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今PCといえばWindows(MacやLinuxもありますが)ですが、90年代前半はPC-98やFM-TOWNSもありました。
98は主にNECから発売され、82年に一号機が出ました。Windowsが今ほどメジャーでなかった時期には50%を超えるシェアを持っており、「国民機」とまで言われていました。しかし、90年代半ばごろからNECのPCはPC-9821へ、そしてPC/AT互換機へ移行しました。
一方のFM-TOWNSは富士通が開発したPCで、TOWNS-OSという独自のOSを使用していました。89年の1号機から当時画期的だったCD-ROMドライブを搭載するなどマルチメディアの機能もこの時代のPCとしては豊富でしたが、これもWindowsがメジャーになるとFMV-TOWNSと名を変えたりしましたが、消滅しました。
ではなぜ98やTOWNSは消えてしまったのでしょうか?98やTOWNSでもWindowsが使用できた場合もあったので、細々と生き残る価値はあったようですが、何か理由があったのでしょうか?

A 回答 (8件)

パソコンのパーツ交換による増設が困難だったことも上げられます。


PC/ATはパーツに種類が多くて、安いのですが、
PC-98はメーカーがほぼNECに限られていた上、
純正のパーツはビックリするほど高かったですから。



WindowsによってOSがPC-98, PC/ATで統一されてしまったら
自作することで安くて高性能なパソコンが作れ、修理や増設までできるPC/ATのほうに
当然お客さんは流れていくわけです。



でも今でもPC-98が使われているところもありますよ。
(旧型の)PC-98のいいところはN88BASICという
プログラミング可能なOSが標準装備で付いていたことでした。
N88BASICはとても平易でわかりやすいプログラミング言語で、
誰にでも簡単にプログラムが組めることから
多くの個人や企業や研究機関が利用していました。
今でも当時作ったプログラムを生かすために、
N88BASICが動くパソコンが現役で頑張っていたりしていますよ。



それを考えれば当時は通信ケーブルがRS-232CかGP-IBくらいしかなかったりして、
あまり拡張性がなかったことも利点だったかも知れません。

みんなが使っているパソコンに共通してプログラムの開発が出来ますからね。
少なくともPC-98ならN88BASICが動いて、RS-232Cで通信ケーブルが使えますから。
汎用性に富むPC/ATだと、機種によって使えない機能があったりしたので。
少なくとも当時は“相性の違い”という問題はあまりありませんでした。



ですがそんなRS-232Cも通信速度が遅いという致命的欠陥があって
そのうちPC/ATでも使用可能なSCSIに規格が変わっていったのだと思います。
そして、PC-98でもPC/ATでも機能が変わらないという状況になると
やっぱり純正品がバカ高いNEC製品は敬遠されていったのではないでしょうか。


PC-9821で166MHz, 200MHzの商品が出始めた頃には
Windowsに移植されたPC-98資産も市場に溢れてきて
特にPC-98を選択しなければならない理由が無くなってきたように思います。
汎用性ではPC-ATの方が良くなってきたような気がしますし。
PC-98でないとできないのはゲームだけになってしまいました。
私もPC-98が好きだったのでPC-9821v166まではNECを買いましたが
そののち233MHzクラスの商品でNECがPC/ATに鞍替えすると
もうNECに魅力が無くなってしまいました。
同じ土俵に立つと、どうしてもNECが割高だったからです。
TOWNSは汎用性に乏しかったのでカナリ早い時期に姿を消したと思います。


ですので、消費者の立場から言えば、
98が消えた理由は汎用性で優位に立てなくなった(別に98でなくとも良くなった)ことと
パーツの値段が高かったのが原因だと思います。
今でもGP-IBケーブル買おうとすると2mで2万もしますし。
のんびり書いてたらレスが6つも増えてた(汗)。長文失礼しました。
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この回答へのお礼

説明がとても詳しいですね。時間をかけてまでの回答、本当にありがとうございました。そしてPCにとても興味を持っています。

いろいろな理由で消えていったわけですが、これも“時代の流れ”でしょうね。PCを取り巻く環境も変化していますしね。

お礼日時:2005/03/12 22:34

完全に消えたわけではなくPC98は今でも企業で細々と動いています。


昔PCの性能が低かった頃漢字ROMを内蔵していたPC98位しか漢字使用がまともに出来ませんでした。
しかし、386CPUが出た頃からCPUの性能等が上がり
その頃IBMから出たのがDOS/V(というOS)ソフトが登場し、漢字ROMを持っていないIBM互換機でも漢字が使えるようになりました。コレが日本のIBM互換機をDOS/V機という理由です。 そうなると生産台数が多いDOS/V機に価格面でPC98は太刀打ちできずPC98は3年前(かな?)を最後に一般用は生産中止になりました。
工場用のFA98シリーズはまだあるのかな?
企業で生き残った理由は「PC98でしか動作しないソフトを使っている」からです。
我が家にもPC98、486,586機で3台生きています。
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この回答へのお礼

PC98の生産中止ですが、こんな記事がありました。
http://www.express.nec.co.jp/care/pctechinfo/pc9 …
98王国の崩壊はAT互換機の性能向上と生産・販売力の格差で生じたわけですね。ありがとうございました。もっとも98が生き残っているのは意外でしたが…
(その割には今でも動いている旧式のPCを見かけましたが、モニタの発色数が8色とか16色とか少なくバックもブラックで、画面だけでも昔のPCという感じがした。)

お礼日時:2005/03/12 22:16

世界的に見た場合、極東の端にある国だけで普及していたクローズドされた世界のPCです。



漢字を表示するために専用漢字ROMを搭載していて
日本語MS-DOSのみで動作し、他国の安いPCの侵略を阻止していました。

MS-DOSVer5のときに、漢字ファイルをRAM上に展開して漢字ROMが不要なMS-DOSが開発されPC/ATマシンでその拡張MS-DOSが動作可能になりました(DOS/V機と呼ばれる)

しかしながらアプリがそろっていなかったのであまり普及はしなかった。

9801がwindowsに対応するためにVGAのマッピングをパックドピクセルタイプ(PC/AT準拠)に変更したために
旧アプリが使えない場合が増える。

Windows3.1が出た時点で、PC/ATマシンと9821が両方3.1をサポートし3.1上ではアプリの互換性が上がった(まだ完全ではなかったけど)。

アプリの互換性が高まると9821の必要性が薄れるとともに、PC9821が50万円のときにPC/ATマシンが30万円と極端に値段差が出てくる。

Windows95が出たときにNECは9821で対応した。
富士通が95対応のFM-Vを半値ぐらいの値段で売り出し国内メーカーと言うことで爆発的に売れた。
(但しこの頃の富士通の不良率は60%程度に達していたけど、今ほどインターネットが普及していなかったので
悪評はそれほど広まらなかったのを良い事に拡販していく。

海外から大量に値段の安いパソコンが入ってきて、Windows95上ではどのパソコンを使っても動くのだからPC9821の必要がなくなっていく。

周辺機器も海外の激安周辺機器が流れ込んでくる。
9801の純正マウス1万円、キーボード3万円もしたんです。

ユーザーがが9821から離れていけばマイクロソフトもNECの顔色を伺う必要も無く、Windows98SE以降は9821に対応しないと発表すれば未来の無いハードを買う人はいなくなります。

時代の潮流には逆らえなかったわけです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
いろいろ複雑ですが、結局はPC/AT互換機の互換性の向上と98との価格差、Windowsを動かすのに98である必要がなくなったために消滅したということですね。

お礼日時:2005/03/12 22:10

こんばんわ、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、私の所でも、まだ98が現役で、Webサーバーとして動いています。(私のプロフィール参照)

他の方もおっしゃっていますが、それまで、PCと言えばそのPCの為の専用のソフトが必要でした。PC-98も何をとっても専用でした。ただ、日本は英語圏以外で、唯一マイクロソフトのDOSの日本版があったところですが。

その中で、IBMが打ち出したPC/AT互換機の規格の推奨でした。この規格に従えば、どの国のどの部品を使っても同じPCが作れると言うことにありました。

その後、それに対応したDOSが出てきて、更にWindowsの時代が来て、ハードウエァの差が全くと言っていいほど、OSに寄り吸収されてしまいました。専用のハードの上で専用のソフトを組み合わせてシュアを取っていたNEC帝国の瓦解の大きな原因です。

私のサーバーとして動いているNECのPCは周辺機器をいれると100万円くらいしました。(10年くらい前)
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この回答へのお礼

IBMのPC/AT互換機規格の推奨やマイクロソフトの販売戦略には、さしもの98でも太刀打ちできなかったということでしょうか…
アドバイスしていただきありがとうございました。

お礼日時:2005/03/12 22:06

NECのDOS基本システムと富士通のDOS基本システムが、マイクロソフトとIBMの基本DOSと似ていて、裁判になり、MS-DOSの情報を分析して真似をした。

ということで、膨大な和解金を、支払い、今後、PC98及び富士通のFM-R及びタウンズを、販売しない。
そのかわり、MS-DOSの提供及び当面、ウインドウズにPC98仕様を販売する。となったと理解しています。
確かに、PC9800シリーズのウインドウズは、キャブファイルを解凍するとき、Aドライブに解凍するとか、NEC独自のすぐれたところが、たくさんあったのですが、根本のところで、マイクロソフトの特許を真似てしまったらしいですね。

よって、自然消滅です。
その前のCP/M時代は、ハードの中に、漢字ROMと言って、文字コードを漢字に変換するROMをプリンターなどに持たせていましたが、それも日本独特のもので、高速チップやDRAMの開発で、少ないメモリーで、機械を動かす必要が無くなり、マッキントッシュなども、自然消滅になりました。

以上、記憶ですので、間違いがあるとは、思いますが。。。

で、当時のDOS/V機は、日本語対応ソフトも無く、壊れやすいということで、PC98かMACが多かったですよね。

また、マザーボードなどに、FSBという共通信号システムが出来たこともあると思います。

これで、マイクロソフト、IBM、が、ウインテルと言って、ウインドウズOSとインテルCPUの合体で、世界戦略をして、シェアを伸ばしたからでしょうね。
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この回答へのお礼

98やTOWNSの瓦解は、そうした境遇もあったのですね。
結局天下のマイクロソフトの真似であったことと、日本独自の機能の足かせもあって消えたみたいですが、もったいない気がします。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2005/03/12 22:04

私の手元にはPC9821がありますが、ローランド社のビデオくん、というビデオ編集ボードが装着され、現役です。

これだけのために70万円を投資したので、おいそれとは捨てられません。問題はオプション装備の価格が異常に高く、維持費が高くつく事。修理が自分でほとんどできず、メーカー修理にださなくてならない事が、決定的でした。
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この回答へのお礼

オプション装備の価格が異常に高く、維持費が高くつく事はマッキントッシュと似た境遇ですね。ありがとうございました。
でも今のPCでも修理はほとんどメーカーに出しますよね?

お礼日時:2005/03/12 21:53

 TOWNSはよくわかりませんが、PC-9801/0921は私も使っていましたので、感慨深い物があります。


 おっしゃるとおり、PC-98は国民機と呼ばれていましたが、その理由は
「PC-98でないと、動かないソフトばかりだったから」
です。
 Windowsが登場する前は、あらゆるアプリケーションソフトは、対応機種が決まっていました。日本では、漢字が使えるパソコンが必要であったため、必然的に日本仕様のパソコンが日本製であったわけです。

 ところが、Windows登場でこの必然性は消えました。
 メーカーがどこでもいいのなら、あえてPC-98を選ぶ必要はありません。
 むしろ、過去のPC-98のソフトを動かそうとすれば、それなりに対応が必要になります。これは、Windowsを使うときには不要な機能であり、コストも上げ、拡張性も制限されます。
 たとえば、PC-9821では、ハードディスクがAドライブで、フロッピーがCドライブという特殊な構成でした。これらの対応がWndowsのバージョンアップに対応できなくなったのでしょう。
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この回答へのお礼

詳しく回答していただきありがとうございました。
98やTOWNSが売れていた時代はパソコンメーカーごとに対応アプリやハードが決まっていたのですね。
Windowsが出た後はアプリやハードはほとんどメーカーを気にしなくていいですしね。

お礼日時:2005/03/12 21:51

DOS/V機に比べて汎用性に欠けたから。

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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
たしかにソフトや周辺機器がWindowsで使えなかったら意味ありませんよね。

お礼日時:2005/03/12 21:40

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