どういうことですか?
良く分からないんです
生きる事への責任みたいな物を感じる人は
なぜそのような物を感じるのか

いろんな疑問が湧いてきて 反論めいたものになり
多分私が感謝の言葉だけ書くのは無理そうなので
先にお礼を書けませんので
すいません

A 回答 (13件中1~10件)

「生きる責任」を口にする方の内容は大体、現代の社会の枠組みにおいての意見でしかないと思います。

「自分の体は自分だけのものではない」という
のがその代表例でしょうね。集約されてます。

考え方をもっと広くすると、地球上のすべての動物はみな思うがままに生き
てるように見えると思います。人間が口にする「責任」はごく限られた範囲
のことでしかない。人間と人間の間のことでしかない。

生命の歴史を総括すると人間ほど無責任な生き物は存在しないでしょうね。
これからも人間は人間を第一に考え、生きていくことになります。
自然保護も人間に影響を与えるからこそと言えるでしょう。

そもそも人間自体そうなのですから、小さい責任を力説されても納得いかないのも無理はありません。宇宙から見れば人間ほど強欲なものはどこにも見当たらないわけですから。

ただ希望として人間は「思いやる」力があるようです。これは人間同士の間
だけではなく、種をこえてその力を見ることができます。不思議なことです。なぜ理性のない動物達に思いが通じる時があるのだろうか・・とかね。

責任を負うなら人間は地球のことも含めて全て負わなくてはなりません。
しかしそれは無理です。もともとそういう能力に乏しいわけですから。

しかしないわけではありません。パンドラの箱ですね。すべてのわざわいが
飛び出し地上をおおった、箱のなかにはただ「希望」だけが残っていた。
一応「絶望」からはまぬがれています。
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こんなにいいものもらっていいの!?おばさんが私のために、それは素晴らしい着物を用意してくれました。


 僕にとって「生」とはこういうものです。あまりに複雑で、かつCoolにきまっているので、その着物を着ずにはおれんのです。おばさんを気遣って、無理にその着物を着ることはないでしょう。ごめんねおばさん、コレは僕には似合わないと思うんだよ。まぁそういわずに着ておくれよ、あんたの晴れ着が見たいんだよ。しかたないなぁ、じゃあちょっとだけさ。僕はチョッと着て、森の中で衣を脱ぎました。ありがとうねおばさん、、、、、。
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「生きることの責任」は、ないと思います。


唯、それを必要と思う人もいるので、それはそれで私は一向構いません。

私、一度自分で死にました。でも、たまたま、生き返りました。
独りで血まみれになりながら、ぼんやり考えました。
「もうやることねえよ。・・・これからなにすっかな。」
感情なくなりました。何も考えなくなりました。やりたいことを、ただ、やるようになりました。
腹が減って肉が食いたくなったら、肉屋行って生肉買ってその場で食べてました。
叫びたくなったら道端でも叫んでました。
自分の視界に入る人を何百人とみつめて、「何者だこいつは。何で生きてんだ。」と品定めしてました。

で、疲れたので日本を出て、知らないところで一ヶ月、誰とも話さず、誰とも
連絡も取らず、ぼけえとしてたら、誰でもいいから話したくなって、外に出て、
初めて会った人に、にっこにこして「YEAHHH!」て叫んだら、向こうは笑ってました。

生きることの責任なんて、ないと思います。必要な人は、それについて20年でも
30年でも考えればいい。私は、今、自分のやりたいことをします。決して簡単では
ないけれど、それ以外、できないのです。「良く解らないこと」について考える
ならば、もう少し楽しそうなことをします。いつかわかるかもしれないし、一生
わからないかもしれない。でも、どっちでもいいと思ってしまうのですよ。いいかげんですか?

まだまだ先は長いかもしれないし、明日には死ぬかもしれないし。
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考えて、悩んで、考えて、悩んで・・・ 時間がもったいないなぁ

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わたしも 背負うもの に近い答えかも。



ただしそれは わたしのために犠牲にされたもの
殺してきたものへの責任感で。
たぶんわたしがここまで生きてくるには
非常な数の生き物がわたしが生きるために死に、
その下に積み重なってる

そしてわたしを踏み越えて
また別の生命が前に進んでいく

そういうイメージを持ってまして。

だから 「生きる責任」という言葉で感じるものは
今生きている親や世話になった人、人間に対してでは
ありません。

他の生き物に対してです。

でもそこにわたしのために死んでいった人も
いるかも知れない?とまで
考えたり考えなかったり:ここはよく整理をつけてないところです
ゴメンナサイ。
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こんにちは。

なんだか難しい質問ですね(^^;)
私なりの考えなんですが、読んでみて下さい。

「責任」の前に「生き甲斐」を見つけると、人は「生きる事の責任」を感じるようになるのかも知れませんね。
 それが何かは人それぞれでしょう。
 自分を育ててくれた親に対して孝行したい、好きになった人を幸せにしたい、世の中の乱れを正したい…。
 この世に生まれてなにか自分の使命みたいな物を見つけた時に、自分がこの世に生きていく事の「責任」や「意義」を感じるんじゃないでしょうか。
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他の方々が言うように「自分に対しての責任」ではなく「他人に対しての責任」ですね。


特に親とかさ。
勝手に産んだのは親であることは間違いないのだが育ててくれて、気を使ってくれて、心配してくれて……。
自殺なんかしたら、ここまでしてくれた人に対して申し訳ないし、なにより、悲しい思いさせたくないっしょ?
「親より先に死ぬのはなによりの親不孝」というじゃん。

人というのは親に限らず、恋人だって、友達だって、先生だって、上司にだって迷惑をかけて生きているものです。そのお返しをしなければ成りません。死んだらお礼も出来ないですしね。

と、私らしくなく精神論に走ってるな。
--------------------------------------------
私らしく、極論で話そう。

なぜ、責任を感じるのか?

そもそも人間という物はその進化論的成り立ちからして本能的に「生きたい」と思うように出来ている。つまり、自然の状態では責任など感じずに生きることなど容易いのだ。

では、なぜ責任など感じるのか。

それは「死」を前提にした思想ではないだろうか?
極端に言うなれば死にたいと思っているからこそ責任という枷を作って「死なない」ようにしているのではないだろうか?

心の奥底に「死にたい」という思いがあるが本能は「生きよ」という。ならば、何らかの手段で死にたい思いを抑えようとするだろう。それが「責任」ではないだろうか?

私が思春期の頃「人には生きるために必要な二つがある」と言ったことがある。
その二つは「好きなこと」と「使命」だ。

「好きなこと」は趣味でも恋でもなんでもいい。とにかく、何か好きなこと自分がやりたいと思うことだ。生きるための原動力である。
「使命」とは自分がしなければならないこと。つまり、他人からの要求である。他人に何かをしてやることで自分の存在意義を見いだせるのだ。自身の存在意義を確認するという行為は自己実現欲求を満たしたいと言う思いであり、それが人の原動力とも成りうる。
「使命」は他人からの欲求から来るものであるがその原初的な欲求は「生きるべし」となるだろう。生きていなければ使命のまっとうは不可能であるのだから当たり前だ。

さて、では「生きる責任」を強く感じるときはいつか?
答は簡単だ。「死にたいとき」だ。

死にたいと感じたとき、人の心には二つの堰きとめる感情がある。
これが「好きなこと」と「使命」である。
ただし、死にたいと感じた時点で生きるための原動力である「好きなこと」は色褪せている場合が多い。
すると自然と最後の堰きは「使命」である。

使命には責任がつきまとう。
よって、責任と言う言葉で言い表す人もいることだろう。

また逆に他人から見放されているように感じて、死にたいと思う人には「好きなこと」が効いてくる。これが心の支えになることも多々あるだろう。

死にたがってる人は好きなことはなく、他人から見放されているように感じる人が多いのではないだろうか?

とこのように考察してみた。

以上
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教育が原因だとおもうのです、


深い森で狼に育てられれば、きっと人間にそんな感情は起こらないと思うのです。
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生きる事に責任は無いと思いますよ。


だって、生まれてすぐに他界する赤ちゃんに、「生きる責任」はなかったでしょう。
自分のことを愛している人の存在を認識したときから、責任が付きまといます。
それは、恋人や家族かもしれませんね。
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 uglyelさん、はじめまして。

スコンチョといいます。(^_^)

 人間は生まれてこの方、多数の人のお世話になって生きています。
これはそう簡単に精算できないほどのすごいものだと思います。です
から、情けは人のためならずという言葉もあり、世間で役に立つこと
が責任ではないかと思います。

 余談ですが、ぼくは死にたい人は死ねばいいと思います。その方が
いくらか生き生きとした世の中になるでしょう。そして、世話になった
ということに対して「僕が希望したわけではない」という人もいます。
これは受け入れたことに対して責任があるという事を認識していない
からの発言であり、無責任と言えるでしょう。
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