プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんばんは^^
軽い体罰について教えていただきたいです。
私の言う軽い体罰というのが、お尻とかホッペをパシッと叩く感じのものです。
決して倒れ込むまで全力で暴力に訴えるとかのものではないです。

1)まず疑問に思ったのが、子供は大人ほど全てを理解できるわけではない。
でも話せば分かってくれるはずだから、どんなことがあっても手を出すべきではない。
これはすごく理解できます。でも赤ちゃんは叩いてしつけますよね
屁理屈かもしれないですが、どうしても言葉では理解できないからです。
同じ感じで、子供ならどうしても理解できない事はあるのではないでしょうか
その場合多少パシッと叩くのは仕方ないのでは?と思ったんですが
言葉でどうしても伝わらなくても、ずっと言葉で対応すべきなのでしょうか?
絶対言葉が通じるならやくざに絡まれても言葉が通じるはずですよね^^;


2)小学生、中学生くらいの年で、ふざけて友達に向けてカッターナイフで、
斬りつけるマネをしている所を見たとします。
言葉で理解させるような悠長なことをしていていいのかな?と思ったんです。
言葉で説明しているうちに、また繰り返したらどうするんだろう…と
理解したふりをされたら終わりじゃないのかな。
その時にナイフを取り上げ、パシッと叩けばいけないことと分かるかもしれません。
何もしないよりいいと思うんですが、それでも言葉で接しないとダメなのでしょうか?

1,2についての言葉で理解されなかった場合であれば、体罰はいいのか悪いのかを
教えて頂けないでしょうか?
解決策を求めている訳でもありません。この場合であっても体罰が許されないのであれば
なんらかの他の方法を考えようと思っていますので。
よろしくお願いします(*- -)(*_ _)

A 回答 (16件中1~10件)

ANo.11のm0o0mです。

補足として書きます。

体罰反対派として説明しましたが、ある程度の体罰は必要であるというのが本心です。私も子供のころは叱られて、先生からゲンコツをもらったことがあります。今でも覚えていますが、悪かったな・反省したなと思い、ある意味いい思い出になっています。

しかし、日本の教育現場では「体罰はいけない」ことになっていまし。その理由としては・・・

(1)親としての未熟さ。
先生が子供に体罰をすると、その親が訴えるというケースが増えているようです。
昔→親は「校長先生に訴えるよ」
ひと昔→親は「教育委員会に訴えるよ」
現在→親は「裁判所に訴えるよ」
と変わってきているようです。

精神的に子供である親が増えてきていることが問題です。自分では子供に体罰を加えて、他の人が体罰をしたら大騒ぎです。保護者同士の子供のケンカに対するトラブルが多いそうです。

私は子供と関わる活動をしていましが、活動をする前に必ず上の人から言われることは、「絶対に体罰をしないでください。」ということです。


(2)児童虐待の増加
児童を虐待するケースが増加し、殺人にまで発展するような凶悪な事件が起きています。そのため、児童に体罰を加える=虐待、という認識をもつ人が増えてきていると思われます。
以前、テレビでもやってきたことのなのですが、体罰を加えた者は軽くパシッっと叩いたつもりであっても、それを見ていた人が虐待と思えば、児童相談所および警察に通報されます。


(3)教師による過度の体罰
教師が児童に体罰を加えて、大ケガをさせたりするなどの事件が起きています。それが原因で不登校になったり、自殺に追い込まれるケースもあると聞きます。


>成長過程でどうしてもまだ未熟なところがあると思うのでどんなプロであったとしても不可能なものは不可能な事であると思うんです。

私もどうしたらこの子は分かってくれるのだろうと、困ってしまうことがあります。しかし理解されないからといって体罰をあげることは正当な行為であるとは言わないと思います。
また、児童は理解することが不可能という根拠が必要です。言っても理解されないからといって、それが根拠にはなりません。専門の医療期間・相談機関と連携して、どうして人の話を理解できないのか判断することが求められます。学習障害児かもしれないし、知的障害児の可能性だって見れれます。もちろんそのような症状を抱えていたとしても、体罰を加えるのは決して良くないことです。


various_ideasさんのお気持ちはよく分かります。私もここで手を出さないといけないのかなと思うときがありますが、ぐっとこらえます。体罰が許されない現状ならば、どうすれば子供に分かってもらえるのか、プロとして工夫したり、医療的・心理的な専門の人に意見を聞きながら対応をしていくしかないような気がします。

参考になれば、嬉しいです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

再回答ありがとうございます!
このような回答をして頂けると、非常に頭が整理されてきました(*- -)(*_ _)

やっぱり1,2,3の原因が重なっての体罰禁止論なんでしょうね。
やはりこの問題に明確な回答はないような気がします。
色々ありがとうございます!
本当に嬉しいです!

お礼日時:2005/03/03 11:41

こんばんは。



体罰反対派の方って意外と多いことにある意味驚きました。(気に障ったら申し訳ございません。あくまで私見ですので)

(1)子供がいないので小さい子供の躾はわかりません。
(2)想像ですが、小学校高学年、中学生で自分の子供であれば間違いなく殴ります。(遊びでも喧嘩でも) そもそも、この年で友達とナイフで遊ぶなんて(もちろんナイフの使い方によります。友達同士で切り合い?のような遊びをしていたらってことです)シツケがなってない証拠でしょう。
親が全て悪いってことはないですが、ここまで危ないことをしているのに、言葉で片付けられると思っている親に対して疑問を持ってしまいます。

僕が高校生の頃、生徒が先生に叱られ(生徒が他の生徒のお金を盗んだ)て、その生徒が「だったら殴れば?オレも傷害として警察行くよ?」と言って、先生が困っているのを見たことがあります。
これって、結構問題だと思うんですよね。 
例え殴る必要がなくても、悪い方がこのような場合でこのような脅し?ともとれるような発言を簡単にできる世の中になっているのがオカシイです。 

体罰を問題にするのも良いですが、意味のある体罰でも、全て体罰だから・・・と『虐待』として世論で大人が批判することによって、このような事態が起きたりしてるのではないでしょうか。
かたくなに体罰を批判することも僕は問題だと思います。

ちなみに僕の時代(今23ですが)では、周りには父親や先生に殴られたことがある奴ばかりですね(ほとんどの友達は父親は怖い存在だと言っています)。僕も小さい頃は父親にはしょっちゅう殴られてましたし(兄弟喧嘩でも)、小学校、中学校、高校でも、部活なんかでは顧問の先生に殴られましたし、先輩からは1時間の間、空気いすなどの罰もあったりしてました・・・。
連帯責任とかで、理不尽なときもありました(笑)
(僕はサッカー部でしたが、野球部なんかは、ケツバットといって、バットでお尻を叩かれてたりしてました)
関係ないことを話してしまいましたが(汗)
なんかそれが普通だと思ってしまっています。(もちろんこんな考えも怖いですが)

虐待と体罰っていうのは、育った環境や年齢なんかで考え方ももしかしたら変わるかもしれませんが、僕の中では、虐待と体罰の違いは分かっているつもりです。
最近のように「体罰=虐待」となってきていることが逆に怖いです。

それに、大人って、虐待はこうだ、体罰はこうだ・・と考えて分けて叱ることってするんでしょうか。
自分自身が、子供の頃に愛?のある体罰を受けている人であれば、無意識にここは殴るか、言葉だけにするか、虐待か体罰かなんて分かることだと思いますし。

本当に乱文で、わかりずらい文章で申し訳ございません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^

>「だったら殴れば?オレも傷害として警察行くよ?」と言って、先生が困っているのを見たことがあります。
確かにこういうパターンが一番困るんですよね^^;
最終的に口だけだから何でもできるって感じになっちゃうって事が。
なんかますます私の頭がごちゃごちゃしてきてますけど(笑

今までの回答をみていると、意味のある体罰が存在する派としない派って感じですよね。
少なくとも一つ私の疑問が解決した気がします。
ありがとうございます^^

お礼日時:2005/03/02 04:29

(1)は親子関係の経験者です。

(2)は経験ありません。
(1)に対する経験則
体罰は必要ないです。小学生低学年までであれば、言葉だけで相手を怖がらせ服従させることができます。理解させる必要はないです。従わせれば良いのです。理解させようとする人は、相手が従ったときに、相手が理解したと思い込むこともあると思います。
(2)に対する妄想によるアドバイス
カッターナイフを取り上げようとしたときに相手に切りつけられて、相手の手をたたくどころではない状況に陥ると思います。まずは、相手のカッターナイフを正確に叩き落すべきだと思います。それから相対したら、自分の身も安全だし、体罰は必要ない状況になるような気がします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^
経験上やっぱり必要ないですか…。
私はどちらの考えもよく分かるのですが、
どうしても片方だけって言うのがよく分からなくて。
例えば言葉だけで相手を怖がらせるのって、将来にトラウマになる可能性ってないですか?
体罰もトラウマになる可能性は大きいですけど^^;
言葉だけだとどうしても内面に入り込みすぎちゃうんじゃないかって思ったりしたんです。

2に関しては全くその通りですね。
その後いかに分かって貰うかって事でしょうか。

お礼日時:2005/03/02 03:09

もう充分に回答が集まっているところにお邪魔します。

40歳代♂です。

対象年齢(理解能力)によって随分違いますよね。

他の方の例にもありましたが、「注意力」や「想像力」や「自制心(ガマン力)」が未熟な場合が難しいですね。

我家の例ですが、幼児はゴミ箱とか便器とか好きです。好奇心抑えがたく、興味しんしん。でも、叱られるのはわかっている。では、何を叱るのか。
触っちゃいけないことはわかっています。(現行犯に後ろから声をかけるとビクッとしますから…)だから、「触っちゃいけない」と叱るのではなく、「ダメといわれたことはガマンしろ」という内容になる筈です。ただ、ほんとに最初のころ『親の「いけない!」はしてはならない』ということを体得するためには、それをしている手(の甲)をペチッと強めに叩きました。
でも、最終的には「これはキタナイから触りたくないな」というキモチができるまでしょうがないな。と思います。

危険な行為=車道へ出てゆく、刃物に触る、などは充分に脅かして、その後はこれも危険の認識ができるまではしょうがないでしょうね。
ちなみに、前の方の例にもありましたが「アチチ」を教えるのにはホントに熱いもの(炊飯釜)に少しだけ触らせることで憶えてくれました。ほかのものにも援用可能で、お茶のヤカンなども「これはアチチだよ」というと身を引いて、寄り付きません。

小・中学生のころになると「ルール違反は罰則がある」ということの学習でしょうから、問題は「罰則」の内容の適否でしょうね。まぁ「漢字の書き取り1000字」とかでもいいのでしょうが、先生も限りある時間の中ですから、即時性があって残らない範囲で…つまり、てっとりばやく。という範囲ならアリかな、と。

ただ、適用の基準の厳密性・公平性・程度の判断などがとても難しいのでしょうね。受ける側の耐性(傷つき加減)が読めないと過剰になりかねないから、その辺が「愛情」と表現されるところか、と思います。

では、2)のケースで自分がカッターナイフを振り回していたとしたら…
1=初回は説教。
2=ナイフ没収のうえ、親に連絡。
3=殴られる。
なら、納得します。その場合でもパーならともかく、グーは納得しにくいですね。
これが、本気のケンカで刃物を出した現場なら
1=問答無用。いきなり、グーで殴り倒される。
でも、やむをえないでしょう。お互い命がけですから。

でも、報道によると最近はふざけてほんとに刺すアホウがいるようなので、穏当に説教からしてるような悠長なことはいってられないのでしょうかね。そしたら、「最初からグー!」ですねぇ。コワイですが…。カッターナイフはやめてボンナイフ位にならないかな。

散漫な文章で申し訳ありません。だいたい、こんな感じですがおわかりいただけますでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^
結構回答も出てきて、私の頭の中もスッキリといきたいんですが
なかなかそうもいかなくなってきました^^;

私は体罰はグーではなくパーと思っています。
その上で、ナイフを振り回すとどれくらいの痛みがある!
っていうのを言葉だけで果たして分かるのか!?
っていうのが…。
その際にパーでパシッと・・うーんダメですかね^^;

お礼日時:2005/03/02 03:13

(1)については、場合によって。


(2)については叩くかもしれません。

私は別に体罰は悪くないと思います。
私も小学・中学時代には、忘れ物をしたりすると先生にびんたされたりしました。
そのびんたがすごーく痛いもんだから、忘れ物はしないようにしよう、と気をつけていました。
いきなりびんたされたわけじゃないですよ。
「忘れ物したらびんたする」と先生は事前に言っていたんです。
わかってて忘れ物をしたんだから、文句も言えないですよね。
子供の頃って、確かに言葉はわかるけれども理解力と言う点では大人とは比べ物にならないと思います。たとえ中学生くらいであっても。
自分では気をつけているつもりでも忘れてしまうということは、それだけ注意力が足りないんです。
そこで「びんたするぞー」と言われれば、痛い思いはしたくないのでもっと気をつけるようになっていくんじゃないでしょうか。
今の親はどうだかしりませんが、忘れ物をしてびんたをされたなんて言った日には、私の親は「お前が悪い」と怒ったものです。
もちろん、理不尽なことで怒られて体罰されたら腹も立つし悲しいですが。
なぜ叩かれたのか、と言うことを今の子供たちは理解しないのでしょうか?
また体罰を真っ向から否定している人たちは、小学・中学時代の自分を振り返って、本当に言葉で理解できたという自信があるのでしょうか?
なぜ叩かれたのか考えようとしなかったのでしょうか?

これは私の場合ですけど、私は親によく反抗しました。もちろん当時は私なりに理由があったことですけれども、今考えるとひどい反抗の仕方だったと思います。
2度ほどですが、親と殴り合いのけんかをしました。その2度目のときですが、母が私に馬乗りになり、泣きながら「なんで、なんで」と私の頬を叩くのです。そのとき、叩かれたことよりも母の悔しさがダイレクトに私に伝わってきました。
そのとき、母も母でつらかったんだなと、私を憎くて叩いてるわけじゃないんだと、素直に申し訳ない気持ちになりました。初めて自分に対して反省もしました。

人間も所詮動物ですから、究極のところでは殴り合いでも何でもしないとわからないことってあると思います。ただし、これは親子などの強固な信頼関係があってこそ出来るものだとは思いますが。

言葉で諭して解決できるならそれに越したことはありません。でもその方向を考えているうちに子供たちはあさっての方向に行ってしまうかもしれません。
体罰を与える側の人間が、精一杯の愛情を持って当たれば子供には伝わるのではないでしょうか。(与える側の愛情が一方通行だった場合はまた難しいですが。うーん、本当にむずかしいな)

もちろん虐待で育ってきた子に体罰は厳禁なように、どんな場合でも臨機応変に対処していくということで。

長くなりまして、ごめんなさい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^

途中から私の質問の趣旨が変わってきた感もあるので、
そろそろ締め切ろうかとも思っているのですが
ここにきて、私が頭に描いているのと非常に近い回答をして頂いて助かります。

お礼日時:2005/03/02 03:16

私の意見ですが・・体罰をしない方が良いと思います。



もし小学生や中学生のしつけをするならば、言葉で理解されるようにするのが適切です。昔は体罰などが行われていたかもしれませんが、現在の日本の学校教育ではそうです(まだ体罰をする先生がいて、問題となっておりますが)。

叱る人間にとっては大変難しいことですが、子供を言葉で理解させられるような話しの技術を持たなければならないのです。体罰によって相手を理解させることが許されるならば、暴力によって問題を解決させようとすることを同じです。

例えば、会社で仕事上にトラブルを起こしてしまったときに、上司から「君はなぜこんな間違いをしたのか?私の指示が理解できないのか??」と言って、頭をバシッと叩かれらどうでしょうか!?不快な思いをするだけでなく、会社を訴えるという怒りが出てくるはずです。

子供であっても人権が尊重をされなければなりません。当然子供も叩かれたりすると嫌なものです。

大人は子供に決して暴力をしてはいけないものであると教えるべきです。そして大人は子供の手本にならなければいけないと思います。その大人が子供に体罰を振るっていては意味がありませんよ。

○なんらかの他の方法
とにかく、子供たちが理解してもらうように話せる技術を勉強して高めていくしかないです。子供と話すときに『しっかり目を見る』、『ボディタッチをしながら話す』を心掛けることで効果を上げることができます。子供が分かってもらえるように理解してもらえるように、大人が努力することが必要です。

かなり難しい課題なのですけれでも・・・。
参考になれば、嬉しいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます^^
>子供を言葉で理解させられるような話しの技術
これが非常に難しいですね。
成長過程でどうしてもまだ未熟なところがあると思うので
どんなプロであったとしても不可能なものは不可能な事であると思うんです。

でも確かに「子供を言葉で理解させられるような話しの技術」
を実践しないといけないのが現実であり、理想なんですよね…。

お礼日時:2005/03/02 03:23

 こんばんは(*^_^*)no2,no5です。


手をパチンとするのは体罰ですね。でも体罰=虐待ではないような気がします。
no3さんが仰る通り、犬の躾と一緒なのです。(但し小さな幼児の場合)大きくなってから叩いても、意味はないです=犬も成犬になったら同じで効果は得られないからです。また、言葉の通じない乳児には、体罰する理由がないので虐待ですね。
私は基本的には・危険な事・他人に迷惑が及ぶ事でしかパチンはしません。
3回目というのは、「言葉だけで」理解できていない、又は事の重大さが分かっていないという判断です。

ダメと説明しても同じ事を繰り返してしまう、怒られる、またする、叩かれる。
叩かれるのが嫌だからやらない。という感じです。

他人の子を叱る場面も、皆さんが仰る通り見かけなくなりました・・・。
それは、虐待の定義が人それぞれ違うので、他人の子を叱るのは難しいですね・・・。
実際、長男の友達が家に来て悪さしても、「○○なので止めてね」と言い、同じ事をやられたら親に説明して叱ってもらうようにしています。
他人の子を叱ったら親が怒鳴り込んできたなんて話も聞きますから・・・。

>ずっと怒鳴られて精神的に萎縮してしまったりとか
ずっと説教を受けることによって、大人は怖いものだと
心の中に根付いてしまったら体罰より酷い気がするんです。
=この場合は如何なる理由でも精神的虐待だと考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もありがとうございます^^
私も体罰=虐待とは思ってないですし
体罰=教育だと思っています。
人間常に罰を得て成長するものだと思いますし。

ただ、言葉の通じない幼児でもストーブに何度も近づくようなら
叩いて怖がらせて近寄らせないようにする。
これに近いものがあるんじゃないかと思うんですよね。

いくら言っても聞かないなら、ショックで~って
もしかして私の考えがグルグル回ってます?^^;

一度ゆっくり考え直してみたいと思います。
何度も何度も本当にありがとうございます!

お礼日時:2005/03/02 03:20

おはようございます


私の"体罰"の定義が質問者さんと違っていたかもしれません。
叩かれる側が叩かれる意味(理由)を理解し受け入れていれば、いわゆる愛のムチ(これはokだと思います)
極端な例 ごくせんのヤンクミ?)
叩かれる理由が分かって居ない者へ手をあげた場合=体罰と考えておりました(o_ _)o

NO8さんの
>私は箸の先を鍋の中に入れてから子供の手にちょっとつけて『熱い!』ということを教えました。

これは実際、私も経験しましたが"体罰"ではなく"勉強(経験?)"と思っていました。

結局の所、言葉も力も"時と場合・相手・限度"によるという事ですかね…( ̄ー ̄;)
言葉も度が過ぎれば悪になりますね…。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もありがとうございます^^

>私は箸の先を鍋の中に入れてから子供の手にちょっとつけて『熱い!』ということを教えました。
これは私も勉強だと思っています!
でも虐待だって言う人もいるでしょう…。
虐待だという人がいる限り、それはやめるべき行為なのでしょう。
だって子供は傷つくわけですから、言葉で理解させればいいはずですよね。
それか代わりに自分が火傷してみせるか^^;

>叩かれる側が叩かれる意味(理由)を理解し受け入れていれば、いわゆる愛のムチ(これはokだと思います)
これも体罰ですよね。
あなたの考えでは、叩かれる意味が分かっていればOKということですね。
時と場合・相手・限度 にもよるがの但し書きがつくのが条件でしょうけど。

お礼日時:2005/02/27 18:46

NO.7さんの意見にほぼ賛成です。



体罰を全て虐待ととらえる神経質な考え方にはむしろ反対です。
体罰が心の傷になるとか、トラウマになるとか言う人もいますが、決してそうは思いません。

きっと体罰を受けたことがない人か、体罰ではなく暴力を受けた方の意見ではないでしょうか?

質問(1)について
子供は3歳ぐらいから言葉の意味を理解してます。それ以前(乳幼児)に体罰を与えるのはむしろ×でしょう。言葉の意味を理解して言うことを聞かない子供に対しては分からせる以外にないのです。時と場合によては痛みを伴う教育が必要と考えます。

例えば鍋料理を食べている時に鍋を触ろうとする子供に対し、『さわっちゃダメよ』の言葉で言うことを聞く子供がどれだけいるでしょうか?私は箸の先を鍋の中に入れてから子供の手にちょっとつけて『熱い!』ということを教えました。これを虐待と言う人もいるんでしょうね。

熱いとか痛い(びんた)とかの感覚と一緒に教えることって大事なことなんですけどね本来は。人間は五感で感じることが最も心に残ります。

愛情をともなった教育という目的があるか、ないかが体罰と虐待の違いだと思います。世の中の論調は全ての体罰が虐待であるかのような言われ方がしています。これはむしろ痛みを知らない子供を増やすことになるようで逆に怖いです。

(2)の場合も体罰をともなう教育をしてもいいのではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
分かりやすい例を出していただきありがとうございます。
確かに鍋が熱いかどうかは触ってみないと分からない。
言葉で分からない事であっても、これも言葉で教えられるという人がいるんでしょうか…
新たな疑問が浮かびました。

これでまた色々考えることができる気がします。
ありがとうございます

お礼日時:2005/02/27 08:23

40目前の男性です。



まずは回答から
(1)は場合によっては叩くことも良い
(2)は叩く

他の回答者の皆さんの高尚なアドバイスの後に、若干書きにくいですが、私は時と場合によっては体罰はあってもよいと思います。

自分が子供の頃は学校の先生によくビンタをされたものです。あのジーンとしびれるような痛さとほっぺたの熱さを今でも覚えています。悪いことをした後に『おい!お前達ここに並べ』『バシッ!』

その先生を恨むどころか大好きでしたし、今思い出しても先生の行動に不信感はかけらもありません。痛みとともに自分がしたことの悪さを実感したものです。
家に帰って、『今日先生におこられてビンタされた』
って母親に堂々と話もしてました。

何でこれがいけないのか私には分かりません。言葉だけであんな説得力なんて得られないと思います。虐待なんてとんでもないです。むしろあれこそが教育だと私は思います。近所のおやじにげんこつされるなんてことは今ではなくなりましたよね。

教育者の質が問われ、体罰が虐待と言われるようになりました。ケンカをしない子供が増え、痛みをしらない子供が増えました。

ある日、自分の娘(3歳)が私の指をかじりました。かなり強く。他のお友達のことも噛んで泣かせた事があると妻から聞きました。私は娘が自分の指をまた噛んだ時に、今度は私が娘の指を噛みました。その時の噛む強さは、娘が痛いと感じる強さです。『ギャー』と泣き出しました。泣き止んだところで、指を噛んだら痛いでしょ、だから噛んじゃダメだよと教えました。

私は今後も時と場合によっては体罰を与えるでしょう。げんこつはしませんが、ビンタぐらいはします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

私が一番疑問に思っている事が、生まれてから一度も
他人から叩かれる事なく育つんだろうか…
少なくとも一回は叩かれているんじゃないのか
それは体に与える罰=体罰では?
って思ったことから始まりました。

その上でこちらの回答を読むと非常に分かる部分が多いです。
少し私の中でパニックになり、内容が整理し切れていない部分が出てきてしまいました。
拙いお礼ですみません。
ありがとうございました!

お礼日時:2005/02/27 08:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!