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こんにちは。ちょっと悩んでしまって、1人ではどうしても同じ考えしか出てこないのでみなさんの意見をお聞かせいただければと思っています^^;

動物も植物も含めたこの世界(nature)における「ヒト」とは何なのでしょう?私は「食物連鎖の頂点」とか「文明をもつもの」とかという言葉で漠然ととらえていましたが、もっと根本的にヒトの自然界におけるアイデンティティみたいなものを探りたいのです。

「考える葦」という表現を分かりやすく説明してくださる方、お待ちしていますm(_ _)m

A 回答 (11件中1~10件)

あくまで私の考え方です。



ヒトも自然界の中では生物の1種類でしかないと思います。
ヒトだけが他の生物に対して特別なアイデンティティを持つ、
というのはあくまで人間の自分本位の考え方でしょう。

「食物連鎖の頂点」というのは、たしかに人間を捕まえて
食べてクラス動物は聞きませんが、町のようなものを作って
動物と共存していないだけのような気もしますし、
捕まって食べられない動物は他にもたくさんいます。

「文明を持つもの」というのも、類人猿は文化的な面もあるし、
イルカや鯨のように言語を持っていると考えられる動物もいます。
人間が優れているとはいえ、程度の大小の問題であって、
他の動物にまったくないというものでもないことなので、
「チーターは早く走れる」というのと変わらない気がしますし、
ヒトのアイデンティティを特別視するものではなさそうです。

「ヒトとは」と考えるのは、自分がヒトだからであって、
たとえばヒトが絶滅してから数千万年、数億年後に進化を遂げて
化石を調査できるような文明を持つものが現れたとしたら、
彼らは我々の恐竜と同じような感覚でヒトを見るでしょう。

今までにも地球は何回か、ほとんどの生物が姿を消すような
大規模の大量絶滅を何回か経験していると聞きます。
ヒトが増えて環境汚染をしたとしても、ヒトは苦しむけど、
地球から見たら、今までの何回かの1つにも及ばない程度の
変化であって、ヒトの力なんて自然というレベルで見たら
そんな程度の力しかないような気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いかに私の考えが「どこかで聞いたような知識」や「物事の上っ面しか見ていない見方」だったかを思い知らされました。
もっと広い視野と長いスパンで見てみると、また違った答えが出てくる気がします。ヒトが知らない世界は物理的にも歴史的にもたくさんあるし、世界はヒトがいなくなった後もずっと続くんですもんね。

とても参考になりました。

お礼日時:2005/01/20 01:47

>動物も植物も含めたこの世界(nature)における「ヒト」とは何なのでしょう?



私はクリスチャンですから絶対者なる神の存在を信じています。絶対者なる神というのはこの天地万物を創造された神です。神は絶対者であるゆえにはじめから存在している方です。神は誰が造ったのか。という人がいますが、神は造ることなんてできません。だから神なのです。日本人がよく口にする神というのは人間が造った神です。日本人はいわしの頭でも神様にしてしまいますが、日本人はなんでもかんでも神にしてそれを神と信じているだけであって、それは本当の神ではありません。

ここに時計があったとします。私はこの時計を誰がいつ造ったのかは知りません。しかし、時計があればだれかが作ったから存在しているということがわかります。だれも偶然にできたという人はいないでしょう。しかし、多くの人たちは命は偶然にできたと簡単にいいます。時計があればだれかが作ったから存在しているということがわかるならば、それと同じように宇宙があれば、地球があれば、人間が存在すればそれはだれかが造ったと考えるのが普通の考え方です。しかし、特に日本人は進化論という考え方を叩き込まれているので、世界のすべてのものは偶然にできたと信じている人が非常に多いのは事実です。進化論というのはダーウィンという人が考えた仮説であって、それが教科書に出ているからといって真理であるとはいえません。なぜなら進化論というのは命がどこから存在したかということについては偶然に発生したとしかいっていません。アメリカなどでは進化論は単なる仮説にしか過ぎず世界のすべてのものすなわち天地万物は絶対者なる神(GOD)が造ったと信じている人もたくさんいます。

前置きが長くなりましたが、神は人間と動物を全く別々に創造しました。進化論を信じている人たちはサルと人間は似ている点が多くあるからサルが人間に進化したんだとほんのわずかのある一部分の化石をもとに信じていますが、創造者が同じであれば似ている点が多くあるのは当たり前のことです。それはむしろ神がいるということの証拠です。
動物と人間の違いについていろんな方がおっしゃっていますが、私はそれに加えて人間と動物の違いは神を信じたり、神に祈るという行為をすることだということをあげたいです。人間は困ったときや窮地に陥ったときに神なんか信じないといっているものでさえ「神様助けてください。」と叫びます。(もちろん叫ばない人もいますが。)サルをはじめとして動物は本能だけで生きているのでそんなことはしません。何のために生きているのかとか死んだらどうなるのかとかそんなことも考えません。本能だけで生きている動物はそんなことを考える必要など全くないのです。しかし人間はそれでは満足できません。それは本能だけで生きているのではないし、最初から本能だけで生きるように創造されていないからです。

神は動物も植物も人間もすべてのものを造りました。しかし、動物とはまったく違う存在として人間を造ったのです。それは、人間を愛の対象として造りました。つまり、神の愛に答えることができるようにと人間に霊と魂をも与えたのです。しかし人間は神の愛に答えるどころか神にそむき罪を犯し、罪人となってしまいました。しかし神の愛は人間を地獄へ投げ入れるのではなく、天国へ連れて行くために自分のひとり子であるイエス様をこの世に誕生させ、十字架にかけて殺すことによって、人間のすべての罪の刑罰を身代わりに負って死なせ、3日後に復活させることによって人間が天国へ行く道を開いたのです。イエス様が自分の罪のために十字架にかかって死に3日目に復活したということを信じるものはだれでもそのことを信じるだけで天国へ行けます。しかし、信じないならば神は義なる方であるゆえ人間の罪を裁き、地獄へ投げ入れられ、人間はそこで永遠に苦しまなければならないのです。

人間は動物とはまったく違う存在として神に造られ生かされています。だから、動物といろいろな違いがたくさんあるのです
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この回答へのお礼

興味深く読ませていただきました。
私はクリスチャンではないのですが、人間という存在に対してkigurumiさんのおっしゃったように、人間はどんなに小さなことにでも因果関係を求める者だと思っています。だからこそ「自分」はどこから来て、何をすべきで、死んだらどこへ行くのかが気になるのでしょうね。
それに答えてくれるのは科学であったり、宗教であったり、その人によって色々だと思います。tanita530さんはそれをキリスト教のおしえに見出したのですね。

けれどどんなに文明が進んでも、科学を信じている限り自分の存在に確信を持てる人はいないと思います(進化の過程を見たわけではないから)。
宗教はそれにカンペキな答えを与えてくれる人間にとってたったひとつのものかもしれませんね。
宗教起源論に興味が湧きました。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/01/22 16:11

ソフィーの世界にその例が載っていたような。



  ネコにボールを投げるとボールにじゃれつく

  人間の赤ん坊にボールを投げると、ボールがどこから来たか振り向く


ネコが哲学をやっているのかって考えると、やっているように思えないです。
ここが他の動物と違うところだと思います。
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この回答へのお礼

ソフィーの世界、私も高校生の頃読みました。
そのたとえに、ヒトが何者であるかという答えが詰まっていますね。
もう一度、ソフィーの世界を読み返してみたいと思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/01/22 16:01

 ANo.2さんと同意見です。


 例外はあるものの肉食獣は人間を無視して家畜を襲ったりしません。
 家畜という餌のそばには、人間という強敵が居ることが判っているので、理性で抑えているからです。
 無論恐怖という感情も関係しては居ますが、それは人間でも同様で、罰を食らうのが嫌でなければ、誰も法律など守ら無いのと同じことです。
 巣を作る動物は自ら環境を変えているといえます。
 人間も柔らかい食事に適応して顎が小さくなりましたから、進化を続けています。
 高等な肉食哺乳類は、親から狩の仕方を教わりますから、「先達の知恵」が確立しています。
 但し、記号(文字)を使う動物は人間だけらしいですが、これにしても、文字を持たない民族もありますので、決定的なものではないと思います。
 家畜化といいますか、自らのために労働するのは、殆どの動物に見られる行動だと思います。
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この回答へのお礼

恐怖と理性の関わりに非常に興味を覚えました。
本当は犬も牛も馬もヒトにとっては脅威ですよね。それを飼い慣らすことが出来たのは家畜たちも「考えている」から…と思うと納得できます。

確かに身近で言うとアイヌ民族もずっと無文字で暮らしていましたよね。言葉を文字にするのはヒトにとって必ずしも必要なことではないんですね。

参考になりました。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/01/22 15:57

人間が地球上に存在したのすべての生物と違う点は「言葉」の存在です。


声を使ってコミュニケーションをする生物は多くいますが、
人間ほど複雑な言語を操り、しかも記録として残す技術を持っているのは人間だけです。
昔、ホモネアンデルタールはホモサピエンスと同等の脳の容量をもちながら声帯が短く、多くの言語を操れなかったために滅んでいったいいます。

「先人の知恵」というものが確立しているのは人間のみではないかと。
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この回答へのお礼

失念していました!
「複雑な言語」は人間にとってなくてはならない要素の一つですね。
記録として先人の行いを振り返れるのは人間だけ、それは自然においてとても特徴的なことだと感じました。これは他の動物との立派な差異になりえますよね。
参考にさせていただきます。
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/01/22 15:02

馬や牛などの家畜に関する本を読んだとき、「人間は自らを家畜化した動物であるともいえる」という著者の結びの言葉がありました。

とても、深遠な言葉です。
家畜は人間に飼われ、飢餓から開放されるかわりに、労働力、ミルク、肉、皮を人間に提供して(させられて)います。人間も、飢餓から解放されようと、食物を保存し、非常時を生き延びて、自らの家畜化に大成功しました。大成功は人口に現れています。野生ゴリラやオランウータンの生息数は数千(多くとも数万)です。ゴリラやオランウータンが、63億もいる地球って想像できますか? 信じられないことを、彼らの親戚のホモサピエンスがやってしまったのです。
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この回答へのお礼

なるほど…と思わず呆然としてしまいました。
自分自身を自らの家畜にしたということですよね。
ポピュレーションで言えば確かにヒトは地上を自分のものにしたように思えます。

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/01/22 14:58

参考までに


「考える葦」は間違いですね。人間は自由に考え創造する生き物なんです。この自由には完全性があるところが人間の特徴です。人間以外の全ての生き物は、何らかの制限を受けているので特徴があるのです。草花も考えてはいますが歩けません。だから「考える葦」ですね。動物も日々考えていますが本能という制約があり、犬は犬、猫は猫なんです。人間は完全な自由性を持っていますので、犬のように万引きすることも、ライオンのように殺すことも、一生座って草花のように暮らすことも出来ますが、それは人間以外の生き物からみれば不思議に見えるでしょうね。人間以外の生き物から見れば人間はなんでも出来る神のような存在なのに猿だと思っているからですね。猿の子供と信じることも自由ですが猿にいわせれば神なら神らしく生きろよと思っているのではないでしょうか。完全な自由性をどう生かすかが人間の課題ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

非常に面白い発想ですね!読むほどに「なるほど、なるほど」と頷いてしまいます。
他の生き物から見れば…という考え方は今までしてみませんでした。なぜそんなに大胆な発想が出来るのか、うらやましくなります。思考の領域を広げる上でとても参考になります。

ヒトは脳のほんの数パーセントしか使えていないという説がありますが、きっと他の生き物もそうなのだろうなと思いました。
今ヒトが地球上でなかなか快適に暮らせているのは脳の使い方を少し工夫できた、それだけのことかもしれませんね。

お礼日時:2005/01/20 16:11

養老孟司さんによるとヒトは自分の頭の中に棲んでいるそうです。

だからヒトにとっての環境は自分の体だということになるのだと思います。ほかの生物はいわゆる自然を環境としていますが、人にとっては自然というのは利用するべき対象でしかないようです,それを養老さんは脳化と呼んでいるのだと思います。ヒトだけがいわゆる自然環境を破壊してしまうのはヒトにとって自然は実は環境ではないということになるようにも思えます。この意味でヒトというものは生物とは言ってもすごく変わった生物だと思います。
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この回答へのお礼

本当にためになります!

ご意見を聞いて、養老孟司さんの著作、私も読んでみました。閉じていた目を開かされる思いです。
なるほど~!人間は自分の思い描いた都合のいい世界に住みたいと願い、そのために自然に手を加えるんですね。
まず頭の中に「こんな世界だったらなぁ…」というビジョンがあって、それを実現していく。ヒトにとって自然は引っ越したばかりの部屋みたいですね。家具を増やしたりリフォームしたりと、自分好みに変えていくんですね。ヒトはどんどん楽をする(楽になる)生き物だなぁと思いました。

とてもいい回答をありがとうございました^^非常に分かりやすかったです。

お礼日時:2005/01/20 13:21

 > 動物も植物も含めたこの世界(nature)における「ヒト」とは何なのでしょう?


  
 極めて特異な進化( と言えるかどうか )をした種、まぁ奇形の生物でしょうね。
 根拠は、
 形態的進化( 適応 )を放棄し、自己の外的条件( 環境 )を改変することによる生存を選択し、それを継続拡大させている、という事実からです。

> ヒトの自然界におけるアイデンティティみたいなもの

 そのようなものはもともと無いでしょう。「アイデンティティ」とは観念上の産物で、「人間」的発想でしかありません。

> 「考える葦」

 これもまた、極めて観念的な抽象で、このあたりを検べても、「 事実としてのヒト、人間 」には近づかないと思えますが、どうでしょうか (^-^)/~~。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も、人間はもっとも適応力のある生き物だというのを聞いた事があります。けどそれは適応能力ではなく、外在的な条件を自らに「適応させる能力」なのですね。ヒトは本当は自然の中では生きていけない弱い生き物なのでしょうか、そんな考えにいたりました。

>そのようなものはもともと無いでしょう。
そうですか…。でも、言われてみればそうかもしれません。そういう区別をしたがるのは人間だけですよね。新しい意見が聞けて本当にウロコが落ちる思いです。

事実としてのヒトは自然環境の中では特異な存在であること、そしてそれは考える葦だからだ、ということが分かりました。確かに「考える葦」なんて、比喩でなくただの言葉だったら…きわめて不自然な生き物ですね。笑

お礼日時:2005/01/20 13:11

人間が他の動物と決定的に違うのは、理性を持っているということです。



物質的にも、形而上学的にも、良くも悪くも、人間は理性によって、すべてを生み出してきたと言えます。

別の言い方をすれば、アフリカの草原に生まれ、肉体的にひ弱だった人間は、理性無しには、厳しい自然を、生き延びることができなかったと言うことです。

「馬鹿の壁」で有名な、養老猛氏によると、「コンピューターは人間よりも人間的」だそうです。

なぜなら、「コンピューターは、理性の塊だから」と言っていました。

SF映画に出てくる、人間よりも、はるかに進化した宇宙人は、たいてい感情がないですよね。

すぐ感情的になる人は、人間の進化という点では、一段遅れているのかもしれません。(...???)

私の周りでも、あまり利口そうでない人は、すぐ感情的になりやすいようです。(...???)

「考える葦」とは、「人間は、肉体的には、葦のようにひ弱いが、考える力(理性)を持っているので、あらゆる問題を解決し、未来を切り開いていくことが出来る」、と言う意味だと私は解釈しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。とても参考になります。

>物質的にも、形而上学的にも、良くも悪くも、人間は理性によって、すべてを生み出してきたと言えます。
まったくその通りですね。人間を他の生き物から区別して人間たらしめているものは理性に他なりませんものね。
でも理性だけで生きるようになったら、それは生き物じゃなくて機械なのですね。たしかに、地球よりもはるかに文明の進歩した宇宙人のイメージってそんな感じです。
人間は感情的過ぎても、理性的過ぎても今の私たちのようにはならなかったと思いました。今の状態が最高かは分かりませんが…。

「考える葦」についての解説どうもありがとうございます。とてもよく分かりました♪脆弱な肉体と精神に理性が宿る素晴らしさを感じました。

お礼日時:2005/01/20 13:02

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