この時期になると太平洋戦争時のことがとかく問題になります。
今年も靖国参拝問題とか戦争責任とか・・・。とはいえ、現在の日本を見れば、
不況だ不況だといいながらも飽食を貪っている。戦争自体は毎年語られるけど
戦争中に国に残って生活していた人たちについては忘れられがちな気がして。
どのような生活で、どのようなものを食していたのか良くご存知の方、教えてください。

A 回答 (6件)

高粱というのはイネ科の植物で、主に中国北部や満州で植えられ玉蜀黍やサトウキビに似た茎や葉を持っていて高さも2.5m



くらいになるため、戦争中は中国の[便宜隊:中国人兵士またはゲリラが民間人を装っていた]や、匪賊が隠れて日本兵を

大いに悩ませたという歴史があります。(これについては芥川竜之介の[首が落ちた話]に出てきます)
http://www.aozora.gr.jp/cards/akutagawa/htmlfile …

話はそれましたが、その実が食用になる「高粱」で日本では中国の高粱酒などで知られ、鳩用の餌などにもブレンドしています。

それで日本では、粟とかヒエのように作られていたわけではなく、満州から持ってきたものかと思われますが、小豆色をした

2.5~3mmくらいの丸い粒の穀物で、製粉した話は聞いてませんが粒のまま小松菜、油揚げなどと雑炊にしたようです。

植物の画像として適当な例ではないのですが、高粱が写っている写真があるので紹介しておきます。
http://www.koryos.com/profile/whatskb.htm

また高粱は歴史的にもかなり古い作物で「三国志演義」にも出てきます。。。脱線し序でにご覧下さい!!
   _______________________

◆ 義と孝 ◆ 高粱米の赤いわけ

関羽が荊州に駐留していたときのこと、関羽の馬・赤兎馬が高粱の苗を見つけて食べ尽くしてしまい、
土地の農民が関羽のもとに押しかけた。
関羽は謝り、必ず償うと約束したが、その後敗走して命を落とした。
冥府に降りた関羽はなお農民たちとの約束を憶えており、仙界の神農氏を訪ねて二粒の仙粒を貰った。
さて、荊州の農民たちは、枯れたままだった高粱の苗がまた青々としているのを見て不思議に思った。
その夜、農民たちの夢に赤兎馬に乗った関羽が現われ、「高粱の苗は私と赤兎馬とで元通りにするので、
どうか許してほしい」と言った。
夏の収穫を迎えて、農民たちは驚いた。
高粱の苗が関羽の顔、赤兎馬の毛並を思わせる赤い色をしていたのだ。
まさしく関羽は「義」の人だったのである。  (「三国演義的伝説」)
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この回答へのお礼

重ね重ねありがとうございました。大変勉強になりました。

お礼日時:2001/08/09 10:30

きのう書く時間がなかったのですが、まだ開いているようなので私も少々書き足します。



sdaruさんより年下で、記憶が戦時中なのか戦後だったのか分らないので遠慮していたのですが、興味深く読ませて頂きました。
まずは腹が減ってはイクサは出来ぬの喩えどおり、ヒモジイノが敵だなんてナサケない話しでした。

食料と言えば農村の方が有利だったと書いておられますが、3月10日の大空襲で焼かれた今の江東・墨田区などは東京でも
自家菜園も作る空き地もないのですから山手線の外部より大変だったと思います・・・実情は知りませんが!

自分の住んでいた付近について話せば、芝生の庭はどの家も戦争の初期はナス、キューリ、トマト、いんげん、エンドウ、ほうれん草、
小松菜、ニラ、ミョウガ、人参、イチゴなど好きなものを作っていたのです。

ところが戦争が激しくなり、お米の配給も麦の比率は増えその内たしか配給の量も減ってきた記憶があるのですが、そうなると
趣味的なものは作れません・・・結局、かぼちゃ、さつま芋(金時と太白)など素人にも作れ、腹持ちのいい野菜がお米の代わりに
するために作られるようになったのでした。
・・・裏の家のお爺さんは、かぼちゃが好きで戦後も作りつづけ顔が黄疸かと思うくらい黄色になっていたのを思い出しました。

戦時中食べた経験はないのですが、食券がないと駅前食堂でも飯が食えないと言う時期に[高粱:コウリャン]の雑炊は食券が
なくても食べられるとかいろいろ断片的に覚えています。
ただ地域差はあるにせよ食料で一番困ったのは都会の人間で、私の記憶では戦争が終わってからの方が深刻だった気がします。

闇米を買うのを潔しとせず、餓死した検事だか裁判官の話しとか、フスマ(脱穀した麦の殻)をパンにした記憶とかイモや豆の入った
飯の記憶は、昭和20、21年のほうがより深刻だったと思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。ただ、勉強不足で申し訳ないのですが、高粱の雑炊についてもう少し詳しく教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2001/08/08 13:58

1の方とほぼ同じような生活をしていました。


異なる点は.兵隊による暴行が有ったこと.動けなくなった人間を近所で生きていたまま燃していたこと.燃え残りを食べていた人々がいたこと(燃していた人間です)です。
ある集落では.兵隊に対して食糧を供給しませんでした。兵隊は.その集落で食糧の供給を受けるように命令が有りました。兵隊は.食料を用意しました。つまり.その集落全員を銃剣でとさつし.食べていました。この話は.兵隊の一人から聞いたことです。
日本臣民は.天皇の私兵である大日本帝国軍の食料に供給されていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。初めて聞く話です。極限状態の中での現実と受け止めました。私の世代では学校教育の中でしか戦争を知りません。言葉でいうのは軽軽しいかもしれませんが、実生活(極限状態での)としての戦争こそ、伝えていくべきではないでしょうか。

お礼日時:2001/08/08 09:50

 都会では空き地があれば、サツマイモやかぼちゃを植えていました。

甲子園のグラウンドでも植えていたのは有名です。芋は米と混ぜて、イモご飯、芋のツルは雑炊・すいとんに入れていました。また、夏から秋にかけては、子供達はいなご・はちのこ取り、川ではシジミ・川ニナ取りを盛んにして、貴重なタンパク原となりました。いまでも、サツマイモやかぼちゃを食事に出されるとげんなりする年取った人はよくいます。下は、当時の人の聞き書きです。参考URLは戦時下の生活の品々の写真です。 
http://www.chitanet.or.jp/users/10010134/kikigak …

参考URL:http://cscns.csc.gifu.gifu.jp/virtual_museum/dat …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
私の父もサツマイモは昔を思い出すと言って、食べることはありません。

お礼日時:2001/08/08 09:42

私の親や、祖父祖母に聞いた話です。


主食はサツマイモを使った「すいとん」といって、お米が少々、芋少々、芋のツルを水で煮たものだったそうです。
実のところ、ほとんど水だったそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/08 09:40

この時期の人々は既に高齢化しています。



私が昭和8年,1933年生まれ、戦争の終結が昭和20年,1945年。現在68歳
戦争の前線に出た人々は70歳を越えています。

私の体験は小学生の2年から6年まで、この間の体験は到底このようなところで
総てを書くことは不可能です。

育ち盛りの年齢、最後には食べ物の話になります。
生活していた場所、環境により違いはありますがこと食べ物については農村が
有利でした。

粟、稗こそ食べませんでしたが、大豆の絞り粕、小麦のふすま、かぼちゃ、
薩摩芋、干し杏、大麦、等が主食の座を占めたことも有ります。

白米のご飯と梅干は最高のご馳走。肉などお眼にかかることも有りませんでした。
総ての生活物資は国の統制下、一人にどれだけかの割り当てが有りましたが、

戦争末期になるとこの割り当ても有名無実でした。
履物、衣類も総て同じ、年々大きくなる子供は履物には苦労しました。

右左大きさの違う靴を貰って喜んでいましたが最後にはこれも無くなり
草鞋を履いていましたがこれも新しい物は学校で盗まれました。

欲しがりません勝までは、この標語の下に耐乏生活をしていました。

海に魚は多く居たようですがこれを獲りに行く漁船も軍の管理下、
漁をする人も少なくなり、漁船も海に出ると爆撃の標的になりました。

私は戦争終結後、微熱が続きましたが飢餓熱、栄養失調の発熱でした。
私達年代の人が戦争の体験を語るとき最後には食べ物話で終わります。

日本の大中都市に暮らした人々の殆どは爆撃の恐怖を体験し、衣食住総てで
辛酸をなめた筈です。

このような生活が精神的な重荷になり語ることを拒否する人もあると聞きました。
野坂昭之(字が違うかも)のアメリカひじきと言う小説が終戦前後の食生活を書き賞を貰った筈です

確かこれをもとにしたアニメが有りました。
見ていて目頭が熱くなりました。

私の姪がこのような話を聞きたがり話し事が有りますが2時間くらい話しても
終わりませんでした。

このような生活をしてきても人間は生きています。改めて生命力の強さを
実感するときも有ります。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございました。大変勉強になります。
戦争を単なる史実として出なく、より現実感の有る伝え方を
考える必要性を感じました。

お礼日時:2001/08/08 09:38

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