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ビートルズにハマッテいます。
ジョンやポールのエピソードについては多く書かれて
いるのですが、ジョージについてはそれほどでもありません。
そこで質問をさせていただきます。
(1)日本に来た回数。
(2)「My Sweet Lord」が盗作の疑いが持たれ、訴訟を起こされてしまい、ジョージ側が敗訴したということですが、あのジョージがそういうことをするなんて信じられません。
詳しい経緯と似ているとされている曲について。
(3)ジョージが傾倒していったインド哲学の本や人、またジョージが傾倒していった理由について。
以上、お教えくださいませ。

A 回答 (3件)

お答えします。


(1) ビートルズ時代とソロ時代に一回ずつ、計二回。

(2) シフォンズというガールグループの「ヒーズ・ソー・ファイン」。
 確かによく似ているので、故意ではなかったにしろビートルズはガールズポップが大好きなので、ジョージの記憶のどこかにこの曲があったのは間違いないでしょう。
 ただし、ジョージ自身は別の曲(タイトル忘れました)からのインスパイアを受けて作った曲だと言っています。
 余談ですが、ジョンも“カムトゥゲザー”がチャックベリーの“ユー・キャント・キャッチ・ミー”の盗作として告訴されて、敗訴しています。

(3) 本は知りませんが、影響を受けたのはマハリシ・マヘシ・ヨギというインドのグル(導師)。
 ただしこの人、ジョンに言わせると「インチキ野郎」らしいですが。
 もう一人、こちらの方が重要ですね。インド音楽の達人ラビ・シャンカール(先生)。

 傾倒していった理由は、あくまで私見ですが、スーパーグループ“ビートルズ”のリードギターという位置にありながらジョンとポールの陰に隠れている自分。
 そのころ周りではエリッククラプトンやジミヘンドリックス、ジェフベックといった天才ギタリストたちが活躍しだした頃で、名声と実力の狭間でおそらくジョンやポール以上に深く悩んでいたんだと思います。ジョンとポールと同じことをしていては上へは行けないし、大げさに言えばアイデンティティの喪失の恐怖もあったでしょうね。何か人と違うやり方で自分をアピールしたいという思いがインド音楽やインドそのものへ向かわせたんだと思います。
・・・長くなりそうなのでこのくらいにします。

ビートルズというと、その情報の多さからジョンとポールに人気が集中しがちですが、是非「一番渋いビートル」ジョージの曲をじっくり聴いて彼のすばらしさを知ってください。
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(1)日本に来た回数_2回ですね。



日本滞在期間は、
1966年6月29日~7月3日
1991年11月28日~12月18日です。
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(2)の盗作した曲というのが、Chiffonsの"He's so fine"というものですが、


一度是非聴いてみてください。笑えるくらい似ているんです。
まあオールディーズの古い曲なので、記憶の底に眠っていたのを
気がつかなかったとされたと思います。
実際創作活動にはそういうこともあると思います。

(3)インドのマハリシ・マヘッシュ・ヨーギという人のTM(Transcendental Meditation:超越瞑想法)
というのにはまったんだったと思います。
このマハリシのグルが、グル・デヴという人でビートルズのアクロス・ザ・ユニヴァーズは
TMの体験を歌った歌で、盛んにジェイ・グル・デヴ(Jay Guru Deva)とジョン・レノンが繰り返します。
別に破壊的なカルトでもなくて、日本でも精神世界ブームで80年だいから広まり、
その後、サラリーマンが自己啓発の一助として色々な企業が導入したりして、今日にいたっています。
超越瞑想法の本が何冊か出ているはずです。
ビートルズは一時期全員このマハリシのところにいきましたが、
その後瞑想を続けたのはジョージとリンゴだけだったみたいです。
理由はわかりませんが、東洋的なものが気性にあったのでしょう。
当時はドラッグと東洋の瞑想などが新しい可能性を開くものとして一大ブームだったらしいです。
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