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日本の国名って「日出づる国」から「日のもと」「日の本」「日本」になったって聞いたのですが、
どうもこじつけのようにしか感じられません。
どうして「日本」になったのでしょうか?

A 回答 (2件)

前にも同じような質問があったようなので、参考URLとして載せておきます。



また、Wikipediaというサイトにも、以下のような説明書きがありました。
日本という国号が成立したのは7世紀後半と推定され、現存する文献での登場は、701年の遣唐使が最初となる。日本の意味は中国大陸に対しての「日の本」の意であり、外交上、大陸と対等な立場であることの宣言であったとされる。ただし、当時の日本国は畿内を中心とした周辺地域のみであり、関東以北・九州以南は大和朝廷の支配の外にあった。その後、日本は周辺の蝦夷や隼人などの民族を掃討・吸収することにより徐々に拡大を続ける。その間対外戦争は朝鮮半島や元との間にそれぞれ数度あったのみである。こうして1871年の廃藩置県と翌1872年の琉球処分を通じて、ほぼ現在の領土が確定した。さらに20世紀前半には台湾・朝鮮半島を併合し、南洋諸島の委任統治を行い、満州国を通じて中国大陸の一部へ支配権を広げ、1936年には正式な国号を大日本帝国と定めた。1945年の第二次世界大戦(太平洋戦争)に敗れた事により拡大した領土の大半を失い、国号も日本国と改めた。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1162042, http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC
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この回答へのお礼

遣唐使が最初となると、遣隋使の頃はまだ「倭」を
つかっていたってことですね。
どうして突然変えちゃったんでしょうね?
中国に対抗したかったってことですかね。

お礼日時:2005/03/11 00:29

まず、カテゴリーが違うので放置しておくと削除される質問ですね。


とりあえず私の好きな説を。
奈良県と大阪府の間に生駒山という山があります。この大阪側に
「日下」という地名があります。これは古代には「草香」でした。
大阪平野から見るとこの草香の地は太陽が生駒山から昇るそのすぐ
下にあることから「日下(ひのもと)の草香(くさか)」と
呼び慣わされていましした。
そしてこの地を支配していた豪族が中国などの外国に自らの国を
言う場合に「ひのもとのくさか」と言っていたと想像され、
それが後に「日の元」「日の本」になったのではないでしょうか。
ちなみにこの地を支配していたのは物部氏で一方大阪平野には
応神朝(現天皇家の祖先)がありました。
この時代既に大和朝廷が成立していたと言う根拠は後の時代に
勝者によって書かれた日本書紀によるものだけなので、本当に
日本を代表していた豪族が誰なのかは定かではありません。
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この回答へのお礼

カテ違いでしたか・・・失礼しました。

なるほど、そういう説もあるのですね。
ただ、「日の元」が「日の本」になるのは
なぜなんでしょうね?
あと応神朝って5世紀くらいでしたっけ?
すると、5世紀くらいには「日の本」と
呼ぶようになったってことですね。

お礼日時:2005/03/11 00:25

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