プロが教えるわが家の防犯対策術!

複雑な系(銀河系、生態系、神経系、体育会系とか)というのは、たいてい「階層構造」になっているようです。

上に立つモノと下働きがいるわけですね。

だから、私たちの「考え」もその影響を受けていないなんていえないよ絶対。
・・と思うんですが。
つまり、上に立ちたがったり、下に行きたがったりという機能や衝動が「生得的に」備わっているのではないのでしょうか?
で、もしそういうのが有るとしたら、いったいどんな仕組みのモノでしょう?
(自分でもうまく言えてないのは自覚中・・(・_・;))


あんまこじつけるのはよくないですが、「階層構造」はそのくらい、とてもスゴイ発明だという気がします。

「上に立って見下ろす」ということは「先読み」につながりますからスゴく有利ですし。

だいぶ曖昧な質問ですがこれが精一杯です。
テキトーに答えていただいて結構です。
宜しくお願いしますm( _ _)m

A 回答 (8件)

明日のジョー的にマットから起き上がってきました。


まぁ、ナミヘイは、その家族、磯野家の者たちに多く心を許しとるわけですから、ナミヘイの中に、内的に、磯野家が存在していることになります。
ナミヘイが出家して、それを切り離すとどうなるか?
今度は、ナミヘイは、内的に人間グループを保持して生きていくことになる。人間ナミヘイ、ここに現るってことです。その次、ナミヘイさらに修行を極めるべく、人間やめます。すると、一地球生物として、生きることになる。さらに、解脱すべく生き物やめるわってことになったら、つまり、生き切ったら、ナミヘイは一宇宙として存在することになる。で、もうええ加減もうやめ。ヤメヤメっす、ってなると、終わりです。存在しなくなる。
 
逆に、ナミヘイが瞑想して、一磯野家の人々よりも、もっとナミヘイに近づくと、ここに個が現れる。ナミヘイという名前を捨て、只の存在になる。
 
これを系の疑問、階層構造らしきものがなぜあるか?っつうことに当てはめると、無いってのは無いわけです。対流の世界でいうなれば、超温度。だから、こぼれてくるんです。超高温が。それが、どんどんどんどん冷めた方に落ちてくる。それで、最後には静止に漸近していくんですが、これが只の存在(個)に漸近することだと思うわけです。個は、止まっとるわけですから、、、ここがムズイですね。ああ、いけました。スピードの枠組みを保持していないわけです。それ以上落ちないんです。流れていない。そういう意味で、初めの超温度と同じ現象を起こしてしまうわけです。
つまり、無限に落ちる。
 
つまり、無限へと落ち続ける宇宙をみるために、科学的理解へ導くと、階層構造に見える。
 
階層構造の一番下が個。一番上が初めの宇宙。その上は無し。個の下も無し。だから、個の下に第二の宇宙があるということになる。
 
それでですね、一王国。一個の王国があるとします。その下には、権力者や金持ち、慈善グループとかいろんな階層構造がある。社会構造の最小単位が、何かは知りませんが、王国は、個として存在し得る。
 
一人間にも、その下には細胞や原子がいっぱい居るわけです。だけれど、一人間は、個として存在しえるし、一細胞も、個として存在しえる。素粒子もそう。
 
あらゆる存在すべてが個として存在しえるし、宇宙の源泉として存在しとるわけですから、階層構造ってのは、宇宙の外側から無限に落ちてきて、個の内側へと無限に落ちてゆく、そういう中で、階層構造ってのは、宇宙としての個を何個数えるかってことだけで、七階建ての宇宙、とか、あら、うちは平屋、一階建てなのよ、とか、あらわたしは野宿なのよ、大空がうちの屋根なのよ、っていうか屋根ないじゃん、という風に、雑談のネタとして、頭の妄想世界を駆け回るわけです。

無という源泉から一本、存在という名の角が出る。(他にも出てると思うけれど、それは知らない。)その角から、無数の角が、角の内側に、伸びてゆく。角は一見穴だらけに。その二層目の角からも、角がいっぱい伸びる。で、その角の頂点は常に個。その個の先端が、静止に漸近しとるわけです。
 
最初にでた素粒子など、長生き、短命、色々なやつがいるけれど、彼らが複雑に絡み合って今の俺という個を形作ったのは、彼らの中に、次元の川を形作るものが、流れていたからではないでしょうか。
その川をつくる泉が、衝動的に、沸きあがっとるということですかね。内側から、外側に、落ちていくわけです。滝が。見ようによっては、滝が空を昇っていくわけです。内側とか外側って、たぶん一緒ですし。どっちがどっちでもいいとおもうんです。便宜上、のはなしで。
目に見えない、素粒子の中の話ですし。
 
ノビタが、ジャイアンの下につこう、王様になろう、そのような気持ちは、ノビタに内的王国があって、その王国が、ノビタを一国民として動かしている。
まぁ、それはそうかもしれません。そんな気がしますね。その王国も、内的には何かより大きな「系」を保持していて、それに突き動かされているのかもしれません。まぁ、個体を動かすために、それ(より大きな系)が内的に存在する必要は無いのかもしれませんが、外的にあるということ(現れているもの)は内的にあるということですし。内的にあるということは、想像の産物であるということとはぜんぜん違うわけですし、(イメージやアイデアは、脳という外的な構造に現れている、外的なもの。テレビの映像と同じ。)

アウトプットインプット、側を通さずに、直接インプット、アウトプットする回路があるのかな?
それとも、より大きな系の分身(コピー)が、さまざまな個体に組み込まれていて、全体の系として、一見ばらばらの個体らが同調してるのかな?
まぁこのへんで、ラウンド終了です。かんかん。
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ああ、やはりそっち方面にいきますか・・・。
哲学好きなくせに、高度な抽象思考力や化学的な知識がだいぶ貧困なもので・・理解力が及ばないとこが多々ありますが、そのへんはご容赦ください。
御内容、なんとなくは伝わりました。

「個」についてや「ナミヘイ」「温度」「角」などの話はすごい面白いですねー。
イメージ的にも笑え・・・いえ、刺激的ですし。
(「ナミヘイ」は笑いました)

>>ああ、いけました。

い、いけませんでした(^_^;)ハハ・・

>>より大きな系の分身(コピー)が、さまざまな個体に組み込まれていて、全体の系として、一見ばらばらの個体らが同調してるのかな?

これは、DNA的ですね。
暗号化されて、仕込まれてるっていう。

ぼくらの脳が階層構造だから、全てが階層構造に見えちゃう可能性はありそうですかねぇ?
ああ、頭いてー。

お礼日時:2004/12/30 20:52

世界は、計り知れません。

同意していただけますか?
だけれど、見えたり知れたり、あらかじめ知っていたり(DNA、本能のように)するところもある。
 
世界は計り知れないので、そのまま見ることができません。だけれど、見えてるものもある。目の前いっぱいに広がっているわけです。世界が。世界はまったく見えないわけではない。
ああ、この平原はどこまで続くのだろう。この川はいつまで流れているのだろう、私はどこから来たのだろう。
目の前に、長い道があって、どこまで続いているのかわからない、そういうシチュエーションがあったとします。もし、ぐーんと上昇して、バーズアイで地上を見れたら、。
前へと続いていた道は、うどんのように、そしてやがてよれた糸くずのようになり、山脈の中腹で中断していることがわかった。
これで、一階分、階層を移動したこととします。
 
計り知れない世界が、なぜか目の前に、広がっている。視野におさまりきらない。
ここで考えます。
見えているものは何だろう。
すくなくとも、世界の全てではない。
世界の、一部が、見えている。この一部を、一つの形とみなします。
形は二つと同じものは無く、くるくると変わってゆく。たくさんの形を見た。だけれどいまだ、世界の全てを見たとはいえない。
今まで見てきたものはなんだろう。
ここで考えました。
 
ああそうか、今まで見てきたものは、世界の影だ。
まぁ、うなずいて話を進めてください。
ここに、僕の見つけた階層があります。それを、従来的な次元の考え方と交えて試論してみます。
先ほどの道は、上から見れば、道の全工程がわかりました。あそこからはじまって、そこで終わる。視野の中に、道が完結しています。だけれども、地上に降りてみると、道はどこから来て、どこへ行くのか、一目見ただけではわからない。歩けど歩けど、進めど進めど、または戻ってみても、めくるめく風景が、道の一部が、見えるだけ。それを、道のある場所における形
とします。これを、影と呼んでみてください。上空から見ると、ただの縮れた一本の毛にしか見えない道が、地上では無数の形を保有していたことに気づきます。
 
で、いいですか?
世界が、計り知れないけれど、あるかどうかもわからないけれど、無いとは言えない。なぜなら今、その一部、または今見えているこれが全てかもしれないが、見えているから。
それを、明かりとします。今、ここには明かりが灯っている。見えているこのここを、明かりが灯っている事とします。他の見えない場所、たとえば、地上にいて、道の途上では、道の終わりや、始まりには、今はまだ明かりが灯っていません。
あなたの目の前の、一時間後にはまだ、明かりが灯っていないですし、一時間前には、もう明かりが消えてしまっているのです。だから、今しか見えない。
ここでひとつ考えておく点があります。
なぜ、自分は、明かりのあるところがいつも見えているのだろう。逆に言うなら、なぜ見えているとき、いつも明かりがついているのだろう?
考えられうることは、闇は見えない。だから、闇を見たとは言えない。闇の中では、影もたたない。
もう一つ。
明かりがあるだけでは何も見えない。映るものが無ければ、見たとは言えない。光の中では、何も見えない。四方八方光の中では、影は立たない。
 
だけれどなぜに、自分には、明かりによって見えるものが見えるのだろう。
ここで、光と、映された影の存在がわかるわけです。
見えているのは、映された影だと。では、光はどこから来ているのか?光が外から来なければ、影は立たない。しかし、光が外から来ているのなら、闇は無い。
全てを照らし、鳥の目で見たように、世界の全貌が目に浮かぶはずだ。しかし実際には、一時間後の目の前のように、あるかないかもわからない道の終わりのように、闇は存在する。見えないところがある。
 
計り知れない世界。闇にまぎれた世界。
そして、立った影、目の前の見えている形。
その形を映している明かり。
 
明かりは、なぜ闇を照らしてはいないのだろう。
なぜ、目の前しか見えないのだろう。
ここで考えておく点があります。
ひとつ、見ている私が光ではないか?
(ピカーっ!)(゜д゜三☆
もう一つ、影の内側に明かりがあるのではないか?

前者の場合、私は必然的に光になります。
後者の場合、私は必然的に闇になります。
 
しかし前者の場合、じゃあ何で、光の届かない闇があるのか?なぜ、一時間後の未来に私の光は届かないのか?そういう疑問がわきます。
バーズアイになれば、なぜ、道の終わりまで映し出すことができるのか?
世界の全てを見るには、どこまで上昇すればいいのだろうか?
 
後者の場合は、なぜに次々と、明かりが出現するのか?今捕らえたと思ったのに、また居るではないか。
そんな疑問が起こります。このように世界が絶え間なく明滅するというのは。光に包まれているのだろうか。そして私だけが闇なのだ。
 
ここに、外と、内という概念が出てきます。
 
自らを明かりとした場合、世界の全てを見るためには、世界の終わりまで上昇しなくてはなりません。
それはまるで、歩かないかもわからない、道の終わりまで、地上にて歩くことと一緒です。いつ尽きるともわからない宇宙(そら)を、鳥となって上昇し続けるわけです。
 
自らを闇とした場合、世界の全てを見るには、どれだけ時を過ごせばよいのでしょう。いつ絶えるともわからない明日を、待ち続けるしかないのです。忘れかけた昨日に、再び火を灯すこともできない。光を湛えた無数の世界の形が、自分という闇を経過し、背後に消えていく。世界の全てを見るには、それは永遠を必要とするだろう。 
 
自らを明かりとした場合、世界は外側で広大無辺の闇、自らは内側になります。
自らを闇とした場合、世界は内側、しかし、尽きることの無い深い時を宿した内側として、刹那の闇に立ちはだかる。自分はこのとき、外側です。
 
わかりかけてきたでしょうか。
自分という闇を経過して行く久遠の世界は、空間。
闇は面。
自分という明かりを元に駆け巡る世界は空間、明かりは面。自ら放てる明かりは、二次元。照らしたい世界は三次元以上。
自ら捕らえれる形は二次元。捕まえたい世界は三次元以上。 
 
レベルが違うわけです。階層が。
で、自分という境界面を基準に、内側外側、と、分けることができます。
 
で、世界の全てを見たい人は考えます。
照らせば届かない、捕まえてもきりがない。どうすればいいのか?ああそうだ、道になろう。
ああそうだ、空になろう。そうすれば、遊べること(迷えること)はもう無いだろう。永遠になろう。
 
二次元としての自分をやめることに、トライするわけです。
これが、階層を移動することだと思うわけです。
つまりそれは、階層を解体することに他ならないわけです。
二次元の闇を破壊する。
二次元に封じ込めた明かりを解放する。
その方法が、ジョナサンだとおもうわけですが、こうなると、もう怖いものなくなる。
自分は今、真に、世界へと挑戦しているのだから。自分以上のものに、挑んでいるのだから。
これ以上生きることなど、今はありえない。
そして気づけば、光速めざして飛んでいたはずが、散歩している。
しかしそれは、宇宙を散歩しているわけです。
 
PS.考えていたのとぜんぜん違うくなってしまった(^^;
考えてる間にしんどくなって、後半を捨ててしまいました。しんどく考えた文章は、読み手もしんどいとおもって。
ただ、衝動がなぜあるか?知りえない世界、つまり明日がなぜくるのか、なぜ時間は進むのか、ということ、なぜ世界は広がりを見せるのか、なぜ私は進むのか、それは、、、計り知れない世界には、真空のような力があり、吸い込まれていっているのでは?という後半部の仮説でした。自分に吸い込まれるたり、世界に吸い込まれたりという。。
ではでは、ここら辺で打ち切りにします。ありがとうございました。
 
星がよくあがりますね(^^)冬は。
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この回答へのお礼

遅れてすいません。

いまだ、
パソコンの前に座る時間がないので、
お礼と一言だけで、
ご勘弁くださいね。


「自分の「外側」に出て、チェックするすべを持たない私たちには、「想像」が精一杯やもしれん・・・でもそれも、悪くはない」


ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/16 17:36

まぁ、スリーラウンドでゴングが鳴ったので、シャドーボクシングと思って聞いてください。

プロトタイプを作れそうな気がして。階層構造の。いいすか?
 
まず前置きなんですが、階層構造ともかかわってくるのかな、僕の思考は停まり気味です。でも、アインシュタイン?古いかもしれませんが、光速になると時が止まるとかそういう理論や法則もあるようで、停まって見えるくらい、速い。漫画でやってましたが、古武道では縮地というそうで。瞬間移動するわけです。思考が跳ぶ。これって、あるいみバーンダウンです(^^;
散歩してるような気分でいたいときもありますが、そういうときに限って、しゃべらなくても、人と心で通じ合えたりするわけです。
加速しているときは逆に、理想や、はたまた世俗とも、通いにくい。
うどんが伸びるので、前置きだけ送信してまた来ます。
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僕らの頭が階層構造的だから階層チックに見えるってのは、あると思います。

自前の脳みそが、たとえば昆虫の複眼のようになってたら、見えるものも、「通したものの影響を受けて」形を変えて見えると思います。むしろ、ある見方をするために、いくつかの必要な色眼鏡を装備して、僕らは生まれてきているのかもしれません。まぶしすぎる太陽を見るためのサングラスとかみたいに。
 
それでですね、自分もそろそろ袋小路気味だったのか、衝動の話をするきっかけになりそうなものを見たのでそのことを。マウスピースをはずして喋りまくります(゜д゜~jgaiorm:po'Щ
 
テレビでですね、水鳥やペンギンが出てたんですが、ペンギンの子供は、生まれたときはずっと陸なんですが、産毛が抜けて新米の成獣になって初めて海に入るとき(巣立ちのとき)、やっぱ幾分かびびってしまうんでしょう。しかし、岸壁の波打ち際はかえって危険、ついに、「衝動」によって飛び込み、そして羽ばたき、大海を弾丸のように飛びかう。という映像を見ました。
雛鳥のときから、バタバタと羽ばたく練習をしていたから、すぐに泳げたんだろうとは思いますが、ぶっつけ本番です。それをああやって乗り越えれるということは、なんですかね、誰にも教わってないのに、はじめから知ってる。生まれたら、手がなくて、翼があった。
やっぱバタバタしたくなるんでしょうか。「衝動」的に。
 
その衝動は何がもたらしているかといえば、階層構造でいうなれば、ペンギン族としての生き方が、そうさせているんだと思うわけです。この質問に即せば。
 
で、人間の衝動というのは何か、というと、それはそれぞれの人が知ってて、かつ、人間族として共通するような行為を導くと思うわけです。
飛べる鳥はみな羽ばたくように、人はみな、・・・ってわけです。
 
が、ここまでは動物の話。僕的には、衝動というのは、「かもめのジョナサン」を駆り立てたものだと思うわけです。
「あいつ、あんなに飛んでばっかり馬鹿じゃねぇの?」
「同じかもめでも、ジョナサンは違う。」「他のかもめとは違う。」
やっぱこれですよね、衝動って。
かもめのジョナサン、知ってますか?

世界中の生き物が、かもめのジョナサン的な個体をもってして、進化してきたと思ってみるのも、わかりやすいです。でも、やっぱ、ジョナサンの飛んだ空は、ジョナサンのすべてを受け入れたわけですし(他のかもめたちと違って)、俺の考える世界(WORLD BY SELF)は、俺の全てを、他の何者とも違うものにしてしまう。
 
かもめのジョナサンはなぜ必要以上に飛んだのでしょう。命をつなぎ、生きていくこと以上に、彼は飛んだのだと思うんですね。さらに言えば、生きていくことを棒に振って、彼は飛んだわけです。
 
そのようにジョナサンを「仕向ける」衝動っていうのは、世界の始まりからあったんじゃないですか?と、わいはおもうのら。
 
世界の始まる前は、生きていくことというのは、存在しなかったわけですから、生きていくこと以上のことを成させようとする衝動って言うのは、世界の始まる前に、その起源をもつと考えても、そんなに論理から外れてるわけではないと思うんです。
 
ということで、生きるための衝動(一つ)と、生きることを差し置いて、生命を貫く衝動(もう一つ)がある(んじゃないか?)。と、形而上的なものを憧れる人間は考えるし、形而上と形而下、そのハザマも、ちょっとトリッキーな、階層構造といえるかもしれません。
それで、エネルギー自体が構造(形)をうみだすんじゃないかということで、対流を例にだしてみました。
 
形って何であるのか不思議ですね。エネルギーがあるのはわかる。形がありえるのもわかる。でも、なぜ世界がこの形なのか、自分の手は放射状で、先端に硬い蓋(つめ)があるのか?さっぱりわかりまへん。
何でそういう風に生き方(形)、つめが必要な生き方なのか?なぜ、そのような人体が導くいき方があるのか?なぜ、ジョナサンに翼が用意されていたのか?さっぱりわかりません。
個体が存在する意味も、よくわからない。
別に、個体の認識、自分の認識を前提に、宇宙を語る必要も無いわけですし、なんでこんなにいろいろな見方(めがねの形)があるのか、よくわからん。
哲学する頭はこういうわけです。
なんでなんで、なんでそーなるの?
なんでなんで、また生まれてもあいたいって思うの?
なんでなんで、それが君のそばで花になることなの?
なんでなんで、それが沁みるの、なんでなんで、約束できるの?
何か意味が、あったっけ?
このスイッチ、なんだっけ?
押してみる?引いてみる?帰るフリして裏拳してみる?
ああやっぱりそうだった、あなたの顔はそこにあった、触れてはじめてわかったよ、こんなにそばにいたんだね、え?存在をたしかめるためだけにわたしを殴ったのかって?
いやぁ、混乱しててね。
 
やっぱり、正直混乱してると思うんですよね。
ってゆうか、無理やり混乱した。ぐらいのきもちで。
たぶん、考える意味をわかってない。
物事を整理整頓することが、考えることなんじゃないとおもうんですよね。
より速く飛ぶこと。
そのために、いくらかの人類はわざと混乱したわけです。仕向けられた。
だって、頭をスマートに使いこなして、立派に生きて、清く暮らして、それで何に、なるというのだろう。って言い分が、衝動の起源の文句になるのかな? 
べんべべん、俺は哲人、インド版。生まれた時から決まってる。俺の生き方決まってる。どうやって生きるべき?自分で考えろ。だから、一番大切なことは教われない、っていうじゃな~い?べんべべん。。
だけれどあなた、その髪形、キマってませんから~!残念っ!
朝は毎日鏡見ろ!斬りっ!
ついでに歯も磨け!斬りっ!
ゆうこと聞きなさい!
こんな個に育てた覚えは無いわよっ!斬り~っ!
だったら忘れてやるわよ、ツバメ返し。
 
もし、衝動の火を消してしまうと、その個はどうなるんでしょうね?それに影響していた機構は?また、個の上位階層(外からも内からもその個を支配する体系)の構造に見捨てられたら?
 
衝動の火は、追いかけてくる火、与えられた光。太陽。宇宙の火、命の火。無の鼓動は吐き出す炎ってことですかね。ジョナサンなら、衝動の風速を上回って、振り切った、と思います。最速の温度が、個だと思うんですね。バンザイ、コ。
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この回答へのお礼

ああ、こんどのお話はだいぶよくわかります。
ジョナサンは知らないんですけど、前のよりわかります。
レベル微調節していただき、ありがとうです。

話はあさっての方向にそれますが(あさっての方向ってどこだよ!(笑))
思うに、人は「どこで思考停止するか」で、人生がかなり決まっちゃうように思います。
「考える」には相当エネルギーが要りますからね。
そんな考えなくても生きていけるし、幸せは手に入るし。

哲学的なことについて、
BABAaさんのようにトコトン止めない人もいれば、大概の女のようにさくっと止める人もいる。
僕は中途半端なところで迷っている。
まだ「ふつうの幸せ」に未練があるから・・・

どっちを停止しようかのう・・
どっちも欲しいのう・・。
みたいな(^_^;)

「命をつなぎ、生きていくこと」
仰るように、これは「生命」の都合ですよねー。
人間を生命機械とみなせば、これ以上の動機も衝動もありえない。生物学者には、ココに全ての要素がつまっていると言い張る人が多いですよね。
「生きること」を差し置くなんてありえないと。
それも一つの思考停止。

「形ってなんであるのか・・・」
からのくだりは、僕にもしょっちゅう感じることです!
自分の手だとか空だとかモノだとか生物だとかを、眺めてるとクラッときます。
こころのなかで「ありえねー」と叫びます。

「個の上位階層の構造に見捨てられたら?」
ってのは・・・怖いですね。
僕は実は一卵性の双子なので、「個」については考えざるを得ないテーマです。
いろいろ参考になりました!
ありがとうございます。

ああ、「人格のon.offスイッチ」・・欲しいなぁ・・・。

お礼日時:2005/01/05 01:24

たくさん考えましたけど、もうオーバードライブですので、てきとーに。


上のものは下のものに尽くしてるんじゃないですか?
だからこう、対流のように。下から沸きあがって、上で渦を巻いて下降、また下を押し上げるような。とまってないんじゃないですかね。
 
その動力源が、何かは知りませんが。
個と、グループ(系)と、枠組みの輪郭がみあたらないということ。
時空を巻き込んだやいこしい思考になって。
ダウンしていいですか?
 
銀河系でいえば、上のものと下のものはなににあたるんでしょうか。
イソノ家族で言えば、上の者下の者は何でしょう。
上のものは各個人?下のものは家族というグループ?
それとも一個人が上に立ち、残りの家族が下に立つということでしょうか?
 
同じ軸上で重なる階層が上下ということ(ナミヘイとほかの家族達)なのか、それとも、多次元的に広がること(たとえば、草原の中の一本の草は、草原(系)を出られない。一匹のライオンは、捕食者グループ(系)としての生き方から逃れられない)を上下といっているのかよくわからんようになりました。

上に行っているようで下に行っている。
下に行くのは上に行く準備。
そんな感じでまわってるんではないんかなぁという感想です。 
もしそうだとしたら、、個は時間をかけて、グループを回ってるってことですかね。
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この回答へのお礼

ほんっと有難うございます。
正直、このしつもん忘れてました。
そして、すいませんでした。
混同&アバウトすぎでした・・。
まともに理解しようとすると、よくわからなくなって当然です。

かってに僕が決め付けちゃうと、銀河系では・・・
銀河系(太陽系(恒星(星)))ですかね。

地球生物は
生物(分業生物(多細胞生物(単細胞生物)))

人間社会では
地球(国・部族(血縁(家(磯野家((玉)))))
です。

人体だと
人体(骨・皮・臓器その他(細胞))

「細胞」も最初はたったのイッコの受精卵で、それが兆分裂!→超細かく分化!してくんですから、これだけでも階層構造ですよね。(自信なし)

〈注〉あんまし厳密にかんがえないでください。
「上」といっても実際上にいて威張る人ではなくて「いろんな要素をまとめている存在」というくらいの意味あいですね。
だから、波へーとその他は同レベルです。
「王様」が上なのではなく「王国」が上です。
(ちなみに、「玉」とか「体育会系」は冗談です。紛らわしいかつ、つまんなくてすいません。)

疑問点は・・・
「系」の構成員は「その内部に」階層構造を形成しうる衝動というか、プログラムがくみこまれているのか?
はたまた「外的な」要因なのか?

そして、その要因とはいったいどんなもんがかんがえられるか?
これは「自然淘汰の産物だよ。」で説明ついてる問題なのですか?(たしかに自然淘汰説によって内・外的要因両方の説明はつきそうなんですが・・・。)

ということでした。(思い出しました。ありがとうございます。)

ぼくら「一個人」も「社会」という「階層構造チックな系」の一構成員ならば(ここに論理的飛躍があるんですが・・・)内的な要因(つまり衝動)が存在する可能性がありそうではないですか?

それは、「王様になろう」とか「ジャイアンの下につこう」とかいう衝動に近いものではないか?
だって王様と家来がいなければ王国は存在し得ないでしょう?

ああ、僕もダウン・・・。

お礼日時:2004/12/28 21:39

テキトーな回答ですが、


集団と、集合の混同ではないでしょうか。
>「上に立って見下ろす」ということは「先読み」につながりますからスゴく有利ですし。
集団の場合は、外部に対しての有利を「上のもの」が責任持つわけです。集合はそもそもむにゅむにゅ・・・

つまり、経と緯の違の混同です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分で読んでもよくわからないやうな質問に答えていただいて・・・。

じっさい混同してますしね、、、。

疑問点のニュアンスが伝えにくくて困ってます。

お礼日時:2004/12/11 20:01

たまたま上にあったモノが上に立ってまとめるんじゃないんでしょうか?


能力あるなしに関わらず。
下が強すぎたりすると手に負えないこともあり。
上も下も優れている組織がイイ組織なんでしょうね。
要するに、イイ仕組み。
イイ仕組みだけを見ていると、素晴らしいモノに思えてきますが、世の中「ダメ構造」のほうが多いですよ。
構造改革は出来そうもありませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

たまたまですかー。

「階層構造」は進化論的に優れている(と思う)ので、世界の至る所で発見できるのでしょう。
たまたまではなく、理由となんらかの仕組みがありそうじゃないですか。

「ダメ組織」たくさんありますよねー。
たとえば「私」は、あした仕事あるのにドラクエがやめられなくて夜更かしをくりかえすダメ司令官です。

お礼日時:2004/12/11 20:32

参考程度に


向上心(努力する)という心があることが階層構造の投影ですね。公平ではあるが、向上心を生かせば上下の差は出来ますね。誰しも悪さを続ければ際限なく落ち、前向きに努力すれば際限なく上昇するようになってますね。その時間経過上は、限りなく階層構造なのですね。でも全員が前向きに努力すれば限りなくきのこの傘のようになることもありますね。つまり時間経過上の構造なのです。

この回答への補足

上とか下とかは言葉の印象が悪いですが、良い悪いという含みはありません。
「下」の働きや成果を利用して成立してるモノを「上」と呼んでいます。
例えば、「細胞」と「生物個体」の関係です。
どちらにも恩恵がある関係だと思います。

私たち人間の「思考」にも、そういう「なんらかの動因」や「恩恵の関係」があり、階層構造を作ってるようなきがします。

補足日時:2004/12/04 23:42
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
向上心ですか。
なるほど。

お礼日時:2004/12/04 23:45

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