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例えば動詞「行く」の仮定を表す形は、

1. 仮定形「行け」+「ば」
2. 終止形「行く」+「ならば」

の 2種類があります (他にもあると思いますが)。
だからと言って、「行く」の活用表の仮定形欄に、

行け (ば) / 行くなら (ば)

と書かれることはありません。あくまで「行く」の仮定形は「行け」だけです。
この考えを形容動詞に当てはめれば、

形容動詞には仮定形は無く、仮定を表したい場合は、語幹 + 「ならば」(例: きれい + ならば) を用いる

とすれば統一性が保たれるのではないでしょうか。
何か矛盾が起こるでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 私の疑問は、
    形容動詞というものを認めた上で、その活用表の 仮定形 はおかしいのではないかということです。

      補足日時:2019/08/04 10:36
  • 「きれいです」の活用には仮定形が無いので「きれいだ」の活用にも仮定形が無いと考えて、特に問題はなさそうですね。

    未然形 連用形 終止形 連体形 仮定形 命令形
    でしょ、 でし、 です、 (です)、 ○、 ○

      補足日時:2019/08/05 07:21
  • > 「形容詞性名詞」+ 助動詞「だ」

    形容動詞とは 2語からなる特殊な単語なので他の品詞と同様には考えられないという考えもあるかもしれない。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/05 09:29

A 回答 (27件中1~10件)

#25です。


#26さんのおっしゃっていることの非論理性がひどすぎるので、またお邪魔いたします。

>これが形式主義的な定義の典型で、これでは、「名詞」と「形容詞」の相違は「活用がある」か否かの相違でしかないことになります。

「(相違)でしかない」という認識のようですが、「活用がある」ことの意味、重要性をまったく理解しておられないようです。
未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形・命令形のように活用するか否か、というのは「大きな違い」であるのは小学生にでもわかることでしょう。

>この誤りが、#23 でも注意されている形容詞性名詞なる意味不明な誤った名称を生みだします。

#23さんのご指摘が不合理なものであることは一目瞭然。
それを根拠に、『#23 でも注意されている』などとおっしゃる時点で、論理が破綻していることに気づいていただきたいものです。
#23さんは、「(形容詞)性」という概念を否定しておきながら、
『形容詞性名詞というよりは動詞性形形容詞、と考えた方が・・・・・・だから形容動詞という名前を付けた。』
という矛盾を平然と述べておられる。
どうでもよいことなので放置してましたが、まさか、それを批判の根拠として挙げる方がおられるとは、いやはや・・・驚き桃ノ木山椒の木とはよく言ったものです。(笑)
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#22 です。



質問者さんには関係ないことで恐縮ですが、#25 サンが相変わらず訳の分からないことを言われていますので、誤りを示しておきましょう。全く無関係ではありませんが。

「名詞」

事物の,状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語

「形容詞」

事物の性質・状態、人間の感覚・感情などを表す自立語で、【活用がある】。

これが形式主義的な定義の典型で、これでは、「名詞」と「形容詞」の相違は「活用がある」か否かの相違でしかないことになります。

この誤りが、#23 でも注意されている形容詞性名詞なる意味不明な誤った名称を生みだします。

辞書を盲信し、その誤りを批判する能力がなく、単につまみ食いするとこういうことになります。■
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#21です。



質問者さんには関係ないことで恐縮ですが、#22さんが、名詞や形容詞の定義をご存知ないとのことですので、お示ししておきましょう。

「名詞」
意味のうえから,事物の名称を表わしたり,状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語と定義される。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
https://kotobank.jp/word/%E5%90%8D%E8%A9%9E-141071
【(名詞とは)事物の名称を表わしたり,状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語】ということです。

「形容詞」
事物の性質・状態、人間の感覚・感情などを表す自立語で、活用がある。動詞・形容動詞とともに用言に属する。「美しい」「温かい」「うれしい」の類。
◇口語では「かろ・かっ(く)・い・い・けれ」と活用する。文語にはク活用・シク活用の二種がある。(明鏡国語辞典)
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#23



>>形容動詞を認めようが認めまいが無関係。

何と何が無関係なのでしょうか。

行くなら→行く+なら

綺麗なら→綺麗+なら

同じ助動詞「なり」の仮定形「なら」で、形容動詞とは無関係という意味であれば、その通りですが。

いつも、入力ミスが散見されますので、ご注意のほど。■
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形容動詞を認めようが認めまいが無関係。


「きれい」に仮定の方表現はあり得ないのか、あるから、いろいろ意見が出ています。
行くなら・・・・この表現と、きれい、の家庭表現とは無関係。
行く(動詞の終止形)+なら。
この場合の「なら」は名詞にもつきます。
例 箱なら四角(立方体)が大半・・・。
>形容詞性名詞
こんな言葉を持ち出すと余計混乱します、形容詞性?、「性」とは何ですか?「的」と同じで、似て非なるもの、と言う意味にも受け取れます。
形容詞性名詞というよりは動詞性形形容詞、と考えた方が・・・・・・だから形容動詞という名前を付けた。
そんな考え方を突き崩したうえではじめて、あなた考え方が展開できます。
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未だに、名詞と形容詞の相違も理解できずにつべこべ言っている方がいるようなので、注意しましょう。



ましてや、活用とは何かが理解できるわけがありません。■
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#19です。



>しかも動詞でも形容詞でも ~なら(ば) は仮定形の語尾とは認められていないのに形容動詞だけこれを仮定形語尾としたことに一貫性のなさが出ているのでしょうね。

そうなのでしょうね。
ただ、未然形・仮定形については、動詞でも形容詞でも、

・連体形+助動詞(だろ・なら)

という構図と考えれば良いかと。
形容動詞の場合は、むろん、

・形容詞性名詞(体言相当)+助動詞(だろ・なら)

ですから一貫性は保てるでしょう。
一貫性が保てないのは、

・形容詞性名詞(体言相当)+助動詞(だろ・なら)

の形を形容動詞というひとつの品詞として認定するかしないか、という点にあるのであって、活用語尾云々というのは後付けの論理ではないですかね。
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>>形容動詞とは 2語からなる特殊な単語なので他の品詞と同様には考えられないという考えもあるかもしれない。



このような特殊な単語を認めると、単語とは何かが不明瞭になり、先に<接続助詞「ので」という誤り>や<付属語、自立語という誤り>で指摘したように、新たな品詞が次々に生み出され、その意義が不明瞭になってしまいます。

<接続助詞「ので」という誤り>
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11221613.html
<付属語、自立語という誤り>
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11225788.html

一語とは何かを定義できない現在の言語論の欠陥、限界がここに現われていますが、これでは文法論はスパゲッテイー状態になるしかありません。

さらに、三浦つとむは次のように指摘しています。

「高足駄の爪皮も今朝よりとはしるき漆の色、【きはぎはしう】見えて誇らしげなり」(『たけくらべ』)では、<助動詞>「なり」がそれ以前の一連の対象認識の語に結びつき、さらにその中では<接尾語>「げ」が「誇らし」に結びつくという構造になっている。

<形容動詞>肯定論者は、この「なり」も<ナリ活用>だと主張しなければならないわけであるが、【何ぼなんでも「げ」の活用だと解釈することはできない】。鈴木一雄・森野宗明の『解明文法』は、これを【臨時的に作られる形容動詞】と解釈して、語の語形変化であるはずの<活用>を語句にまで延長させている。

 形容動詞の不安定性という点で注意されるのは、ある型にはめれば、臨時に、どしどしかなり長い語句を一語相当の形容動詞化することができるということである。「……がちなり」「……顔なり」「……げなり」などがその典型的なもので、どこまでが一語相当にまとめられて形容動詞化されているのかを見きわめるのがポイントになる。

 「不安定」なのは<形容動詞>だけではない。語とは何かという言語理論の本質的な部分まで、長い語句が「一語相当」になるという解釈によって不安定にされてしまう。/

ということになります。■
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#5です。



形容動詞というものを認めない理由が、「(きれい)なら」が活用語尾ではないから、ということのようです。
しかし、形容動詞というものの構造が、

・「形容詞性名詞」+助動詞「だ」

であることは明らかになっている。
であるなら、

・「きれい(形容詞性名詞)」+「なら(助動詞「だ」仮定形)」

と考えれば良いわけで、何の問題もないでしょう。
・「形容詞性名詞」+助動詞「だ」
の形を形容動詞と呼びたい人は呼べば良いし、呼びたくないなら呼ばなければ良いだけ。
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この回答へのお礼

.
多分、「だ」の活用のうち仮定形の「なら(ば)」だけ汎用性があって、これが独立して、

男 なら(ば)
行く なら(ば)、行けば
美しい なら(ば)、美しければ

と広く使われていて、しかも動詞でも形容詞でも ~なら(ば) は仮定形の語尾とは認められていないのに形容動詞だけこれを仮定形語尾としたことに一貫性のなさが出ているのでしょうね。

お礼日時:2019/08/05 19:46

形容動詞については、肯定論、否定論のみならず、その中間に三上章の補助活用説などヌエ的な折中論者があり、諸説乱立しています。



否定論者としては水谷静夫、時枝誠記が良く知られています。大体の歴史は下記の「3. 形容動詞についての研究の展開」を参照下さい。

https://dspace.inha.ac.kr/bitstream/10505/14526/ …

やはり、膠着語である日本語の活用とは何かを明確に把握することが大切です。

この辺の詳細は、三浦つとむ「形式主義文法論の吟味」(『文学・哲学・言語』所収:国文社,1973)が詳しく論じていますので、是非参照下さい。

夏休みには打って付ではと思います。(逆に血が昇ってしまうかもしれませんが。)■
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