プロが教えるわが家の防犯対策術!

https://www.nihongo-c.co.jp/blog/blog-entry-42.h …

のようなページが有りました。

>「あ~!電車(バス)、まだいる!よかった~」とか、「タクシー、いる?」
なんて私たち日本人は話していますよ♪

本当ですか。

質問者からの補足コメント

  • お礼が間違っていましたので訂正します。

    ... 動くものは原則「いる」を使うと誤解する人が出てきそうな気がします。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/18 07:51
  • 動くか動かないかで判断しているのでしょうかね。

    お掃除ロボットが掃除をしていたら、
    「隣の部屋にお掃除ロボットがいます」
    と言う訳ですか。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/18 10:44
  • なぜかお礼欄に書くとエラーになるのでここに書きます。

    回答ありがとうございます。
    TVのニュース番組でも数年前までは、
    なお、この事故による負傷者はありませんでした
    と言っていたと思いますが、最近は
    なお、この事故による負傷者はいませんでした
    と言っていますから微妙ですね。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/18 11:36
  • 皆さまコメントありがとうございます。
    私なりに以下のように考えました。

    原則
    生きた動物 「いる」
    それ以外 「ある」

    例外
    生きた動物で「ある」を使う例
    「この事故によるけが人はありませんでした」
    魚屋で「生きのいいドジョウあります」

    物に「いる」を使う例
    「ロボットがいる」
    「タクシーがいる」

    「KOTONOHA」で単純に検索すると、
    「ロボットがいる」3件
    「ロボットがある」0件
    「タクシーがいる」1件
    「タクシーがある」8件
    物であっても人間に近いと考えられる物ほど「いる」を使う頻度が増えるようです。

      補足日時:2019/05/28 10:45
  • > 「動くもの、と認識する場合」には「いる」を、「動かないもの、と認識する場合」には「ある」を使う。

    「動くもの、と認識する場合」に属するかどうかの判断基準があいまいだと思います。

    「動くものの場合は いる」なら明確ですが、動くけれど「ある」を使う例はいっぱいあるので、例外が多すぎる。

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/31 16:46

A 回答 (21件中1~10件)

#20です。



おっしゃるとおりです。
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#19です。




1.(様々な)シチュエーション。
2.及び個々人の認識。
です。
この2つに基づいて判断基準が随時決定されるということです。

と答えても納得してもらえないと思います。

なるほど。
ahkrkr さんが補足でお示しになった下記のような捉えかたは非常にわかりやすいと思います。

原則
生きた動物 「いる」
それ以外 「ある」

例外
生きた動物で「ある」を使う例
「この事故によるけが人はありませんでした」
魚屋で「生きのいいドジョウあります」


ただ、

物に「いる」を使う例
「ロボットがいる」
「タクシーがいる」

「KOTONOHA」で単純に検索すると、
「ロボットがいる」3件
「ロボットがある」0件
「タクシーがいる」1件
「タクシーがある」8件
物であっても人間に近いと考えられる物ほど「いる」を使う頻度が増えるようです。

には難点があり、もったいないと思っていまして。
ロボットが人の形に似ているから「いる」と表現する確率が高い、というのは、ちょっと違うのではないか、ということ。
なので、

物に「いる」を使う例
「我が家にはお掃除ロボットという強い味方がいる」
「こんな深夜だけど、まだタクシーがいるだろうか?」

のように、シチュエーション込みで提示するのが良いのではないか、と思います。
で、この例文の意図を問われた場合、

たしかにどちらも「動かないもの」ではあるが、こうしたシチュエーションの場合は、
「動くもの」と認識する心理が働きやすいので、「いる」を使う。

のように説明する。
結局、「ある」「いる」の違いを一言でまとめるならば、

「動くもの、と認識する場合」には「いる」を、「動かないもの、と認識する場合」には「ある」を使う。

と言ってよい、ということになると思うのです。
これを基本的な定義とさえしておけば、あとは、個別のシチュエーションで迷った生徒さんに対して、その都度解説を加えていけば良いのですし、何回か繰り返すうちにこの定義の意味を理解してくれれば、あとは放っておいても習得できるでしょう。
この定義に例外はない、という点が肝です。
その上で、詳しいシチュエーションに基づく例文を添えることで、理解に寄与しやすくなると思うのですけどね。
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この回答へのお礼

そう思う人と思わない人がいるだけということですね。

お礼日時:2019/06/01 06:15

#18です。



>「動くもの、と認識する場合」に属するかどうかの判断基準があいまいだと思います。

「動くものの場合は いる」なら明確ですが、動くけれど「ある」を使う例はいっぱいあるので、例外が多すぎる。

判断基準は、
1.(様々な)シチュエーション。
2.及び個々人の認識。
です。
この2つに基づいて判断基準が随時決定されるということです。

タクシーやロボットの例で明らかなように、
どんなシチュエーション(文脈)で使われているのか、ということによって違ってきます。
また、同じシチュエーションであっても、そのタクシーやロボットを「動かないもの」と認識するのか「動くもの」と認識するのかは、あくまで個人の感覚によって異なってくるでしょう。
『あいまい』であったり『例外が多すぎる』のは、むしろ宿命かと。

「動くものの場合は いる」なら明確ですが、動くけれど「ある」を使う例はいっぱいあるので、例外が多すぎる。

これはおっしゃるとおりです。
だからこそ、

「動くもの、と認識する場合」には「いる」を、「動かないもの、と認識する場合」には「ある」を使う。

と規定するのが良いと申し上げている次第。
これには『例外』が一切無いでしょう。
タクシーとロボットに関して、
>物であっても人間に近いと考えられる物ほど「いる」を使う頻度が増えるようです。

ともおっしゃっておられますが、これもそのとおりと思います。
ただ、タクシーでも「人間に近いと考えられる」場合が往々にしてある、という問題を積み残しておられるかと。
つまり、『人間に近いと考えられる』のは、シチュエーションと、それを解釈する個々人の感覚によって決まってくる、ということです。
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この回答へのお礼

例えば日本語を学習している留学生から、いる、あるはどう使い分けるのかと質問されたとき、

判断基準は、
1.(様々な)シチュエーション。
2.及び個々人の認識。
です。
この2つに基づいて判断基準が随時決定されるということです。

と答えても納得してもらえないと思います。

お礼日時:2019/05/31 21:15

#14です。



>物であっても人間に近いと考えられる物ほど「いる」を使う頻度が増えるようです。

この点で発想を、少しだけ変えてみてはいかが。

・物であっても人間に近いと考えられる【場合】ほど「いる」を使う頻度が増えるようです。

のように。
物か人かは関係ないという捉え方をすると分かりやすいと思うですけどね。
同様に、

・人であっても物に近い(物と同じ)と考えられる【場合】ほど「ある」を使う頻度が増えるようです。

ということ。

※生物・無生物に限らず、

「動くもの、と認識する場合」には「いる」を、「動かないもの、と認識する場合」には「ある」を使う。※

しつこすぎたら申し訳ない。
この回答への補足あり
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タクシーがいる→タクシーという機能?に着目すれば当然?運転手のサービスが必須、タクシーの車両(運転手なし)があるだけではふつうなら使いません。


生きのいいドジョウあります、→魚屋では生き物というより、単なる商品です、熱帯魚の販売店でも同じです、犬・猫等になると人間の呼びかけ、動きに反応します、こうなると単なる商品という感覚プラス何かを感じ「いる」もあり得ます、ロボットも同様、生産ラインのロボットなら「いる」はあまり使う気はしません、人型ロボットなら犬・猫と似た感覚になります。
この事故によるけが人はありませんでした→この事故でけがした人は(いませんでした)のほうが自然に口をついて出ました。
他の例
水の中にも水生昆虫と言われる昆虫がいます。
水の中にある石なら、こんな石は水の中にあります。
石の場合は存在しているだけ、水生昆虫はその環境と有機的につながり生命活動を営んでいる。
海の魚、池のドジョウ、・・・その他、生命活動を営んでいる場合なら「いる」を使うかな?。
>物であっても人間に近いと考えられる物ほど「いる」を使う頻度が増えるようです
これは確かでしょうね。
>人間に近いと考えられる物
何らかの形でコミニュケーション?が取れたら(そう感じたら)100%近いかも?。
タクシー、生きのいいどじょうの例は、表面上だけではなく、目的?機能?、・・・を含めて、人間の発する情報に、何等かの反応をすれば・・・「いる」も。
けが人は、・・・・人は、→ 熟語になると、一般名詞扱い?で「ある」、人は・・・だと、まさに人、ですね「いる」?。
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> 魚やは「どじょうあります」と張紙は面白い例ですね。

どういう対象認識をして「ある」を使うのでしょうね。

子供は桶や籠の《中での》ドジョウやカナリアのあり方を見ますが、店員は桶や籠の《外から》それらの入れ物といっしょにドジョウやカナリアのあり方を見ています。子供は対象をミクロに、それらを《動き回っている》ものと受けとりますが、店員は子供と違って対象をマクロに、《自由に動けない》入れ物の中に閉じ込められたものと受けとって、売ったときも別の桶や籠に入れられて運ばれるものと思っており、この対象の把握の相違を捉えなければなりません。

人の場合も同じで、満員で身動きが取れないバスの場合、運転手は「次の停留所でお降りの方は《あります》か?」と聞きますが、混雑していなければ、「次にお降りの方は《います》か?」になります。■
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No.11でコメントした者です。



 本題からやや外れることをお許しください。
 No.12のかたが金田一春彦の言葉をひいています。
 かなり驚きました。ああいう立派な学者でも、こういう珍説を唱えるんですね。

>「子供が三人ある」というが、「お手伝いさんは一人いる」と言います
 もっとも、ここにいたるまでにいろいろな話があるのでしょうし、多くの功績を残した学者の言葉なのである程度信憑性があるのかもしれません。
 一般の人がこんなことを書いても単なる屁理屈としか思われないでしょう。
「子供が三人ある」という人もいる。でも「子供が三人いる」という人もいる……それだけのことでは。
 当方は「子供が三人いる」を使いますが、「子供が三人ある」を使う人を否定する気はありません。単に好みの問題でしょう。
 どちらも間違いではありません。どう使い分けるのか……それは使い分けている人(いるんですかね?)に訊くしかないでしょう。ただ、どんなにもっともらしい説明をしたところで、単なる独りよがりです。使い分けなど考えていない人のほうがはるかに多いはずですから、通用するとは思えません。
 こういうとき、「無意識のうちに……」とかいう人もいます。
 それはそれでご自由に。場合によってはそういう考え方も成り立つでしょう。できれば日本語のジャンルではなく、心理学のジャンルでお願いしたい。

 No.11のリンク先に、「子供が三人ある」に関するmixiでのかなり突っ込んだやり取りを紹介しています。
 興味のあるかたはご確認ください。
 ここでも「珊瑚」の話を持ち出しているかたがいます。そういう特殊な例を持ち出して何かいいことあるんですかね。

 ルンバをはじめとする「自走式」の機械類は、やはり特殊な例でしょう。質問者がいうとおり〈新しい規則〉ができるのかもしれません。
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#13です。



>> 「子供が三人ある」というが、「お手伝いさんは一人いる」

は、意思を持つかどうかとは別の基準で使い分けているのでしょうね。

この場合も、「動かないもの、と認識する場合」と「動くもの、と認識する場合」だと思います。
身内の場合は、
「親子という関係性」
「配偶者という関係性」
と(いう「動かないもの」と)捉えた場合に、それぞれ、
「子供が三人ある」
「妻のあるものは、」
のように表現する。
お手伝いさんの場合も「動かないもの」と捉えることが全くできないわけではないと思います。
しかし、その場合は、
「使用者と被使用者という関係性」
を意味することになってしまうでしょう。
サウジ当たりの王子なら言いそうかもしれないけど、日本では、そういった心理になりづらいので使われないだけかと。
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#8です。


#12さんのご回答を拝見しての感想ですが。

「水車」については、「動かないもの、と認識する場合」がほとんどなので、基本的に「ある」を使うのではないかと思われます。
たしかに回るものではあるのですが、その場から移動するわけじゃないので「動く」という概念が適用しづらいのでしょう。

ルンバ(お掃除ロボット)がいる。

という表現は状況次第であり得ることはすでに申し上げましたが、

洗濯機がいる。

とはおそらく言わないのと同様です。

また、

> 結局「意思」を持つもの、人間でなくても人間に似て何かをしようとする意思を持つかに見えるものも、含めて「いる」である。

のであれば、「子供が三人ある」という表現はできなくなるのでは。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 「子供が三人ある」というが、「お手伝いさんは一人いる」

は、意思を持つかどうかとは別の基準で使い分けているのでしょうね。

お礼日時:2019/05/25 04:43

金田一春彦氏は、「子供が三人ある」というが、「お手伝いさんは一人いる」と言います。

その違いについて、たまたま私の家で生まれ育ち、そのまま暮らしているだけだから、「ある」で通じるが、お手伝いさんは、この家に「いよう」と意識して住んでいるから、「いる」です。自動車がただ駐めてあるだけなら、「ある」だけれど、運転手と思われる人が乗っていると「いる」と言う。いつでも動こうと思えば動ける状態であるから、と説明しています。
 結局「意思」を持つもの、人間でなくても人間に似て何かをしようとする意思を持つかに見えるものも、含めて「いる」である。昆虫がいれば、「虫がいる」だし、鳥も「鳥がいる」です。カブトムシなら、樹に止まったまま動かなくても、樹液を吸っていればそれも意思のように思われます。大きく捉えれば「動く」ものにはいるのですが、動いても「水車」は意思を持つとは誰も思いません。人間に似て意思を持ち、動くことができるものが「いる」の対象になるのではありませんか。
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この回答へのお礼

なるほど、タクシーの場合も運転手と一体と考えて、行き先を言えばそこまで連れていってくれるものと思えば「いる」も使えるということですね。

お礼日時:2019/05/25 04:54

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