晋の文公の逸話
晋の文公の有名な逸話でこのようなものがあると思います。
楚が礼をもって彼に接したので、彼が謙虚になっているのを見て、成王が重耳に冗談を言った。
「あなたが首尾よくご帰国の暁には、私にどんな贈り物をくれますか?」
重耳はこう言った。
「仮に将来やむなく君王の軍と平原で戦う事になるような状況になりましたら、わが軍は三日分撤退しましょう。」
これは晋の文公の人柄がしのばれる一面であるとありましたが、彼のどんな人柄が、どのようにしのばれるのか、全く分かりません(>_<)
これは一体、どういう意味なんでしょうか?
回答(5件)
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こんにちは。この逸話の意味するところはやはり文公の義理堅さであると思います。中国春秋戦国時代(この頃はまだ春秋時代かな?)という裏切りなんか日常茶飯事の時代に、亡命中の些細な約束事を守ったということで特筆されるべき事柄であったという点です。
ただし、文公の考えは別にあったと思いますが。
自分の愚考ですが、文公は楽に返せるうちに恩を返しておこうとしたのではないか、その理由として、この戦いのときは成王は状況が不利と見て撤退をしています。それに反対する将軍の子玉が独断で1部の軍を率いて攻撃を仕掛けているという点です。成王の主力と対峙したときですら有利であった晋軍が、少数の楚軍に負けるわけはないという冷静な判断でもっていわゆる3舎を避けたのではないかと考えます。そしてこの戦いが終わったあとで文公は義理堅い男だ、ちゃんと約束を守った、という評判が流れれば中国に君臨する
覇者として箔が付くと考えたのではないかと思います。もっともこれを文公が考えたのか、取り巻きの重臣達が考えたのかはわかりませんが。自分の中で文公という人物はとてつもなく優秀な人物ではなく、平均よりやや上ぐらいの評価ですので。(自分よりははるかに上ですが・・・当たり前ですね)
長々と書かせてもらいすいません。参考になれば幸いです。
No.4ベストアンサー10pt
【楚の成王との約束】
重耳は「万が一、晋楚の間で戦いになれば、三舎を避けましょう」と返事をします。
実際に両軍が遭遇した時、約束どおり、90里だけ退却します。
これが重耳(文公)と成王の約束ですね。
【三舎を避く】
三舎は三日分の距離で90里ですね。
これは、表向きは成王との約束を守ったという美談ですが、
私は重耳の作戦で退却したと見せて、追撃したところを迎え撃つ作戦だったと思います。
放浪生活18年、泥まで啜って生き延びた重耳ならでの策略でしょう。
【策略】
孫子の兵法にこうあります。
「能く敵人をして自ら至らしむるは、之を利すればなり」
敵が自ら軍を進んでやって来るように仕向けるには、
こちらへ来れば利益があるように思わせればよいという意味です。
「三舎を避く」は、つまり相手の軍が進んで来るのと迎え打つ作戦ですね。
さらに孫子の兵法にこういう書かれています。
「善く戦う者は、不敗の地に立ちて敵の敗を失わざるなり」
負けないだけの守備を固めてから、相手を迎え撃つのが名将であるという意味です。
相手を誘って迎え撃って勝ったということでしょう。
晋の文公の人柄がしのばれるという美談には裏があると私は考えます。
この回答へのお礼
そうですね、ただの美談として考えるとちょっと危険かもしれないですね。思いもつかなかった考えだったので、とっても勉強になりました!ありがとうございます!
質問者の引用された文章の後に次のような文があります。
> なお、重耳(文公)は今まで亡命して流浪していた時の事を忘れず、彼を優遇した国は
> 必ず礼をもって返し、非礼を受けた国はとことんまで仕返しをした。
> あるとき、楚と戦争になったとき、重耳はきちんと三舎(3日分:90里)を退くことで
> 恩を返し、退いた後に敵を殲滅させている。
楚王に礼をもって接して貰ったので、恩返しに、楚との戦での3日分退却を約束したのは、
戦と言う状況下では普通には考えられないことです。
これは礼には礼で報いると言う文公の人柄が出ていると思います。
しかも実際にその約束を守ったと言うのですから義理固さも飛び抜けていたと言えるでしょう。
No.2ベストアンサー20pt
この逸話は、本当に難しいですよね。亡命した重耳(後の晋の文公)が、楚に入国した時に、楚王によって諸侯の礼(国賓)として迎えられたときの、重耳と楚王との会話ですが、要は後の歴史を検証してこそ初めて「人柄がしのばれる」ことが判るんですよね。
「私の国と楚が戦争したら、3日分撤退しましょう」、というのは、その当時亡命者であった重耳にとっては、戯言としか受け取られなかったですし、この言葉を聞いた楚の家臣たちは「亡命者のくせに生意気だ、楚王様、重耳を殺すようご命令下さい」とまで言っていました。
しかしながら、後年、重耳は晋の文公として君臨し、楚と戦争する羽目に陥りましたが、実際に亡命時代の発言を守って、圧倒的に有利な戦いであったにも拘らず、戦線から3日分撤退(そのぶん、敵の領土が増える)しました。
この事実があったからこそ、約束を守る律儀で誠実な人、というのが定着しました。
もし、重耳が亡命者のまま一生を終えていたら、戯言としか思われませんよね。その一方、この発言の裏には、「今は亡命者だが、いずれは晋に戻って最高権力者になるぞ」という重耳の気構えを持っていたとも解釈できます。それは、現代でも通じる「今は不遇の身だが、頑張って努力して、(自分の天職・資格取得等の)幸せを掴むぞ!」という不屈の精神を喚起するように思われます。
僕はこの話をそう解釈して、重耳の不屈の精神と上昇志向、そして約束は必ず守ると言う誠実な姿勢を見習いたいと思ってます。deco12さんは、如何お感じになりました?
この回答へのお礼
ありがとうございます、とってもよく分かりました!今までそのように深く考えたことはなかったので「そんな逸話があるんだ~」くらいにしか思っていなかったのですが、bentreyさんの解釈を読んで、とっても感銘を受けました。
今まで重耳は、あまり自分で積極的に行動しなかったけれども、まわりの人に恵まれて覇者になった…というような人だと思っていたのですが、強い信念を持って放浪の生活をしていたのかも知れない、と思いました。そして、彼の誠実な姿勢が、彼を覇王たらしめたのかな、と思いました。
将来晋公の位に就いたのち、もしやむを得ずあなたと
戦う破目になったら、受けたご恩のお返しとして軍を
三日行軍する距離だけ一旦撤退させます、
それだけハンデをあげます、ということを言っています。
受けた恩義を忘れない人柄、ということでしょうね。
ちなみに重耳が晋公に就いて後、実際に晋と楚は戦うことになり、
重耳は約束を守った後、楚軍を破ったようです。
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