。
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>「一行の詩」は、一行しかない詩ということですか


そういうことです。
>はいつも彼の詩の全部である
いつも→いつ作られた詩(別の一行の詩)であっても、その人のすべてが含まれている(その人しか作れない詩?)。
>一行の詩を書く人は一行の詩意外の物が書けないという状態ですか
逆は必ずしも、真ならずです。
>部分は前の部分にどんな関係がありますか
文字で表現された表面上の意味しか理解しないと、そんな質問が出ます。
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行を 1line と考えれば俳句短歌を含む文字通り一行に書かれた詩のことでしょう。

が、行を「くだり」と読めばもう少し長いものも含むように思います。

短い言葉の中にいつも彼の詩の本質の全てが表現されている。どの言葉を読んでも彼の個性が生きている。
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