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あえて、哲学的に答えて下さい。
私が思うに、そりゃあ、戦争は無駄ではなかったんです。
戦争を体験してない、者の言い分ですけどね。
人の死は無惨です。
いっぱいの犠牲者がでます。
でも、人として、
社会としての成長としては争い事ははやっぱり避けれないものではないでしょうか?
人が死ぬ恐ろしさを覚えて、次の世代へ受け継がれて
でも、やっぱり時代はくり返すと思うからやっぱりまた、戦争はくると思うんです
あなたはどう思います?
私は学生なのでもっと語りたいんですけど、
ちょっとぐしゃぐちゃになりそうなので、みなさんの意見を聞いて考えたいと思います
今でも、アフリカでは子供が銃を持っています
宗教的に争うとい事
人の欲望による争い
平和な時代へ受け継がれてきた、私達
人の痛みなんて、わからないのが現状では?
人の争いについてまつわる事を
ちょっとしたあなたなりの答をだしてくれれば嬉しいです

A 回答 (9件)

皆さんは肝心なことを忘れていないでしょうか?


実は、第3次世界大戦はもう終わっているのですよ。
これは外人ならば常識と考えていることです。

どういうことかわかりますか?

実は第3次世界大戦は、ヤルタで始まり、マルタで終わったとされる米ソの冷戦です。
外人では、冷戦もれっきとした戦争(それも全面戦争)です。
むしろ、当事者にとっては第1次/第2次世界大戦のようにドンパチする戦争の方が楽だったくらいです。
というのは、冷戦というのは、剣の戦いで言うならば、音無しの構えを続けているようなものです。
だから、体力のある方が勝ちます。

米ソでは明らかに体力(ここでは軍事力ばかりでなく経済力も含みます)が違いました。
マルタで終わったのは、ソ連が「これ以上、こんな戦いを続けられません」と宣言したからです。
そう、ソ連はあれだけ軍事に力をいれたのに、一発もドンパチせず、アメリカに降伏したのです。

では、なぜ、一発もドンパチしない冷戦が続いたのでしょうか?
これは核の抑止力というものが原因です。
核の抑止力とは、次のことです。
 核ミサイルを相手にぶち込むと、確かに相手は壊滅するけれど、報復の核ミサイルが飛んできて自分も壊滅してしまう。
 自分が壊滅することがわかるから、全面核戦争をやれないので、(曲りなりの)平和が保てている。

ペンタゴンの高官がこう言っています。
「ソ連が世界を24回壊滅させる核兵器を持つならば、アメリカは25回壊滅させるだけを持たなければ平和は保てない」
日本人から聞くととんでもないことですが、正しいことなのです。

こういう考え方はどうですか?
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病原体群との争いが天敵達との闘争に発展し、


更に同一種族内での領土争奪戦へと…

本末転倒ですよね。
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もうすぐだと思います。

もし今度、世界恐慌が起こったら、危ないです。第3次世界大戦を起こす国となると、中国だと思います。中国という名のとおり、世界の中心になるために、中国が戦争を起こすような気がします。そうなると、日本人は捕虜にされるかもしれません。日本は自分の国を自分で守れるようにならないとだめだと思います。平和とかいくら言っても、スイスのように自分の国を自分で守れる上に平和を唱えているわけではありませんから。
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ふむ、社会的成長が何を意味するのか……。



・科学的成長、もしくは文明的成長
世界レベルの科学技術レベルの上昇
個人レベルの知的レベルの上昇

・文化的成長
集団レベルでの精神的成長
個人レベルの精神成長

と言った所かな?

・科学技術レベルの上昇に戦争が大きく関わっていることは周知の事実である。
人は闘争する相手がいる場合、その競争精神によりその技術を向上させる。よって、戦争により科学技術が急発展することは確かである。が、必ず必要かというとそうでもない。

・精神レベルの向上に戦争は寄与しない。戦争ファクターは精神レベルを低下させると考えられる。戦争は人間の戦闘本能・排他本能・自己防衛本能から来る。規模が大きいから単純ではないがその基礎にあるものは本能に帰属する。逆に一般に言う精神レベルの向上とは理性に帰属するものである。戦争は人間を本能レベルまで貶める行為に思われるがいかがだろう?

人間の種としての成長を本能からの脱離であるとすると戦争は成長には必ずしも必要ではないと考えられる。

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戦争はなぜ起こる?

人は過ちを犯すまで問題点に気がつかない。あらゆる事故についてその事実は当てはまる。同時にあらゆる戦争には原因が存在する。それも大体において単純な理由である。(国家レベルで)人に戦争の原因を取り除く意志があるならば多くの争いはなくなると考えられる。
しかし、全個人レベルの意思統一が必要となる。個人の抹消とも言える現象となる。人には自己を主張する本能がある。または集団レベルで意志を主張することもある。本能的に排他的であるので戦争は発生する。

そもそも、何事にせよ生物は統一を嫌う。多様性を増そうとする。微生物レベル、物質レベル、集団レベルで多様性を求める。進化の過程において多様性を持つことこそ、種の保存に必要不可欠のことだからである。

例を出そう。
・病原菌の話
病原菌は基本的に細胞分裂からなり、その生命活動は同様に行われる。多様性がない状態と考えよう。多様性のない均一な存在に天敵が現われたとしよう。病原菌の場合は抗生物質だ。均一なのですべての病原菌は抗生物質により殺される。
それに対して多様性がある場合を考えよう。多様性がある場合、多くの菌は抗生物質により殺されるかもしれないが抗生物質の効かない菌も発生する可能性がある。
多様性を持つことにより種そのものがあるファクターにより全滅することがないようになっているのだ。

人間も同様の原理が本能的に刻まれているとすると、ある統一国家/統一思想にすべての人間が染まると言うことを本能的に嫌うと考えられる。必ず新たな勢力を産み多様化を求める。多様化することにより大きな意味での存続を目標としているのである。
人の本能に刻まれているのは個人レベルではなく人間種そのものの存続ではないだろうか?

本題に戻す。
結論
・戦争は本能に帰属する。
・成長は理性に帰属する。
成長に戦争は必要ない。

与論
戦争は人間の自己多様化本能に起因し、それは種の保存本能である。
戦争・争いのない完全統一状態は種としての人間をあるファクターにより全滅に追い込む可能性があるのではないだろうか?

以上
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事象や考え方を整理し体系化したもの、あるいはその手引が哲学ですから、まずは何を整理したいのかを明らかにする必要がありますね。


ちゅわけで、論点をはっきりさせましょう。こんな感じですか?
1.争うのは人間の本性なのか。
2.本性なら、避けられないものなのか。
3.避けられないなら、そのうち世界大戦が再発するんじゃないか。
大きくはズレてないと思いますので、こういうことで考察してみましょう。
結論から言うと、争いは人間の本性で避けられないが、世界大戦は起こらないだろう、というのが私の考えです。
争いが本性であるのは誰も否定できないと思います。人間に限らず、全ての生物は”種や血統の存続”の為に争い、強い個体を存続させようとします。
ここで考えるべきは、争いには2通りの手段があるということです。即ち、
・自分が秀でることにより勝つ
・相手をおとしめる(抹殺する)ことで勝つ
です。多分、生物学的にはどちらもアリでしょう。但し、社会や種の成長のためには、前者の争いは有効と思えますが、後者にその効果は期待できません。こういう意味で、前々回の選挙でとある政党が対抗政党を貶める活動をしたことなどは、非常に恥ずかしい原始的且つ低レベルな戦略と言えるでしょう。
ちょっと脱線しましたが、戦争などの悲惨な争いは、後者に属するものと考えます。従って、社会の成長などのために、戦争は必要無いと断言したいです。
以上で、戦争が不要であることは説明できたと思います。次に、戦争を止められるか、の議論が残ります。生物としての本能から、後者の争いを選択してしまうことは十分に考えられます。これをコントロールするのが理性や倫理観でしょうから、ハナシは難しくなります。つまり、理性や倫理観は、本能の要求と同時に復讐心や好き嫌いなどの感情も併せてコントロールしなければならないからです。感情論は歴史や地域性、民族や宗教などによって多種多様で、一定の基準でコントロールできるものではありません。戦後アメリカの戦略は、価値観を統一することでこの基準を一定化させ、争いを前者の方だけに収斂させよう、というものと考えられます(日本においてその戦略は成功したかに見えますが、一部文化的侵略などという反発も見られます)。現在は、価値観に相違が認められる部分について、後者の争いによってそれを抹殺しようとしているように見えます。
善悪や好嫌は置くとして、アメリカがスーパーパワーであることは事実でしょう。従って、少なくともアメリカの戦略が変更されるか達成されるまで、戦争は無くならないでしょう。個人的には達成されることは無いと思ってますが。
最後に世界大戦ですが、世界大戦を定義する必要があります。同時に、複数の箇所で、複数の民族が、戦争することだとすると、今も世界大戦中になります。この他に、同時多発している戦争が、2つの勢力のどちらかに収斂される、という条件が付いて世界大戦足り得るのでしょう。これが正しいとすると、現在の世界を二つに分ける勢力って、非常に限られてますよね。これらの勢力が全面的に戦争するのはちょっと考えにくいので、世界大戦は起こらないだろう、と思ってます。
長くなりましたが、異論反論や不足訂正など、色々あろうかと思います。また、質問にある”人(他人)の痛み”についての回答にはなっていないかもしれません。ただ、日本はアメリカの軍事力の庇護下にあるとは言え、争いを”自分が秀でること”に絞ろうとしている国です。この素晴らしい思想に誇りを持ち、世界に向けて成すべきことを共に考えていきましょう。私は、学生のあなたがこのような問題意識を持っていることが分かって、未来を楽観できる大きな喜びを感じています。この質問をしてきてくれたことに御礼を言わせてください。ありがとう!
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事象や考え方を整理し体系化したもの、あるいはその手引が哲学ですから、まずは何を整理したいのかを明らかにする必要がありますね。


ちゅわけで、論点をはっきりさせましょう。こんな感じですか?
1.争うのは人間の本性なのか。
2.本性なら、避けられないものなのか。
3.避けられないなら、そのうち世界大戦が再発するんじゃないか。
大きくはズレてないと思いますので、こういうことで考察してみましょう。
結論から言うと、争いは人間の本性で避けられないが、世界大戦は起こらないだろう、というのが私の考えです。
争いが本性であるのは誰も否定できないと思います。人間に限らず、全ての生物は”種や血統の存続”の為に争い、強い個体を存続させようとします。
ここで考えるべきは、争いには2通りの手段があるということです。即ち、
・自分が秀でることにより勝つ
・相手をおとしめる(抹殺する)ことで勝つ
です。多分、生物学的にはどちらもアリでしょう。但し、社会や種の成長のためには、前者の争いは有効と思えますが、後者にその効果は期待できません。こういう意味で、前々回の選挙でとある政党が対抗政党を貶める活動をしたことなどは、非常に恥ずかしい原始的且つ低レベルな戦略と言えるでしょう。
ちょっと脱線しましたが、戦争などの悲惨な争いは、後者に属するものと考えます。従って、社会の成長などのために、戦争は必要無いと断言したいです。
以上で、戦争が不要であることは説明できたと思います。次に、戦争を止められるか、の議論が残ります。生物としての本能から、後者の争いを選択してしまうことは十分に考えられます。これをコントロールするのが理性や倫理観でしょうから、ハナシは難しくなります。つまり、理性や倫理観は、本能の要求と同時に復讐心や好き嫌いなどの感情も併せてコントロールしなければならないからです。感情論は歴史や地域性、民族や宗教などによって多種多様で、一定の基準でコントロールできるものではありません。戦後アメリカの戦略は、価値観を統一することでこの基準を一定化させ、争いを前者の方だけに収斂させよう、というものと考えられます(日本においてその戦略は成功したかに見えますが、一部文化的侵略などという反発も見られます)。現在は、価値観に相違が認められる部分について、後者の争いによってそれを抹殺しようとしているように見えます。
善悪や好嫌は置くとして、アメリカがスーパーパワーであることは事実でしょう。従って、少なくともアメリカの戦略が変更されるか達成されるまで、戦争は無くならないでしょう。個人的には達成されることは無いと思ってますが。
最後に世界大戦ですが、世界大戦を定義する必要があります。同時に、複数の箇所で、複数の民族が、戦争することだとすると、今も世界大戦中になります。この他に、同時多発している戦争が、2つの勢力のどちらかに収斂される、という条件が付いて世界大戦足り得るのでしょう。これが正しいとすると、現在の世界を二つに分ける勢力って、非常に限られてますよね。これらの勢力が全面的に戦争するのはちょっと考えにくいので、世界大戦は起こらないだろう、と思ってます。
長くなりましたが、異論反論や不足訂正など、色々あろうかと思います。また、質問にある”人(他人)の痛み”についての回答にはなっていないかもしれません。ただ、日本はアメリカの軍事力の庇護下にあるとは言え、争いを”自分が秀でること”に絞ろうとしている国です。この素晴らしい思想に誇りを持ち、世界に向けて成すべきことを共に考えていきましょう。私は、学生のあなたがこのような問題意識を持っていることが分かって、未来を楽観できる大きな喜びを感じています。この質問をしてきれたことに御礼を言わせてください。ありがとう!
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「戦い」 未来永劫無くならない。


人は生まれた時から生涯を閉じるまで戦いの連続である。

「オギャー」と誕生すると自然との戦い
幼稚園に入る時から受験戦争
社会に出れば、他よりも出世するための戦い
企業は生き残りをかけた企業戦争
それらの集まりである国は他国より優位に立つための戦略

人は他より優位に立つために思想であれ経済(銭)であれ戦うのです。
経済的に優位に立てば、次は名誉のための戦いです。

これらの延長線上に「大戦」がある。

その結果(善・悪は別として)技術の発展があり、社会の成長があったのです。

今後、大戦があるかどうかは別として潜在的要因は常にあります。

8月6日、9日、15日に繰り返し読み上げられる「平和宣言」「平和の誓い」は要因がなければ必要のないものです。

人間の英知で「大戦」が防げるだろうか?
人間の英知が「大戦」を起こした歴史から・・・
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未来のことは分かりませんが、今から親になっていく世代(現20代)の次の次の世代くらいには戦争が起こるかもしれませんね。

確かに私達は平和な時代に生まれて、戦争の残酷さを身を持って体験していませんが、体験した年代の人から直接話を聞くことが出来る時代であったし、まだまだ戦争の残酷さをいくらかは理解できている世代だと思います。ただ、これが少し後になってくると、ただの過去のこととして捉えられるようになって、戦争を軽く見る時代がやってくるのかもしれません。そうなると、各国が自分達の持つ武器のすごさを見せ合うかのように他国に戦争を仕掛け、第2次世界大戦のような大きな戦争を招いてしまうかもしれません。

私の想像なので、こうなって欲しいということではありません。もちろん、私は戦争をなくして欲しいと思ってます。戦争は何も良いことを生み出しはしないというのが私の考えです。
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全然哲学的でなかったら申し訳ないですが、第3次世界大戦は終わりました。

ちなみに日本は敗戦です。よく言われているマネー戦争と言うやつですが、死人もたくさん出ています。多くの人が意識されずにお金戦争に参戦していました。お金の実態の無さ、幻想性、コレらがそういう戦争を可能にしたと思います。案の定、勝者はUSAでした。私たちは今、敗戦処理の真っ只中って事ですね。お金が動く事で死人が出るなんてあほらしいです。それで死んだらマジ報われないって思います。
>社会としての成長としては争い事ははやっぱり避けれないものではないでしょうか?
 そんなことはないと思います。あえて言うなら戦争を起こしている人たちがいるのでしょう。共謀し、協力し、勝者の決まった、思いどうりの結果が訪れるように戦争を仕組むんです。ですから、争いがすべて我々の社会の工場のためにあるわけじゃないし、争いが社会を向上させると言うなら、いつになれば争いはなくなるのですか?戦争社会こそが常に上を向いている社会という事になってしまいます。ですから、争いは争い、社会の向上とあえて結びつける事は無いと思います。お金的に裕福になる事が社会の向上じゃないですから。しかし、現代もまた、それを牛耳っているのはお金を知っている者であると思います。
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