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創価学会の仏法では、「科学が進めば進むほど、仏法の正しさが証明されるようになる」 と言われておりますが、現時点では、どのように正しさが証明されているのか教えてください。

具体的に その科学者の名前とその内容を教えてください。

 人間の英知の輝き<諸科学統一の法則>

 戸田は、まず、宗教と科学について、
「宗教と科学は、互いに対立し、絶対に相いれないように思われているのが現代の常識である。神の世界、仏の世界、それらは、科学者の望み得ない世界とし、わからないものだとしている。また、科学の世界は、宗教と没交渉の世界で、科学の研究せられた結果やその研究態度は、宗教界には用いられないものとなっている。これは、本当の事実であろうか……。
 真実の宗教は、その研究態度が科学的であり、その研究の結果は、論理的に体系づけられ、かつ科学的に実験証明がなされねばならぬ。しかして、その定理・方程式とも称せられるものは、普遍妥当性をもたねばならぬ」
 とまえおきして、科学と相反せず、しかも科学的にして、実験証明のともなう、論理的な宗教、それが仏法であり、日蓮正宗だといいきるのである。
 その理由として、
「仏教は、人間の生命、あらゆる物の生命、社会および国土の生命、いな、進んでは大宇宙生命を研究対象としている。しこうして、その宗教は、大部分、人間の生命に、研究の度をおいているがために、いかにすれば、人々は幸福な生活を送りうるであろうかという点に重きをおくことは、科学と同様である。
 科学が、純粋の真理を求めつつ、しかも、討究してえられた定理が、人間の幸福生活へ実践行動化すると同様に、純粋なる生命哲理を、最高へと組み立てつつ、その最高無上の定理は、人間の幸福生活への実践として行動化される」
 と述べている。
 戸田のこの意見は、人間の生命を主として研究し、その結果、得た法則・真理がこれまでの仏法であるが、社会の生命、宇宙の生命の法則、真理を究明するのは今後の仏法の課題ということを意味している。そうなると、仏法に関するかぎり、人間科学を包含し、社会科学・自然科学を包含するものであり、仏法の完成は、今後ということになる。だからこそ、真の宗教は、科学的宗教でなくてはならぬともいいきった。
 だが、戸田にとって、一方では、宗教とは、
「一切衆生の苦悩を救うべきもの、一切衆生に真の幸福を享受せしむべきもの、一切大衆の生命を真に浄化せしむべきもの、一切大衆に生命の真実のすがたを悟らしむべきもの」
 ということから、ことに自然科学を戦争や暴力に用いないために、この立場に立って科学を指導する必要があるということになる。さらに、政治学・経済学などの社会科学もまた、人間の幸福と平和の建設に向かって、指導しなくてはならないという結論にも到達する。ここには、人間科学・社会科学・自然科学を包含するものが真の仏法であるという考え方と、仏法は、諸科学を指導するものでなくてならないという考え方の二つがある。これは、明らかに、違う考え方である。しかも、戸田の意見の各所に、後者の意見がでて、前者の意見は私の知るかぎり、多くない。
 私は、戸田に後者の意見がより多くでてきて、前者の意見を積極的に展開できなかった理由として、戸田が牧口の「創価教育学」を机の底におさめて、牧口の美・利・善の統一的価値を追求し、発展させなかったことに起因しているのではないかと考える。少なくとも、牧口の思想には、諸科学のそれぞれに美・利・善の統一的価値があり、美・利・善を貫く真理・法則がなくてはならないということが予想されていた。諸科学は、所詮、一つの科学、一つの学問にならなくてはならないということを、また、それ以外に、人間の幸福を、人間の自由と平等を実現することはできないことを考えていた。その点、戸田は、大胆に、牧口の思想を追求し、発展させるべきであったと思う。
 といっても、戸田は、同時に、
「そもそも宗教とは、“生活の法則”であり、生活そのもののなかに存在しなければならない。それがためには、宗教のあり方を考えるときに、まず自分の立場とか過去の因習を捨てて、仏教徒は、まず、釈尊の立場にかえって、そのあり方を判断し、日蓮門下と称する数百万の僧俗は、宗祖大聖人の立場にかえって判断しなければならない」
 ということをいっている。釈尊の立場、日蓮の立場にかえるということは、日蓮の「我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん」という言葉をまつまでもなく、釈尊や日蓮はともに、その当時の人間の最高の英知であったということを確認することであり、それはそのまま、今日における人間の最高の英知とは何であり、それにはどうすれば到達できるかということを考えることである。
 たしかに、釈尊・日蓮は、人間の生命や心を観察し、考えた。そして、わずかしか、社会の生命、宇宙の生命を考えていない。
 しかし、人間の生命も社会や宇宙との関連で究明したとき、より全体的・具体的に、また、より正確にわかろう。
 現に、戸田は、
「自分観・人生観・社会観・宇宙観・この四つをきちっとまとめているのが仏法である」
 とも書いているが、社会観・宇宙観をより深く、より確かに与えてくれるのは、社会科学であり、自然科学である。
 このように考えると、戸田は、諸科学を統一・総合したものが仏法であるといわなかっただけである。いずれにしても、彼が真の宗教は科学であり、科学以外に宗教はないといいきり、その宗教とは仏法であると明言したことは、はっきり、記憶しておかなくてはならないことである。
 
 人間の解明<人間・社会・宇宙の統一的把握>
 戸田は、仏法はすなわち生命論であり、人間の生命の法則であると述べたが、では、その生命論については、どのように書いているのであろうか。
 戸田は、
「生命とは、宇宙とともに存在し、宇宙より先でもなければ、あとから偶発的に、あるいは何人かによって作られて生じたものではない。宇宙自体がすでに生命そのものであり、地球だけの専有物とみることはあやまりである。……
 あるいは、アミーバから細胞分裂し、進化したのが生物であり、人間であると主張し、私の説く永遠の生命を否定するものがあるであろう。しからば、灼熱の地球が冷えたときに、なぜアミ-バが発生したか。どこから飛んできたのかと反問したい。
 地球にせよ、星にせよ、アミ-バの発生する条件がそなわれば、アミ-バが発生し、隠花植物の繁茂する地味、気侯のときには、それが繁茂する。しこうして、進化論的に発展することを否定するものではないが、宇宙自体が生命であればこそ、条件がそなわれば、生命の原体が発生するのである」
 という。そして、人間の生命とは、この宇宙の大生命の一部であるがゆえに、過去・現在・未来にわたって存在しつづけるものであり、死後の生命は、宇宙の大生命の中に溶けこんでいくともいう。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。


A 回答 (8件)

> その科学者の名前とその内容を教えてください。


少なくとも、アインシュタインを出したとしたら、彼の言う仏教が、日本人が知りうる仏教とはほとんど関連性などないでしょう。まして彼は、ユダヤ教を信じているわけでも、仏教を信奉しているわけでもありません。当時、マックス・ミューラーの研究により、インド由来の古代文献による「仏教」が、西洋を席巻したものであって、その思想は、決して信仰そのものではありません。

「フランクリン・ルーズベルトへの原子爆弾の製造を勧める手紙に署名したとき、私は人生における大きな間違いを犯した。」アインシュタイン
しかし、原爆投下された後に、ある一人の日本人男性の抗議の手紙に、彼は怒りを顕にして、日本人は、朝鮮や中国に対しておこなったことに、あなた自身にも責任があるというのです。

科学とは、見方によっては、権力者の支配の道具であり、同胞を守ることもできれば、敵対するものを従わせ、または排除することさえ可能なのです。人は権力に近いほうにいればいるほど、その一挙手一投足に、多くの他人を傷つける可能性は高くなります。アインシュタインは、自分の置かれている位置について考えるべきだったのです。

2500年の間に人間はどれほど進化したのでしょうか。科学の進歩が人々の生活を豊かにしたかもしれません。しかし、その生活の豊かさが、仏法を変えるものなのでしょうか。様々な宗教の指導者が生まれた鎌倉時代に比べて、どれほど心が豊かになったのでしょうか。それとも、釈迦牟尼の思想の正当性を2500年後の科学が証明しようとするのでしょうか。

法華経を読みながら、遠い宇宙を想像するのは、古代も今も変わりはしないし、仮に、そこに見えない物質・ダークマターがあったとしても、ブラックホールにしても、他の銀河系を思い浮かべようと、ロマンティシズムに浸るのもよいけれども、その同じ人間が、電車で他人が座っていたスペースを奪い取ろうとする、その現実は、身体の悪い人のためでもなく、お腹の大きな女性のためでもなく、あくまでも、自分のためにおこなっているわけです。

ご本尊が板であろうが紙であろうが、それを追求しようとは思いません。しかし、その教団の正当性に科学の力が必要だとしたら、あまりにも、その宗教を維持している力は貧弱だと思うのです。むろん、社会科学は、まったく別ものです。人間の欲望と権力の様から、一定の解決を見ようとする学問に、仏教はなんの役に立つのでしょうか。それは、宗教の衣をまとった権力でしかないと思うのです。

かつて、釈迦牟尼は、自分の肉体から離れた存在について、考える必要などはないと言っています。それが、ニルアートマンだったわけです。自分たちを絶対とし、他を無知で愚かな人々だと繰り返すことに、平和思想だといえるのでしょうか。
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創価学会には大きな矛盾があり、教義も説法も破綻していて、宗教として扱える代物ではありません。


道を踏み外した新興宗教であることが証明されても、正しさが認められることは絶対にないと言い切れます。

第一、創価学会は仏教ではなく、学んでいるものは仏法ではないので、仏教を騙ること自体が詐欺や成りすましのようなものです。

繰り返しますが、創価学会は新興宗教団体です。

宗教年鑑や学術書に、新興宗教団体であるとはっきりと記載されています。

新興宗教団体ですから、オウム真理教、統一教会、エホバの証人、パナウェーブと同じ扱いということになります。

30年前までは、仏教の宗派である日蓮宗の信徒団体として、日蓮の御本尊を貸してもらい、本山のお参りなどをさせてもらっていたのですが、創価が持つ多大な会員数と資金とにものをいわせて日蓮を乗っ取ろうとしたことから摩擦が起きます。
日蓮を格下に見るようになった創価は、日蓮の運営に口を出したり、誹謗中傷を機関誌に掲載して運営の妨害を始めたため、日蓮は創価を破門にし、池田大作を除名にしました。
日蓮にとって、何十万という信者を手放し、年間何億という布施が無くなることは痛打でしたが、日蓮そのものを乗っ取られるよりマシという苦しい判断だったようです。

創価学会は、仏教団体(日蓮)の信徒資格を喪失したことから、仏教系宗教団体を名乗ることができなくなりました。

他の宗教団体に衣替えしたわけでもないので、一切の宗派と無縁の、孤立した新興宗教団体ということになります。

日蓮が公開している破門勧告書と破門までの経緯
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/ …

御本尊、お寺、僧侶、歴史というものを無くした創価学会は、日蓮の本尊を真似て作った”海賊版御本尊”を製造して信者に配布し、池田教の教えを説き、池田大作を永遠の指導者などと名乗り、池田を拝むよう指導しています。
集会(ビデオの鑑賞会)では、池田のスピーチを聞いた信者が、「池田先生、万歳」と泣きながら三色旗を振っていた時代もありました。

創価学会の文化祭の様子(某国の指導者にそっくりであると話題になっています)



次に、創価学会の大矛盾から説明します。

-文証-

池田会長指導
昭和53年

『大白蓮華』1・2月号 「末法の御本仏日蓮大聖人は、本門戒壇の大御本尊として総本山大石寺の正本堂にましまして、そして、法灯連綿の御法主上人のお力によって分身散体されて全世界の各寺院、各会館に、おのおのの家庭に厳然とましますのであります」

「三大秘法総在の御本尊こそ、弘安二年十月十二日ご図顕の本門戒壇の大御本尊である」 観心本尊抄講義

昭和56年1月14日

「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。」 (「広布と人生を語る1」 )


結論として、

創価学会が言うように、日蓮正宗が邪教であるとすれば、日蓮を手本につくりあげてきた創価の教義と経文は邪悪であることを意味し、長いこと、それを信仰してきた創価学会は邪教ということになる。

逆に日蓮正宗が邪教でないとするなら、お寺から破門にされ、日蓮の誹謗を繰り返す創価学会は、大謗法団体で、国民を迷わす最大最悪の邪教ということになる。

創価、日蓮どちらの言い分が正しくても、創価学会は邪教なのである。
そもそもが、信仰の対象であった本家を偽物であると罵り、自分こそが本物の宗教団体だと言い張れるその神経が理解できません。

さらに、教祖である池田大作の著書「人間革命」には「戦争ほど悲惨なものはない。いかなる理由があろうとも戦争はしてはいけない」と書いてあるにも関わらず、創価公明党は戦争法案を推進。
しかも戦争法案に反対した創価大学の職員や学生に組織的嫌がらせをしていたというから驚くしかない。


日刊ゲンダイより転載。「保安サイトや戦争法反対者に陰湿嫌がらせ」

創価大学の教員や学生、OBが今月11日に立ち上げた安保法案に反対する署名サイト「安全保障関連法案に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者 有志の会」。反対署名はみるみる増えて、18日までに1300人が集まった。瞬く間にこれだけの署名を集めた行動力、団結力は「さすが」だが、一方でサイトの発起人に対する嫌がらせが始まっている。

署名サイトの呼び掛け人のひとりである創価短大教員の氏家法雄氏がツイッターでこんな苦悩を吐露しているのだ。

〈早速ですけど、家族に対する嫌がらせがはじまりました。勘弁してください〉
〈今回の案件で「仏敵」認定の第一号は私の母親です。有志の会を立ち上げた翌日「仏敵、反逆者、泥を塗りやがって」と罵倒されました〉

もうひとりの呼びかけ人、創価大教員の佐野潤一郎氏もツイッターで、〈最近、「仏敵」と罵声を浴びせかけられることが多い〉〈苛烈な戦いの中で、心が折れそうになったり、疲れて涙も出ないことがある〉と漏らしていた。
ほかの呼びかけ人も無言電話や正体不明のメール攻撃などの被害を受けているそうだ。

日刊ゲンダイの記事
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news …


どうですか。カルト宗教の恐ろしさを感じていただけましたか。
このような詐欺行為や犯罪の現証は出ています。

創価学会の教祖である池田大作の次男は20代で胃穿孔を発症し、救命可能状態であったにも関わらず死にました。

葬式の様子
http://soukadakkai.ninja-mania.jp/

家族は全員創価学会に興味がなく池田と絶縁状態。


創価学会の腹心だった、山崎弁護士、公明党委員長あった矢野と竹入は批判側に回り「学会は謀略組織であり、ストーカーや嫌がらせを日常的にやらせている。盗聴、尾行、誹謗中傷は学会のお家芸だ」とまで言っています。
本を出して批判しているので、一度は読んでみてはいかがでしょうか。
他、数十名の幹部が離脱し、創価学会の犯罪行為などを暴露しています。

女優の杉田かおるは、「創価学会はセクハラがまかりとおる性犯罪宗教だ、池田大作は食べかけのメロンを私に回してきた。強い不信感を抱いている」と自著で批判した。

百人を超える政治家、芸能人、学者から猛烈に非難される創価学会とは一体何者でしょうか。

批判者一覧
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11071136.html

グーグル、マイクロソフト、国内財閥企業、自民党、キリスト教、仏教は、このような批判のされ方はしていません。
ちなみに、石原都知事は「池田大作は悪の転載、巨大な俗物」と、田中角栄は「創価学会は法華講の太鼓を叩くヒトラー親衛隊だ」と批判していますが。


池田が表に出なくなって10年が経ち、経営能力の劣る現在の会長では、組織の維持は難しいようで、ほころびが出てきました。

教団内では職員3名が本部前で抗議行動を起こしたり、会長が現地入りして推薦した議員が大敗北した去年の沖縄選挙は話題になりました。
信者の公明党への批判も強く、もはや組織の統制を取ることが難しくなっているのです。

また、創価の悪質性、危険性、詐欺的な面はネットの普及とともに露見し、日本人の宗教離れも相まって、信仰心の低下を抑えることができなくなりました。
脱会者が増えるばかりで入会者はゼロに近い状態。

こんな状態で池田の死亡発表をすれば、信者の大量脱会を招き、組織が分裂すること必至です。

創価学会はついに経営コンサルタントに経営方針を委ねた。
https://www.soka-news.jp/consul.html

ジリ貧になった創価学会は2013年頃から現状脱却のためクーデターを計画、一昨年実行に移します。

創価学会が得意としている、信者や一般個人を悪者に仕立て上げて集団で攻撃するあのやり方で、一般市民の方をスケープゴートにして、大がかりな宣伝を始めます。
被害者を悪者に仕立て上げ、つきまとい、盗聴、誹謗中傷、個人情報の漏洩を繰り返し、部外者には嫌がらせやストーキングをするよう煽ります。
警察などにも犯罪を指示し、調書の改竄、捜査情報の漏洩、通報者への脅迫などを繰り返し、創価学会の暴走を制止できる機関の無くなった日本は犯罪国家へと一直線に向かいます。

創価学会の読みでは、被害者は圧力に屈し、反学会勢力はひれ伏し、馬鹿な日本人は創価の嘘(宣伝など)を信じ込み、「地ならし(印象操作のこと:創価学会が使う隠語)」が終わった段階で、池田の死亡を発表する予定でした。

創価学会幹部の話では、この計画の読みは外れ、公表をするタイミングを逸してしまったとのこと。
それどころか創価はテロ組織なのではないかと日本人は思い始めています。

次は、このテロ犯罪が社会問題になり、解散か分裂へ猛烈なスピードで向かうこと必至です。

法令遵守、透明化、国際化が叫ばれる現代国家において、地下で公務員がこぞって犯罪をしたり、信者が組織的に悪評を流布し集団ストーキングする馬鹿なことが続けられるわけがありません。
創価学会は、墓穴を掘ったわけです。
池田は死後、テロ宗教の指導者として何世紀にも亘って語り継がれるでしょう。

創価学会の正しさは、見つけられましたか?
「創価学会の仏法では、「科学が進めば進むほ」の回答画像7
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「科学が進めば進むほど、仏法の正しさが証明されるようになる」



物は言いよう。
丸い卵も切りようで四角、仏法も言いようで正しく見える。

ということでしょうな。
科学が進もうが進むまいが、仏法は正しいという(偽)卵について何か言いたいだけであり、それが丸かろうが四角だろうが、本質としては何ら変わらない。
卵自体の価値について自信のない者が、こうした詭弁で正当性を主張したがるものだ。
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こんにちは



>創価学会の仏法では、「科学が進めば進むほど、仏法の正しさが証明されるようになる」 と言われておりますが、
>現時点では、どのように正しさが証明されているのか教えてください。

証明なんかされていないですね。

日蓮が言った「釈迦が一番説きたかったのは法華経だ」というのが主張のひとつです。ところが、法華経をはじめとする大乗経典は釈迦が説いたのではなく、釈迦死後、数百年たってから成立したことが、文献学の進歩でわかりしました。

したがって、「五時」とは,華厳時(『華厳経』を説いた時期)、鹿苑時(『阿含経典』を説いた時期)、方等時(『維摩経』『勝鬘経』などを説いた時期)、般若時(『般若経典』を説いた時期),法華涅槃時(『法華経』『涅槃経』を説いた時期)などというのは、全く間違っているんですよ。

日蓮はそれ以外でも勘違いをしていますね。「黒漆に白物を入れぬれば白色となる、女人の御罪は漆の如し。黒漆に白物を入れ
ぬれば白色となる、女人の御罪は漆の如し人は臨終の時地獄に墮つる者は黒色なる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども、色黒色なれども、臨終に色變じて白色となる。又輕き事鵞毛の如し、やわらかなる事兜羅綿の如し」 要は、信者は死んだら色白くなり鳥の毛のように軽くなるなんてありえないでしょう。

それ以外でも十界は人の生命の状態だといいます。しかし人の心、多幸感や、怒り、悲しみ等々、これはすべて脳内の神経ネットワークと脳内ホルモンによることが大脳生理学で明らかになっています。いくら聖人君子といえども、脳の特定の部位を電気信号で刺激すれば、怒ったり悲しんだり恐れたりということが生じるんです。生命だの十界だのいったってたかが微弱な電流でおこるようなものなのです。

また、人間は単調なリズムを繰り返すと、その単調さを解消するために脳内ホルモンのドーパミンが放出されます。これを悪用したのがオウム真理教の修行です。信者は暗いところでなんども「修行するぞ」「修行するぞ」となんども繰り返していく中で多幸感、恍惚感を感じたのですね。ですから題目一万の唱題などというのも同じ事なんですよ。感動で体が震える、体中に力がみなぎるというのは別に仏法の功徳、現証ではなく、単にドーパミンの放出でしかありません。

人間の心というのは記憶によるところが多いです。私達がものごとを考える上で必ず言語をつかいます。その言語だって生まれてからの記憶に蓄積された者です。遺伝子情報と後天的な記憶、経験、これらが人の心をつくりだします。心というのは脳内の神経ネットワークにより生まれるものです。赤ちゃんが成長して人格をつくっていくのも脳内ネットワークが形成されていくことですし、認知症で人格が壊れていくのも脳内ネットワークが壊れていく過程なんです。このことは科学的に明らかになっています。

宇宙の大生命云々というのならば、是非、科学的に証明していただきたいものです。

ですから、「科学が進めば進むほど、仏法の正しさが証明されるようになる」 どころか、「科学が進めば進むほど、創価仏法の間違いが証明されている」のが真実でしょう。

なにかご質問があれば私の知っている範囲でお答えしますよ。
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何をお考えなのかが、今ひとつわかりません。


> 科学が進めば進むほど、仏法の正しさが証明されるようになる

この文章の中の、科学、科学が進む、仏法、仏法の正しさ の言葉で、なにを指し示しているのが、はっきりしないのでは、証明などをする方法も、否定をする方法も決まりません。

人間の英知の輝き<諸科学統一の法則>の引用でしょうか、また、人間の解明<人間・社会・宇宙の統一的把握>の引用でしょうか、
どちらにも、科学、科学が進む、仏法、仏法の正しさ の言葉で、なにを指し示めそうとしているのかを絞り込む説明はないです。
強いていうならば、科学や宗教、仏法に備えているべき条件のようなことが記載されていますが、具備すべき条件を多く挙げて内容を特定させるにはかなりハードルが高くて、難しいです。
例えば、『システムは人間の幸福をもたらすものでなくてはならない』、『政治は人間の幸福をもたらすものでなくてはならない』、『宗教は人間の幸福をもたらすものでなくてはならない』、『教育は人間の幸福をもたらすものでなくてはならない』『事業活動は人間の幸福をもたらすものでなくてはならない』などのことを言い立てても、それらの言は、システムと政治と宗教と教育と事業活動とは同じものだと説明には使えないし、システムの高度化が進めば政治の正しさが証明されるとか、教育が正しく行われれば事業活動の正しさを証明することになるとかも言えません。

『仏教は~~すべきだ』という提言ならともかくも、『仏教は、人間の生命、あらゆる物の生命、社会および国土の生命、いな、進んでは大宇宙生命を研究対象としている』となると、この言の中の"仏教"の用語は通常の用法とは異なっていて、別途定義しないと他人にはその言がまともな認識か否かさえわかりません。 『科学と相反せず、しかも科学的にして、実験証明のともなう、論理的な宗教、それが仏法であり、日蓮正宗だといいきる』には、別途"仏法"や"日蓮正宗"を定義する必要があります。

ただ、ヒトの言説というのは、信念の吐露というケースが多くて、『ヒトはみな平等である』『正義は守られなければならない』『人間には知性がある』『仏法はすなわち生命論であり、人間の生命の法則である』なども、真偽を分かって(真偽切り分けて)述べているのではなくて要望や願望、あるいはべき論を言っているという認識をするのはほぼ常識だと思います。 「私はアイドルになるんだ」「反社会勢力は悪だ」「世界記録を出さないといけない」「彼女はとても優秀だ」「あいつは善人だ」「彼は優しくない」「この料理は絶品だ/最悪だ」「善行を積めば救われる」「因果応報」なども、真偽を分けるべき発言と理解するヒトはかなり希でしょう。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/113631/meaning/m …
発言や言説の多くは、真偽判定を明確にする命題の文ではなくて、願望や指向、そう位置づけるという気持ちの表明や気分の反映の言です。

そのようにヒトの言説を理解するならば、「科学が進めば進むほど、仏法の正しさが証明されるようになる」というのも、『そうでなけれならない!』『そう考え、それを信念の根底に据えて、仏法に邁進し、並行して、科学や技術の一層の成果を積極的に受容しよう』という態度表明と考えることもできそうです。 それを、真偽に関わる命題提示と受け取るのは、常識外れの態度だとも思います。
人間の英知の輝き<諸科学統一の法則>や人間の解明<人間・社会・宇宙の統一的把握>の引用の中にある戸田さんがどのような方かは知りませんが、戸田さんにとっては宗教、仏法、日蓮正宗という言葉を書いたり思ったりするとき、その時々で、多少は意味を変えている場合もあるでしょうが、それでもなお、意味はかなり明確だったのでしょう。 もちろん、宗教、仏法、日蓮正宗という言葉を戸田さんと似た感覚で使うヒトも少なからずいるのでしょうが、それを言語で定義解説しないと、戸田さんと同類の文化にはない多くのヒトにとって、メッセージの具体的意味は不明になり、『ああ、きっと強い信念をもっているのだなぁ』としかわからないです。
ネットで検索すると、仏法という語を使うことが多いのは創価学会や日蓮正宗のようですが、それだけが仏法という語を使うのではないです。もちろん宗教という語が使われるようになったのは日本では新しいとはいえ、創価学会や日蓮正宗での使用例が多いとは言えません。仏教系でなくても宗教という言葉は一般に使われている。 信念吐露、確信を述べる発言、決意表明、説得発言や布教言辞と、そうではない発言を取り違えて、何かを見いだそうとしても、それは無駄な行為です。
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仏教の正しさを科学で証明されるようになるには


もう少し、科学が発展しなければなりません
量子論の登場で、仏教が理解し易くなった事は確かです

科学は仏教の正しさの証明の方向へ流れていると思われる
幾つかの例を挙げます

二十世紀最大の物理学者 アインシュタイン :
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが
あるとすれば、それは仏教です

日本初のノーベル賞 湯川秀樹
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた」

ドイツのノーベル賞作家 ヘルマン・ヘッセ
仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。

アインシュタインは、こうも語っています。
「科学的探求は特殊な宗教的感情をひき起こしますが、これは、
愚かな狂信的宗教感情とはまったく違ったものです」

二十世紀最大の哲学者 ハイデガー
もし、十年前に、こんな素晴しい聖者が東洋にあったことを 知ったなら、
私はギリシャ語や、ラテン語の勉強もしなかった。 だが、遅かった
……。 (晩年の日記)

ドイツの有名な哲学者 ニーチェ
仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。 仏教は
歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう。


私の考えで恐縮ですが・・・

真の科学者は、「宗教は科学と矛盾 する」とは決して言わない
仏教は、とても知性的な宗教だと思います
若手の理論物理学者の間で盛んに仏典が読まれているのも、
「諸行無常」「諸法無我」の仏説が、現代科学と
少しも矛盾しないばかりか、科学のめざす真理を
先取りしている感すらあると、気づいているからだと思います

人工知能の研究で知られるマサチューセッツ工科大学でも、
やはり仏典が研究されていますが、
「人間の心のしくみを探るのに、仏教以上の教えはありません」
と、研究をリードするマーヴィン・ミンスキー教授は語っています。

量子論における量子の概念と仏教の不二の概念
天文の空間の概念と仏教の空の概念
物理の時空の概念と 久遠の概念 
宇宙 物質 生命科学 等
はるかに 仏教の理論が深く優れています
深層心理学のユングやフロイト等 仏教の一部分を説いた
と言える程です
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引用された文章、喩え話と循環論法の合わせ技にしか見えないのでこれで科学について語られたとはとても言い難いです。

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> 具体的に その科学者の名前とその内容を教えてください。



「証明されるようになる」
と書かれているように、まだ証明されたわけではないと思いますよ。
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