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明智光秀は本能寺の変の直前に愛宕山で張行した連歌の催しにおいて発句を
時は今 あめが下しる 五月哉
と詠みましたが、この句を謀反の決意表明であるとした場合、何故に光秀は、連歌の会の参加者の前で企みが知れるかもしれない危ない真似をしたのでしょうか、考えていただけますか。
なお、私は月並み過ぎるのですが、光秀が逡巡を断ち、大願成就のため精神を鼓舞したのだろうと考えています。

A 回答 (5件)

ノストラダムスの「大予言」と同じです。

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負ければ賊軍、好き勝手言われるのです。



ときは今あめが下"なる"五月哉

では企みになりませんからね。
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なぜ、謀反の予告とされたのか?


というと軍記物『惟任退治記』に「謀反の意思表示がされていた」と書かれていたことなどが挙げられます。
しかし、その説も実は十分ではありません。
そもそも『惟任退治記』は豊臣秀吉の側近によって編纂されており、光秀をより悪人に描こうとするがため、連歌の原文が改ざんされているのでは?なんて指摘もあるのです。
諸説入り乱れての光秀関連話の一つです。
様々な思いが交錯するのは楽しいことですね。
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>この句を謀反の決意表明であるとした



後付けの解釈だと思います。

当時の時代背景から考えて、もし、事前に謀反の決意と考えることができたなら、すぐにひっとらえて「謀反心有り」で有罪、首を刎ねることもできたはずです。
疑心暗鬼でヒステリックな信長なら当然そうしたでしょう。

それに武将ともあろうものが自分の「戦略」を歌会で事前に漏らすなど、考えられない失態です。
もし、ほんとに謀反の表明(ほのめかし)だったのなら、明智光秀はこの時点で精神に異常をきたしていた、または認知症を発症していたのだと思います。

すべては後の世のうわさ話であり、それをたぶん江戸時代の戯作者が講談本や歌舞伎などのストーリーにしたので、広まったのだと思います。
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後になって考えれば、謀反の決意を表したのかなと


思えるけど、その時に「時は今」だけで主君を討つとは想像できないでしょう
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