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畜産動物を殺して食べる行為が、人間に対する暴力と同等であるとすれば。
肉食者は生存や拘束はされないのに、殺人や強姦、児童虐待、人身売買を行った人間が束縛されたり、あるいは殺害されたり、することが容認されているのは、何故なのでしょうか?

日常で大量の肉や卵、乳製品、魚介類、などを摂取している人間を、大量の人を殺害したり、強姦したり、あるいは児童を虐待したり、といった人と、同様に対処するのが適切でしょうか?

対処の具体例とは、テロリストに対するものと同じく死刑(もしくは殺害)であり、それは子供であろうが、妊婦であろうが、介助なしで生活できない者であっても関係ないです。

あるいは、肉食者のように口約束で生活を改めると発すれば、その後の行動がどうであっても拘束されず、危害を加えられず、日常生活に戻れているのであれば、それらの暴力を起こした人間も同様に軽い口約束で拘束や危害を加えられないのが、適切なのでしょうか?

種族差別は問題である、肉食は殺人であるという点は納得できるのですが、しかし大量殺人犯の生存を許す人々が多いのが、納得できないので質問しました。

ディミトゥリー・バクシェーフや張永明と他の肉食者を、どうやって区別しているのでしょうか。

「肉食者と凶悪犯の違いは何でしょうか?」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    家畜を食べる人は、家畜の肉を得るために報酬を払っています。そして、業者は報酬を得るために、屠畜し、肉を手に入れています。

    屠畜が殺人と同等であれば、報酬を払っている消費者は殺人教唆と言えるのではないでしょうか?

    実際、どうやって肉を得られるかを知らない人は皆無でしょう。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/06/19 01:19
  • HAPPY

    同性愛者。
    特に男性の同性愛者たちは、自分たちが揶揄されたり、批判されると、すぐに相手を「レイプするぞ」と脅します。

    オタク。
    それらは自らの欲望を充足させるためなら、殺人や誘拐も厭わない破綻者であり、その事実を指摘しただけで攻撃性を露わにし、罵倒や脅迫を行います。

    これらの存在も、相互抑制が効かないと、言えるのではないでしょうか?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/06/20 23:28
  • HAPPY

    日本人の考え方は分かった、一神教の人々の考えで『自分たちへの暴力も同じように見逃さないのは何故か?』について、教えて頂けないでしょうか?

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/02 00:21

A 回答 (20件中1~10件)

#19です。

お礼ありがとうございます。

>>そうなると元々の設問である「肉食者と殺人者の違い」はほとんどなくなりますね。
>はい、なくなります。だから、違いは何か?という質問しました。

私の回答は「肉食されるものと殺人は種が違うから」ですが、それでは納得できないのでしょうか。

私の考えでは「種族差別は問題である、肉食は殺人である」ということ自体が論理的に間違っていると考えています。人間と他の種が「同一の存在である」と考えるのは間違っているし、逆に「他の種が人間を同一の存在と考え、食べることをやめる」わけではないからです。

この点について、ヴィーガンでも動物保護でも欧米の主張は常に「一神教の神が作った地球上の生物」という根本的なドグマから離れた思考をすることができません。ですから彼らのドグマを使えば「種族差別は問題である、肉食は殺人である」と考えることもできるわけですが、日本人であり一神教ではない、日本人はそのドグマから自由であり、根本的に「種族差別は問題である」とは考えていないのです。

もし、質問者様が「日本人の考え方は分かった、一神教の人々の考えで『自分たちへの暴力も同じように見逃さないのは何故か?』という疑問がある」なら補足して頂ければ、知っている限りの回答はできると思います。

日本人として回答は「種差別という考え方自体しない」ですし、根本が違うので、そこから派生する疑問にも「そんな考え方はしない」としか言いようがないと思います。

>ヴィーガンについて色々なサイトや文献を調べても、肉食と殺人を同一視している割には、肉食者への対応が殺人犯(それも年に何十人も殺害している極悪犯)よりも、マナーを守らない人を注意するような対応だったのが理解できないので、質問しています

ヴィーガンについても同じです。ヴィーガニズムは一神教の思想から出たものだからです。
なので「一神教の人々は、肉食者と殺人者を区別しないのか」という設問なら理解できますが、補足いただければある程度の回答はできると思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>私の回答は「肉食されるものと殺人は種が違うから」ですが、それでは納得できないのでしょうか。
いえ、その点に関しては、最初から納得しています。

お礼日時:2019/07/02 00:15

#17です。

お礼ありがとうございます。

>それなら、種差別をなくすのであれば「動物の行動を規制できないのだから、人間の行動も規制すべきでない、のではないか?」というモノです。

えーーと、まあそういうやり方もアリ、だと思いますが、そうなると元々の設問である「肉食者と殺人者の違い」はほとんどなくなりますね。
その代り「社会」と呼ばれる人類だけが作れるという規範による集団行動もなくなります。

ここまで考えが到達するなら、そもそも「種とは何か」を考える必要が出てきますね。
種とは「生存するために他種に対して、とりうるあらゆる手段をとる」ものなのではないでしょうか。それを一般的には生存競争と呼びます。

人類がいなくなっても、生存競争は終わりません。ある種は別の種を食べ、別の種は他の種族を食べずに草食を選んだりするわけです。どの方法が良いかは分かりませんが、肉食種は一般的に数が少なく、草食種は数を増やすことで生存競争を生き抜いて種の保存を行うわけです。これを適者生存と呼びます。

人類も「地球の一種族」として考え、なおかつ「種差別の禁止」になるなら、自然に帰るしかないでしょう。当然自然に帰れば、適者生存のために肉食・草食などを選ぶ余裕は無くなります。

結局のところ、菜食主義者というのは「種差別によって人類社会が一定のレベル(食物生産を自分たちでコントロールできるレベル)」まで達したからこそ生まれたものであるわけです。

となれば菜食主義とかヴィーガンというものは「人類社会が生み出した思想」にすぎません。「種差別」という考え方自体「人間社会が生み出した思想」です。

ですから、思想がどのように肉食者と殺人者を区別しようと、それは「人間の頭が考え出した恣意的な区分」であり、人間以外の種には全く関係ないものですから彼らにとっては何の違いもないのです。

また人間も元々は自然の種であり、もし人類は残っても社会が崩壊すれば他の種と同様な状態に戻る可能性が高いので、殺人などの罪は「人間社会が生み出した産物」といえるでしょう。

しかし人間は「社会規範の中」で過ごすことにより適者生存のメリットを最大限にしているわけですから、殺人者は「自分の種を殺す悪」であっても肉食者は「自分の種には影響を与えない」ので、人類という種の中で見れば、殺人者と肉食者は明確に区別されるべきだと思います。
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この回答へのお礼

うーん・・・

回答、ありがとうございます。

>そうなると元々の設問である「肉食者と殺人者の違い」はほとんどなくなりますね。
はい、なくなります。だから、違いは何か?という質問しました。

>人間以外の種には全く関係ないものですから彼らにとっては何の違いもないのです。
それも理解できます。人間以外の種にとって、種の存亡に関わるような感染症が見つかり、特定の地域にいる個体を全て殺せば防げるとなったとしても、殺される側からすれば食用や娯楽、装飾品のための殺害との違いを判断するのは不可能でしょう。

ヴィーガンについて色々なサイトや文献を調べても、肉食と殺人を同一視している割には、肉食者への対応が殺人犯(それも年に何十人も殺害している極悪犯)よりも、マナーを守らない人を注意するような対応だったのが理解できないので、質問しています。

例えば、小児性愛者へのインタビューした女性記者は、前後やインタビュー中も吐き気と悪寒が止まらなかったそうですが、ヴィーガンの人々はそのような反応を起こしているのを見かけないので不思議に感じただけです。ステーキ屋で抗議している最中も、客が肉を頬張っていても、デモの横でカウンター側が鶏肉を食べていても、無視する理由が理解できないです。もしも、抗議中に人肉を食べていたら、あるいは人種差別の抗議デモのカウンターが奴隷を引き連れていたら、普通は抗議活動やデモを止めて、暴力を使ってでも止めに入ると思います。
それを見過ごすのであれば、自分たちへの暴力も同じように見逃さないのは何故か?という疑問もあります。

お礼日時:2019/07/01 00:31

#14です。


少し質問させていただいてよろしいですか。
それぞれ、イエスの場合だけ理由を。

1.魚は食べても良い?
2.鰹節やブイヨンなどからできるだしやスープは飲んでも良い?
3.卵は食べても良い?
4.犬猫の避妊手術は許される?
5.キンチョールは使っても良い?
6.はちを養うはちみつは食べても良い?

>これらの存在も、相互抑制が効かないと、言えるのではないでしょうか?

偏見があるようですが、同性愛者やオタクだけが、そういう行為をするわけではないでしょう。
また、誰であってもそういう行為をすれば、罰則が与えられますよね?
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

1.はい。
2.はい。
3.はい。
4.はい。
5.はい。
6.はい。

>偏見があるようですが、同性愛者やオタクだけが、そういう行為をするわけではないでしょう。
同性愛者に関しては、男性だけに見られるのであって、それ以外の性別は違います。他の性別を含めば、差別ですし、補足文はヘイトスピーチとなってしまいます。
オタクはゴミですから、行為の有無は関係ないです。

お礼日時:2019/06/28 23:45

#11です。

相互作用の話の続きです。

質問者様は他のお礼に
「ただ、食用動物を食する行為が許されるのであれば、奴隷用に人間を繁殖したり、飼育したり、あるいは食用にする事が許されない理由が知りたいだけです。加えて、種差別という考えがあるのに、食用動物を食し続けても、次からは野菜だけの生活と宣言すれば問題に問われず、人間を食べた者と同じ扱いをしないのが不思議でならないだけです。」

人間を食べた人間は法律で罰せられますが、動物を食べた人間は罰せられません。相互作用の話からいえば「じゃあ、人間を食べた動物はどうなるのか?」です。

人間を食べた動物は「殺される」のが基本であって、これは「法律による罰」ではありません。単に「人間の味を覚えた動物はまた人間を襲うので危険だから」です。
つまり動物には「相互作用を働かせる余地がない」のです。

となれば、動物を食べた人間と人間を食べた人間の扱いが異なるのは、人間を食べた動物と動物を食べた動物で扱いが異なるのと「同じ」というだけでしょう。
 もし質問者様のような考え方をするなら、実は「動物の側の主体的な行動についての規制」も考えなければならないはずなのです。

しかし(当たり前ですが)動物はそんなことは理解していないので、当然ながら設問からも抜け落ちて行きます。

したがって、人間と動物では相互作用が働く余地が全く無いので、人間が動物を食べることは人間が人間を食べることとはまったく事情が異なる、ということになります。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>もし質問者様のような考え方をするなら、実は「動物の側の主体的な行動についての規制」も考えなければならないはずなのです。
>しかし(当たり前ですが)動物はそんなことは理解していないので、当然ながら設問からも抜け落ちて行きます。
その通りです。
それなら、種差別をなくすのであれば「動物の行動を規制できないのだから、人間の行動も規制すべきでない、のではないか?」というモノです。

お礼日時:2019/06/28 23:31

>このような行動を目の前にしても、食用動物たちは意見がないとなるのでしょうか。



いいえ。
動物は要求、要望を言語化できないと申したまでです。

要求、要望を言語化できない動物たちの権利に関しては人間どもが代弁をする必要があります。

の訴追者「動物の命は人間の命と同じであります。人間として自分の命が大切と思うなら、今すぐ殺生をやめなさい!、何妙法蓮華経!」
の弁護人「動物は神が人間のためにお作りたもうたものなので、似て食おうが焼いて食おうが人間の自由なのです、アーメン!」
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>動物は要求、要望を言語化できないと申したまでです。
言語化できない存在は、食用にしても良いという事でしょうか。

お礼日時:2019/06/28 23:21

benesutoさん、こんばんは



確かに肉食者も殺人犯も命を殺します
生きるために他の生命を食し
身勝手さゆえに他の命も殺す

理由は違えど”殺し”には変わりないですね

食べるためとはいえ
必要以上に他の生命の殺しをすることは
身勝手な殺人と同等になるかもしれません

また
”殺し”という観点から考えてみますと
人間が”殺し”をしているのは
動物だけではないように思います

そもそもですが、
”動ける生物は高等、動けない生物は下等”
このように考えてしまいますと
種族差別はもっと深刻な問題になります
あるいは
”痛みがあるから残酷で、痛みがなければ残酷ではない”
と単純に考えてしまうのも危険かなと思います

植物も動物もおよそ15億年前に
共通の祖先から分岐して別々の進化の道を歩んできたと考えられています
光合成の能力を手に入れた植物は定住して自給自足の生き方を選んだ結果、
地球上のあらゆる環境に適応して繁栄し続けています

地に根を張って動かない植物は一見受け身で無反応のように見えますが、
質問者様もご存知の通り、感覚機能はいくつにも及ぶそうで、
私たちのように臭覚、味覚、視覚、触覚、聴覚、に加えて
光、水、重力、温度、土壌、栄養分、毒素、微生物、
草食動物(敵)や、仲間の植物からのメッセージを
感知しているそうですね

例えばマメ科のつる植物は、他の植物に巻きひげを絡ませて成長します
支えになりそうな樹木がどの方角にどのくらい離れて立っているかを正確に把握し
無駄な動きを一切省いてまっしぐらに樹木へ伸びていきます
「目」という器官をもたない植物がどのように支柱を探るのかは諸説ありますが、
一つはエコーロケーションをしているのではないかというもので、
植物の細胞は成長の際に低い「カチッ」という音を出しますが
この音の反響を使ってエコーロケーションをしているとも考えられているそうです

また、植物は、日光、大気、土壌中の水という基本的な素材から
炭水化物、タンパク質、脂質、ホルモン、ビタミン、酵素など
成長や傷の修復、繁殖などに必要なあらゆるものを作り出したり
病気になると免疫反応のような特別な防御物質も作り出します

また、植物は病気から身を守ることに加え
草食動物などの敵からも身を守らなければならず
そのため植物はおよそ10万種類もの化合物を合成させることができます
この化合物の中には、渋みのあることで知られるタンニンがあげられますが
他にもサポニンは動物の細胞膜を通過する分子の動きに影響を与え、
赤血球を破壊することさえありますし
アルカロイドも、タンニンと同じくとても苦い成分で
ごく少量でも動物に強い生理的反応を引き起こし
バクテリアの成長と他の植物の発芽さえも抑制します
アカシアの葉は草食動物にかじられると高濃度の防御毒を含んだ葉を再生させます
これを知らずにもう一度食べに戻ってくる草食動物は
神経障害や繁殖障害を引き起こすことも知られています

このように植物たちでさえも生存していくために
様々な防御システムを自ら作りだし
さらには
我々動物は自ら作ることのできない、生きていくのに必要な化学物質を
直接にも間接にも植物から頂いているのです

植物が動物に先駆けて上陸したのがおよそ5億年前といわれており、
そのころの地球の大気は温暖化ガスの二酸化炭素に満ち
とても動物が生き残れる環境ではなかったのに対し
陸に上がった最初の植物は地表を緑で覆いつくし
光合成の活動によって徐々に大気を酸素に変えて地球冷却化を引き起こし
ようやく動物の上陸が可能となったといわれております

このように
単に動けるから高等、動けないから下等ではなく
植物にも敬意をはらう必要があるかと存じます

仮に人間が植物だけを食べることにした場合
この世の植物は減り動物は増え続け
そうなれば酸素も不足し、
さらに植物たちは自らの身を守ろうと毒性が強くなり
動物はその植物からの毒により死に至ることも考えられます
これも植物からの暴力にあたるのかもわかりません

またその他にも人間は資源の大量消費、樹木の伐採、
また道を歩くことで草や虫を踏み殺したりするわけですから
直接でも間接でも多くの命の”殺し”をしているわけですね
もうそれは殺し屋です

先にも説明したように実際には偉大であるはずの植物ですが
植物に関しては虐待や殺害などの言葉は出てこなく食べ放題感覚ではありますが、
大量の命の”殺し”には変わりなく、
生きていくにはどんなことをしても殺しからは逃れられません

このように食すための殺しは
その都度罰していたらきりがなくなり、生活も成り立ちませんので
他の生命を犠牲にして生きていく際には”ありがとうございます”と
感謝の念をもつことで、
処罰の代替わりとしてもよろしいのではないかと存じます

ただ、
身勝手さゆえにむやみやたらに命を葬る行為があるならば
そうゆう身勝手さゆえの殺し行為は
食すためであろうとなかろうと
人間であろうと他の種族であろうと
その都度対処するなりして
少しずつでも改善していく必要があると思います


書き込みが長くなってしまい、すみません
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

植物まで範囲に広げてしまうと、次は微生物となり、微生物すら許されなくなると、それは無菌部屋で過ごすか、完全機械化という夢物語に頼るしかないでしょう。完全機械化でもしないと、ミトコンドリアを搾取しているという多細胞生物の宿業からは解放されないです。

お礼日時:2019/06/28 23:10

#10です。



hakobulu:人間に対する暴力が忌避されているのは、自分自身に対する(殺害を含む)暴力を回避するためです。
benesuto:それが起こらない状況であれば、良いということでしょうか。
hakobulu:肉食との関連で言うならば、人間の場合は事実としてそうなっている、ということです。
何について『良いということでしょうか。』とおっしゃってますか?
benesuto:子供と大人です。特に第二性徴期前の子供は大人を自分の腕力を使って屈服させることは無理です。
そして、成人、それも男性は第二性徴期前の子供、それも女性なら、簡単に屈服させることは可能です。

子供から仕返しされない大人の暴力は容認されるのか?
という意味ですかね。
『人間に対する暴力が忌避されているのは、自分自身に対する(殺害を含む)暴力を回避するためです。』という点に関連して言えば、そうした大人の存在を社会は容認しませんよね?ということ。
それはなぜかという点について述べた次第。
それが良いか悪いかということに踏み込んで論議する土俵が整っていませんので、あえて触れませんが、いずれにせよ肉食とは何の関係もない。
関連付けて論議するのは無理がある、ということです。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

仰る通り、関係ない話でした。申し訳ないです。

お礼日時:2019/06/23 18:24

No.5です。



ぎんさんの四姉妹が、お肉大好きという実話から、それ以降ときどき目にするように思いますよ。長寿と肉食の関連とかいうことで。

でも、家畜の宿命かもしれませんが、かわいそうですよね。
伸び伸びと飼われる家畜はまだしも、狭いところでぎゅうぎゅう詰めにされて、本来の食べものではないものを食べさせられ、あげくの果てにされるなんて。
安い肉はストレスの塊とも言えますから、食べない方がいいんですけどね。最近、肉を食べなくなりました。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>家畜の宿命かもしれませんが、かわいそうですよね。
私は食用動物だろうと、奴隷用に繁殖・飼育されている人間の子供だろうと、可哀そうとは感じないです。

ただ、食用動物を食する行為が許されるのであれば、奴隷用に人間を繁殖したり、飼育したり、あるいは食用にする事が許されない理由が知りたいだけです。加えて、種差別という考えがあるのに、食用動物を食し続けても、次からは野菜だけの生活と宣言すれば問題に問われず、人間を食べた者と同じ扱いをしないのが不思議でならないだけです。

お礼日時:2019/06/24 23:40

わかった。

下手人と責任者の話はわきに置いておきましょう。

(とさつ)と殺人の違いは、単に現行法に禁止規定があるか、ないかの違いといってもよかろう。

過去には、黒人は殺してもよく、白人は殺してはいけないというような区別をしていた社会があった。その社会の法律を具体的に知っているわけではないが、その社会の法(明文法か実定法かは知らん)によって、黒人の命は軽く、白人の命は重く規定されておたったんじゃね。

でも、それは不公平だし、不公平は嫌だってんで、21世の現在においては、黒人の命を白人の命よりも低く規定する文化は消滅したんだよね。

ここで重要なことは法の規定には絶対性がなく、時代やその社会の構成員の選択でいかようにも変わるという現実やね。

黒人奴隷を殺して平気だった白人様の中にも、黒人さんの発言を聞く人が現れて、彼らの言い分にも一理あるぞ、ってことになったから法は変わった。

では、
(とさつ)されてゆく動物たちの意見はどうなの?

動物と人間の最大の違いは言葉を操るかどうか。
かれらは言葉をつかって不公平を訴えてくることはない。
だから被害者の意見を聞いて、、、という受け身の対応では現状は変わらない。

しかし、人間の側から動物の権利を考えようとする人たちが出てきた。
19世紀のイングランドあたりからEthical veganismが始まったといわれいているけど、これはあまりに西洋に偏った見方で、インドやパキスタン当たりに目を向ければ何千年もの間、動物の命と人間の命を同等なものと考える人たちはいたよね。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

動物たちは涙を流しますし、嫌がって逃走しますし、捕まえられる時は激しく抵抗します。このような行動を目の前にしても、食用動物たちは意見がないとなるのでしょうか。

お礼日時:2019/06/24 23:29

#3です。

お礼と補足ありがとうございます。

>相互抑制が効かない存在であれば、殺しても良いという事でしょうか。
残念ながらその通りです。

一般的な社会での「相互作用」は法律によって規定されています。しかし、これは「その国の中」でしか機能しないもので、他国に行くと法律が変わります。

ですから「外国との間では価値観が同一ではなく、相互作用が働かない」状態であるといえます。
だから戦争によって相手国の兵士を殺すことは合法なのです。

つまりせんじ詰めれば「相互作用が効かない集団同士は殺し合うことが合法」なのです。
しかし人間は古代のような「言葉も通じないし宗教も違うから、奴隷にしてもいいし、殺してもいい」という点から徐々に「相互作用」を拡大していき、今では一応「啓蒙思想」で「すべての人間は平等」だとしています。

 ただし、これを受け入れない国もあってユダヤ人は「自分たちだけが神に選ばれた選民」という価値観が根底にあるので、宗教が異なるパレスチナ人を弾圧しますし、トルコ・イラク・イランのイスラム教徒は「宗教が違うから」と言う理由でクルド民族を虐殺しています。イスラムテロなどの根本も「異教徒を殺して死ねば天国に行ける」という思想ですから、イスラム教徒と異教徒では相互作用が働いているとはいい難い面があります(念のため書き添えますが、大多数のイスラム教徒はこういう考えとは無縁です)

>これらの存在も、相互抑制が効かないと、言えるのではないでしょうか?
どんな動物も自己生存本能があり、それを脅かされれば攻撃性が出るのは普通です。ですから人間の攻撃性というか、動物の攻撃性を抑えることはできません。
 
攻撃性を100%抑えてしまったら、自然現象に対する攻撃性=防御性まで失ってしまうからです。そうなったら、人間に限らずどんな動物でも死滅してしまいます。

問題は「攻撃性の発露は物理的な暴力だけかどうか」が人間と動物を分けている部分で、人間は物理的な暴力に頼らなくても警告・威嚇を行うことが出来ます。動物は物理的な暴力以外の手段を持ちません。

現代社会では罵倒や脅迫は「良いモノ」とはされていませんが、これを物理的な暴力と同列に扱うことはできません。また、人間だけが罵倒や脅迫ができるので、その趣旨からも「物理的な暴力=死に至らしめることが可能な力」と「罵倒や脅迫=それだけでは死に至らない言葉の暴力」という違いがあります。

なお、オタクにかぎらず「自分の欲望」を充足させるために相互作用として規定されている法律などを破るのは、犯罪ですが、そもそも犯罪者の数は「相互作用規定=法律」を守っている人に比べればいちじるしく少ないので、例外をもって「相互規定が破綻している」と言う論にはならないと思います。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

相互作用が効かない相手であれば、食べても問題がないとなりますが。

お礼日時:2019/06/24 23:27

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