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第2次世界大戦中に、連合軍の情報部が、ナチスドイツの科学者を拉致してヨーロッパからアメリカへ連れ出した、というようなエピソードがもしあれば、教えてください。あるいはナチスドイツではなく、旧ソ連などでも構いません。

A 回答 (2件)

 ドイツ降伏後は米ソ双方が新技術争奪の激しい鍔迫り合いを演じました。


 特に中心となったのはロケットを含む航空技術。ジェット、ロケット機や後退翼などのノウハウは米ソ双方が採用しています。
 特に激しい争奪が行われたのが、実践に投入された初の弾道弾であるV2ミサイル。後の冷戦やその双子である宇宙開発競争の基礎として双方が利用しました。

 米側は科学者の組織的亡命(というかソ連により先にひっぱってくる)をペーパークリップ作戦と名付けヴェルナー・フォン・ブラウン(ロケットの開発者。後にサターンVなどの設計も行う)やヴァルター・ドルンベルガー将軍(V2の軍側責任者)はじめ100人余りの科学者とV2ロケットの完成品・半完成品・部品など貨車300台ほどを持ち帰ります。
 ソ連も250人ほどの技術者と関連の製品を持ち帰り
ました。しかしアメリカが先行したために主要な科学者はあまり押さえられなかったようです。1950年代にソ連に連れていかれた科学者はドイツに帰国させられます。
 英国はバックファイア作戦と称して数発のV2をドイツ国内で試射、技術者はアメリカにひき渡しました。フランスは独自に数人の技術者を押さえ、戦後のロケット開発に生かしたようです。

参考URL:http://www.infogogo.com/V2%E3%83%AD%E3%82%B1%E3% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
100人とは凄い規模ですね。
これでアメリカが宇宙開発で勝利したわけですね。

お礼日時:2005/01/14 03:00

アルバート・アインシュタイン、


ニールス・ボーア、
第2次大戦のころ、大勢の科学者がドイツから亡命して、イギリスやアメリカに逃げ出しました。

連合国側は、「拉致」という手段をとる必要が無かったと考えるのが妥当です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かにその通りですね。

お礼日時:2005/01/14 02:46

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