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保江邦夫氏によれば量子論でプランク定数を0にした極限が古典論になると考えるのは誤りで、量子数のゆらぎが平均の量子数に比べて非常に小さいときに古典論になると考える必要があるそうです(保江邦夫「量子脳場理論入門」(サイエンス社))。しかしファインマン経路積分をWBK展開すると、プランク定数が0の極限で古典的軌道が主要な寄与をすることが示せます。このことは量子数のゆらぎが小さいときに古典論になるとする立場からはどのように説明したらよいのでしょうか。

A 回答 (4件)

どうも、保江先生の本は呼んでないし、私の回答能力


を超えているような気がしますが、思いつく範囲で
再度お答えします。

ファインマン経路積分で考えている例のような
ほとんど自由に動ける電子の場合には、
プランク定数hで展開すると0次の項が出て
a + b h + ....
となり、h->0近似ので古典的軌道と一致するけれど、

原子内のような拘束状態では0次の項が無くて
a h + b h^2 + ...
のような感じになってこれを a h と近似できるかは、
hが小さいことだけでなくb/aが小さいことも必要に
なるということではないかしら。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。b/aが量子数のゆらぎにはならないと思います。

お礼日時:2005/02/06 12:56

再びお邪魔します、ここでの議論の内容は私には分からないのですが、自分なりに興味があるので拝見しています。

わたしは、たとえば蛇口から出る水を絞っていくと水流が段々細くなって不連続な水滴になるというを古典力学から量子力学への移行のアナロジーとして使えないかと、このサイトで質問したところ、それはダメであるという回答を貰いました。
 小針アキ広(アキは日偏に見るという字を書く漢字です!)という数学者による「すべての人に数学を」日本評論社のなかで量子力学を推計学と結びつける構想が述べられています。小堀氏は京都大学助教授在任中に若くして亡くなられてしまったそうですが私は何かあなたの疑問と関係があるように想像しています。読んでいただいてご感想が聴ければと思いました。お邪魔しました。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。蛇口から出る水を絞っていくとあるところから不連続な水滴になるというを古典力学から量子力学への移行のアナロジーとして使えないとは限りません。実際、原子核にはnuclear matterという考え方も液滴模型もあります。またsuper string theoryでは閉じた弦の散乱は二つの輪がくっついて一つの輪になり、再び二つの輪にちぎれるようなものです。古典論から量子論への移行はこれよりマクロですが、あるところから表面張力が優勢になって液滴になる様にあるところから量子化の効果が優勢になることはあるかもしれません。

お礼日時:2005/02/06 00:47

2スリットのような単純な問題の場合ですとどちらの


解釈でも良いが、スピンなどを考慮しなくてはいけ
ないような問題ではプランク定数を0にした極限が
古典論になるとは限らないということでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。スピンではなく、軌道(pとq)を考えたとき、何が量子数であり、hを0に近づけることと量子数の揺らぎが小さくなることはどのように関連しているのでしょうか。

お礼日時:2005/01/13 21:55

素人ながら同じような事(私の想像する限りでのことです)を疑問に思っています。

量子力学的対象が多数集合していわゆる巨視的な現象に変わることを量子力学から説明することが出来るのだろうかというのが素人の私の疑問です。逆に巨視的現象の中に量子的法則を見出すことが出来るのだろうかというのも素人の疑問です。お邪魔致しました。他の方の回答を拝読させていただきたいと思います。 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。量子論から古典論への移行は広く認められているとは言えないかもしれないが、質問にある本やH.Umezawa「場の量子論」(培風館)などにあります。それによると量子数のゆらぎが小さい極限が古典論であり、揺らぎが大きければ巨視的な現象であっても量子論が必要ということになります。WKB近似で古典論に移行するときは何が量子数ということになるのでしょうか。

お礼日時:2005/01/11 20:24

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