アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

般若心経ってお経を暗唱するとどのような効果が
あるんでしょうか?
例えば潜在能力が引き出されるんでしょうか?
右脳と何か関係はありますか?
気になりますので教えてください。

A 回答 (14件中1~10件)

子供のとき読んだ月刊マンガ(月刊・・・って)で



●三田光一氏が、般若心経100万回唱えて超能力を体得した

記事を読みました。集中することは、超能力の開発に効果があるかも知れませんね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%94%B0% …
    • good
    • 5

七田眞(私は怪しいと思っているのですが)の本に次のような事が書かれていました。

般若心経のような真言を繰り返して唱えることによって、左脳の働きが弱められ右脳が働きだす。右脳は潜在能力が眠っている脳の奥の部分に繋がっている
>>>>>これは、明らかに間違いです。科学的根拠は、ありません。ただ、繰り返して唱えることによって、左脳の働きが弱められ右脳が働きだす。という部分のみ、真実が隠されています。つまり、本を、眼だけで読むのでなく、指で示し、声を出し、口をもごもご動かして、と言う、体で、脳への刺激を高める記憶法の臨床結果は、ピアジェほか、多くの学者が論文を書いておられます。

七田式教材が、何十万で売られる前、全く流行っていないとき、七田式の講演会の席で、質問しましたが、結局、お答えしていただけなかった経緯は、あります。

ですが、般若心経を唱えることが、全く効果が無いかというと、オンやリズムに、脳に効果のあることは、含まれているようですし、繰り返し読む、諷誦するというのですが、これも、心理的効果は、発見されています。

つまり、お経を読むことで、人間に良い効果は、出るのですが、それを利用して、自己の販売する教材のねたにしたり、科学的根拠の無い説明をするのは、どうかと思われます。

潜在能力が引き出されるんでしょうか?
>>>>引き出されません。
が、それを上手に使うことで、引き出すきっかけには、出来そうです。

つまり、ただ、心経を読んだ=能力が上がるではなく、

読経をそら暗記していると、読経しながら、別なことを考えながら、頭の整理が出来、声を出したり、鐘を打ったり、木魚を叩いて、適当に運動しながら、正座して、脊髄や延髄に適度の刺激を与えている状態は、健康的では、ありますが。。。

ですから、漢文は、韻を踏むといって、音楽的要素がありますので、そのような、歌を歌っても同じ効果があると想像できます。

音響的に検証してみると、いいですね。
なお、仏教での学期は、オクターブ毎に、良い音色になっている場合が、オシロスコープでは、発見できています。
ただし、安物の仏具は、別ですが。。。。
    • good
    • 1

自信はありません。


単純な計算や音読が脳力を高めると言われています。
般若心経を唱えることは同じようなかもしれないと私は思っています。

七田眞(私は怪しいと思っているのですが)の本に次のような事が書かれていました。般若心経のような真言を繰り返して唱えることによって、左脳の働きが弱められ右脳が働きだす。右脳は潜在能力が眠っている脳の奥の部分に繋がっている

池口恵観という坊さんがいます。巨人の清原は彼のお寺で何日間が修行をしてそうです。この坊さんによれば、般若心経のような真言を唱えることによって自分の周りを光に包まれ良いことが起こるそうです。

この坊さんの本である「般若心経エクササイズ」には般若心経など収録されたCDが付いています。アマゾンなどでチェックされてみたらいかがでしょうか?

私はCDと逢わせて般若心経を唱えるとスッキリした気分になります。また、音楽としても立派なものだと思いました。

ダラダラした文章になってしまいまして、申し訳ありません
    • good
    • 3

物理的証明ではないのですが、



霊・魂には、特定言語がないとテレビで見た記憶があります。

それが事実として考えるならば、魂・霊に直接意味を語りかけることになるのではないでしょうか?

お経というのは、教えだと思いこんでいます。これが事実なら、毎日教えを聞くことにより、脳や心で理解するのではなく、魂が理解しそれが心に行き、脳に行くかもしれません。

人は、意識しなくてもできるようになる、つまり、無意識の状態でできるようになるには、長い時間がかかります。通常は意識を習慣化して数日から数ヶ月かけて無意識にしていきます。それを魂を通してするわけです。

僕は「体相」と言葉を勝手作りました、この「体相」というのは人相や手相、歩き方や作法のことです。

これは、心理、考え方などが影響してなっていると思います。気持ちを引き締めてがんばろうと思って歩けば自然に背筋が延びますから。

つまり、魂から聞いて心に伝わり、無意識にできるようになれば、自然と人相や手相、歩き方や作法が変ります。

それにより、健康になったり、人から好感を持たれる人相になり幸せになるのではないかなと思っています。

まあ、人の行動はその人の人生や考え方、信念、信条を表すものですから。

宇宙の法則が解明されるまで確定的なことはわからないですよね。
    • good
    • 2

ここに書いている人のほとんどが、仏教信者ではないにしても、仏教文化圏の人であったりして、基本的に仏教に対して何かありがたいもの、すごいもの、いいもの、という前提や感覚があると思うのです。

信じてないとか言いつつね。文化的なすり込みです。


もし、キリスト教の坊さんが、般若心経を暗唱なり音読なりしてみて、聖書より効果があったのであれば、般若心経自体になにやら不思議な効果があるとは言えると思います。

でも、たぶんそんなことはないでしょうね。

聖書に親しんだ人は聖書を読んだ方が、効果はあるでしょうね。

あるのは、結局、聖書に対する信仰や、般若心経に対する信仰というように、信じる側の信仰だと思います。

そういう信仰があるということです。

ただし、断っておきたいのは、「効果がない」とは言ってないことなんですね。信じる気持ちが、健康効果を起こすことは当たり前にありますし、声を出すことは基本的に清々しいのです。右脳効果もあると思います。

それに、教えの内容に感動している場合は、心に染みつくという効果はあるのです。というより、本来、宗教で用いる聖なる文言は、教えを心に染みつかせるため(あるいは神や仏と常に近づくために)に、何度も唱えるものです。

たとえば、毎日、「世界中の人間が滅びることを願います。恨みある人のことを、私は決して忘れない」と言い続ければ、忘れません。実際、こうやって、毎日うらみを繰り返して言うこと(言わせること)で、何十年もあとで復讐した王様は、インドにも中国にもいます。日本にもいそうです。普通の人は、恨みの心が薄れて忘れてしまいます。深く心に刻んだのです。

反対に、良い心、善の心を染みつかせることも可能です。それを利用したのが、もともと宗教で、聖書を繰り返し読んだり、お経の言葉を繰り返して唱えることだったのです。「みんなが幸せに。神のご加護がありますように」と。毎日唱えていれば、心がそちらに向かいますよね。これも心にふかく刻むうちに、その人の心が宗教的に理想とされる人物に近づくというわけです。
    • good
    • 1

楞厳咒(りょうごんしゅ)というお経は、天竺製では、ないのかと思いますが、雨季には、読経は、あったのではないでしょうか?



当然、心経などは、エッセンスですから、後世に作られたものですがね。
    • good
    • 0

潜在能力が引き出されるとかではありません。


右脳に関係があるとか、そんな感じのものでもありません。

そもそも、お経は仏教の教えを忘れないためにできたものです。
約2500年前、ゴータマシッダルタという人がこの世のすべての苦しみから人々を救いたいと発心して、成立した教えが仏教です。
人々は彼に真理を教えてもらっていました。
でも、彼も一人の人間なんで死んでしまった。
つまり、真理を教えてくれる人がいなくなった。
でも、たくさんの人々に説いてきた教えは、それを聴いてきた人びとの記憶の中には残っている。
彼は死んでしまったけれど、教えは残った。
それで、彼が死んでしまったあと、忘れないために皆で集まって、自分はこう聴いた私はこう聴いた聴いた・・・・
って言いあって、それを皆で暗唱して・・・
できたのが、お経でした。
だから、お経って何種類もある。
その一つとして般若心経があります。
これは、初めてお経ができたときより、だいぶ時間が経ってから、リュウジュって人につくられたのものです。
般若心経で初めて「空」という概念が表現されたんです。
そして、これが、まさに仏教の真髄を説いています。
余談ですけど、それで多くの人に読まれたから、今みんなが知っているのかもしれないと私は思ってます。

だから、お経は効果をえるためによんでいるのではなくて、教えを忘れずにしっかり生きていくためによんでいるんですょ。
    • good
    • 0

般若心経だけでなく、十句観音経も不思議なパワーがあるといわれてます。



まあ、神秘的なこと(真言・陀羅尼)は解りませんが、声を出す(呼気)ということは副交感神経が優位に働きますので、そうすると右脳が活性化するんだと想います。
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/arurest/rest2 …

それに読経するときは、大抵の人が姿勢を正して読経しますので、普段、姿勢の悪い人だったら血行が良くなりますし、発声で横隔膜を使うことで内臓のマッサージにもなるでしょうし、血流促進になって全身の血行がよくなり血液サラサラ効果もあると想います。

それでも気が散漫な状態で読経しても何の効果もなく、気持ちを集中することが大切なんだと想います。そうすることにより変性意識状態(禅定)といわれる状態に入りますので、とても気持ちよくなると想います。


※ ちなみに、お釈迦さまが生きていらした時代には、
  当然、般若心経も十句観音経もありませんでした。

それどころか最初期の仏教では呪文や祈祷、占いの類はしませんでしたので、今、お釈迦さまが生きていて、お釈迦さまの前で般若心経にあるような真言(陀羅尼)を唱えたら、即、破門にされるかも知れません。
または般若心経を破り捨てるかも知れないと想います。

これは後に誕生した「大乗仏教」という仏教の経典なんです。
    • good
    • 0

あの世で、苦労しておられるご先祖さまがいる場合、


その人あてに般若心経を送ると、そのご先祖さまが喜んで、あなたにいいことをしてくれると聞いたことがあります。
「わたしを守ってくれているご先祖の皆さんのなかで、一番困っている方からお受け取りください」と心の中で祈り、般若心経を唱えるのです。
信じる信じないはあなたしだいです。
    • good
    • 1

邪悪なことを排除できる般若心経なのですが,それを毎日拝んで仕事にしている住職に,結婚詐欺をされお金をだましとられました.


妻帯者なのに長年にわたり私たち家族をだまし,子供も二回もおろさせられ,お金をむしりとった坊主もいます.
こういったことを書くのはどうかとも思いましたが,般若心経を唱えても,唱える人間が人を殺すこともどうってことないと考えている人間なら何の効果ももたらさないと思います.
聖職と日本で言われている坊主でさえ,この始末なのですから.

少しはなしが脱線しましたが,あなたが般若心経の意味を少しでも理解して(理解しようとする気持ち)唱えることの良さが少しでもわかってくるようなら,きっと潜在能力とか右脳とか関係なしに何かがわかると思います.抽象的でごめんなさい.こればかりは,本当にその人がおかれている環境や気持ちによるので,数学のように答えがはっきりしているものではありません.

私は亡くなった祖母と一緒に毎日意味もわからす3歳のころから唱えていましたが,30歳にして私なりに般若心経を唱える良さを感じています.

全ては唱えるあなた自身の状態(精神),気持ちだと思います.
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!