No.5ベストアンサー
- 回答日時:
もちろん同じものです。
宗教とはわれわれ個別の存在の根底にある
普遍的一者を認識した教祖が、
われわれの存在が本来は無限者の表れのひとつで
あること。→ したがってわれわれすべての存在には
救済が予定されていることを説くものです。
その普遍的一者はまさに「ひとつのもの」ですから
当然ながら同じものなわけです。
ところがその「普遍的一者」を認識する側はあくまで
生身の人間ですから、その認識体験を「ことば」として
表現するにあたって、地域的、文化土壌的な差が
生じます。
それが同一のものが多様なもののように表現される
原因です。
言い古されたたとえですが、たとえば
同一の電波を、型式の違う各地のラジオ(受信機)で
受信すれば、多少の音色の違いが生じるような
ものです。
お返事有難うございます。
>「普遍的一者」を認識する側はあくまで
生身の人間ですから、その認識体験を「ことば」として
表現するにあたって、地域的、文化土壌的な差が
生じます。
つまり、キリスト教徒も仏教とも祈りが届く所があるなら同じところに届いているという事ですね。
有難うございます。
No.11
- 回答日時:
#8です。
>自分が突然、拳銃を頭に突きつけられ、今にも引き金が引かれようとしたとき、誰でも助けて!って思うでしょう。その思いは、仏教とキリスト教徒で届く所は違うのでしょうか?
天地万物を創造された神は間違いなく聞いています。聞いているどころか私たち人間の心の奥で何を考えようとしているか、何をしようとしているか全部知っておられます。だから神なのです。人間がもし神に隠せることがあったとしたら、それは神ではありません。仏教を信じている方たちは神を信じているのではないので、そういうときに人間の声を聞いたとか聞いているとか、そういう概念はないのではないでしょうか。
再度のお返事有難うございます。
キリスト教徒の思いは神に届くのですね。
仏教徒は神という概念が無いんですね。
神の概念が無い人の助けての思いはどこにも
届かないのでしょうか?
有難うございます。
No.10
- 回答日時:
私の考えですが、一神教の神はその対象が同じものだと思います。
なぜならば、人間がどうしようもないほど強い力をもって恵みを与えたり、災害をもたらしたりする自然に対して、人は神の姿をみたであろうからです。世界のあらゆる一神教は初期の頃、地形的にも気候的にも植生的にも自然に恵まれないところで信仰されています。このようなところでは水があるかないか、木があるかないか、山があるか、暑いか寒いか、非常に単純で二項対立的な現象や景観しか体験しません。全ては1人(?)の神が自然を司っているかのように感じる世界です。これに対して日本のように中緯度でモンスーンに恵まれ、海に囲まれたところではあらゆる恵みが、災害が同時にあちらこちらでおこっています。いくら超人的な力を感じたとしてもまさか神が1人などという発想は生まれません。従って多神教の生じたところは自然が豊かで多様性のある世界で信仰されてきたとはいえないでしょうか?私は地理学者。宗教学は勉強した事がございません。あくまで推測です。 お返事ありがとうございます。
地理学者としてのご意見有難うございます。
確かに日本の豊かな自然のなかでは至るところで
なにやら気配を感じますもんね。あれ!?
何かいるって 確かに一神教が生まれる土壌
ではないですね。うちは仏教だけど。
ベースとなっている世界観は神道のような気がしま す。やっぱり色々なものや場所に別々の何かが宿っ ているという感覚が普通にあるんですよね。
一神教の地には言った事はありませんが、
きっとスケールの大きな土地柄なんでしょうね。
そういった土地柄ではスケールの大きな存在を
イメージしやすいのかもしれませんね。
有難うございました。
No.9
- 回答日時:
一神教だと、同じ神を見る方向が違うか、一つの他の全てが誤りかの二者択一
多神教だと解釈次第
無神教(仏教)だと法と神を同一と見るか、神を認めないかの二者択一
日本だと神仏混合と言って、仏教(無神教)と神道(多神教・汎神教)が一体となっていますから、全てが同一とともに、別個のものであるという、随分宗教的な解釈となります。
No.8
- 回答日時:
世の中には確かに沢山の宗教がありますが、そもそも宗教というのは人間が作ったものだと私は思っています。
日本には八百万(やおよろず)の神といってたくさんの神々があるわけで、日本人が神ということばを使ったときには、あまりにも神という概念がばらばらです。
もし、神が存在するならそれは人間が造った神ではなく、もともと存在し(だれかが造ったものならそれは神ではありません。)天地万物を創造したお方です。無から有を作り出せるからこそ神なのです。次に神は唯一(ただひとり)です。神はなんでも出来るお方ですからたくさん存在する必要はまったくありません。そして、すべてのことを知っておられ、どこにでも存在されるお方で、正しいお方で、完全な聖さをもっておられ、義なるお方であり、永遠から永遠に存在されるお方であり、そして愛なるお方でなければ神ではありません。
人間はさまざまな神を作り出し、そして宗教を作り出しそれを信じています。しかしだからといって、そのすべてが真理かというとそれは別問題です。真理はひとつしかありません。真理が2つも3つもあったらそれは真理ではありません。
聖書に書かれている神こそ、その真理である神です。この神は人間が作った神ではありません。人間を造ったのです。なぜなら、この神がこの世界のすべてのものを創造し生かしておられるのだからです。すべてのものは偶然にできたのではありません。偶然にできたものなど何一つありません。
たとえば宇宙のことを考えてみてください。宇宙では、地球が太陽の周りを回っているだけではなく、ものすごいたくさんの法則があってそれがすごい秩序のもとに働いています。だから、私たちは地球の上で死なずに生きていられるのです。宇宙に秩序がなかったら地球に何かの惑星などがぶつかって私たちは生きることができないでしょう。このような自然の法則は決して偶然に働いているのではありません。絶対者なる神がこの天地万物を創造し、宇宙に秩序を働かせているからこそなのです。私たち人間もこの神様に創造されたものです。聖書のはじめには「はじめに神が天と地を創造した」と書かれていますが、この神こそまことの真理である神です。
○○教の神様という言い方をしますが、本当に実在する神はこの神だけです。木や石で作った神(火事で燃えて灰になったり、地震で崩れてしまうような神)が神であるはずがありません。
お返事有難うございます。
キリスト教徒の方ですね。
ところで自分が突然、拳銃を頭に突きつけられ、今にも引き金が引かれようとしたとき、誰でも助けて!って思うでしょう。その思いは、仏教とキリスト教徒で
届く所は違うのでしょうか?
有難うございます。
No.7
- 回答日時:
一神教と多神教では違うでしょうね。
多神教の場合、それぞれの得意分野?のある神様に祈るわけですから。
主な一神教「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」はユダヤ教を根底としているので、同じ神と解釈出来ます。
他にも色々の宗教があり、色んな名称や力のある神様が定義されているでしょうね。
昔「ナルニア物語」というファンタジー小説の中で、
「他の神(物語上は悪魔)に祈っていても、正しいやり方であれば、それは実際は私(物語上は善神)に仕えているのであり、私(善神)の名前を語っていても、間違ったやり方であれば、それは他の神(悪魔)に仕えているのである」という文がありました。
つまり、キリスト等の神様の名前をいくら語っていても、非人道的な振る舞いをする人は悪魔に仕えている人である、ということですね。
とても含蓄のある言葉なのでご参考までに。
お返事有難うございます。
>「他の神(物語上は悪魔)に祈っていても、正しいやり方であれば、それは実際は私(物語上は善神)に仕えているのであり、私(善神)の名前を語っていても、間違ったやり方であれば、それは他の神(悪魔)に仕えているのである」という文がありました。
面白い文ですね。悪魔に祈っていても正しいやり方なら神に祈った事になるんだ。
有難うございます。
No.6
- 回答日時:
サタンをあがめるサタニストが、いわゆる”神様”を
信仰している人と、大元は同じと言うかと言ったら、
憤慨する人もいそうですね。
でも、悪魔の親分のサタンも、”神様”が天使を堕天
(悪魔側に使わ)させて、人間の成長をはかるためだ。
と言い切る人もいらっしゃるので、なんとも言えません。
大別して、中国の道教の用に、人が神格化したもの。
創造主がいるヨーロッパ系と、インド系。
アフリカ等の精霊系じゃないかなー。
日本は、けっこうチャンポンになってます。
いわゆる”神様”は、インドの愛欲の神 歓喜天 や、
下ネタ満載の大黒様なんかは、認めてくれそうにないし。
俺は宗教は、神様をあがめるためではなく、心の安定を
求める物だと思っています。
お返事有難うございます。
宗教を崇める対象で分類すると
いくつかのタイプに別れるでしょうね。
でも形式的には分類できても
結局は人間が祈っているで思いは同じところに
届くような気がしている今日この頃です。
有難うございました。
No.4
- 回答日時:
参考程度に
国の組織も会社組織も同じように社長や専務のような役員がいてその下に部課長その下にというようにピラミッド構造になっていますね。神の世界も同じでしょうね。大社長もいますが役員も数限りない管理職もいるということでしょう。だから普通は上の人ですが神と呼ばれる方も山ほどいるのでしょうね。巷の宗教はそのうちの誰かを神としているのでしょうね。神の世界もあれば悪魔の世界もあるからどちらかの誰かということでしょう。神の世界も世界宗教ぐらいに出来る方は、役員クラスでしょうね。イエス様は神の子といってますので社長ではないことは確かですね。でも副社長か専務ぐらいのかたでしょうね。宗教的ではありませんが孔子様もえらい方でしょうね。宗教だけでなく科学、芸術など偉い方はたくさんいますのでその方たちも神様でしょうね。釈尊は天上天下唯我独尊と言い切りましたので社長かもしれませんね。そのように神は上の人という意味ですね。神道の八百万(やおよろず)の神々が本当の姿なんでしょうね。つまり山ほどいるということですね。
お返事有難うございます。
神様の世界も階層構造があるということですね。
で、大会社の役員みたいに沢山の神様がいて
宗教ごとに祈る神様がいるということですね。
興味深いお話有難うございます。
No.3
- 回答日時:
詳しくないですが、神道って八百万の神々ではなかったでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
人間宣言するまでは天皇も入っていたような。
実際うちの実家の近所にある神社は天皇が祭ってありました。
そこに正月は拝みにいってました。
人間を拝んでいたってことです。
私は天皇がまつってあるとは知らなくて、仏像を神として願かけてました。
後に天皇がまつってあるって聞いて???って思いました。
わたしは一体誰に願かけたのだろう?って。
日本の神道は自然崇拝のように思えます。
ユダヤ教とイスラム教とキリスト教は同じ神です。
仏教は釈迦という人間だったような。
ヒンドゥ教の神は、日本みたいに自然っぽい神で半分人間半分神って印象です。
違うかもしれませんが、この程度の認識です。
(神話を読むとアキレスとそっくりな神もいたりして)
アインシュタインは万物の法則のことを神と言ったようです。
人間だったり想像上のものだったり、動物だったり、宇宙の法則だったりいろいろな神がいますね。
お返事有難うございます。
>人間だったり想像上のものだったり、動物だったり、宇宙の法則だったりいろいろな神がいますね。
そうですね。ちょっと前まで日本では天皇が神でした。
ただ、たとえば暗い夜道でいきなり拳銃を頭に突きつけられ、思わず助けてと心が叫んだとき、その願いうはどこに届くのだろうとふと思ったんですよね。
まさか天皇陛下には実際問題として届く事は無かったでしょうね。
有難うございました。
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