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夜暇なときなんとなく死について考えるといつまでも
眠れなくなってしまいます。なにかいい解決法はないでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

3です。

私自身は子供の頃カトリックの教育を受けていますし、
亡くなった親父の友人が浄土真宗の坊さんだったりして、
昔から宗教的な考え方に触れる機会が非常に多かったです。
また、伝統的な様式美としての宗教は大好きで、
その哲学や倫理観は私の価値観に大きく影響を与えて言います。
が、私自身は物心ついた頃から神仏の存在は一切信じていません。
まともに勉強し(学校の勉強はそのほんの一部)、
普通に推理類推する能力があり、合理的な判断力があれば、
少なくとも神仏はむやみにあなたを助けてくれるものではない
ことが分かるはずです。
私はあなたが人生を克服するにあたって、宗教を頼って欲しく
ありません。
色々な宗教に接し、ものの考え方を学ぶことは非常に実になる
ことです。
しかしきちんと世のことを学ばず、弱い心の者が宗教に没入すると、
思考停止したまま依存してしまうことがあるのです。
これは妙な新興宗教なら言わずもがな、数千年の歴史がある
伝統宗教でも同じ事です。
その危険性は宗教自体の正邪ではなく、信教する者自身に
内包されているからです。
う~ん、どうも上手く表現できないな・・・「立ち上がる
ための杖にするのは構わないけど、歩き出す前に脇に置け」
と言うところでしょうか。・・・気が利いてないね、どうも(笑)。
まずは揺るぎない自分を作り上げてください。
自分の存在価値が確固とすれば、逆に恐怖は和らぐものなんです。
まあ騙されたと思って(笑)。
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この回答へのお礼

僕も宗教とかはほとんど信じてないですし、宗教にすがる人の気持ちはよくわかりませんが、将来そういう人にならないように気をつけたいですね
回答ありがとうございました

お礼日時:2005/03/15 16:47

聖書の言葉を贈ります。



(1)ヨハネの福音書3章16節
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
  それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
  永遠のいのちを持つためである。」

→イエス・キリストが、私の罪のために十字架で死んでくださったと信じるなら
 誰でも、永遠の命が与えられるという約束です。
 もうひとつ聖書の言葉を贈ります。

(2)コリント人への手紙第1 15章55~57節
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
 しかし、神に感謝すべきです。
 神は、私たちの主イエス・キリストによって、
 私たちに勝利を与えてくださいました。

 ぜひこの聖書の言葉を信じて、平安を得てください。

(3)ヨハネの福音書14章27節
 わたしは、あなたがたに平安を残します。
 わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
 わたしがあなたがたに与えるのは、
 世が与えるのとは違います。
 あなたがたは心を騒がしてはなりません。
 恐れてはなりません。
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この回答へのお礼

やはりどの宗教でも、死については説かれていますねぇ
(そういうものなんでしたっけ宗教って)
参考になりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/15 03:42

臨死ってことばはご存知ですか。


いちどあの世に行って、この世にかえってくることですね。
その臨死を体験したひとたちの話にはある共通した部分があって、死んだ瞬間、からだをぬけ出た魂が、へやの天井あたりに浮遊して、病床の死んだじぶん、悲嘆にくれる家族のようすを見ているとか、あるいは、あの世は花が咲き乱れ、日差しも燦燦とあかるくといった天国のイメージそのままの光景であるとか。

そうした興味ぶかい体験者の取材をはじめ臨死体験を詳細に調べて書かれたのが立花隆「臨死体験」です。

作者はこの本の末尾で、
「この本を書くまでは、死ぬ瞬間はすごく痛くて、苦しいだろうと思って死ぬことが怖かったが、臨死体験を調べてみて、死の瞬間は想像していたほどのものでないのがわかった。その結果、死ぬことがこわくなくなった」といった意味のことを述べています。

一読をお勧めします。
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この回答へのお礼

http://kanazawa.aleph.to/rinnsitaiken1.htm
このサイトを参考にさせて頂いて、臨死体験のことを調べましたが、やはりよくまだ科学では明らかにされていない状態で、魂や肉体とか、そういった非現実的とも思えるようなことが死後の世界では起こっているのでしょうか。
でも臨死体験なんて、テレビで見れば、自分が死にかけたときウソをつくこともできますが、死に際の老人から魂のようなものが抜け出るのを見たことがあるという話もきいたことがあります。非常に興味深いことですね。
ご紹介頂いた本も、読んでみようと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/15 03:41

解決法は無いし、解決する必要ないと思います。


生きている間、死ぬまで「死?」について考え続けると思う。
そしてそれはとってもいい事だと思います。
いつも考えてると死が怖くなくなる、つまり生きてるんだから、死ぬのは当たり前になるぐらいに考えられれば、しめたものです。
本をたくさん読むこと、お勧めします。
「ふーん。いろんな考え方あるんだなあ~」と、今度は考える事が楽しくなります。
自分ひとりの考えより、いろんな人の考え方知るのも、これまた面白いものです。
でも明日何しよう、今度何しようと予定が一杯だと、考えなくなります。
忙しいから。
明日死んでもいいやって考えられたら、死は怖くないのにね。
死んだ人に「どんな?」って聞くわけにもいかないから、自分で「死の物語」作らないといけないもの。
「死はこんなものだ」なんて誰も断言出来ません。
だって生きている人が勝手に言っているのだから。
悩むんじゃなくて、考え続けるしかないですね。
全世界の人間が、こうして考えているんだなあ~と考えながら、皆で考え続けましょう。
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この回答へのお礼

そうですね。僕はまだあまり本は読まないですけど、これからは難しい本でもどんどん挑戦して自分の視野を広げて、死を受け入れられるような人間になりたいです。
でも今はまだまだそんなことできないので、眠れない夜が続くかもしれませんが、これも修行とおもってがんばることにします
回答ありがとうございました

お礼日時:2005/03/15 03:34

死んだらどうしようとか死にたくないとか悩むのでしょうか?


でしたら諦めましょう。
遅かれ早かれ誰でもいつか死にますから。
自分が生まれてから死ぬまでの間にどれだけ喜びや幸福を味わえるか。
それを多く味わう人ほど得な人生ですよ。
「死」について考えるのも時には面白いですが、眠れなくなるほど悩むとしたら・・・そしてそれが原因で日常疲れたり、体を壊したりしたら・・・その苦しんだ時間を合計したらあなたの一生の何パーセントになるのでしょうか。
私はその苦しむ時間分をもっと喜びや幸福へ向かう事に使いたいです。
だって人生は「死」について思い悩むには短すぎますから。
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この回答へのお礼

僕の好きな漫画「ダイの大冒険」作:三条陸 という漫画で、登場人物が僕と同じように死について考えて夜眠れなくなってしまうというシーンがあります。たまらなく不安になってお母さんのところへ行って
「人間は誰でもいつかは死ぬ。だからみんな一生懸命生きるのよ」という言葉をもらっています。その後その少年は立派に成長し、こんなせりふを言っています。
「結果がみえてたって もがきぬいてやる!
一生懸命に生き抜いてやる!
残りの人生が50年だって5分だって同じことだ!
一瞬・・・!だけど・・・閃光のように・・・!
まぶしく燃え抜いてやる!
それがおれたち人間の生き方だっ!!」
と。僕は非常に胸を打たれる言葉だと思いましたが、どうでしょうか?この少年は物語の途中で1回死んでいますから、僕達とは考え方が全く違っているものかもしれませんが、僕も将来この少年のようなせりふを、心のそこから吐けるようになりたいです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/15 03:10

こんにちは。



死を恐れて眠れないのでしょうか。
それとも、考え出すと「何なんだろう……」と止まらなくなるのでしょうか。

どちらも良いことだと思います。
死と向き合うことは自分と向き合うことです。

死が怖くて眠れないというのは、つまり「生きたい!」という心の現われです。
とーっても良いことですよね。

私にも、過去、その様なことを夜に考えてしまい、眠れない時期がありました。
それを解決したのは時間でした。
怖くてもどうにもならないのですもの。
どうにもならないので、考えない様にするけれど、それでも眠れませんでした。
1ヶ月程悩んで、疲れたな……って思い出したら、眠れる様になりました。
夜は、深く考え込んでしまうので、深刻な考えをするならお昼が良いですよ。

夜に深く考えこみそうになったら、何も考えられなくなる位、集中して本を読んだり、吉本新喜劇のビデオを見るといいです。

宗教は死の恐怖をやわらげると言うよりも「自分と向き合う」というものです。仏教は特に。
その中で、死という物を深く考えるんですね。
ある場所まで行けば悟りは開けるでしょうが、常人が「死って何?教えてよ?」って軽い気持ちで入ると後悔すると思いますね。教えるものではなく、自分で感じるものですから。
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この回答へのお礼

そうですね、やはり死については誰も答えを知りません。
今まで人類が20万年生きてきて、誰も答えを知った人は入ないと思います。死後の世界とか、信じたいですけど、死後の世界が、今、一つの生物として存在しているこの世界より良いものかどうかもわかりません。死んだら、精神だけ、真っ暗な、五感のすべてが失われた誰もいない場所で未来永劫苦しむという世界かもしれませんし・・・。そう考えると不安です。死後の世界の有無は死んでからじゃないとわかりませんけど、今生きている世界は確実にここに存在しているものですよね。生きている間に、死に対する自分の考え方をまとめられるように生きていきたいと思います。
回答ありがとうございました

お礼日時:2005/03/15 03:01

私もよくあります。

私は,自分の体が死ぬのを怖がっているかなと思うことにしています。すると私の体は何も返事をしません。要するに体は死ぬことも生きることも怖がっていないようです。眠るときぐらいは(或いは死ぬときも)、体にしたがったらどうでしょうか。しかし日中は自分はからだの主人と思っていますから、そのつもりでいると、体が何も考えていないといって安心できないということはありますね。
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この回答へのお礼

よく心霊番組や、そういった雑誌・漫画などで、「肉体と魂は別れている。肉体が死んだら魂は霊界にいく」とかそういう、死んだあとは魂が肉体から離れていくという考え方をよく見聞きします。僕もそう信じたいです。肉体は、成分はなんだとか、どういう仕組みで動いているのかとかそういうことは科学で解明できている部分も多いですが、
魂(精神)のことはまだなかなかはっきりとわかってないところが多いですよね。死んだ後の世界は死んでからでないとわかりませんが、魂の生きる世界みたいなのがあるといいです。
回答ありがとうございました

お礼日時:2005/03/15 02:55

この質問も定期的に来ますね。


誰も一時期、「死」について思い悩む時期があるようです。
「夜寝たまま目が覚めなくなるのではないか」「寝てるとき火事とか起きたらどうしよう」「家族が事故にあったらどうしよう」「もし俺が死んでも世間はどうもしないんだよな」・・・
死の恐怖というのは、死んだらどうなるかが分からないというところから来ていると思います。

ワタシの場合、死について勉強しました。
本を読み、映画を観、哲学や宗教からSF、著名人の死生観などなど。

結果「死ねば無。天国も地獄もない」という結論を得ました。
「救い無いな」と思うかもしれないですが、ワタシはこれで「死の恐怖」という呪縛から多少は逃れられたと思います。

ワタシが死んでも世の中は何も変わりません。
しかし、ここにK-1という人間がいたという「何か」を残しておきたいと思うようになりました。
ま、年表に載り、歴史家が研究対象にするような人物にはなれませんけど。
たとえ名前は残らなくても後世に残るものが1つ残せればいいとおもっています。
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この回答へのお礼

僕も似たようなことを考えてしまいます・・・。
僕が死んでも、それはこの広大な宇宙のなかの、ほんの小さな地球という星で、60億人、いやすべての生命のうちのたった一つのshuntiという存在が消え去っても、何の問題もなく時間は永遠に過ぎていくんですよね。そう考えると凄く不安です。自分はなんのために生まれてきたのかとよく考えてしまいます。夜星を見ていると無性に悲しくなることもあります。人生の価値というものはどうういうものなのかはわかりません。K-1さんがいうように、後世に何か一つでも残せたらそれも人生の価値の一つだと思います。まだ人生はまだまだあります。死ぬまでに人生の価値を探そうと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/15 02:48

普通の常識を持って普通の想像力がある人は誰でもなります。


私も子供の頃から死ぬことと言うよりは自分の一切が無に帰すことが怖くてたまらず、
つい考えてしまった時など怯えてしまって眠れませんでした。
今40才ですが、度合いはかなり減ってきたものの、まだ完全に消え去ったとは言えません。
50になっても治らなければ神経科にでも行ってみようと思っていますが、
基本的には死への恐怖は人間の道徳観とか性欲、技術の進歩、戦争の抑止などに深く繋がっており、
完全に無くなるとととんでもないことになってしまいますよね。
クサいですが、死ぬことが怖いからこそ生きている今を意味あるものにしましょうよ。

この回答への補足

回答ありがとうございました。(付け忘れましたごめんなさい)

補足日時:2005/03/15 02:49
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この回答へのお礼

やはり大人になってもそういった不安は消えないものなのでしょうか。僕はまだ高校生ですから、まだ精神的に未熟な面もあります。でも、中学校の時の国語の先生も、50歳でしたが、死ぬのが怖いといっていました。でもあとで輪廻転生の考え方を信仰するようになってから考えが変わったといっていましたが、僕はあまり変わりませんでした。
やはり死への恐怖というものは、年齢に関係なく、宗教やそういった心のよりどころのようなものを見つけて払拭するしかないのでしょうか・・?

お礼日時:2005/03/15 02:43

分かります。

私もそうです。
夜って、考えることがどうしても暗くなります。

こんど、真っ昼間に、死について考えてみてください。そして、考えが落ち着いたところを憶えていて、夜また考えてしまったら、それを思い出してみたらどうでしょうか。あるいは、メモしておいてそれを見るというのもいいかも知れません。

今、ふと思ったことなので解決法になるかどうか自信ナシですが、私も試してみます。
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この回答へのお礼

夜に考えることが暗くなるというのはすごくよくわかります。「こんど、真っ昼間に、死について考えてみてください。そして、考えが落ち着いたところを憶えていて、夜また考えてしまったら、それを思い出してみたらどうでしょうか。あるいは、メモしておいてそれを見るというのもいいかも知れません。」ということでしたが、夜寝ようと思って電気を消すと急に死について考えてしまって、慌てて電気をつけて気持ちを落ち着かせています。でも電気をつけて気持ちが落ち着いても、いざ寝ようと思って、電気を消すと、またそういった不安にかられてしまうというのがほとんどです。夜中の2時とか3時くらいになって急にそういうことを考え出すので、家族で起きている人は誰もいません。誰か人の顔を見れば安心できると思うんですが・・・(実際人の顔を見たら安心できたことがあります)
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/15 02:38

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