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法律的なことは一切解りませんが、自分の子が何らかの犯罪を犯し刑罰に処せられた場合、その親ってのは、お咎めなしなんでしょうか?当然社会的制裁はあるでしょうが、
刑法上の罪ってのは無いのでしょうか?
日々報道される少年の凶悪犯罪の中には、親の放任が原因だったり、躾、教育の放棄があったりする例もあるような気がします。
凶悪犯罪を犯した少年の実名、写真等を記載するHPを見ましたが、「少年刑務所に何年かいれば更正する」とは、とても思えない発言(逮捕当初)が多く見られ、執行側も「更正するであろう」といった希望的観測で行っているような気がしてなりません。(当然殆どが更正するんでしょうが)逆に何年かで更正するんであれば、犯罪を犯すまでほおっておいた親に教育を怠った罪があって然るべきだと思うのですが・・・・
この考えかたは「情緒的には解るが・・・」といった類の話なんでしょうか?

A 回答 (6件)

#2です。

こんばんは。
補足を拝見し、少し考えてみました。
地域社会の力が脆弱になっている今、親の力が求められている。その通りだと思います。
あの後考えたのですが、一昔前の日本の社会では、子どもに対する教育が、密接な地域社会の
力であるとか、複数世代の同居などで行われていたのと同じように、親がきちんと親として
子どもを教育していく力も、社会がともに養い教育していたのではないかと思うのです。
つまり、親も親になるべく古い世代とからの子育ての知恵であるとか、あるべき教育の姿のような
ものを複数世代での同居や地域社会とのかかわりにおいて学んでいたのではないかと。

そして、核家族化が進み、個人化が進んだ今、旧世代の知恵や地域社会の支えなどが無い中で、
親達も手探りで子育てを行うがゆえに、間違った教育をしてしまったり、本来家庭で行われるべき
教育までをも学校任せにしてしまったり、そのような積み重ねがあるのではないかと思います。

なので、子どもをより良く育てるためには、親を親としてあるべき姿に育てなければと思います。
地域社会の力や、既に子育てを終えた経験者たる古い世代の方の力が、必要とされているのだと思います。
親に責任を問う事も勿論必要なことですが、親になりきれない親が多いという現実と、何故そのように
なってしまったかの原因を皆で考える必要性が極めて高い時代になっているのだろうと思います。
難しい問題ですね。
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この回答へのお礼

>親を親としてあるべき姿に育てなければと思います。地域社会の力や、既に子育てを終えた経験者たる古い世代の方の力が、必要とされているのだと思います。
その子にとって非常に間接的なかかわりしかない地域社会というのは、実は非常に重要ということですね。
考えてみれば私自身も悪戯をして近所のおじさんに怒られ親に悪戯という行為を怒られ、更に近所のおじさんに怒られたことを怒られたりして、そんな中で「世間様」みたいな意識が生まれていった気がします。
現在「世間様」なんて言葉自体死語に等しいですし、その概念すら理解できないような風潮があります。余程のことが無い限り、この雰囲気は変わらないんでしょうね。
再度、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/15 15:34

#1です。


失礼しました。

↓下の#5の発言は、私の発言です。
番号を書き間違えました。
#1に頂いたご意見を拝見して書いた文章です。

質問者様、#2様、
大変失礼致しました。
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個人的見解ですので回答にはなっていませんけれど。

子供が犯罪を犯した時に「私は無関係」という態度の親は多い気はします。

こんなの「あなた(親)には責任はないですよ」と言われたって責任を感じるのが親として当たり前だと思うわけで。私の親だったら、私が犯罪を犯したら一生償い続けるんだろうなあと想像できてしまうので(すでに他界しましたが)、だからこそひねくれずに育ったとも言えるんですけど。

そう考えると「親を悲しませたくない」という犯罪抑止力が働かなかった責任は大いにあると、心情的には思います。でもこういうものは計測できないから扱いにくいのも確かですね。いわんや犯罪者になるべく育ててきたなんて証明しようがなさそう。


自分の子供に限らず、上司も部下をかばわなくなった。教師も生徒をかばわなくなった。そういうものも影響はあるはずですからね。

まあそれだけが全てじゃないんですけど、最近気になった事として判断材料になれば。
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この回答へのお礼

>自分の子供に限らず、上司も部下をかばわなくなった。教師も生徒をかばわなくなった。
確かにそういった傾向は強いですね。部下や教え子をかばって出世を逃すくらいなら、目を瞑って出世を選んだ方が利口といったような・・・・。それもその人たちが悪いんで無く、この国全体の雰囲気がそうさせている気がします。昔と比べて経済的に豊かになった分、道徳、倫理観といったものは低下するのはやむを得ないことなんでしょう。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/15 15:16

我が国は連帯責任制をとっていませんし、刑法は当事者主義ですからよほどの事がないかぎり親の責任を問う事はありません。


それに義務教育制ですから仰るような考えを推し進めると教育制度まで責任を追及しなければなりません。
基本的に法の執行は性善説に立っていますのでその枠外のような人を想定していないのです。
複雑多様化した社会の歪みと考える他ないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/11 04:56

事件・事故によりけりですが、子供の責任は親にあります。


刑事罰は親に発生しませんが、民事は違います。

刑務所・少年院等へ入るべきは加害者のみで充分です。
保護者や教師も懲役だ!?
これでは怖くてしかたがないですね…

以前、キャッチボールのボールが心臓に当たった結果
死亡してしまった事故がありましたがご記憶されておりますでしょうか?
ボールをぶつけた少年の両親が被害者にン数千万円の賠償命令。

その際に、こういう意見を聞きました。
『キャッチボールもできない世の中になった』
『子供を産むだけ産んで(自粛※俗に言うあたり屋です)』

両方ともまだまだです。
深く深く考えれば見えるでしょう。
『裁判で賠償命令に至る』までにどういう感情がぶつかり合ったか…
『裁判官が正しい判断を下した』とすれば、加害者の両親は貴方の言う、刑務所へ入るべき親ではありませんかね。

さすがに『死亡させてしまった』わけですから果てしないものですが…

多くの医師は『業務上過失致死』を経験上します。
ですが訴えられる医師がいて、訴えられない医師がいる。
その違いこそ、罪を償(つぐな)うべき人間か否かでしょう。
これは刑事罰のように懲役○ヶ月、○年と一律に決めるべきではないかと思います。
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この回答へのお礼

>加害者の両親は貴方の言う、刑務所へ入るべき親
私は加害少年の両親を刑務所に入れろとまでは考えませんが、子の犯罪と親を同列上で捉える必要があるのではないかと思うのです。キャッチボールの例は、気の毒な話ではありますが、結果死に至らしめてしまっても、事故である以上、その後、親同士揉めても、何とか理解の方向に向かうことは出来ますが、コンクリート詰にしたり、撲殺したり明らかな殺人事件の加害者の両親が、キャッチボールの例と同列で争うような輩が許せないのです。
事故で結果、殺してしまった加害少年の親は被害者と対等に争ってよく、明らかな殺人犯少年の親だから、権利剥奪なんてことが出来るわけ無いですが、そこら辺を逆手にとった姿勢に憤りを覚えます。しかしながら、どうしようもないんですけどね・・・・
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/11 04:51

難しい問題ですね。



刑事罰は当人にとどまるものですから、親にその責任が問われるべきものではありません。
で、社会的制裁については、どうでしょう。今は少年犯罪報道も多くなり、
親達は、当然その地域に住みづらくなり、転居したり職場をやめたりするケースもありますね。
そういった意味では社会的制裁を受けていると言えるでしょう。
親は子を監督し養育する義務がありますが、これは刑事的に云々いえるものでもありまえんし。

唯一親に責任を問うているものは、民事事件における損害賠償請求でしょうか。
未成年の犯した不法行為に対して、親は責任を取らねばなりませんから、
民事的に、簡単に言えばお金で責任をとるということになっていますね。

親の放任や不適切な養育にも問題はありますが、昔は地域社会の力があったのですが、
隣近所の結びつきも希薄になり、地域社会全体で子どもを育てるという機能が失われている事にも、
現在の少年犯罪の根があり、根は深いと私は思います。
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この回答へのお礼

地域社会の力は非常に脆弱になっている現在、少年犯罪を抑止出来るのは親しかいない(最終的に)と思うのですが
、その親が学校任せだったり、行政指導まで行かないと対応する気が無かったり・・・・。確かに根の深い問題ですね。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/11 04:01

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