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3、40年前は、私立大学は今ほど人気がなく、早慶でも、そこまで難易度は高くはなかったという話を聞いたのですが、これは事実でしょうか?

A 回答 (8件)

本当です。

30年前か、40年前かというので、話は違ってくると思います。

当時は、頭がよくて、なおかつ裕福な人だけ大学に進学する傾向がありましたから、競争率自体は、低かったと思われます。

県立のトップ高校でも、進学せずに就職したり、結婚する人が結構いましたから。

また、早慶だけでなく、願書さえ出せば合格する大学もあったそうです。(青山学院大学とか日本大学など)。

今から45年位前の話です。


親がそうそうたる大学を出ていても、子供はそれに及ばずというケースも多々ありますよね。
そういうのも、時代背景とか関連があるのかもしれないです。

でも当時は、国立大学の人気が高く、旧帝大なんか今よりはるかに難しかったものと思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そういう状況だったんですか。大変参考になりました。

お礼日時:2005/02/16 19:21

30年前と40年前では、ずいぶん違います。


私が受験したのが27年前ですから30年前に近いでしょう。
当時でも早稲田に落ちて東大に受かったというのは結構いました。
さらに10年前というと団塊の世代、学生運動真っ只中です。この頃は、田舎から早稲田に行くといえばお坊ちゃま(お嬢ちゃま)、要するにお金持ちで無いとまず無理です。高卒で就職する人も多かったですし、東大受かるけど地元国立(旧帝でもない)と言う考えの人が結構いたのです。

このコーナーでも、地方国立と中央の私大、あるいは、難易度の低い所に現役で行くや否やの議論が良くされますが、40年前の地方出身者には唖然と言う無いようです。私なんかでも地方国立ででもその後の努力で問う大卒に負けんと言う意気で今を生きています。

そういえば理IIIに現役で言った友人が関東地方の病院で勤務医をしていますが、地元の国立医大を出た同級生が東大先端研で抗がん剤の研究をしています。こんな例もゴロゴロです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考になりました!

お礼日時:2005/02/17 08:13

漠然として答えにくいですね。


「超難関」のピークは20年くらい前ですね。
「第二次ベビーブーマー」(昭和46年生まれを軸とする世代)
30年くらい前は、共通一次を嫌い、私大一本が増える時期(共通一次は昭和54年からだったかな)
40年くらい前は第一次ベビーブーマー世代(昭和22年生まれを軸とする世代)。
「そこまで」をどう捉えるかによるけれど、大学進学率がいまほど高くなかったため、「少し緩い」程度かな。
むしろ早慶の次くらいのところの難易度がかわったね。
明治や法政なんて、想像もつかないほど難化したよ。法政なんて「飯田橋体育学校」なんて揶揄されていた。田舎の身体能力の高いヤツがかき集められていると・・・。だから東京人には相手にされないってね。
いまや「日大です」って胸張るヤツがいるからね。昔は恥ずかしくて日大なんて言えなかった。
・・・これは50年前か(^^)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
昔は経済的余裕がないと進学できなかったんですね。

お礼日時:2005/02/17 08:11

 1980年代の中ごろまで、早稲田は


ミニ東大と呼ばれていて、東大に落ちた
人が行く大学だと言われていたんです。

 それが1980年代の後半、
バブル景気のころ、民間の
大手企業のほうがお役人より
はるかに給料がよくなっていたため、
それら大手企業にOBが多く、就職に
有利だということで、他の私大と
ともに早稲田、慶應の人気が
急上昇して、東大に受かっても
早稲田には受からないと言われ
始めたんです。

 お役所の採用のほうでも
国立大学の中でも東大の
人が大蔵省や通産省に
採用される人数が多いのは
試験方法に問題があると言われ始め、
大学名を公開しない採用試験
方法に変えたところ、東大生が
減り始めたんです。

 弁護士や裁判官になるための
国家試験である司法試験の
試験作成や面接試験の担当も、
かつては東大の先生一色だったのを、
いろいろな分野から広く人材を
あつめ始めてから、私大の合格率が
上がり、今では東大より早稲田の
合格者数のほうが上です。

 難易度も上がるはずです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2005/02/17 08:10

私の母は、早大は「ペンペン草の生えてる大学」と言って、馬鹿にしていたそうです。


今よりもずっと簡単に入れたということでした。
母の若かった頃ですから、もう50年近く前の話ですが。
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この回答へのお礼

そうなんですか。
やはり、大昔はそういう状況だったんですね。

お礼日時:2005/02/16 22:36

>3、40年前は、私立大学は今ほど人気がなく、早慶でも、そこまで難易度は高くはなかった


30年前と40年前では事情がだいぶ異なると思います。又、大学によって差があると思います。
関東の話ですが、
早稲田、慶應は昔から人気もあり偏差値も高かったです。

昔は人気がなくその後人気が出て難関となった大学にA学院とJ大学があると思います。両校は30年前なら多分有名大学ですが、40年前だと人気が今ほどではない大学だったはずです。
作家の井上ひさしがJ大学出身のですが、あまり勉強ができないので入ったとの記憶があります。
J大は人気がなかったので、大学が在学中の教育と就職に力をいれ、学生を良い企業に送り込む努力を続けてきた結果が評価されて人気大学になったとの記憶があります。

大学進学率は、
40年前1965年 12.8%
30年前1975年 26.7%
で大学進学率が増加していた時期です。従って大学の人気に大幅な変動があっても不思議ではないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
人気は時代とともにかわるんですね。

お礼日時:2005/02/16 21:10

嘘です。

35年前の受験生ですが、当時より早慶上智・関学・同志社は人気があり偏差値も高レベルでした。
 福岡の受験生は中央志向が高く、同期生も数多く上京しました。一方で地元帝大の人気も高く、経済的に苦しい家庭は地元の国立大を目指し、裕福な家庭の子弟は科目の少ない有名私大を受験していたような気がします。
 ローカル私大はいよいよ行くところがない状況になって選択していましたね。関東の2・3流私大は比較的楽に入れました。最近の偏差値を見ると驚きますが・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはりトップレベルの私大の難易度は高かったんですね。

お礼日時:2005/02/16 19:28

 こんにちは。



 嘘です。少なくとも30年前は既に難関でしたよ。私が受験した頃ですから間違い無いです。
 私は関西地方なんで,関西の私立を受けましたが,いわゆる関関同立なんて,倍率20倍,30倍なんてざらにありました。
 また,その当時,国公立大学の受験は,1期校と2期校と言う制度があり,2回受けられたんですが(1期校は国立大学,2期校は公立大学が多かったです),偏差値では2期校より関関同立の方が高かったですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
少なくとも30年前は今とさほど、変わらなかったんですね。

お礼日時:2005/02/16 19:20

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