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 食べるの意味で使う「いただく」は謙譲語ですよね。料理を作ってくれた人に対して、食べるという自分の動作をへりくだる使い方です。あるいは、「お先にいただいてます」のような場合は、後から食卓に来た人に対してへりくだっているわけです。
 でも最近、テレビを見ていると、「いただく」が、女性の単なるお上品ことばのように使われているような気がします。
 例えば、あるレストランを取材する女性レポーターが、ナレーションの中でこう云ったりします。
「……ここは、地元でもとても人気があるそうなんですよ。さて、私は○○セットをいただくことにしました」
 この女性レポーターは、いったい誰に対してへりくだっているのでしょうか?客なのにどうして店のシェフにへりくだる必要があるのでしょうか?それともタダで食事させてくれる番組スタッフに対してでしょうか?
 また、これは料理番組のなかでのひとコマです。
「仕上げにスダチをかけていただきます」
 女性料理研究家が自分で調理しながら出来上がり寸前に言ったりするセリフです。最後にはアシスタントの女性といっしょに、自分で食べてしまう料理なのにですよ。
 確かに「いただきます」という挨拶には、自然の恵みやお百姓さん、いろんな意味での感謝が込められていると思います。
 でも「朝食は自分で作ってるんですよ。今朝はサラダとヨーグルトをいただきました」なんて言いまわしを見かけると、変に気取ってるみたいでおかしく聞こえます。何故なら、くだけた言葉づかいをしているのに、そこだけ謙譲語でチグハグだからです。もし本当に謙譲表現として言うのなら「朝食は自分で作っております。今朝は……をいただきました」に揃えるべきだと思います。
 以上はあくまで自分の印象ですが、これらの「いただく」の使い方は、果たして正しいものなんでしょうか?

A 回答 (4件)

私も常々同じ事を感じて、ぶつくさ言っています。


「この店で頂けるものは……」などと言われると、「代金を支払って食事をする客が、何で頂かなければならないんだ、そこの板前さんはそんなに偉いのか」と言いたくなりますね。
ご指摘の通り、「いただく」は「たべる」の丁寧語になってしまいました。
ですが、「歴史は繰り返す」で、同様のことが過去にあったのです。
「食」の読み方はもとは「くらふ」でした。これに対して「たぶ」は「賜」「給」の字に相当する言葉で、本来敬語だったのです。
それが「くらふ」は次第に「きたない言葉」と感じられるようになり、「頂戴する」という意味の「賜ぶ」が取って代わったのです。
江戸時代の書簡などを見ると、「給物」という表記がありますが、当時は「たべもの」をこう書いたのです。
ちょっと不正確ですが、西周(にし・あまね)の文章に「たんと御上りよ、礼をして御給へよ」とあったと記憶しています。この最後の部分はは「おたべよ」(「へ」は濁音不表記)と読むべきものです。
というわけで、「食(くらう)」「給(たべる)」だったものが、「食(たべる)」になってしまったのです。
そして、現代になって再び「たべる」はぞんざいな言葉で、「いただく」の方が上品な言葉、つまり丁寧語ということになってしまったわけです。
仕方がないとはいえ、やはりぶつくさ言いたくなるのは昔人間だからでしょうか。
もちろん、「いただきます」は農民や神様への感謝ということで、自然な表現であることに異存はありません。

この回答への補足

そうそう、確かに「くらう」なんて言ったら、ついつい自分も、家畜が餌にがつがつ食いついてる風景を思い浮かべてしまいます。何気なく使っていることばも、元の意味を知ると面白いですね。
みなさんの回答でいろいろ勉強になりました。ありがとうございました。

補足日時:2004/12/22 22:09
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この回答へのお礼

garamondさん、詳しい説明ありがとうございます。
なるほど。なんとなく違和感を感じておりましたが、「いただく」「たべる」「くらふ」の用法に、そのような歴史的変遷があったとは知りませんでした。
相対的に全体が上品な用い方へとスライドしていったわけですね。これで納得がいきました。私の持ってる古い辞書も間違ってなかったみたいです。
とても勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/12/22 21:47

仏教の教えかなんかで、人間は他の命を犠牲にし、それを摂取しないと生きていけない。

だから、食べるときには命を分けてくれた全てのものに、感謝の意を込めて「(命を)いただきます」といわなければならない。というようなのがある、と聞いたことがあります。
その食べ物自体に敬意を払っているわけですよね。
その意で使ってるのならば間違いではないような気もします。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおりだと思います。
そうですよね。命をいただくわけではありませんが、乳製品や野菜の葉っぱでも、ありがたくそう手を合わせるべきですよね。
ただ、安易に「食べる」の代わりに使ってる人たちが、果たしてそこまで思いながら使っているのかというと微妙だと感じております。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/23 23:35

食事のときに「いただきます」という習慣は、


元々はお百姓さんに対してでも食事を作ってくれた人に対してでもなく、
かまどの神様に対しての感謝を表していました。

昔は今と違い、かまどで火を使わなければ食事は出来ませんでした。
だから昔も自分でつくった野菜で自炊していたとしても、「いただきます」といっていたのです。

もちろん材料や料理をつくってくれた人に感謝する気持ちを表すのに使うことも大切ですが。

なんだか質問の意図と少し違う気もしますが、何かの参考になれば。
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この回答へのお礼

かまどの神様というのは初めて知りました。ひとつ勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/12/20 20:04

国語辞典を見ると、「いただく」は「食べる・飲む」の謙譲語であり、丁寧語でもあるようです。



また日本人のメンタリティとして、毎日ご飯をいただけることは、それが自分で作ったものであっても、「いただく」ものでしょうね。

ご飯食べるとき、一人でも「いただきまーす」って言いませんか?
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この回答へのお礼

自分の持ってるのは古い辞書なんですが、そこには「食べる・飲む」の謙譲語としか書いてありませんでした。でもgoo辞書で調べると「食べる」の丁寧語でもあるんですね。ありがとうございます。
それに一人でも「いただきます」と言いますよね。
ただ、平たい文章の中なのに、そこだけ丁寧語に変換されているのが気になったんです。

お礼日時:2004/12/19 23:37

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