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若山牧水は「国民的歌人」と呼ばれているようですが、人物像についてはほとんど知りません。
「旅と酒の歌人」とも、いわれているそうです。
これだけを聞くと、旅をして酒を飲み、歌を詠んで生活できていたのであれば、まさに理想的な人生です。
山頭火のように生活破滅者ではなかったようですし、芭蕉のように弟子が沢山いたとも聞きません。
いったいどのようにして生活費を得ていたのでしょうか?
その生活ぶりの実態はどのようなものだったのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

牧水の実家は宮崎県坪谷という山村の医者です。

彼は長男として跡を継ぐことを期待されていたにも関わらず中学時代に文学、特に歌に開眼し早稲田大学英文科に進学、つまり医者の道を諦めています。父親はあまり働き者でなかったようで母親が学資を工面したようです。

牧水が歌人として世に認められてのは大学卒業とほぼ
同時期でその後は次々と歌集を出版しているので普通に暮らす程度の収入にはなったのでしょう。44歳で若死に
するまでの間、引越しと旅を愛しその間に歌を発表して
生活の足しにしていたようです。父親を早くに亡くしているので実家から仕送りはなかったと思われます。

当時の日本は低開発国ですから生活費が安く大学卒の名のある歌人なら生活する程度の収入は得られたものと思われます。

詳しくは生家横にある牧水記念館へお問い合わせください。電話0982-69-7722
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優雅な暮らしぶりとはほど遠かったようです。



嵐山光三郎の「文人暴食」という本で知りました。

この本では、牧水以外の文人たちも俎上にあがっていて、作者にとっては文学の先達なのに、その糞味噌にやっつける感じの書きぶりには好感をもてなかったのでした。
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私も若山牧水の歌、大好きです。


若山牧水は、43年の人生で、8700首の和歌を詠みました。
23歳で第一歌集「海の声」を出しています。

早くから名声を得ていたので、印税収入がたくさんあったのではないでしょうか?
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