戦争を知らない若造の質問です。どうして、またどのようにしてヒロヒト天皇は現
人神として日本国民をコントロールしたのですか?
具体的な例がいただければありがたいです。また、これに関してくわしい解説が
あるサイトをご存知でしたら一言コメントいただけると助かります。

A 回答 (7件)

明治天皇も、昭和天皇も、自分は世界の神だと思い込んでいて、


「八紘一字」という世界支配の思想の元もと、
国内ではさまざまな弾圧、海外では虐殺を行いました。
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少し、関係ないですが。

気になったので。
誤解されがちなのですが、天皇が絶対者となったのは幕末期以降と考えられます。
それまでは天皇は飾り物であったことは、徳川時代、物価が上がっても支給されるお金の金額は変わらず、幕末期になって孝明天皇が腐りかけた魚しか食べることができなかった、という話からも窺えます。
絶対者としたのは新政府を作ろうとした者たちが、たまたま徳川を潰す口実にしたんですね。
新政府は何だかんだと言っても最初は薩摩、長州、土佐、佐賀出身者に占められた藩閥政治でした。天皇を神とし、自分達を正当化することで民衆に理解を求めたんです。
だから明治維新は革命でなくクーデターだなんていわれてしまいます。
では、何故ここまで長い間天皇家が続いたのか。という問題にもなります。
けれどそこまで話すと更に関係なくなってしまうのでそれはさておき。
その後は、下記ででもおっしゃられてるように、教科書です。
だから多分、今教科書問題が起きてるんではないかと。
予備知識として頭の隅にでも入れていただければ幸いです。
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明治憲法は立憲君主制度であり憲法に基ずき制度


を決めています

一応の立憲主義です
質問文では天皇が政治を行ったような印象がありますが
明治天皇が「五箇条のご誓文」で「広く会議を起こし万機公論に決すべし」という議員内閣制度の原型を宣言し
国民を自らコントロールする制度とは違います

昭和天皇は日本が戦争をすることには反対の立場を取られ
何度も政府に外交で解決するように伝えられています

天皇が直接政治に干渉することは前記の立憲制度に違反し憲法違反となるため非常に政府の方針に苦悶された話がエピソードとしてたくさん記録されています

サイトは知りません
書籍を紹介します

書名  「聖断」 天皇と鈴木貫太郎
著者  半藤 一利
出版社 文芸春秋社

正しい資料で正しい知識を身に付けてください
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 戦前は教育勅語が教育の基本とされ、この趣旨にしたがって創作された物語や実話が「修身」として、道徳教育の中心になっていました。


(教育勅語)
http://www.meijijingu.or.jp/intro/education/
http://cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kyouikutyoku …
(修身)
http://www.jhc-home.gn.to/syusin.htm
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はじめまして。

私も戦争を知らない20代後半独身男です。

まずご質問にお答する前に、前提として「歴史認識はそれぞれ違う」ということを念頭に置いたほうが良いでしょうね。太平洋戦争をアジア開放の聖戦だったという方もおりますしアジア諸国民を虐殺した侵略戦争だったという方もいるわけです。

それと同じように、あの戦争における昭和天皇の評価は多岐に別れていて、独裁者のごとく国民をコントロールしていたかどうかは一概には言えません。

社会体制としての戦前の天皇制についてを純粋に調べた方が良いではないでしょうか?だれかがある方向へ向ける為に意図したような読み物ではなく、中学校の歴史教科書(最近何かと話題ですが)を基本として図書館で文献を調べてみるとか。

先にも記しました様に、時代や歴史を評価するのは後世の歴史家により様々ですので、個々人の歴史認識というのは自分で培っていくものなのだと思います。ですから最初から「評価、先にありき」ではなく、ご自分で考えていってみてはいかがでしょうか。
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サイトじゃないですけど、



 「痛快!憲法学」 著者:小室直樹 集英社

という書籍に、明治憲法制定の流れと、その過程で成立した
一君万民思想について説明があります。

イラストいっぱいで読みやすいのですが、ヨーロッパの歴史
や憲法制定から話が始まっているので、量が多く読破するの
もけっこうたいへんです。
最後の方の章で、明治憲法と戦前の体制についての説明がある
のでそこだけよく読んでみたらいいかもしれません。
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その昔、徳川より政権を取り返した明治国家は、その正統性の根拠を尊王思想の天皇象に求めました。

そして、大日本帝国憲法により、国家の無謬性は天皇に仮託しておきつつも、国政の責任を政府が負うという形で、柔軟に政治を行うシステムを作り上げました。国政に失敗があったとしても、政府の責任として内閣が辞職するなどの方法でやり直しが利くので、全ての責任を自分で負うよりも、ある意味気楽に政治ができるわけですね。
これはそれなりに良くできたシステムだったのではないかと思います。でなければ、失政は社会制度そのものの失敗とみなされ、国家が転覆してしまう可能性も無きにしもあらずです。天皇は明治国家存続の印でした。
そのシステムは昭和まで続きましたが、戦争をする気持が全然なかった故陛下を開戦に追い込み、その後の極限の苦悩を与えたもののは実は国民だったのではないでしょうか。
 昭和天皇は、東条首相の意思や軍部の圧力に屈して戦争を始められたのではなく、国民全体の意思の決定を尊重して、これを御自身の意思とせられたと言う事です。従って、故陛下が開戦の詔書に署名せられた行為の意味は、全国民一人一人に責任があるのでは?
当時の世情は、対日禁輸ABCD包囲陣等により、無資源国日本の自滅は必至であり、戦争に訴える以外に打開の道はない事態に追い込まれ、国民の側が開戦はやむを得ないと信じており、その全国民の意思を故陛下が代表されたということかな。でなければ「天皇陛下ばんざぁ~い」なんていって特攻できないでしょ。
まぁ実際は彼がコントロールしたのではなく、当時の軍部・国民がコントロールしたんでしたんでしょうが。。。
天皇自体は大昔から神様みたいもんって事になっていたからね。でも、実際は歴史でも分かる通り、武士が権力をもつようなると、政治権力は無かったから今と同じかもね。天皇が認めた(実際は認めさせた)って所に意味があったのかもしれないね。
しかし、私などは昭和(中期)の生れだから、現天皇には何も感じないが、今でもヒロヒト天皇はやはり神様みたいに思っていますよ。
戦争を美化するつもりは無いけれど、今の日本人がいまさら「君が代」や「国旗」について問題にする事は他の諸国に対して恥ずかしい事だと思っています。だったらどんなのにするんだよってネ^^ 
とにかく過去の事をぐだぐだ言われない、もっと強い国にならなければなりませんね。
こんな答えで、あしからず。
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