足利義満について
今僕のM中学校では歴史で「足利義満」について学習しています。そこで疑問に思ったのですが、なぜ足利氏は武士?なのに、お坊さんの格好をしているんですか?詳しく教えてください。お願いします。
回答(8件)
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まあ厨坊は「自分で調べよ」こそが勉強であり、こんなところで宿題を他人になすりつける、というのは勉強ではありません。
それはともかく、平等院鳳凰堂を「建立した」という言い方になれば、それは道長の別荘をうけたとは言え、「道通の建立」とするのが通常の常識かと存じます。詳しくは平等院公式HPにて。
厨坊の宿題に付き合うのはいいかげんに、とも思いますが、嘘を教えるのも如何なものかと。
No.5ですが少し勘違いがありました。義満の死後、義持に壊されたのは鹿苑寺であり相国寺ではありませんでした(金閣だけは残存)。しかし七重の塔は完成後4年で焼けてしまい、北山第に再建されますが、これも12年後焼けてなくなります。
金閣寺ですが、屋根の上に鳳凰が乗っかっていますね。鳳凰がある建物というのは珍しく日本には2つしかありません。金閣と平等院鳳凰堂です。この2つには不思議な共通点があります。共に天皇をないがしろにした大権力者が建てた寺だということです。
平等院を建てたのは菅原道真です。『この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることも無しと思えば』と平安時代に我が世の春を謳歌したあの道真です。
鳳凰とは『聖天子が現れると世に出るという想像上のめでたい鳥』(広漢和辞典)なのです。つまり、鳳凰がいるということはその下に聖なる王が出現したということです。その聖王、聖天子とは誰か?言うまでもない、もちろん天皇などではなく、それは道真であり義満なのです。
1395年(応永2)38才の時全ての官を辞し、将軍職を4代義持に譲り、出家していますね。
天皇の御所の隣に相国寺というバカでかい寺を建て、その中に七重の塔(高さ約109メートル)を作り、御所を見下せるようにしているくらい、天皇を下にみていたのです。(教科書によく載っている『洛中洛外図屏風(国宝・上杉本)』からの京都の眺めはこの塔からのものです。この相国寺は、義満の死後、子の義持に焼かれ当時の面影をとどめていません。
それから、金閣寺ですが、一階が寝殿造り(白木)、2階が武家造り(金箔)、3階が禅僧仏殿造り(金箔)というのはおかしいと思いませんか?これは、貴族(天皇)が貧乏(金箔も塗られていない)で一番下、武士(将軍)はお金はあるが2番目、一番上は禅僧(自分、義満)という当時の力関係を形にあらわしたものなんです。
補足ですが、現役の将軍や天皇は僧侶ではありません。
よい例として、天台宗座主の義円というお坊さんがおります。
彼は義満の息子ですが、兄の義持が死ぬと籤引きにより5代将軍になります。
そして還俗(僧侶から一般の人間になる)して、足利義教と名乗ります。
つまり現役は俗人ですが引退した方は僧侶になる場合が多く、天皇も引退すると上皇と呼ばれますが、出家により「法皇」と呼ばれます。
ただ我々が想像するお坊さんとは違い、戦もしますし女性も側に置きますし、かなり生臭い僧侶が多いようです。
義満が出家した経緯は先に書いたように、俗世間の序列から離れて、天皇と肩を並べようとしたといわれております。
足利義満ですが、武家としては征夷大将軍であり、朝廷からは太政大臣(関白の1つ下)の地位を贈られ、息子を天台宗座主にして、政治宗教あらゆる分野で絶対的権力を握ります。
そして1395年太政大臣の職を辞し、出家します。
ただこの出家は権力を手放しての引退ではなく、
天皇→関白→太政大臣(義満)というヒエラキー(階級)から抜ける事で、朝廷(天皇)と対等の立場に立とうとしたと解されます。
その為これ以降は一応僧侶という事になりますが、朝廷の人事に介入し、後小松天皇の息子を出家させて後継ぎから外し(これが有名な一休さん)たり、その絶対的権力は時として天皇を凌ぐ物でした。
No.2ベストアンサー20pt
compaqさん、こんばんは。
その疑問、よくわかります。僕もむかしそう思いました。教科書には、お坊さんの格好をしている、例の絵しか出て来ないですしね。
歴史の要点は相国寺(金閣寺、銀閣寺の本山)のサイトをどうぞ。
http://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/person/ash …
参考URLには、出家前の武士の格好をした義満クンの絵もありますよ。
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