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私の中になかば呪縛的に潜むものがあり、しかもそれについて現時点、自分として回答を出し得ていません。正直言って、自分の考えに恐怖を覚える時があります。

戦争・・歴史的に見てもこれがあったが為に、世界の発展というものがあったのでは・・いわゆる必要悪なのでは・・という事です

経済発展の中で需要と供給の原則を考えた時に需要を限りなく生み出す事は困難で。すべての人類が平和と安定の生活を営む・・ということは、経済発展という意味合いの中で無理があるように思えます。

不安定や貧困、社会情勢の不安定の基盤の上に経済発展というのはあるものと理解しています。

経済が死ねば人民も共倒れです。
経済は発達しつづけないといけない 経済の大原則です。
戦争によって適切な淘汰がされ、新たな需要の拡大を生じさせる事で経済の循環がなされのでは。それは10年以上場合によっては100年スパンの考えとしてですが。

その様な意味で
今の経済を支える、企業、政治家などは内心「どこかで大きな戦争でもおきてくれないだろうか・・・」と、絶対に思ってる・・と想像してしまい、個人的にも同じ事を考えてしまいます。

「あなたの子供を戦争に出したいですか?」などという視野の狭い回答はこの場では不要です。
戦争はその場に遭遇する人民に対し多大な負荷と不幸をを与える事は承知しています。

・・・・しかし、たとえば、貧しい国やいまこの時間でも起きている紛争の犠牲によって世界が発展している・・・という事は多分事実なのだと思います。
アメリカなどは自国の発展の為に意図的に紛争をおこしている可能性(この場ではあえて可能性という言葉を使います)があり、多分それは現実の事なのだと思います。

こんな事を延々ともう10年以上考えています。
しかしそれを打破する明快な答えが無いです。

誰かこの考えを打破する知恵を授けて下さい。

A 回答 (16件中1~10件)

戦争が必要か否かという問題は確かに大きな問題ですね。


私もよく考えます。でもその前に、人もまたそれ以外の生物もすべて自己主張というか己自身を守る性質をもっていることは間違いないですよね。たとえ親子でも兄弟でも夫婦でもけんかをしますよね。まさに個人同士の戦争ですよね。これの拡大版が国と国との戦争ではないですか。自分を守ろうとすれば必ず戦争は起こる。自然にです。私もkonojiさんも誰もみな自分を守る。守りたい。戦争は必要か否かではなくあって当たり前ではないですか。
確かに米国は意図的に戦争を起こします。それはガキ大将(力に自信がある者)が己の保身と権力の見せつけのために起こすけんかといっしょでしょ。
ただこれだけの事でしょうね。
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この回答へのお礼

・・個人,血統,血縁,種族,これらを維持する為の本能と,地球のキャパシタンスがアンマッチしてきているのかもしれないのですね・・

個人の保身と,人類としての保身は決してイコールで無い様な気がします。

有り難うございました。
もう一度,基本に立ち返る事を教えていただいたような気がします。

お礼日時:2001/08/16 11:19

私は武力による戦争は全面的に反対の立場です。


が、まず以下のようなことを考えてみました。

≪戦争のメリット(?)≫
(1)技術的発展の契機
 &特需(!)によって経済的に潤う
(2)人口増加の歯止め
(3)より大きな”力”により、小規模紛争を抑止する
≪戦争のデメリット(?)≫
(1)破壊活動である=経済的マイナス要因
(2)被害者がでる

ここで戦争反対の立場から:

前提として、太古の昔、武士や貴族が領地争いをしていた
ころの戦争と、近代の政治的な国家(若しくは権力)どう
しの戦争は区別すべき。ここでは近代の戦争を題材とします。

(1)について
技術的発展は前の世界大戦のような大規模紛争に限ったこ
とであって、先進国が加わったときにのみあり得る発展で
はないか?
中小規模の紛争では、それどころではない国や地域が多い
んじゃない?
湾岸のときの技術だって、平時に開発されたものだろうし、
だったら戦争がおこる可能性だけが必要なのであって戦争
が必要なのではない。
動機づけが「戦争」でなくても「発展欲」があれば良いという
ことになる。

経済的発展については明確なこと。
発展するのは自国だけで、敵国を破壊するのだから・・・
プラス要因:自国の特需
マイナス要因:自国・敵国の生活(=消費)、敵国の破壊
トータル.マイナス、良くてチャラ?
(まぁ、第2次大戦後はねぇ、たまたま技術的発展の余地が
あった、歴史的にも”稀”な時期だったから、誤解して
いるひとは多いよね。)

(2)について
人口は減るだろうけど、そんな人口、現代では1年くらい
で増えるだろう。
(日本国内に限って言えば、現代の1年間の交通事故死者
は、2次大戦での国内の死者より多いらしいよ。)
それに「適切な淘汰」とあるが、武力戦争の被害者は
「武力的弱者」であり
<武力的弱者=経済的弱者=マイノリティ>ではないかい?
(「適切」でも「淘汰」でもないと思う)
それよりも、戦争に頼らない人口抑制策と、増加する人口
を、それでも養って行けるような技術の開発、これを考え
つづけることが人間らしさじゃないのかい?
(戦争に頼ることこそ、発展の放棄じゃぁ!)

(1)(2)については、”過去”がそうであっただけの話。
歴史に「もし」は禁句だというが、あえて言うなら、
戦争が無くても技術は発展したかもしれないし、戦争が
無ければ、もっと早く人口対策が完成していたかもしれ
ない。

(3)について
よくアメリカなどが持ってくる意見(「世界の警察」とか?)
だけど、これって「ヒトラーにも勝る恐怖政治」だと思わん?
・・・ただ、これについてだけ、明確な反対意見が出せな
いんですよ。
現実に「いま起きている戦争」にどう振る舞うか。

で、私なりの結論。
「戦争が必要だ」という理由も「戦争は絶対悪だ」という
意見も、いくらでも出すことは出来る。(哲学的領域?)
考え方を逆にしてみることが必要じゃないか?
大きな話になってしまうが、「人類には戦争が必要か不要か」
を決めることが先決であり、
”必要”と決めたのなら「なぜ武力行使が必要か」、理由
を明確にすること。
(その”理由”に当てはまらない紛争は、武力介入による
解決を必要としない、ということになる。)
これがルールの決め方だろ!
これを、いちばん曖昧にしているのが、わが日本国だね。
あーあ・・・。
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この回答へのお礼

何かを考える時に
その事について,反対,賛成という選択肢しかない考え方は物事の解決に対して決して前向きでは無い様に思いますし,逆に解決を引き延ばす結果になる様にも思います。

御意見の中味に関しては大変参考になりました。
御意見の前半の部分は特に(2)は全世界の人が同じ価値観を持つという究極に難しい選択肢ではないのでしょうか?

問題は,国(世界)を人民がひっぱているのではなく,一部の経済的優位者(国ではないです)がひっぱていると言う事です。
この意思が“必要”と判断する可能性が高い事を危惧しています。

お礼日時:2001/08/16 11:03

キリスト教的な生活の発展の傾きが正であるということは、おかしいのではないか。

また、死後の世界を意識させることにより、人生を軽く見ているのだろうか。
政治の世界では、観念論は持ち込まないでほしいと思う。

あと、経済などなくても、人類は滅亡しないが、大きな戦争が起これば、滅亡する可能性は大である。天秤にかければわかるのでは。
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この回答へのお礼

>あと、経済などなくても、人類は滅亡しないが、大きな戦争が起これば、滅亡する可能性は大である。天秤にかければわかるのでは。

終末論的な考え方は決して前向きでない事は承知しています。
又,イデアリズムの件もそう思います。


・・しかし,そう判断が出来る人が経済界のトップにどのくらいいるのでしょうか・・

お礼日時:2001/08/16 11:13

「戦争によって適切な淘汰がされ、新たな需要の拡大を生じさせる」とありますが、人口の減少は


むしろ需要の拡大にとってマイナスであるように思われます。実際、人口の減少が経済の発展に寄与
したなどという話は(少なくとも私は)聞いたことがありません。

戦争が何らかの形で社会に貢献する(?)ことがあるとすれば、恐らく次の二点でしょう。(他にも
あるかもしれませんが、とりあえず思いつく限りで)
 (1) 新技術の開発に貢献する。
 (2) 軍需物資の一時的な大量消費によって周辺地域の景気拡大に寄与する。
しかしながら、いずれのケースについてみても、戦争が寄与する場合があることを認めるにしても、
それが必要あるいは必然であると考えるほどのことではないように思います。民生品の研究でも
技術開発はなされます。民間消費の拡大(簡単なことでもありませんが)によっても景気は拡大
します。

戦争を起こす大きな原因として、資源(人・物・カネ)の再配分ということがあると思います。
地域毎の経済発展の状態が不均一である以上、現在の配分状況がいずれ実情ににそぐわなくなると
いうことは、十分起こりうる、というか、ほとんど必然と言ってもいいかもしれません。そのような
状況をめぐって国際的な対立が起こり、戦争に発展するということは、ありそうな話だと思います。
そのような状況下では、戦争を避けることの方が極めて困難でしょう。が、それでも戦争が不可避
であるとは言えない。必要なのは資源の再配分であって、殺し合いではないからです。絶望的に
難しいことだとは思いますが(国内の構造改革だってこんなに大変なのに)、そのためにこそ、
人類の英知を結集すべきだと思います。
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この回答へのお礼

>人口の減少が経済の発展に寄与したなどという話は(少なくとも私は)聞いたことがありません。

同感です。
しかし自国の(自社というのがあるのが怖い部分ですが)の利益(需要)確保の為に実際に紛争が起きている(起こされている)事は否定できません。
この形態は,今後その手法が変化する事は充分考えられます。
(非戦闘での無血クーデターや,大国の後押しによる民主独立化など・・)

いずれにしても自国の人口を養う為に他国にその需要の根幹を求める・・それは政府レベルではなく民間企業レベルでも行われており,そのひとつの手法が紛争なのだと思います。

しかし,その先にあるものは・・・
増えつづける人口,既に各経済大国の民需需要の伸びは頭打ちの状態です。
経済発展は“消費”が必要で,自国内にその消費量が見こめなければ他国に求める事は必然であるでしょう・・その他国が経済発展して更にその先へ・・・限界に近い状態はもうそこまで来ているような気がします・・

資源の再配分の件,非常に参考になりました。
ranxさんへの御礼が遅くなったのは,この部分について自分なりに考えたかったからです。 ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/16 10:06

木が種から芽を出します、生きていくために光を求めます。


影を作る邪魔な木ががあればその木よりも高く育とうと努力します、
ここまでは社会の発展と同等の作業と言えるとおもうのです。

木が種を落とします、その子孫が育つのに周り木が邪魔であろうが、
他の木を切り落とそうとはしません、
極論として、この部分で人間だけが繁栄のために戦争を起こすように思います。
"人間以外の一部の生物に見られる行動と一致するかもしれませんが"

狭い教養での意見で申し訳ないのすが、生物学的には人間以外の他の生物は
捕食目的で同種の生物を殺すことはあっても、
種族の絶滅を目的として殺める事はしていないように思えます。

ではなぜ人間だけがと考えると、とりあえず人間の中でも私は望んでいない事に
気づきます、そしてきっとこの回答をご覧になっているみなさんも、と。

ではなぜ戦争は起こるのか、それはきっと許容範囲を超えた大きな力を
手にしてしまった、その時代の政治を司る権力者のエゴだと思うのです。

私の意見として戦争は否と答えたとしても、未来永劫手法は変わるでしょうが
人種を分けている以上、争いが絶えることは決して無いように思えるのです。

戦争を無くす"打破する明快な答え"ではないかもしれませんが、
私が考えるに、個人が学習できる教養を現代のレベルで見る"限界"まで
その世の人々が高められる時代が来れば、
人種間の争いは自然の流れで無くなって行くと思うのです。

とりあえず日本で見る今生きている私達の世代は、
戦争での利益よりも行わなかった場合の心の豊かさの方が大事と感じているはずです。

後は権力の横暴が行われないように、一致団結していく手段を探るだけ
だと思うのです、このインターネットでのディスカッションのように。
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この回答へのお礼

>狭い教養での意見で申し訳ないのすが、・・・

とんでもありません,先見性のある深い見識に頭がさがります。

『個人が学習できる教養を現代のレベルで見る"限界"まで
その世の人々が高められる時代が来れば、
人種間の争いは自然の流れで無くなって行くと思うのです。 』

ガンダムでいうところの「ニュータイプ」ですね・・
(いきなり,レベルを落とすようで申し訳ない,たとえが悪すぎました・・・)

私はもっとオープンな形でしかもマスコミと市民団体が先導する形でこのような議論がいろんな場所や年代層の中で活発に論議されても良いように思ってます。

「人として生きる」と言う事は,実はものすごく社会や環境,しいては地球に対してものすごくストレスを与える事なのだということについて・・

お互いの事がもっとわかり合える,「何か」が必要な時代が来ているように思います。

お礼日時:2001/08/10 15:11

イデオロギーによる戦争や宗教による戦争はかなりの率で回避することはできるでしょう。

民族紛争も含まれます。たとえば、極平和主義者が強力な権力で民衆を徹底的に平和洗脳すれば、可能でしょう。(その方法論は問題がありますが)
しかし、これから先、おそらく数十年以内に来る貴公の急激な変化による食料不足が原因の食料戦争はそのようなレベルではなくなります。それは、「自分の命がかかった食料を見ず知らずの人間に与えられるか」という選択に迫られるわけです。同じ国の内部でも争いが起こるでしょう。
戦争は必然であるのは避けがたい事実です。

 
それからどなたかが述べておりましたが、兵器産業は先進国のハイテク技術だけではありません。機銃、弾薬といった必需品は、どこの国でも作れるのです。むしろ、誰でも使えて消費の多いこのような「商品」が良い儲けになるのです。

戦争は必要とは思いませんが、質問者の言うようにそれが技術の進歩につながったのも事実です。でもこれは宇宙開発競争のように良い方向に向けることもできます。

すみません。よくまとまっておりません。私も考え考え書いたので。
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この回答へのお礼

実を言うと個人的には戦争による技術の発展というのは、反面、戦争回避の為の技術もかなり含まれると思っておりそれらを一まとめに「戦争による技術の発達」というのには語弊があるようにも感じています。

しかし近代技術のなかでこれらから“生まれなかった”ないし“発達しなかった”物を思い出す事が難しい事を考えた時、現在においてもやはり、技術発達という意味での貢献度(この言葉は使いたくないのですけど・・)は高いと思いますし、事実でしょう・・。

食料の件はまったく同じ意見です。
これは経済発展と同意語です。
かなり、やばい状況になっている事への認識が皆甘いと思ってるのは私だけでしょうか・・・?

お礼日時:2001/08/15 22:36

>誰かこの考えを打破する知恵を授けて下さい。



補足要求というわけでもないのですが、「戦争を必要悪とする考え」を打破したいと思っておられる、と理解していいのでしょうか。

(#8への補足より)
>戦争を必要とする要素の有無について言及を私はこの場でおねがいしたのです。

ひとつは防衛戦争、ひとつは民族解放戦争。
前者は、正当防衛という意味で戦争を必要とし、
後者は、人道的動機に基づく解決手段という意味
(人質を取って立てこもる犯罪者について、もはや彼/彼女を殺す以外には、
 人質を助ける有効な方法がない、という場合に似ている)で戦争を必要とする、
と思います。

こうした、いわゆる「正義の戦争」と呼ばれるものについて、
(個別にその手段が適切であったかどうか等を批判することはできるでしょうが)
一般論として批判すること(「戦争を必要悪とする考え」を打破すること)は、
現時点では(既存の思想では)難しいと思っています。

わたしもこのテーマにはすごく関心があります。
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この回答へのお礼

このような場で(サイトに失礼ですが)これだけ大きな課題を皆さんに意見を賜る事について恐縮に感じてます。多分本来もっと大きな場で議論されるべき内容ではと思いますが,皆さんの貴重な意見大変感謝しています。

この場を借りて申し訳無いですが,ただいまサーバーが不調で下の方の方のレスが文字化けをしており,御礼が出来ない状態です(必ずコメント申し上げますので御容赦を)

・・・・・・
御回答について
>「戦争を必要悪とする考え」を打破したいと思っておられると理解して・・
厳密に言えば,それを(戦争が必要悪であると言う考え)を打破する方策や施策は現時点無い・・・という考えに既に私自身が凝り固まっています。
これを第3者が聞いた時あなたの考えは間違っている・・というなにがしらかの要素が欲しかったのです。

防衛戦争,民族解放戦争,多分もうひとつは宗教戦争だと思ってます。

かの時代,人は確かに「正義」の旗印のもと尊い命を犠牲にして来ました。
自ずから『悪』と認めて闘いを挑む者はいなかったはずです。

その様な犠牲の上に立つ事が実は最終的に人として栄えていくという事なのであれば,人とはなんというエゴイストなのだろうかと思ってしまい,上っ面のみを語る表面的な平和主義者を見ると吐き気を覚えるほどです(ちょっと大げさですが)

別の機会にも皆さんの意見をお聞きしたいと思ってますが,この問題は環境問題にも同じ事が言えます。

消費する社会と言うものの限界を感じる今日この頃です・・

有り難うございました。

お礼日時:2001/08/08 19:30

こんちわ


 戦争によって国が栄えるというのは、正しいと思います。しかし、戦争が必要かといえば、必要でないけれども、必然的なのではないでしょうか?

>今の経済を支える、企業、政治家などは内心「どこかで大きな戦争でもおきてくれないだろうか・・・」と、絶対に思ってる

思っているでしょうね。でも、常日頃から思っている企業、政治家はいないと、思いますよ。いや、思いたい。自国が栄えているのに、戦争まで起こして、もっと栄えさせようというひとは、いないと思いますし(アメリカとか、かなり怪しい)、かといって、第3者国が戦争を起こしたら、うちの会社は儲かるなんてときは、思っているんじゃないでしょうか?

 何度も繰り返すように、戦争は必然的なもので、社会情勢、経済、政治の延長上にあるものだと思っています。人間は頭がいいから、戦争を起こさなくても、話し合いで解決できる。又、他の方法があるなんていう人がいますが、理想論もいいところですね。人間の中には、頭がいい人はいますが、その前に欲望に先たたれているのではないでしょうか?人間すべて、いや、半分でも頭がよい(理想論を持っている)とすれば、こんな世の中にはなっていないでしょう。自分の欲望を捨てれば、解決できると知っているのに、やらない。すべての欲望を満たすような解決策を模索している。ふ~やれやれってところですかね。

 konojiさんみたいに10年も考えていないので、浅はかな考えかもしれませんが、持論としてのコンセプトは、こんなところです。反論・意見などはまた、書いてもらえれば、暇があれば、又、書きます。では。。。
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この回答へのお礼

私はあなたと酒の席でこの話をしている自分の姿を想像してしまいました。

たぶん、ろれつのまわらない口調で、朝まで呑むか、はたまた途中で殴り合いの喧嘩になるか・・・

それほど、あなたの意見に共感を覚えてます。

ひとつは、我々と次元がちがうどこかで、戦争を必要とする人たちがいるらしい(出てくるらしい)という事に対しどうしていったら・・・という部分があまりにも巨大すぎて個人では打つ手が・・・

しかし、もしそうだとしても私は傍観者にはなりたくないのです
なぜならば、私には3人の子供がいるからです。彼らや彼女たちにも子供ができるでしょう・・・人として真に生きていくという事を教えてあげたいのです。

お互い建設的な考え方で前に進みましょう・・ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/10 01:29

戦争を必要悪だとか不可避だと考えている人が こんなにいると 知って


非常に 残念に 思います
 平和主義の考え方 少なくとも 戦争は 殺人行為だから 絶対ダメという
意見がなかったのに 戦慄を 覚えます
 経済競争や 学校の受験戦争 会社の出世争い とは 違います
 戦争は 間違いなく 尊い命を 抹消させるのです

 私は 宗教家でも 平和主義者でも ありませんが 悲しい思いです

人間が なぜ 生きていくか 生きていくために 他の 生物を 殺して
食べている  だから 自国のために 他国の人を 殺しても いいのでしょうか?
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この回答へのお礼

論点が違います。
今この場で問いたいのは 戦争が良い事なのか悪いことなのか?
と言う事ではありません。

その様な事は万人が理解している事なのですから・・
戦争は悪である・・,その様な考え方は今に始まったわけでなく,人類と言う歴史の始まりからあった筈です。

それなのに,絶えず繰り返し繰り返し紛争は起きています。

それを避けたいがために物事の真実を本質を見るそして知る力が今問われている様に,又求められている様に思います。

表面的な好き嫌いではなく,そうなる可能性についての,戦争を必要とする要素の有無について言及を私はこの場でおねがいしたのです。

お礼日時:2001/08/08 12:29

 私も似たようなことを考えることがあります。



 そして自分を納得させるための考えとして、「必要か否か」というより人間はその方向に進むように出来ているのではないかと思っています。

 人間の天敵は人間であるということです。

 狭い飼育箱で増えすぎてしまった動物が共食いを始めるように・・・

 人間も意識・無意識は別にして、そういう本能というか、自然の流れみたいなものがあるのではないでしょうか?

 全くの私見ですが、ご参考までです。

この回答への補足

補足欄を使ってお詫びです。

名前を呼び捨てにしてしまいました。 失礼しました。

補足日時:2001/08/10 12:37
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この回答へのお礼

ありがとうございます。コメントが遅くなりました。

takatozuの意見を聞いた時私は,西村寿行氏の「滅びの笛」を思い出してしまいました。

増えつづける人口,必要な資源やエネルギー,食物・・

自らの本能の中にある『生存』の本能の裏返しの延長にあるものは,『滅び』なのかもしれないですね・・

民主主義は良い事だと思いますが,こうなると正しい方向へ導いてくれる人の出現を求めたくなってしまいます。

お礼日時:2001/08/10 12:35

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